実験技術者 遊佐アカネの実験ノート 第2話 コンタミの夏 アレクサンダー・フレミング編
【偉人たちとの夏】第2話 コンタミの夏
カビが・・・私はそのとき、日本のジメジメした夏から逃れて、ロンドンで出過ごした。ロンドンの北緯は51度、日本で言えばなんと樺太だ。こんな涼しいロンドンなのにサマーホリデーはやっぱりあって、6月上旬から8月下旬まで、学生たちは長い夏休みをとる。
私が今勤めているセント・メアリーズ病院医学校は地方から医師を目指して集まっている学生が多い関係で、この時期の学内は意外なほど静かになる。ロンドンの学生は勤勉なので、サマーホリデーの3ヶ月間を遊びほうけているということは全くなくて、何冊かの本を大学から持ち帰り、それぞれの故郷で勉強をしている。私はというと・・・実験室でただ教授が植菌までして置いていったシャーレを眺めていた。
私はライト兄弟妹に別れを告げ・・・告げてないけど・・・大西洋を渡って今はロンドンにいる。セント・メアリーズ病院医学校で微生物培養のできる実験技術者を募集しているというのを知ってやってきた。無菌操作は私の得意技だ。
学校は有名なハイドパーク王立公園の近くにある。今から七十何年か前に世界初の万国博覧会が開催された場所だ。当時は水晶宮などという荘厳な建築があったと聞いているのだけれど、それはロンドン南郊シデナムの丘に移築されて、一時期は軍の施設になったそうだ。現在は一般公開が再開されているので機会があれば行ってみようと思う。
あ、自己紹介が遅れました。私の名前は遊佐アカネ、私の仕事は実験技術者。何をするのかというと、そうね、実際に実験の手を動かす係、といえばいいかしら。教授が頭を使って私にはよくわかんない難しいことを考えて、仮説を立てて、それを証明する。証明するためには実験が必要だけど、教授のシワシワのおっきな手では実験なんてできないし、そもそもいろいろと忙しいし、だから、手を動かすことなら誰にも負けない私たちが、教授の立てた実験計画に従って正確に実験をする。そういう役割分担。私たちの仕事は研究テーマごとの契約なので、一つの研究が終わると、あと、契約期間が切れても無職になっちゃう。そして新しい研究所に採用してもらって経験を積みながら報酬も増やしていく。そんな感じ。
第一次世界大戦ではここロンドンは戦場にならなかったので、もともと戦争は他人事だった人も多いようで、雰囲気としては勝利の興奮が収まって、日常を取り戻している感じ。日本は英国と同盟を結んでいるので、私がここに来るのもたいした問題は無かった。強いて問題を挙げるなら・・・というか、最大の問題が新しいボスのフレミング。フレミングといっても、指をピッと立てるフレミングの法則のジョン・フレミングではなく、私のボスは細菌学者のアレクサンダー・フレミング、ちなみにジョン・フレミングもこの近くのユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンにおられるのだけれども、相当のご高齢で引退も近いと聞いている。
そうそう、ボスのフレミングの最大の問題の話をしておきましょう。
フレミングはまだ39歳、研究者でいえば脂ののっている時期とでもいうのか、やりたい研究が山ほどあってとても手が回らないから実験技術者を募集して、それに私が採用さたという次第。なので、実質、一緒に実験をする感じ。私は私なりに無菌培養技術は磨いているつもりなのだけれども、どうもご自身のやり方を押しつけるので閉口している。それが上手ならともかく、たぶん、いや、確実に私の方が手技は上。テクニシャンだから助手先生より上手じゃないと稼いでいけないので当たり前と言えば当たり前なのだけれど。しかも、実験室が散らかっていて汚い・・・なんともいえない雑然感が無菌技術者として雇われた私にはつらい・・・
「って状況なのよ」
「あ~、それ知ってる、シャーレとか文献とかで机の上が山になってるって」
私のぼやきに相づちを打つのはセント・メアリーズで知り合いになったアーシャ。私と同じ実験技術者だ。
「とはいっても、うちのボスもにたようなものだけどね」
「あれって、山の下の方になっちゃってる論文とか絶対もう二度と読むことないよね」
「そうそう、私も同じ論文、何度も取り寄せをやらされてる」
「アーシャはそんなことまでするんだ」
「そう、仕事の2割は契約以外のことが含まれるから」
「へぇ、そういう契約もあるんだね、私は実験専門」
「アカネくらいの技術が私にもあればねぇ」
「え~、やってることはアーシャの方が難しいことをしてると思うよ」
「そうなの?」
「だって、私が扱っている細菌って、加熱したら死ぬもん」
「うん、そうだね」
アーシャはきれいなブロンドの髪を揺らして頷く。
「カビって、胞子ができちゃったらタイヘンでしょ」
と、私。
「そうでもないよ、一度煮て冷ますとあいつら安心して芽を出すから、そこでもう一度滅菌すればだいたいオーケー」
「そうだよね~手間かかるよね~」
アーシャはちょうど私の実験室の下の階で「真菌」の分類の研究をしている。
私は真上の部屋で「細菌」の分類や栄養要求性の研究をしている。
菌を扱う女性実験技術者って少ないので、しばしば顔を合わせるうちになんとなく仲良くなった。そして今はこうして午後のお茶タイムをしている。大抵の話題はそれぞれのボスに対するグチだ。
「でも、真菌ってキレイでいいよね」
「うん、全部が全部キレイっていうわけではなくて、毒々しいのもあるけど」
「でも、こう、緑色のが円形にブワッと広がったりすると」
「そうそう、あ、上手に培養できた、って自分で思っちゃう」
「細菌はそういうのがないからね」
「そうなの?」
「うん、全部ヌルッとしたモコモコだもん、臭いのも多いし」
私は大げさに鼻をつまんでみせる。
「アカネはすごいな、細菌も真菌もどっちも詳しいよね」
飛行機の仕事やってたこともあるけどね・・・とは言わない。
「アカネはどこでそんなにいろいろ覚えたの?」
「日本の大学だよ」
「日本の大学ってこっちと同じ感じ」
「そうだね~、キホンおんなじだけど、若い子が多いかな」
「そうなんだ~、日本の大学か~、行ってみたいなぁ」
「そういえば、うちのボスも大学入学は22歳で入学したって言ってたっけ」
フレミングのことだ。
「あ、それはここでも遅い方かも」
「フレミングは何年か通商会社でリーマンやってたって」
「リーマン?」
「あぁ、勤め人ね」
「そうなんだ~」
「アカネは大学の先生にはなろうと思わなかったの?」
アーシャがどんどん距離感を詰めてくる
「それは考えなかったな」
「それは、やっぱり日本じゃダメだから?」
アーシャがズカズカと迫ってくる
「まぁ、そうだね」
科学の歴史において、日本が世界から注目されるようになるのは、おそらく湯川秀樹先生がノーベル賞を受賞するのがきっかけだろう。それ以前にも、たとえばアーシャが実験しているような真菌であれば南方熊楠が1893年にここロンドンに滞在しているけど、アーシャは知らないだろう。
南方熊楠は有名な科学雑誌ネイチャーに何本もの論文が掲載されたすごい人だけれども、ネイチャーに掲載された日本人の論文なんかに目を通す実験技術者なんて日本人の私くらいのものか・・・。遠い西方の地味な国、ここ(イギリス)の遙か彼方の同盟国、日本に対してはその程度の認識だろう。
「あ、そろそろ戻ろっか」
アーシャの方から話を切り上げた。
「そだね」
「また明日もお茶しようね」
「オッケー」
私は雑然とした実験室に戻る。
フレミングはスコットランドの農家出身だそうだ。
ウワサでは、大学卒業後、一度は通商会社に入社したものの、父親の遺産を入手して働く必要がなくなって通商会社を退職し、セント・メアリーズ病院医学校に勉強をするために再入学したらしい。
第一次世界大戦では徴兵されて従軍医師として野戦病院で働いて無事戻ったとのこと。ホントに実験量に関してはすごいボスだ。というのも、戦場では負傷した兵士が次々に死んでしまうのだけれど、その死因の半分以上が負傷ではなくて、負傷した傷口から雑菌が侵入した感染症なんだとか。それを目の当たりにして、目覚めちゃったらしい。「感染症の原因になる細菌だけを殺す薬を作るんだ!」って。ま、戦争が終わった今でも、バラのとげでひっかき傷を作って死んじゃう人が続出する今の時代だからそういう薬は必要なのだろう。
ここでの私の仕事はその死亡の原因になる細菌をシャーレの上に育てること。培養って言う。フレミングはあちこちから薬草を採ってきたり、化学の実験室に行って試薬をもらってきたりして、それをすりつぶしたりした上で、私の育てた菌に垂らす。で、菌が死ねば効果がある。というシカケ。
そういう簡単なことを繰り返す実験は本来、私たちのような実験技術者の仕事なのだけれど、フレミングはアーシャに話したとおり、自分でもガンガン実験してる。
私は菌やシャーレの取り扱いは、キホン、ブンゼンバーナーを炊いてそのそばで行うのだけれど、フレミングはお構いなく自分の机で不意に始めてしまう。
たとえば、Aという菌を植えたシャーレに、Bという菌が誤って育ってしまうことを私たちは「コンタミ」というのだけれど、フレミングはコンタミはお構いなしだ。
「戦場はこんなものではなかった」
のだそうだ。もちろん実験技術者は黙って従う。
今はブドウ球菌というどこにでもいる細菌を育てたシャーレを量産するのが私の仕事だ。ブドウ球菌は敗血症の原因になるという説があって、ブドウ球菌に対して殺菌作用がある物質が見つかれば、戦場でとても役に立つのだ。
つくるシャーレの数は半端ではない、いちお契約では3000枚くらいは作ることになっている。
「アカネ君、ブドウ球菌だけではなく、さまざまな菌を試したいのだが、何かアイディアがあるかね」
フレミングは私の横に立って、私が十分に菌を育てたシャーレを満足そうに見ながら言った。
(それは、実験技術者への質問ではないでしょう)
と思ったが、私を対等な研究者として扱ってくれるのはうれしくもあった。
一瞬考えたとき、アーシャの顔が浮かんだ
「真菌はどうでしょうか」
「なるほど、真菌は戦場では出番がないかもしれないが、日常生活では役立ちそうだ」
カシャカシャとシャーレの蓋を戻してフレミングは自分の実験室に戻っていった。
「さて、今日の予定の枚数の植菌は終わり、と」
私は席を立つ。縦に長い窓の外には隣の建物、その向こうに青空が広がっている。
ここが日本だったらセミがやかましく鳴いている時期だ。
少し懐かしい。
ーーー数日後
「クチュッ」
「アカネ、だいじょうぶ」
「失礼、鼻風邪かな」
「体調悪いなら無理しない方がいいよ」
「日本はね、8月ってとっても暑いの」
「へぇ」
「身体が勝手に日本の夏モードに切り替わっちゃって、こちらの夏に対応できていないのかも」
「どう? ロンドンで過ごす初めての夏は?」
「最高ね、これでセミがいればもっと最高なのだけれど」
「知ってる、木にとまって鳴く虫ね」
「本当にロンドンにはセミがいないわね」
紅茶を一口すする
「そうね、スペインやイタリアまで南下すればいるらしいけど」
「空がこんなに青くても クチュッ セミが鳴いてないと・・・ごめんなさい」
わたしはハンカチで鼻をそっと押さえる
「セミが鳴いてないと、夏~っていう気分にならないのよね、日本人は」
「それにしても、サマーホリデーなのに実験なんて」
「仕方ないわね、私たち学生じゃないもの」
今日もテラスでアーシャと午後のお茶を楽しんでいた。
「アーシャはロンドン出身って言ってたわよね」
「そう、私のお父さんとお母さんは仕事の都合でスコットランドに引っ越してるけど、そのまま私と弟が家に住んでる、今度遊びに来て」
「ありが クチュッ、ありがとう、そろそろ戻るわ、カーディガンはおりたい」
「うん、私はもう少しここにいる」
「じゃぁ、がんばってね」
「はーい」
外国で怖いのは、強盗、強姦、そして病気だ。病気は相手が見えないから特にやっかいだ。病気と細菌の関係については、数十年前にドイツのロベルト・コッホが「コッホの四原則」としてまとめている。
コッホの四原則は、病気の原因が細菌の感染であるということを証明するために求められる四つの用件だ。
1.ある一定の病気には一定の微生物が見出されること
2.その微生物を分離できること
3.分離した微生物を感受性のある動物に感染させて同じ病気を起こせること
4.そしてその病巣部から同じ微生物が分離されること
以上はウィキペディアからの受け売り。
「あぁ、そういえば、コッホは12年前に結核菌ワクチンを発見していたのだっけ クチュッ あれも面白そうな研究よね、コッホの研究室では実験技術者募集していないかしら」
今度調べてみよう、そんなことを考えながら実験室に戻った。
もう、今日するべき植菌はすんでいる。あとは菌を植えたシャーレの観察だ。実験技術者のプライドにかけて、フレミングにはベストな状態に育ったシャーレを研究用に提供したい。育ちが悪いものやコンタミしたものはすべて廃棄。
そういえば、コッホは結核菌を培養して、そこから結核菌のワクチンを作ったのだった。ということは、私が育てているブドウ球菌からも感染症のワクチンが作れるのではないだろうか・・・クチュッ
「あ・・・やってしまった・・・」
考え事をしていたら手の方がおろそかになって、シャーレの蓋を閉じるのがクシャミに間に合わなかった。 「ふむ・・・」
私はしばし考えて、シャーレの蓋に「AKN」とサインしてそのまま保温器に戻した。
やはり風邪をひいたようだ、私ともあろうものが。
仕方が無いので数日お休みをもらうことにした。もともとサマーホリデー中ということもあって、フレミングさんも「いいよ、いいよ」みたいな感じだった。培養したシャーレはたくさん作ってあるから私も安心して休める。
「そうだ、『AKN』はコンタミしてるかもだから使わないように連絡しておかなきゃ」
と思いつつも、風邪薬の副作用の眠さには勝てない私だった。この時代の風邪薬は21世紀ほど洗練されていないので副作用も・・・強い・・・のだった・・・Zzzz
「アカネ、もう大丈夫なの?」
大学への出勤途中、後ろから声をかけてきたのはもちろんアーシャだ。
「うん、しばらく寝てたら治っちゃった」
「いざとなったらここの研究所には病院がついてるから」
「そんなおおげさなもんじゃないんだってば」
「じゃ、今日はカフェ、おっけー?」
「おっけー」
私は実験室に入り、まず、風邪で休む直前の出勤日から変わっているところを探す、実験器具、文献の山、窓際にある私の机の上、うん、まぁ、変化はあるけど日常の実験の範囲だ。特に変わったことは起きていないようだ。机の上にボスからの指示のメモは・・・ない。ということは、いつも通りに実験再開だね。
シャーレの山は・・・
「あっそうだ、AKNは?」
培養器の中を確認しておかないといけない。
半分くらいのシャーレが次の実験に使われている。これも想定範囲内。一番隅っこに置いておいた私がコンタミさせたかもしれないAKNは・・・よかった、使われずに数個積み上げられたシャーレの一番上に鎮座したままだ。
そっとそのシャーレを取り出す。
「!」
なんだろうこれは・・・
「シャーレにブツブツが・・・」
できているのであれば普通にコンタミだ、廃棄してシャーレを作り直せばいい。しかし、これは逆だった・・・
「シャーレにブツブツで・・・消えてる」
待て待て待て、こんなことってあるんだろうか、よく考えるんだ自分。普通に考えればこれは播種のミスだ。でも、こんなミスの仕方をするだろうか、まるで、ブドウ球菌で覆い尽くされた膜に穴が開いたように菌が育っていない場所が転々としている。
「そうだ、これは私がくしゃみで飛沫を飛ばした跡だ・・・飛沫のせいで、寒天培地の栄養がコーティングされてブドウ球菌に使用できなくなった?」
そんなことがあるだろうか・・・いや、ありえない。
考えられる理由は一つだけだ
「私の口から出た飛沫には、抗菌作用がある!」
「このシャーレをつくったときは風邪気味だったから、風邪と関係する細菌が付着してブドウ球菌の増殖を妨げた?」
その可能性は一つある。でも、それならばその「風邪と関係する菌」が育っていなければならない。そんな様子は全くない、キレイな寒天の「地」が出ている。まるでブドウ球菌がそこだけ播種されなかったかのように。
「フレミング先生に報告を・・・」
私はシャーレを手にフレミングの席に向かおうとした。
「・・・いや、まてよ、これを報告すればフレミングはコッホの法則に従って、私の唾液を採取してブドウ球菌の生えた別のシャーレに私の唾液をまこうとするはずだ。ヘタをすればブドウ球菌の生えたシャーレをそのままなめさせられるかもしれない!」
「それは良いアイディアだね」
「いや、全然良いアイディアじゃ・・・え?」
「ん? どうしたねアカネ君、シャーレなら目の前にいっぱいあるじゃないか、さぁ、遠慮せずになめたまえ」
いつの間にかフレミングが後ろに立っていた。私の独り言は全部聞かれたのだろう。
「あ、フレミング先生、おはようございます」
「うん、おはよう、実に興味深い研究をしているね」
「あー、あ、あははは・・・」
結局・・・後の研究で風邪とは関係ないことが確認されたのだが・・・風邪が治ったばかりの私ならまだ効果が残っているかもしれないと、たっぷりと唾液を搾り取られたが、その様子はとても乙女がこんなところに書ける状況ではなかったので省略する。
フレミングは自分の唾液も自分で採取し、人間の唾液の中にはある種の細菌の増殖を抑える酵素が含まれていることを確認した。これは画期的な発見だった。細菌が溶けるように消えることから溶菌をあらわす「リシス」と、酵素をあらわす「エンザイム」を合体させて「リゾチーム」と命名して発表し、センセーションを起こした。リゾチームの効果はフレミングの唾液よりも私の唾液の方が圧倒的に効果が高かったため、生体防御機構として、健常人でも分泌はされているものの、風邪を引くと何らかの免疫作用によって、風邪の原因菌・・・当時は風邪にも原因菌があると考えられていたので・・・をやっつけるために大量に分泌されると結論づけられた。リゾチームが風邪に効果が無いと日本で科学的に確認されるのは、驚くべきことに今からおよそ90年後、21世紀になってからのことだ。こんな勘違いが100年近く続いたのも私のせいかと思うと、なんだか、とても申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
さて、拍手喝采で迎えられたリゾチーム、フレミングは感染症のワクチン、あるいは特効薬になるのではないかと、自分の研究室にリゾチーム班を組んで研究を開始した。開始直後にナマの卵白にリゾチームが豊富に含まれていることが発見されたのは私にとっては、これ以上よだれを垂らす必要がなくなって幸いだった。
「すごいね~アカネ、フレミング先生の講演会は私も聴講してたんだよ」
「アーシャ、やめて、もう、顔から火が出たわ」
フレミングは論文発表後、ロンドン大学で盛大な講演会を開催した。その時に私は唾液の主として、パブロフの犬よろしくステージに連れ出されたのだった。
「私だったらきっと、コンタミさせちゃった~って先生に見つからないように捨てちゃうと思う、やっぱりアカネはすごいよ」
そりゃ私は見た目よりは長く実験技術者やってるので、そこらへんの助手先生レベルの判断力は・・・そうそう、リゾチームの発見で私の報酬はしっかりと上がって、フレミングにはリゾチーム班の助手にならないか、って誘われたのだけれど、助手以上の報酬をもらって助手をやるアホはいないので、丁重にお断りさせて頂いた。
「フレミング先生はリゾチームを特効薬に仕上げるんだ、ってリゾチーム班に発破かけてるけど、あれは効かないと思うな」
「そうなの?」
「あれが効くなら、戦場に私が行って、負傷兵を片っ端からなめればいいってことになるじゃない、そんなのごめんだわ」
「アカネは面白いことを言うね」
結局、リゾチームはたいして効かなかった。
そんなこんなで、結構待遇も居心地も良かったので、フレミングの研究室にはすっかり長居をしてしまった。1928年のやっぱりたいして暑くない、セミも鳴かない、日本人にとっては盛り上がりに欠ける夏だった。フレミングはどうしたことかこの年の夏は珍しく休暇を取って故郷のスコットランドに行くと言い出した。
セント・メアリーズの学生たちは6月から8月まで3ヶ月の休みとなるので、その間故郷に帰るのが普通だ。日本からここイギリスに留学に来ている学生も、3ヶ月のうち、2ヶ月を船での往復に費やして、夏の1ヶ月を日本で過ごす学生がほとんどだった。
一方で、教授らや私たちのような実験技術者は、授業のないこの期間は研究に集中できる絶好のチャンスだった。フレミングがスコットランドに行っても、実験室は動いているので私はいつも通り、せっせといろいろな菌のシャーレを作成して、そのメンテナンスをしていた。
アーシャも休みは取らない上に、フレミングが不在で恒例で毎日開催されていた、研究室のランチオンセミナーが無くなったので、ランチと午後のティータイムの2回、アーシャと楽しくおしゃべりをしながら実験をする日々が続いた。
本当はここで私は気づかなければならなかった・・・。
私が培養したシャーレは、フレミングの研究室の多くのスタッフが利用して研究をしていた。しかし、夏期休暇でフレミングも不在となるとどうしても実験のペースが落ちる。シャーレには使用期限があるので、私も培養器の中の残りシャーレの数を気にしながら、スタッフから渡される培養リクエストのリストに応じた菌をシャーレにまいていた。
「なんだか、古くなってるシャーレがあるわね、誰か実験をサボってるわね」
培養器の奥の方にあるシャーレの一枚を取り出して、そのシャーレの色を見て、その色と同じように私は青ざめた。
「(青カビだ!)」
私たちのような細菌を扱う研究者はカビを非常に恐れる。カビは胞子になると高温高圧の滅菌にも耐えるので、いろいろなところに増えてしまうのだ。カビが成長すると胞子をまき散らしねずみ算式に研究室内に広がっていく。
培養器の前で立ち尽くしている私の後ろからスタッフの声がかかる
「アカネさん、シャーレにカビが生えてる」
そのスタッフは私が手にしているカビの生えているシャーレに気づいたようだった。
「(しまった!)」
実験技術者としては細菌のシャーレにカビを生やしたのは痛恨のミスだ。私はすぐに気がついた。この青カビはアーシャから感染したものだ。フレミングがいるときはランチオンセミナーがあるので、朝から昼下がりまでかけて、その日の培養を一通り済ませ、ティータイムにアーシャとおしゃべりをして、そのあとは新たな培養はしない。白衣は毎日洗濯係に渡す決まりだ。
しかし、ランチオンセミナーが無くなってアーシャとランチをとるようになったので、アーシャと濃厚接触した白衣でそのまま培養実験をしてしまった。アーシャの関わっている研究テーマは『真菌』だ。
「あぁ、なんてこと・・・」
カビの胞子はとても小さいので、シャーレのすき間を容易に通り抜けることができる。とすれば、この培養器はもうすでに青カビに汚染されているだろう。最悪この研究室自体、至る所に胞子があるのかもしれない。うかつだった。今行われているすべての実験がパーになったかもしれない。培養器具もすべて厳重な滅菌のやり直しだ。
「申し訳ありません!」
異変に気づいたスタッフが私の周りに集まり、主不在の研究室は重い雰囲気に包まれた。
予想通り、多くのシャーレや培地に胞子が付着したようで、実験室は青カビに汚染されてしまった・・・。そして、このミスがきっかけで、私はフレミングの研究室を辞した。
その後、青カビの生えたシャーレが思わぬ新たな実験の展開に至ったことは、アーシャから連絡があった。私はてっきり、フレミングは実験室のリセットを行い、実験の続きを行うものと思っていたが、フレミングは青カビに興味を示すようになったという。そして、研究は思わぬ方向に展開し、フレミングの研究室はアーシャが雇われている研究室と共同研究でコンタミした青カビの種類を突き止めたそうだ。
どうしてそんな研究をフレミングがしたかって?
コンタミした真菌は「ペニシリウム」というカビで、驚くべきことに、そのカビが生えた周囲は、私が植菌したはずのブドウ球菌が死んでいたそうだ。つまり、青カビが出す物質には感染菌を殺す強烈な作用があることがわかったということらしい。それは世界で初めての画期的な発見で、「ペニシリン」の発見として結実することとなった。しかもフレミングはペニシリンの発見でノーベル賞を受賞してしまう。
私たちが青カビに起きた異常を発見した後、ペニシリンが医療用として実用化されるまでには10年以上の歳月を要したが、1942年にベンジルペニシリンとして実用化され、第二次世界大戦中に多くの負傷兵や戦傷者を感染症から救うことになった。以降、種々なペニシリン系抗生物質が開発され、医療現場に提供されている。 つまり私は、世界初の抗生物質が誕生するその現場に居合わせたわけだ。まぁ、研究室を離れた今となっては私には関係の無いことだけれども。
「とりあえず、コッホを尋ねてドイツにでも行ってみようかなぁ」
私はスーツケース一個にまとめた荷物を脇に置いて駅のベンチでそんなことを考えていた。
【つづく】




