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偉人たちとの夏  作者: 中西貴之
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実験技術者 遊佐アカネの実験ノート 第5話 宇宙開闢に迫る夏

 大西洋を横断する高速客船「グリップスホルム」で湯川との有意義な一週間を過ごした後、米国に上陸した私は湯川に精一杯の感謝の意を伝え、ニュージャージー州ホームデルへ迎えの車で向かった。次の仕事は、そこにあるベル電話研究所というところで二人の若い研究員の研究を手伝うことだった。


 私の名前は遊佐アカネ、実験技術者テクニシャン。いろいろな科学者をボスとしてその下で実験を請け負うのが私の仕事。わかりやすく言えば、実際に手を動かして実験をする人、といえばいいかしら。ボスが頭を使って世界で最先端の難しいことを考えて、仮説を立てて、それを証明する。証明するためには実験が必要だけど、ボスが自分で実験をしていては研究テーマは進まないし、そもそも実験のプロの方が実験は上手だし、だから、手を動かすことなら誰にも負けない私たちが、実験計画に従って正確に実験をする。そういう役割分担。私たちの仕事は研究テーマごとの契約なので、一つの研究が終わると、あと、契約期間が切れても無職になっちゃう。そして新しい研究所に採用してもらって経験を積みながら報酬も増やしていく。そんな感じであの有名な大企業ベルなら高額の報酬が期待できると信じて、ここへやってきた。


 郊外の広大な敷地にゆったりと建設された研究所、周囲には大きな人工湖がいくつか配置され、水鳥が浮かんでいる。私は応接室に通された。壁には初代研究所長フランク・B・ジェウェット以来の歴代研究所長の肖像写真が掲げられている。およそ40年前に設立されたこの研究所は当時のAT&T社長ウォルター・グリフォードが独立事業として設立したものだ。もともとはウェスタン・エレクトリック社の研究部門とAT&Tの技術部門を引き継いだもので、AT&Tとウェスタン・エレクトリック社がそれぞれ50%ずつ出資している。


 ベル電話研究所という名前の通り、電話交換機など、AT&T向けにウェスタン・エレクトリックが製造する装置の設計とサポートを主な業務としている。また、アポロ計画などアメリカ政府の仕事も請け負っているらしい。1940年代までベル研究所の本拠地はニューヨーク市内の12階建ての巨大なビルを中心として点在していたが、今はニューヨーク郊外のここ、ニュージャージー州に移転集約されている。


 集約とはいっても、日本の研究所とはスケールが違う、ニュージャージー州だけでもマレーヒル、ホルムデル、クロフォードヒル、フリーホールド、などなど、多くの研究施設が配置されている。私が来たのは、有名な建築家エーロ・サーリネンが設計したホルムデルだ。エーロ・サーリネンはつい数年前に51歳の若さで鬼籍に入ってしまったのだけれど、JFK空港のターミナル5など有名な建築をアメリカの各地に残したほか、チューリップチェアなどのインダストリアルデザインにも大きな影響を及ぼした人物だった。サーリネンの設計は優雅な曲線が特徴だが、ホルムデルはそれとは異なり、研究施設自体は機能性重視のスクエアな設計で、一方、研究所を取り巻く敷地にはサーリネンらしい優雅な曲線が多用されていた。


 そんなことを考えていると、新しい私のボスとなる二人の若き研究者がやってきた。

「ようこそホルムデルへ、アーノ・ペンジアスです」

「ロバート・ウィルソンです」

 若っかいなあ、が私の第一印象だった。

 私には二人が希望に胸膨らませた将来ある研究者であることが一目でわかった。

「アカネです、これからお二人の研究のお手伝いをさせていただきます」

「私たちは、電波天文学について大いなる好奇心を頂いています」


 契約書を間に挟んで簡単なレクチャーが始まった。ま、おそらくは私の知識が試されているのだろう。


「星は夜空できらめいていますが、実は電波も放出しているのです」

「はい」

「私たちが普段見上げる夜空は、可視光線という人間の目で見た宇宙で、宇宙の実態の、ある一面でしかありません。宇宙を電波で観測すれば、人間の目には見ることのできない新たな世界が広がるのです」

 ペンジアスが会話のリードを取る。

「なるほど、それはおもしろそうですね」

「私たちには、一台の巨大なアンテナが提供されました。まずはそれを電波天文学に使えるようセットアップする必要があります。その段階から私たちを手伝っていただきたいと思っています」

「承っております」

「では早速、サイトにご案内します」

「よろしくお願いします」


 私は、サーリネンの設計した名建築で働けるものと楽しみにしていたのだが、アンテナはここにはないということで、車に乗せられて移動することになった。電波天文学のアンテナがこんな研究所の中に建っていたらノイズがタイヘンだろうからそれはもっともなことだ。


 研究所から数キロメートル離れた小高い丘のてっぺんにそのアンテナはあった。わたしはそれを見上げる。

「おっきいですね」

「口径20フィートです」

 ちょうど6メートルだ。

 ここでもペンジアスが会話のリードを取る。

「電波天文学というと、お皿型のアンテナが使われテイルのは見たことがありますが」

「よくご存じですね、これはホーン型反射器電波アンテナといいます。もともとは、1960年に打ち上げられた通信衛星『エコー1号』との通信研究用のアンテナなのです」

「衛星との通信ですか」

「そうです。地球は丸いので、通常の電波通信ではある程度距離が離れると、どんなに出力を上げても電波が届かなくなるのです。そこで、宇宙空間に衛星を打ち上げ、地上からは衛星に向かって電波を出し、衛星によって反射された電波を遠隔地で受信することで超長距離の通信をしようとする研究を行っていました。それは我が国の最先端かつ野心的な取り組みでした」

「あぁ、それで衛星の名前が『エコー』なのですね」

「そういうことです」


「その研究は成功したのですか?」

 ウィルソンは黙ったまま私と同じようにアンテナを見上げているだけだった。

「ま、成功というか・・・。昨年のことですが『テルスター』という通信衛星が打ち上げられました。この衛星は地上からの電波を受信し、増幅して地上に送り返す最先端機能を搭載した衛星です。この衛星の完成で『エコー』のような電波を反射するだけの衛星は用事か無くなってしまったのです。エコーの電波は微弱なので、このように20フィートもあるアンテナを建設してやっと受信ができる程度でしたが、テルスターはこの数分の一の大きさのアンテナで明瞭で煮電波を受信することができます」

「それでこの大きなアンテナは電波天文学に転用しようと?」

「当初は、テルスターの電波を受信する試験を行う計画もあったのですが、それよりはもっと野心的な電波天文学に取り組む方が将来性があるだろうと」

「なるほど」

「あとは、詳しく話をすると長くなりますが、米国通信衛星法の縛りも生じて、衛星を使った通信研究ができなくなってしまったのです。我が、ベル電話研究所には資金の一部を基礎研究に捧げるという伝統が初代研究所長以来続いており、私たちはその資金を使ってこのアンテナを使って電波天文学に取り組もうと考えているのです」

「なるほど、このアンテナを空に向けて、星からの電波を受け止めよう、ということですね、それはロマンティックな研究ですね、とても気に入りました」

「そう言ってくださるとうれしいです」

「私たちもゼロからのスタートです、一緒にベストを尽くしましょう」

 と、ウィルソンが初めて口を開いた。

「はい、よろしくお願いします」


 ペンジアスとウィルソンは大学院を出たばかりの若い研究者で、博士号取得したてのホヤホヤだった。 二人は最初の観測ターゲットを「カシオペア座A」に定めていた。


 カシオペア座Aは、巨大な恒星が生涯の最後に超新星爆発を起こした残骸で、強力な電波を放出している。超新星爆発を起こしたのはわずか300年ほど前と思われている。現在の雲のような残骸は、地球から1万光年しか離れておらず、条件が良ければ肉眼でもかすかに見ることができるほどであるにもかかわらず、世界中のどの歴史書、日記にもこの超新星爆発のことが記されていないふしぎな天体である。

 カシオペア座Aはとてもミステリアスで、とてもロマンティックで、そして電波で見るとそれはとても荒々しく、ペンジアスとウィルソンがカシオペア座Aをターゲットにするのはとても妥当なことに思えた。


「アカネさん、これから私たちは21センチメートルという波長での観測を試みたいと考えています。これはマイクロ波と呼ばれる波長ですが、カシオペア座Aからの電波は微弱ですので、本番の前にこれから一週間ほどはノイズの計測を行おうと思います」

「はい」

「ニューヨークの街から発せられるさまざまな電波はもちろんですが、この望遠鏡自身も動作している電子回路がノイズを発生させます。そのノイズがどれほどであるかをまず把握して、カシオペア座Aより受信した電波からそのノイズを差し引いて、カシオペア座Aからの本当の電波を知りたいのです」

「わかりました」

「アンテナの操作は私たちが行いますので、アカネさんは数値の確認と記録をお願いします」

「はい」


 それから私たちは、アンテナへ影響を与えるあらゆるマクロ派のノイズの計測を行い始めた。ペンジアスが私に説明してくれたとおり、電子回路は重大なノイズの発生源だ。宇宙からの電波はあまりに微弱なために、電子回路を使って増幅する必要があるのだけれど、この増幅回路自体がノイズ源になってしまうという大きな問題を抱えている。


「思いのほかノイズが大きいな」

「このアンテナが電波通信用の設計だからかもしれない」

 私たちは、増幅回路を切ったり、回路に覆いをかぶせたりしながら、ノイズが最も小さくなる方法を数日かけて探っていたが、このアンテナは想像以上に難物だった。

「回路の中で電子がランダムな熱運動をして、それがノイズ源になっているようだ」


 この時代は、冷却剤としては液体窒素が多用されていたが、より強力な冷却が可能な液体ヘリウムが必要であろうとこれまでのデータから私は考えていた。

「液体ヘリウムを使ってはどうでしょうか?」

 私からの提案にウィルソンが頭を抱える。

「液体窒素ではだめだろうか、液体ヘリウムはあまりに高価で入手も難しいんだ」

 ウィルソンは液体窒素を提案する。液体窒素はコストパフォーマンスの点で優れた冷却剤だ。

「いや、アカネさんの言うとおり、絶対零度付近まで冷やすのが単純で明快だ。液体ヘリウムを使っても絶対零度まで冷やすことはできないが、かなりそれに近いところまで冷却が可能だ。そうすればさすがの電子もおとなしくなると思う」


 ペンジアスの賛同を得て、ウィルソンは早速液体ヘリウムを調達してきた。

 液体ヘリウムの入ったデュワー瓶と呼ばれる魔法瓶のようなものを用意し、絶対温度4.2度まで冷却に成功し、早速ノイズの測定を行ったところ、十分許容できるところまで回路のノイズを抑えることに成功した。


 次の段階は、宇宙からの電波が入らない波長を選んでアンテナを動作させ、システム全体のノイズの測定だ。ペンジアスとウィルソンはいろいろと話し合いを行い検出器の波長は7.35センチメートルに設定した。

「これで、これまで測定した電気背景のノイズを差し引けばゼロになるはずだ」

 私はオシロスコープの画面を見つめる、現れるノイズを一瞬で画面の縦軸と比較して記録する、それが私の役目だった。

「・・・ゼロにならないですね」

 私はさまざまな設定値や観測値の再チェックを行ったが、問題は見つからなかった。


「これまでチェックしたものとは別のノイズ源があるようですね」

「アンテナの向きを変えてどの方向から来るノイズか調べてみよう」

 このアンテナは地上に敷かれた円形のレールの上にアンテナ全体が乗って東西南北に回転するようになっており、さらに、アンテナ部分も円形のレールの中に収められていて、上下左右に受信ホーンが360度回転できる仕組みになっていた。

 アンテナ全体を東西南北の方向に少し動かしては、都度ホーンを360度回転させてノイズの強度を記録していく。その作業を繰り返すのはなかなかに骨の折れる作業だった。しかし、こうすれば全方向から飛来するノイズを計測できる。

 結果としては、ノイズはホーンをどの向きに変えても変化しなかった。私たちがノイズの測定を開始したのはまだ春浅い日だったが、このような作業を繰り返しているうちに季節は夏に変わっていた。


 ペンジアスは私が記録したノートをパラパラとめくり、

「ノイズが常に一定ということは、このアンテナ自体がノイズを発しているということになるのだが・・・もう打つべき手はすべて打ったつもりなのだが」

「何か、私たちが見落としている点があるはずです」

「三人でしらみつぶしで探そう、今まで確認したところも再点検しよう」

「わかりました」

 それから私たちは、回路のノイズの再確認をしたり、アンテナを磨いてみたり、大忙しの日々を送ることになった。


 私は、夏の日差しの中、ホーンの中に入ってデッキブラシでホーンの表面をゴシゴシと磨く作業をしていた。ホーンの中には、鳩のものと思われるフンがボタボタと落ちてカチカチに固まっていたので、それらを丁寧に取り除いてホーンをピカピカに磨き上げる。

「暑いわね・・・」

 私はギラギラと照りつける忌々しい太陽を見上げた。

「太陽、爆発しろ・・・」


 アンテナのホーンは地上から4,5メートルの高さがあって見晴らしが良い。私はちょっと手を休め、デッキブラシを垂直に立てて、軽くそれにもたれる。

「きれい」

 クロフォードの丘と呼ばれるこの地は低木で囲まれた非常に美しい土地だった。ポンデローザという品種のバラの木が多数植えられていて、バラの季節にはとても見応えがあって、実験の合間に私はよく散歩を楽しんでいた。研究所の敷地の外はほとんどが牧場で、とてものどかなところだった。

「アカネさん、どうですか?」

 下からウィルソンがこちらを見上げている。私はホーンの端によってひざをつき、下にいるペンジアスに答える。

「ハトの糞が結構な量あります、これを落とすのにもう少し時間がかかりそうです」

「わかりました、引き続きよろしくお願いします」

「はい」


 しかし、暑い中の私の努力は全く報われなかった。

「これはおかしいですね」

「やはりこれは、アンテナ自身のノイズではなく、何かの電波を受信していると考えた方が良いかもしれないですね」

「私もそう思います、電波源を突き止めましょう」


 その日は三人揃って研究室にいた。二人は謎の電波について、可能性のある電波源を思いつく限り列挙する作業をしていた」

 電話が鳴る、私はパタパタと電話に駆け寄り、電話をとる。

「はい、ペンジアスとウィルソンの研究室です。はい、はい。お待ちください」

 私は受話器を手で押さえて

「ペンジアスさん、バーナード・バークさんという方からお電話ですが」

「はい、ありがとう」


 ペンジアスと、バーナード・バークと名乗る人物はとても親しい関係らしく、30分以上、楽しそうに話をしていた。その間、私はウィルソンとノイズの原因について話をしていた。

「アンテナの構造、たとえば地上の回転部分、あるいはホーンの回転機構、それから回転するホーンと固定された観測室の接続部分の金属同士の接触で何らかのノイズが出ている可能性はありませんか?」

 私の予想だ。

「なるほど、そこは調べていなかったな、しかし、どうやって調べればいいんだろう」

「風向や風速とノイズの関係は?」

「今のところなさそうだ」

「上空での電離については?」

 私は思いつく限りの可能性を列挙する。

「電離も正確な計算をして盛り込んでいるつもりなんだが・・・」

 ウィルソンと私は、まぁ関係ないだろうな、あるいは、もうすでに盛り込み済みのアイディアしかもはや出なくなっていた。結局二人とも黙ってしまって、いつしか、電話で楽しそうに会話をしているペンジアスを二人揃ってぼんやりと眺めていた。

 どうも電話の内容は私たちがハマっているノイズ問題に移ったようだった。

「なるほど、私の方から連絡を取ってみるよ」

 ペンジアスはそんな感じの受け答えをしていた。


 電話を切ったペンジアスが私たちのところへやってきた。

「プリンストン大学にロバート・ディッキーという物理学者がいて、宇宙からやってくるマイクロ波の研究をしているらしい」

「ほお?」

 とウィルソン。

「ディッキーは宇宙の歴史についての研究を行っていて、ビッグバン理論に対しては否定的な立場を取っている学者らしい」


 ビッグバン理論とは、宇宙は非常に高温高密度の状態から始まり、それが大きく膨張することによって低温低密度になっていったとする膨張宇宙論だが、証拠が見つかっておらず、この巨大な宇宙が小さな火の玉から成長したという説明にもかなり無理があるので、この時代ではおおかたの天文学者は信用していないマイナーな宇宙誕生説だった。


「ディッキーは振動宇宙論という説を唱えているらしい」

「振動宇宙論とは?」

「宇宙は膨張と収縮を繰り返しているという理論だ」

「なるほど」

 私は二人の宇宙論に関するやりとりを黙って聞いていた。


「現在の宇宙はちょうど膨張の段階にあり、やがて収縮に転じて、非常に小さな空間にすべての物質が押し込まれ、再び膨張に転じると考えているらしい」

「確かにそれなら物質がどのようにして誕生したかを説明する必要がなくなるね」

「問題は宇宙が収縮したときのことなんだ」

「ほう、説明してくれないか」

 ウィルソンは若干の興味を持ったようだった。

「天文学上の証拠から、最も初期の星は水素とヘリウムだけからできていて、重い元素がないんだ」

「たしかに」

「これについてディッキーは収縮が終わり、再び膨張に転じた宇宙では、宇宙があまりに熱くなっていたため、重い元素の原子核は陽子と中性子に分解した状態になっていたと考えている」

「なるほど、重い元素が再び水素とヘリウムにまで高温高圧で分解したというわけだね。宇宙の最初は水素とヘリウム、そして残りは陽子と中性子のスープだったというわけか」

「そう、まだその証拠はつかんでいないらしいが」

「なるほど」

「証拠はないが、そのように考えれば一世代前の宇宙に存在した思い元素が、宇宙の初期に存在しないことの説明がつく」

「たしかに」

「もし、ディッキーの説が正しいのであれば、この宇宙にはかつて宇宙が小さかったときの激しい熱の残照で満たされているはずだというのだ」

「ふむ」


 ウィルソンはペンジアスの話を聞きながら黒板に小さな丸を書いた。

「振動宇宙説においても、ビッグバン宇宙説においても宇宙の初期には非常に高密度な状態にあった」

「そうだ」

 そういってウィルソンはその丸を黄色チョークで塗りつぶした。

「そして宇宙は今膨張しているのは間違いない」

 ウィルソンはその横に大きな円を描いた。

「であれば、この高密度のエネルギーは、大きな宇宙に薄まって、宇宙を満たすように存在している」

「そういうことだ」

「・・・・・」


 ウィルソンは何かを考え込んでいた。

 しばらくの沈黙の後、ペンジアスの方が先に口を開いた。


「ディッキーの連絡先を教えてもらったので、私たちのデータを開示してみようと思うのだがどうだろう、なにか解決策を考えてくれるかも知れない」

「いいと思う、振動宇宙説が正しくても、ビッグバン宇宙説が正しくても、どちらであっても私たちを困らせる謎のノイズを解明するヒントになるかもしれない」

 ウィルソンは即答した。


 ペンジアスがディッキーに電話をすると驚いたことに、ディッキーは部下を連れてその日のうちにここにやってきた。私は来客一行とペンジアス、ウィルソンに紅茶を出し、部屋の隅の丸椅子に待機していた。もちろん全神経を耳に集中して彼らの話を聞いている。


「私は波長3.2センチのマイクロ波を目標に据えて観測を行っているのです」

 ディッキーは紅茶のカップを手にそう語った。

「しかし、私たちの観測は期待通りのものになっていません。お恥ずかしい話ですが、私たちの運用しているアンテナは口径が1メートルしかないのです」

 ディッキーが使っているアンテナは、ここにあるアンテナのわずか6分の1の大きさしかない・・・それでは無理だ。


「ディッキー先生の予測では、宇宙が小さく凝集していた時代には、宇宙は非常に熱い火の玉になって陽子と中性子はバラバラの状態で存在していた、現在の宇宙にはその頃の残光が残っており、その波長は3.2センチメートルまで宇宙の膨張によって引き延ばされている・・・と?」

「そうです」

「そして、宇宙全体からまんべんなく地球に降り注いでいる、と?」

「その通りです」

 私は黒板に描かれたままの大小二つの円を眺めていた。

「先生に見ていただきたいものがあります」

 ペンジアスが私に目配せをした。

 私は、これまでの観測結果の要点がわかる資料をとりまとめるように指示を受けていた。それをペンジアスに手渡す。


 ペンジアスがその資料をディッキー一行に配布し説明を始める。

「私たちは、口径6メートルのホーンアンテナでカシオペア座Aを観測しようと考え、アンテナの整備を始めました」

「なるほど」

 ディッキーがうなずく

「その結果、どんなに整備をしても取り除くことができないノイズを確認しました」

 ディキーが身を乗り出して資料をのぞき込む。

「そのノイズは、7.35センチメートルで受信され、あらゆる方向からアンテナに届いていることがわかりました」


 私は鳥肌が立つのを感じた。


「ペンジアスさん、ウィルソンさん、これはものすごい発見をしたのかもしれない。

 私もディッキーの一言の意味を即座に理解した。

 宇宙の始まりに関する対立する二つの説、振動説とビッグバン説だが、どちらの説を採ったとしても、今の宇宙の最初期の状態は熱い火の玉だ。それが膨張すれば、火の玉のエネルギーは薄められてこの宇宙を満たしているはずだ。つまり、私たちはその薄められた宇宙の残り火をノイズだと思い込んで一生懸命取り除こうとしていた可能性がある。

 私は無意味にハトのフンを一生懸命取り除こうとしていた可能性が出た。


 その後しばらくまさに熱いディスカッションが続いた。その結果、私たちの観測結果を論文にまとめて世に問おうということになった。しかし、発表にはベル電話研究所内部からは慎重な意見が出た。宇宙がどのようにして誕生し今に至っているかについて結論が出ない段階で、今回のノイズが膨張宇宙を示しているものと断定して良いのか、というのが議論の趣旨だった。見当違いな発表をすれば、ベル研究所の名前に傷が付く、というのが上の人間の意見だった。

 この議論は数日にわたって続けられた。

 私は会議室のテーブルの中央に座って、議事録をとっていた。


 結局ここでの私はドタバタとハトのフン掃除しかしていないにも等しい状態だったが、宇宙誕生のメカニズムが明らかになりつつあるその現場にいるのかもしれないことは私が興奮するには十分な成果だった。


 結局議論の結果は、ある特定の宇宙論にベル研究所が与するのではなく、事実だけを公表しよう、その後の議論は宇宙物理学者に任せようと言うことになり、ペンジアスとウィルソンの研究、つまり、私のハトのフン掃除は『毎秒4080メガサイクルでの過剰アンテナ温度の測定』という無難なタイトルに落ち着き、『アストロフィジカル・ジャーナル』という科学論文雑誌に投稿された。毎秒4080メガサイクルとは、私たちが観測した7.35センチメートルの波長に対応する周波数のことだ。


 一般に科学論文は雑誌に投稿した後に査読を経る。査読とは、論文投稿者とは利害関係の無い第三者のその道の専門家がその論文を公表前に読み、内容の正当性について評価するものだ。そのため、論文投稿から雑誌掲載までは、論文の奇抜度にもよるが数ヶ月の時間差が生じる。

 その間もペンジアスとウィルソンは自分たちの観測結果がやはりアンテナシステムからのノイズではないかとの考えを拭い去ることができず、アンテナの調整を続けていた。


「アカネさん、ホームデル(エーロ・サーリネンが設計した研究所だ)にもう一台、ホーン型アンテナを設置して観測をしてみようと思う。必要資材の調達を頼めないだろうか」

「わかりました、すぐに取りかかります」

 慎重なペンジアスとウィルソンは新しいアンテナを一から建設して、自分たちの観測したノイズの検証をしようと考えていたのだった。


 ホームデルの敷地に小型のホーンアンテナを設置し、クロフォードから運んできた液体ヘリウムの冷却装置を設置して私たちは再び7.35センチメートルで観測を開始した。結果としては同様のデータが得られ、ペンジアスとウィルソンは胸をなで下ろしたようだった。


 やがて、論文がアストロフィジカル・ジャーナル誌に受け入れられ、私たちの研究は一段落ついた。つまり、ペンジアスとウィルソンは宇宙誕生直後の熱い火の玉の本当にかすかな残照を世界で初めて観測することに成功したことが学会によって認められたのだ!

 これは今まで誰もなしえなかったノーベル賞級の発見だ。実際にこの後、ペンジアスとウィルソンはノーベル賞を受賞するのだけれども。一方で私は一抹のさみしさというか、やり残した感をヒシヒシと感じる以後数日を過ごした・・・。


「アカネさん、いろいろ支援をありがとう、アカネさんの協力が今回の偉大な発見につながってうれしく思います」

「宇宙の誕生の謎を解明する研究が動き出したよ、もっと一緒に研究を続けたいけど行ってしまうのかい?」

 私のボスはこの二人だが、私を雇用したのはベル電話研究所だ。そことの契約が切れたのだから私は立ち去るしかない。個人的には星を見るのは好きなので、ここで働いた日々はとても楽しいものだったが、すでに次のボスがまっている。

 私は丁寧に暇乞いをして、美しく魅力的で、可能性に満ちあふれたホームデルを後にした。きっとここから宇宙の歴史に関するまさに新時代が始まるのだろう。


 その数日後、1964年10月1日、ニューヨークの街角の売店で私は『ニューヨーク・タイムズ』を購入してカフェに入った。「信号、ビッグバンを暗示」の見出しが一面に躍っている。「宇宙を生み出した爆発の名残りとプリンストン大学のグループが考えるものを、ベル電話研究所の科学者が観測した」と告げられていた。

「そっか、ビッグバンなのか」

 新聞を読む私は、周りの人から見たら気持ち悪いくらいニタニタしていたことだろう。


【つづく】

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