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神災フィナの黙示録  作者: 鳩ポ
第一章 旅の始まり編
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1話 この世界は狭すぎる。

ある、深い山に囲まれた小さな村。


 人は少なく、訪れる者もほとんどいない。ここでの暮らしは単純で、山で獲物を追い、土の恵みで作物を育む。朝は鳥の鳴き声で目覚め、昼は畑に汗を落とし、夜は冷えた土の香りを胸いっぱいに吸い込みながら眠る。そんな変わり映えのない日々が、この村のすべてだった。


 私はまだ十歳になったばかり。けれど、世の中の十歳がどんなことをしているのかなんて、想像すらできない。村を囲む山々は私の視界を閉ざし、外の世界の知識をすべて遮断してきた。


 想像するには知識がいる。


 知識は、本や旅人の話の中にあるものだ。だが、この村にはどちらもない。


 そんな中で、私はふと考える。


 もし、村の外に出たらどうなるんだろう。

 けれど、私の人生はこの村の中で完結するはずだった。生まれて、作物を育て、隣の同い年の少年と家庭を持ち、また作物を育て、やがて土に還る。それがこの村の生き方であり、私が知る唯一の未来だ。


 村の外には何があるのか。


 私が見たことのない景色、聞いたことのない言葉、知らない歌が、風に乗って流れているのだろうか。

 知らないものを、知りたい。


 この空の向こうには何があるのか。

 誰も答えられないのなら、いっそ自分で確かめるしかないのかもしれない。



 そう思った、その時だった。



 村の入り口に、ひとつの影が現れた。

 見慣れない背丈の男。土埃にまみれた黒く長いマントを揺らしながら、ゆっくりとこちらに向かってくる。


 旅人だ。


見知らぬ男の登場に、村がざわついた。

 男は土埃をまとった黒いフード付きの外套を羽織り、無造作に肩に背負った荷物の輪郭が重さを感じさせた。村の中央で足を止め、視線を巡らせる。訝しげな表情を浮かべる者、物珍しさに目を輝かせる子どもたち。


 誰よりも早く察したのは村長だった。杖をついた彼は、大きく曲がった背中を揺らし、ゆっくりと男の前に進み出る。その目はまだ衰えていない。旅人を見上げる視線には、長く生きた者の静かな強さが宿っていた。


 「旅人さんや……宿をお探しかな」


 枯れた声が村の静寂に溶け込む。風に揺れる木の葉のように頼りなげだったが、不思議と村の空気を包み込むような温かさがあった。


 男は一瞬、言葉の意味を測るように目を細めた。

 フードの下の影が微かに揺れ、手がその端を掴む。


 「そうだな、宿を頼む。野宿にも疲れてきた」


 低く、よく通る声だった。


 「そうですかい。ではこちらへ……」


 村長が歩き出す。もちろん宿などない。村長の家が客人を迎え入れる場所だ。


 私は畑に戻ろうと踵を返した――その時だった。


 「フィナ! 客人の世話をしろ」


 私の名前が呼ばれた。


 私は村長の背を追い、旅人と並んで歩き出す。

 見慣れた畑道、傾き始めた太陽が土の匂いを色濃くする。すべてがいつも通りなのに、隣を歩く男がいるだけで景色の輪郭が少しだけ鮮やかに見えた。


 旅人はキョロキョロと周囲を見渡している。まるで一つひとつを確かめるように。


 「旅人さん、荷物持ちましょうか?」


 ふと声をかけると、男の目がギョロリとこちらを向いた。

 フードの隙間から覗く黒髪。そして、その奥に潜む黄色い瞳。


 瞬間、私は息を呑んだ。

 まるで獣の目のような鋭さ。敵意ではないが、どこか探るような視線だった。


 すぐに男は視線を逸らし、低く言った。


 「いい、大丈夫だ」


 冷たい声色。だが、不思議と嫌な感じはしない。何かを隠すような、あるいは隠しきれず漏れ出してしまったような、そんな声だった。


 「着きましたよ。ぜひ中で休んでください」


 村長の家に着くと、男は入口の前で立ち止まった。


 「これは宿……なのか?」


 「いえ、わしの家です。どうぞくつろいで」


 男は無言で頷き、そして尋ねた。


 「金額は?」


 「お金なんて、要りませんよ」


 当たり前のことだ。この村に金銭は不要。物々交換が基本のこの村では、金などただの金属にすぎない。

 それでも、男は懐から小さな袋を取り出した。


 「申し訳ないな。金を払わなきゃ示しがつかない……君、これを村長に渡してくれないか?」


 「私たちは…受け取れません。」


 「しかし……」


 「ここはね、山と畑で成り立ってる村で。お金なんてあっても使い道がないんです」


 男は再び無言になった。

 けれど、先ほどとは違う。少しだけ表情が柔らいだ気がした。


 この日を境に、私の止まっていた時間が再び動き出したことだけは、確かだった。


 部屋の隅で、男のフードを丁寧に畳みながら、そっと話しかける。

 村の外から来た人。せっかくの機会だ。何か話を聞いてみたい。


 「えぇと……旅人さんは、なんと言う名前なんですか?」


 ―――返答がない。


 重たい静寂が、部屋の中に広がる。


 「えぇと……旅人さん?」


 不安が滲む声に、ようやく男が顔を上げた。


 「すまない、少し考え事をしていた。名乗るほどのものではない。旅人でいい」


 淡々とした声。目元に落ちる影が、その表情を一層冷たく見せている。


 私はそっと振り向く。


 座っている男の姿は、それでもなお背が高いと感じさせた。端正な顔立ち、歳は若そうだが、長く積み重ねられた経験が彼の中に重く根を張っているようだった。

 けれど、それらよりも私の目を引いたのは――


 男の、長い耳だった。


 「耳……」


 思わず声が漏れた。

 指が浮かび、中途半端に宙を彷徨う。

 男はわずかに眉を動かした。驚きの色を見せながら、耳の後ろをぽりぽりと掻く。


 「見たことないのか?」


 鋭い目がこちらを見据える。


 「はい。何かの……ご病気ですか?」


 たどたどしい問いかけに、男は鼻を鳴らした。


 「いや、違う。これは種族だ」


 「種族……?」


 「そうだ。エルフと呼ばれている。そうか、知らないか」


 その言葉が、じわりと胸の奥に広がった。

 村の外には、エルフという種族がいる。耳が長い種族がいる。


 私は、それを知らなかった。

 知らないのは仕方がない。ずっと村の中にいたのだから。

 私はこの閉ざされた村のせいにしてきた。


 でも――。


 もし、この瞬間を逃してしまったら?

 もし、今の自分を受け入れたまま、何も知らずに生き続けたとしたら?


 私はこの村のせいにして、自分を納得させることすらできなくなる。


 「あの……教えてくれますか」


 胸の奥から絞り出した声は、少し震えていた。


 「外の世界のことを」


 旅人の黄色い瞳が、静かに私を見つめる。

 ここで言わなければ、もう二度と口にできない気がした。


 「私、ずっと怖かったんです。このまで生きてきたけどこの先もずっと同じ生活が続くのかもって……思って。」


 自分でも驚くほど、言葉が溢れていた。

 この気持ちはずっと胸の奥で燻っていた。けれど、それを言葉にできる相手なんて、今までどこにもいなかった。


 旅人は何も言わなかった。

 ただ、じっと私の瞳を見つめていた。


 ――その時だった。


 大きな手が、そっと私の頭に乗せられた。


 「君は、フィナと言ったかな?」


 「……はい」


 旅人の手は、温かかった。


 「フィナ、君は私に似ている」


 その言葉に、私は息を呑む。


 「閉鎖された世界で、満足しているようで、それ以上を求める気持ちを押し殺している。そんな私の昔に、君は似ている」


 男の声は静かだった。その静けさの奥に、何か強い決意のようなものが滲んでいた。


 「君に外の世界の話をしよう。俺が見てきた世界を伝えよう」


 旅人の黄色い瞳が、微かに揺れる。


 「知識とは、何かを始めるための一歩だ。知ることで広がり、学ぶことで深まる。そして――」


 男は言葉を区切った。


 「いつか、君自身が道を選ぶ時が来る」


 部屋に差し込む夕暮れの光が、二人の影を長く引き伸ばしていた。


 私はただ、旅人の言葉の余韻を胸に抱きながら、その続きを反芻していた。


 旅人の話は信じられないものばかりだった。

 空を飛ぶ、家よりも大きいというドラゴン。黒く焼け焦げた翼を広げ、ひとたび咆哮すれば山を砕くというその姿は、まるで絵本の中の怪物のようだった。


 そして、この村の数百倍以上の大きさを誇るという都市の話。地平線の先まで広がる建物と、夜空を染める無数の灯り。まるで世界そのものが息をしているかのように、賑わいが絶えないという。


 さらには、燃え続ける大地。地の底から吹き上がる炎が岩を溶かし、赤黒い空に灰を撒き散らす――そんな絶望の景色すら、旅人の声の中ではどこか神秘的に映った。


 そして、何よりも私の心を奪ったのは、彼が語った魔法という存在だった。


 「見せてやろうか?」


 旅人はそう言うと、わずかに口元を吊り上げた。

 指先が静かに空を切る。


「灯火—我ここに――」


 瞬間、指の先端に小さな火が灯った。

 赤々と燃え上がる炎は、まるで意思を持つかのように揺らめき、暖かな光を辺りに落とす。炎の輪郭が壁に映り込み、影を幾重にも重ねた。


 「すごい……」


 声が自然と漏れた。

 だが、それだけでは終わらない。

 旅人は今度は手のひらを広げ、目の前の水が入った木の器を見つめた。


 「汝—氷れ」


 その一言とともに、器の表面が一瞬にして白く染まる。

 氷の華が花弁を広げるように水面を覆い、淡く輝く結晶となった。


 「これが……魔法……?」


 信じられない。けれど、目の前に広がる現実を否定することはできない。


 自分が、何も知らなかったことを思い知った。

 この村の外には、夢のような世界が広がっている。

 人の想像を遥かに超えた存在が息づき、風景すら常識を覆すようなものばかりだ。


 そして、その世界では人だけが生きているわけではない。

 エルフだけではなく、全身を毛で覆われた獣のような種族。岩のように屈強な身体を持ち、生まれながらにして岩をも砕く力を有するドワーフのような者たち。さらには、影のように姿を変えながら生きる存在――そのすべてが外の世界にはあるのだという。


 「ねえ、旅人さん……」


 思わず言葉を紡ぎかけたその時だった。

 ギィ…と不意に、木製の扉が軋む音が部屋に響く。

 沈黙に包まれていた空気が揺らぎ、夕暮れの光に混じるように冷たい風が流れ込んできた。


 「おや、邪魔をしてしまったかな?」


 低く穏やかな声。


 振り向けば、そこには村長が立っていた。手には夕ご飯が乗せられている。


 「旅人さんがね、外の世界の話をしてくれていたんです」


 私がそう言うと、村長はしばらく無言で佇んでいた。

 その目の奥には、どこか懐かしさとわずかな寂しさが混じっているように見えた。


 「そうか、外の世界か……」


 それだけを呟き、村長は静かに笑った。

 そのぎこちない笑顔が胸に残った。

 旅人の話を聞いたからこそ、私の中で小さく灯ったもの、それが何なのかは、まだ分からない。


 けれど――


 私の世界は、確かに少しだけ広がったのだ。

 その感覚が、胸の奥でじわじわと広がっていく。

 

 「外の世界は、きっと君が思っている以上に広い。」


 そう言うと、旅人は少し遠くを見るような目をして、続けた。


 「だが、その広さが必ずしも幸せを保証するわけではない。広ければ広いほど、人々の欲望も強くなる。争いも、裏切りも、嫉妬も、すべてが渦巻いている。」


 その言葉に私は黙り込んだ。

 確かに、村の外には何が待っているのか分からない恐怖があることは理解している。


 でも、その先に希望があるのだとしたら、私は少しだけ勇気が出る気がした。


 旅人の言葉には、悲しみも、怒りも、経験に裏打ちされた深さがあった。


 ただ、何気なく話すその声に、どこか寂しさがにじみ出ているのがわかる。


 「――君のような者が、外の世界に出たらどうなるのだろうな。」


 その言葉に私は少し驚く。


 「私が?」


 「君は何かを見つけるだろう。幸せ、苦しみ、それらがひとつになった答えを、君自身で見つけ出すんだ。」


 その言葉に、心がざわついた。


 私はこの村の中で、ずっと小さな世界に閉じ込められていた気がしていた。


 でも、旅人が言ったように、外の世界に出れば、きっと私にも新しい何かが待っているのだろう。


 まだ、怖いと思う気持ちは拭えない。

 でも、それ以上に知りたいという気持ちが強くなっていた。



 夜が深まり、焚き火の音と共に、私たちはさらに多くの話をしながら眠りに落ちた。



 次の日―眩しい朝日と物音で目が覚める。

 頬に射し込む柔らかな光が、目を閉じたままでもわかる。

 遠くで鳥のさえずりが聞こえ、朝の冷たい空気が肌を撫でる。


 ――だが、耳に届くのはそれだけではなかった。

 布を畳む音。革の靴が床を擦るかすかな音。

 誰かが出発の支度をしているのがわかる。

 私ははっと目を開け、慌てて起き上がった。

 部屋の隅で、旅人が静かに荷物をまとめていた。

 背を向けたその姿は、昨日と変わらず寡黙で、そしてどこか寂しげだった。


 「旅人さん!もう行くんですか?」


 思わず声が裏返ってしまった。

 旅人は手を止め、ゆっくりとこちらを振り向く。


 「起こしてしまったな。あぁ、ここに長居する気もない。」


 その言葉が、胸に重くのしかかる。

 村に訪れた奇跡のような出来事は、もう終わってしまうのだ。


 いつもの日々へ、何も変わらない世界へ――。

 その未来を思っただけで、心の奥がひどく冷たくなった。


 「もう行くのかい、気をつけてなさい、ここらは強い魔物が多いからの。」


 気配を察したのか、村長がゆっくりと杖をつきながら姿を現した。


 「心しておこう。」


 旅人は一言だけそう答え、再び荷物に手をかけた。

 すべてが、あっという間だった。


 ――いやだ。


 どうしようもなく、心の中から湧き上がる感情。

 それは悲しみでも、恐怖でもない。

 ただ、強く強く叫びたくなるような衝動だった。


 無意識に、私は走り出していた。


 畑道を駆ける。


 足にまとわりつく朝露の冷たさも、荒い呼吸も、何も気にならない。


 そして――旅人の袖を掴んだ。


 「私も連れて行ってくれませんか?」


 声が、震えていた。


 けれど、その震えは決して迷いではなかった。


 「戻りたくない。あなたが言っていた世界が本当か確かめたい!」


 胸の奥から溢れ出す想い。

 それは一晩で芽生えた憧れなんかじゃない。

 私は――私自身の足で、この世界を歩いてみたい。

 涙がこぼれ、視界が滲む。


 それでも私は、旅人を見上げて訴え続けた。

 その時、優しくて大きな手が、再び私の頭に置かれた。


 「君を連れて行くことは出来ない。」


 「なんで……?」


 「君がまだ幼いからだ。」


 旅人は膝を曲げ、私と目線を合わせた。

 その瞳はまっすぐで、嘘偽りのない真摯なものだった。


 「村長が言っていただろう。ここに村があること自体がおかしいくらい、この辺りの魔物は強い。俺が隣にいたとしても、君の命を守れる保証はない。」


 その言葉に、何も言い返せなかった。


 「だが、私は君の冒険心を否定しない。」


 驚いて顔を上げると、旅人はふっと笑った。


 「冒険心は止められない。君がここで狩りを学び、自ら森を抜けられる力を持った時、それが君の旅の始まりだ。」


 「でも……私はあなたと旅がしたい。」


 消え入りそうな声で、それでも私は言った。

 旅人は少し困ったように目を伏せ、静かに頷く。


 「そうだなぁ…なら、君の最初の旅は私を探すことから始めよう。」


 「……え?」


 「あいにく、君は私の名前すら知らない。スタートは十年後、そしてもし私を見つけたら、その時は共に旅をしよう。」


 涙を拭う間もなく、私は叫ぶように問いかけた。


 「約束してくれますか?」


 旅人は静かに微笑み、力強く頷く。


 「ああ、必ず守るよ。」


 その言葉を最後に、旅人はニコリと笑い私の前から去っていった。


 長い影を引きずるようにして、朝焼けの道の向こうへと消えていく。


 私はその背中を見つめながら、涙を拭った。


 ――十年後、私はきっと彼を見つける。

 そう、心に誓った。

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