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また、同じ夢だ。
湖の上を飛ぶ火球の数が、以前よりも増えている。月明かりよりも火球の光が強くて、眩しい。
夜の森はやはり、生き物の気配がなく、静かだ。
あの声は聞こえない。森の中から聞こえないというのなら、あれは湖の中にいるのだろうか。縁取るように、湖の側を歩いてみる。
大きな、大きな湖だ。かなり歩いたと思う。ようやく一周する頃には火球が倍に増えていた。
湖の中へ、入るべきだろうか。今度はもっと、深くまで。
少し考えて、泳げるからいいかと湖に足を向けた。
躊躇いなく進んでいく。
爪先、足首、ふくらはぎ、太もも、そして――水面が胸元に到達したので、泳ぐことにした。
足を上下に揺らしながら、両腕で水をかき、進む。水中だと音の聞こえ方が変わってしまうので、顔は付けないようにして、泳ぎ続けた。
何時間泳ぎ続けたか分からなくなった時、突然、ここが湖の中心なのだと気付く。
下に足はつかない。前後左右、周囲に陸は見えない。火球のまばゆい光に、目がチカチカと痛む。近付いても、熱くないことだけが救いだ。
温度で言うと、湖は熱くも冷たくもない。水ではあるのだろうけれど、温度という概念が存在しないような、不思議な感覚。
そしてふと、足元の明るさに気付いた。火球に照らされた湖面はもちろん明るいが、それよりもさらに下、湖の底から昇る光がある。
確かめよう。
大きく息を吸って、湖の中に飛び込んだ。水底の光を目指して潜る。
かなり深いが、もしかしたら今深く見えているこの湖は錯覚――または、魔術や魔法などによる幻覚なのではないかと考えた。
それに、不自然なくらい音がよく聞こえる。水の中にいる時のように、くぐもっていないのだ。最初から、全てがまやかしだったと言われても、頷けるほどに。
水の中だというのに鮮明に、あの声が聞こえる。歌声で、笑い声だ。
世を儚むようで、憎むようで、嘲るような声。
湖の底、ようやく辿り着いたその場所には女性が一人、座っていた。
やや緑の混ざった青白い色の髪を後ろでゆるく三つ編みにしている。その毛先には同色の炎が燃えていた。髪が燃えているのではなく、髪自身が炎のようだった。
前髪は長めで、表情を隠している。眠っているのだろうか。閉じられた瞼に隠れて、瞳は見えない。口元のほくろが色気を引き立たせる、美しい人だ。
「あらあら、ふふふ……今度はあなたが、ここに来たの、ね」
目は瞑ったままだけど、起きてた!
彼女の前に立つと、もう水は感じない。そして、よく見ると、彼女は長方形の箱の上に座っている。座っているのに、私より大きいのだ。
「とつぜん、すみません……ここはどこで、あなたはだれですか?」
言葉がわかる相手なら、話しができるだろうかと、会話を試みてみる。彼女は私を見下ろして、くすくすと笑った。
薄暗くてよく見えなかったけれど、近付いて見えた彼女の肌は灰色だ。褐色でも、黒でもなく、灰色をしている。
「わらわは悪夢。夜の怒り。そしてここは、わらわを閉じ込める箱」
「とじこめる、はこ……」
彼女の両足には枷があり、そこから伸びる鎖は座っている箱に繋がっていた。彼女は言いたいことだけ言うと、緩慢な仕草で箱の上へ寝転がってしまう。
「そしてあなたは、巻き込まれたのでしょう、ね。それとも、呼ばれてしまったのか」
「ええと、それじゃあ……むま、ではない?」
「夢魔? ふふ……わらわは、事象を運ぶものではない。もっと根源に近いものだ。ゆえに、わらわがいるところに、それがあるということ」
何を言っているのかよくわからない。難しい話をされているのはわかる。彼女に、わかりやすく話そうという意思がないのも、わかる。
「そして、あなたが来たのなら、わらわがやるべきことは一つ 」
目を開けて、微笑む。前髪の隙間から黒目がちな瞳が覗いた。黒曜石のように、深い黒。
「輝く鎌を持ちなさい」
比喩表現、ということでいいのだろうか。彼女は言うだけ言って背を向けてしまったので、問いかけるのは憚られる。
こんな、よく分からない場所に鎌が置いてあるわけもなし。私は一体、何を探さなくてはならないのだろう。
そしてなんとなくだが、見つけられない限り目を覚ますことができないような、気がする。今が何時かわからないけれど、あまり長時間になるとアルトゥールに心配をかけてしまうだろう。
ううん……輝くものと言えば、頭上――湖上の火球たちは輝いているけれど、あれはまた別だと思う。持って来れるかという点もそうだし、鎌っぽい形はしていない。……いや、鎌である必要はないのだろうけれど。
さて、どうしたものか。
輝くもの……輝くもの……輝くもの……? ゲシュタルト崩壊、しそう。
考えてみたところで、私の持つ輝くものといえば、ひとつだ。
武器でもなんでもないけれど、アルトゥールすら「わからない」と言っていたものがある。
以前、偶然手に入れた羽根だ。
物は試しだとマントの中にしまいこんでいた羽根を出す。このままでは殺傷能力などないけれど、折っても折れず、切っても切れないほど丈夫なので、加工して武器にしようと思っていたのだった。
これでだめなら、一度湖の外へ出て探しに行こう。そう考えた時だった。
「ふふ、ふふ……やはりあなたの手に渡るのです、ね。悪しきものに渡れば悪し様に、善きものに渡れば栄光を」
「ええと、つまり……せいかい、ですか?」
「正解などない。ただ、わらわの問いに、本来の道が示されただけ、でしょう」
またよくわからないことを言う! でも、機嫌が良いようなので、私もそろそろ夢から目覚められるかも。
なんだか、かなり時間が経っている気がする。
「此れは破滅、此れは裏切り、此れは栄光、此れは輝き」
水が、渦巻いていく。湖面が揺れて、火球を飲み込んでいく。波に攫われて、私の羽根が彼女の腕に抱かれる。
そこで初めて、彼女がありえないほどに大きい女性だったと気付いた。近付いていたと思っていた距離は遠く、彼女は巨人だった。
「今度はもう、手放さないように、ね」
女巨人の囁きが、耳元で木霊する――




