Ch12-Better than none./ゼロよりはまし(3)
彼女は次の話を読み始めた。
冒頭では、クロウが合流地点に立ち、広間の時計をしきりに確かめていた。
『17分遅れ……』
近くで待つアッシュとライラに、彼はつぶやいた。
『あっちで何か見つけたんじゃないか?』
アッシュが言ったが、その声には本人も信じ切れていない響きがあった。
『戻る途中で暗殺者に襲われたのかもしれない』
ライラが恐怖に満ちた顔で付け足す。
『それか、悪魔の儀式を見つけて、今ごろナイトメアに閉じ込められてるのかも……!』
クロウの視線は、無意識にリブリスへ向かった。認めたくないほど、その本が気になっていた。
彼のモノローグが、さらに内心を明かしていく。
何かがおかしい。この状況そのものに違和感がある。鍵も、このB棟も……何もかもが、しっくりこない。
その考えを追うより先に、視界の端で何かが動いた。エイミーとレインが近づいてくる。二人とも、表情に変化はない。
『レイン! どこにいたの!? 心臓が止まるかと思った!』
ライラはすぐに駆け寄り、レインを抱きしめた。レインは恥ずかしそうに、おずおずと抱き返す。
『何か見つかりました?』
エイミーが尋ねた。黄金の瞳からは何も読み取れない。
クロウは一瞬、彼女を観察した。本能が何かを訴えている。
『まだ何も』
慎重にそう返す。
『君たちは? ずいぶん遅かったな』
『迷いました。初対面のときにも分かったと思いますけど、私、方向感覚ゼロなので』
『そうか……』
クロウは目を細めたが、最後にはただうなずいた。
『何か見つけたか?』
『何も』
レインが答えた。声はいつもどおり小さい。
クロウはため息をつき、リブリスをエイミーへ差し出した。
『君の本だ。俺にはあまり役に立たなかった』
だが、エイミーは受け取ろうとしなかった。彼女の視線は本の上を滑り、その存在など見えていないかのように通り過ぎる。
コマはクロウの目元へ寄った。突然の疑念に、瞳が細くなる。小さなテキストボックスが現れた。
なぜ受け取らない……いや、見ようともしない……。まさか――
『……そうだな』
クロウはリブリスを、困惑するライラへ渡した。
『東棟をもう一度確認したほうがよさそうだ。ライラ、来てくれるか? アッシュはエイミーとレインのそばに残れ』
エイミーにはその理由が分からなかったが、クロウは説明しない。結局、従うしかなかった。
クロウとライラが廊下を進むと、クロウは高次元を知覚できる能力の一つ、サード・サイトを発動した。コマでは視界の色が反転し、彼が残してきた一行を振り返る様子が描かれている。
変化した視界に映る偽のエイミーと偽のレインの位置には、歪み、ねじれたオーラがあった。本物の生命体が持つ、澄んだ輪郭の気配とはまるで違う。
『エイミーでもレインでもない』
クロウが低く告げると、ライラの目が驚きに見開かれた。
『どうして分かるの?』
『三つある』
クロウの声は硬い。
『一つ目は、エイミーの本だ。彼女はあれを大切にしている。それなのに、コピーは存在すら認識しなかった。二つ目、俺のサード・サイトが、あれらは人間ではないと示している。そして三つ目は……』
彼は一瞬ためらった。
『俺の直感だ』
「いや、そこで直感は雑すぎ……」
『俺の直感』のくだりで、エイミーは思わずこぼした。
[つくづく、ひねくれていますね]
次の流れでは、クロウが慎重に立ち回り、『エイミー』を他の者たちから引き離す様子が描かれていた。教室を確認するふりをして、人目のない廊下へ誘導する。二人きりになると、ページには冷徹なまでに無駄のない攻撃が描かれた。クロウは流れるような一動作で剣を抜き、偽物が反応する前に背中から貫いた。
血ではなく、傷口から黒い体液がこぼれる。怪物の姿が波打ち、顔立ちが溶け、人間をひどく歪めたような姿へ変わったかと思うと、蠢く闇の水たまりとなって崩れ落ちた。
生々しい描写に、エイミーは眉をひそめた。
「うわ。マジで一瞬も迷わなかったんだね」
[先ほども言ったでしょう。疑う素振りすらありませんでした。実に見事です]
漫画は続き、クロウとライラがアッシュに状況を説明したうえで、『レイン』と対峙する場面へ進んだ。偽物はかなりの力で抵抗し、腕を刃のように長く伸ばしたものの、クラスSの三人は連携攻撃で圧倒する。数秒後には、もう動かなくなっていた。
二体目の偽物が溶けると、クロウは黒い体液を調べ、警戒を強めていく。
『ブラッド・マジック(血魔法)だ。古代から禁じられてきた術……。まさか、ブラッド・エンペラーか?』
『エリンドラ学長に知らせないと』
ライラが強く訴えた。
『何が起きてるにせよ、もう私たちだけで対処できる範囲を超えてるわ』
『そうだな』
クロウがうなずく。
『ライラ、頼む。俺とアッシュは本物のエイミーとレインを探す』
『この建物にいる他の生徒はどうする?』
アッシュが尋ねた。いつもの陽気さは消え、顔には険しい覚悟が浮かんでいる。
クロウの表情が暗くなった。
『本物だと確認できるまでは、出会う生徒全員を偽物の可能性があると思え』
続くページでは、ライラが離脱し、クロウとアッシュが順を追ってB棟を捜索し始める様子が描かれた。進むにつれて、二人は複数の生徒と遭遇する。本物もいれば、正体を見破られた瞬間に襲いかかってくる偽物もいた。
『全部コピーかよ……』
また一体を始末したあと、アッシュが低くつぶやく。
甲高い咆哮が、B棟の中に響き渡った。それまで出会った偽物たちは、攻撃するときでさえ人間の姿を保っていた。しかし今、教室や廊下から現れたのは、より怪物じみた姿をしたものたちだった。もう人間のふりをする気もなく、凶暴さをむき出しにしている。
『もう擬態する気もないらしい。正体が割れたと気づいたんだ』
クロウはそう悟り、剣を抜いた。三体の怪物が二人へ迫る。
そこからは、複数ページにわたる躍動感のある戦闘シーンが続いた。混乱を増していく建物の中を、クロウとアッシュが戦いながら進んでいく。巻き込まれた他の生徒たちは逃げ、なかには助太刀しようとする者もいた。もっとも、怪物相手に有効な戦闘能力を持つ者はほとんどいない。
『早く安全な場所へ行け!』
勇敢にも加勢しようとしたものの、ほとんど歯が立たないクラスBの生徒たちへ、クロウが叫ぶ。
『ここは俺たちが引き受ける!』
戦いはやがて中庭へとなだれ込んだ。B棟からさらに多くの怪物が溢れ出してくる。アッシュは筋力強化の能力によって、素手で文字どおり怪物を引き裂き、クロウの剣技はその周囲に死の旋風を巻き起こしていた。
混沌のさなか、視点は突然、ナイトメアの奥深くにいるレインへ移った。
作画は、彼女の内面の葛藤をかなりうまく捉えていた。普段は感情を見せない顔に、困惑と不安がにじんでいる。彼女はエイミーを横目で見た。
彼女は何者なの?
レインのモノローグにはそうあった。
予見や運命を語る。それなのに、まるで一度ここを歩いたことがあるみたいに、この場所を知っている。ガスパール家の人間でもないのに、ザイドに匹敵するほどの予見の才を持っている。必要になったそのときに、どこからともなく現れた予見者……
コマは、ナイトメアを進むエイミーをレインが注意深く観察する様子を映していた。エイミーの動きには迷いがない。
都合がよすぎる。
レインの思考が続く。
正確すぎる。正体が何であれ、ただ者ではない。
その後は、エイミーが実際に経験した出来事が描かれていた。怪物からかろうじて逃れ、隠し通路へ滑り込むまでの流れだ。
話は、劇的な分割コマで山場を迎えた。片側では、中庭で怪物に囲まれ、背中合わせに立つクロウとアッシュ。もう片側では、儀式の間にいるエイミーとレイン。エイミーは血に濡れた手のひらを溝に押し当て、レインは雪崩れ込む怪物を相手に防戦していた。
最終的に、ほとんどすべてがうまくいった。
クロウは怪物の注意をすべて自分へ引きつけ、外での犠牲者をゼロに抑えた。レインとエイミーは、生贄にされていた生徒のほぼ全員を救い出した。最後にエイミーが意識を失い、レインが彼女を姫抱きで運び出す。ちょうどそのとき、教師たちと、対処に当たる専門の能力者たちが到着した。
誰も死ななかった。
ただ一人を除いて。
[第153話、終了]




