Ch1- A mistake./ミステイク(1)
人が変わるには、まず「自分に問題がある」と認めるところから始まる――らしい。けれどエイミーは、とうの昔に自分こそ「諸悪の根源」だと認めていたし、それで何かが良くなったためしはない。むしろ、その自覚は、煽り文句の切れ味をますます研ぎ澄ませるだけだった。
認めるだけで人が変われるなら、彼女はとっくに別人になっているはずだ。だが現実には、良くなるどころか、悪いほうへ転がる才能ばかりが伸びていった。少なくとも、エイミー自身はそう思っている。
「……はい、フォロワー各位。今回の話でまた証明されましたね。『クエスト・フォー・アヴァロン』は漫画業界を汚した、史上最悪レベルの過大評価ゴミ作品です」
エイミーは、今打ち込んだばかりの一文を読み返し、にやりと笑った。いい。かなりいい。我ながら上出来の炎上釣りだ。これはもう、自分にご褒美をあげてもいいやつ。
上機嫌のまま、エイミーは机の端に置いてあった冷えたエナジードリンクへ手を伸ばした。プシュッ、と小気味よい音を立てて缶を開け、勝ち誇った気分で一気に飲み干す。それから空き缶を、部屋の隅で日に日にかさを増しているゴミ山へ放った。食べかけのスナック袋、くしゃくしゃのレシート、かわいい猫柄の靴下が片方だけ。そんなものが雑然と積み上がっている。
そのゴミ山を眺めて、エイミーは顔をしかめた。部屋が汚い。いつの間にここまでひどくなったのか。母にバレたら……。そう考えただけで、胃がきゅっと縮む。片づけたほうがいい。片づけなければならない。
……明日。
キーボードへ向き直ったエイミーは、後ろめたさを振り払うようにして、無理やり指をキーに戻した。
「だってさ、レインが自分から犠牲になったところで、こっちに何を感じろっていうの? 正直、あいつが吹っ飛んだとき普通に笑ったし。まあ、あの瞬間だけはちょっと面白かったよね」
エイミーは椅子にもたれ、天井を見上げた。あの場面がどうしようもなくおかしかったことを思い出すだけで、まだ笑いがこみ上げてくる。まあ、それを面白がる自分は少し終わっているのかもしれない。少しどころではないかもしれない。でも、どうでもよかった。
小さく息を吐き、エイミーはまた前かがみになって続きを打った。
「というわけで、225話の感想。必死にまともな物語のふりをしているだけの、予想どおりのグダグダ回。中身は支離滅裂。星1。これでも甘い。この星1は、このゴミを読んだおかげで、やるべきことをさらに1時間先延ばしにできた分としてつけてあげます」
カーソルが「投稿」ボタンの上で止まる。もう目に浮かぶ。30万超のフォロワーたちがコメント欄で持ち上げてくれる様子。発狂する信者たち。そして、ネットに棲みついた40代オタクどもから飛んでくる、恒例の長文お気持ち表明。楽しみで仕方なかった。
エイミーは大げさに息を吐き、間を置かずにボタンを押した。
カチッ。
ほぼ一瞬で、スマホが狂ったように震え出した。通知が雪崩のように押し寄せる。コメント。シェア。怒りの声。
ああ~、やっぱり炎上ほど数字を稼げるものはない。
最新話の更新に張りつくため睡眠時間を削ったが、この数字を見れば十分に元は取れていた。公開直後に感想を投げるのは、アルゴリズム的に金脈なのだ。
「はい、今日の業務終了。お疲れ、ダメ人間」
一仕事を終えた途端、どっと疲れが押し寄せ、頭がぼんやりしてきた。小さくあくびをして、エイミーはモニターの電源を落とし、スマホの通知も切った。
ベッドへ飛び込み、アラームを正午にセットする。朝になれば、コメント欄は全面戦争になっているはずだ。その地獄絵図に備えて、しっかり充電しておかなければならない。明日はもっと揉める。もっと閲覧数が伸びる。もっと金になる。この調子なら、18歳になる頃には、ようやくここから出ていけるだろう。母もきっと大喜びするはずだ。
眠気に引きずり込まれるころには、エイミーの表情から力が抜けていた。やりきった、という気分だった。もちろん、最近の人生はまあまあ終わっている。美術学校を辞めても、驚くほど何も好転しなかった。むしろ悪くなったくらいだ。それでも、こうして何かを嫌い倒している間だけは、少し気が楽になった。ほんの短いあいだだけでも、自分は大丈夫だと思えた。
けれど、そのささやかな満足感は長く続かなかった。
寝静まったアパートの、妙に張りつめた静けさの中で、消したはずのパソコン画面にノイズが走り、ふたたび明かりが灯る。
かすかな電子音が部屋に響いた。通知を切っていたはずのスマホが、ベッド脇のテーブルの上で一度震える。もう一度。さらにもう一度。振動の間隔はどんどん短く、しつこくなっていった。
エイミーはうめきながら寝返りを打った。ほとんど開かない目で、ベッド脇に置かれた忌々しいスマホを睨む。
通知が一件。いや、違う。百件。千件。寝不足の脳では、その数を処理しきれない。
受信箱はめちゃくちゃになっていた。けれど、いつものアンチコメントではない。
一通のメッセージが最上部に固定され、同じ文面を延々と繰り返していた。
[笑えましたか?]
「なに、これ……?」
エイミーはがばりと身を起こした。さっきまでの眠気が、一気に吹き飛ぶ。背筋にぞわりと寒気が走った。
パソコン画面のカーソルが、ひとりでに動き始める。見えない手が打ち込んでいるかのように、文字が一行ずつ現れた。
[では、今度はあなたの番です。まだ笑っていられるか、見てみましょう]
耳の奥で、甲高い音が鳴り響いた。視界がぼやける。エイミーは頭を押さえた。胸が締めつけられ、息がうまく吸えない。
そして、闇が彼女を丸ごと呑み込んだ。




