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偉人たちとの夏  作者: 中西貴之
1/12

実験技術者 遊佐アカネの実験ノート 第1話 空を目指した兄弟と過ごした夏 ウィルバー・ライト/オーヴィル・ライト編

【偉人たちとの夏】第1話 空を目指した兄弟と過ごした夏


  寒い・・・私は吹きさらしの砂丘でコートの襟を立てる。予定は少し遅れているみたい。見物に来ている人たちは「なんだか珍しいものが見られるらしい」ということで、丘の上にあるそれを興味深そうに見ている。

 今日は12月17日、正直、これまでの月日は長かった。初めて兄弟に会ったのは4年前の暑い日だった。当時、スミソニアンのサミュエル・ラングレーの元を辞したばかりの私は、分厚い書類の束をスーツケースに押し込んで兄弟の経営する自転車店を訪ねたのだった。

 やがて、風に乗って断続的に旧式のエンジン音が聞こえてきた。周りから歓声が上がる。そしてそれはフワリと砂丘の上に浮かび上がった。ライトフライヤー号が初飛行にして無事、有人動力飛行に成功した瞬間だった。


―――4年前


「さて、そろそろ戻らないと」

 席を立つ私

「アカネは今のお仕事はいつくらいまでなの?」

「さ~どうなんだろうね、今のところあまりうまいってないみたい、研究」

「そうなんだ」

「ま、私は自分のするべきことをするだけだけどね」

 正面に座っているのはこの街でできた友達のメイリン、勤めは違うが私の失業中の同業者だ。

「私ね、あなたのことを心配しているの、あなたくらいの技術ウデがあれば、大学とか、同じ博物館にしてももっとちゃんとしたところが・・・」

「ありがと、でも、今の職場、結構気に入ってるよ」

「でも、街の人ウワサしてるよ、頭のイカレタ館長が日本人とポトマック川で何かやってる、って」

 私は実験技術者テクニシャン遊佐アカネ、テクニシャンの求人広告を頼りに各地を転々として、今はここ、ワシントンD.C.にいる。

「とにかく、また今度連絡するね」

「ええ、私はいつでも大丈夫だから」

 メイリンに軽く手を振って通りへ出る。

「他人の心配より、無職の自分の心配をすればいいのに」

 とはいいながら、他人に心配されて悪い気分のはずはない。


 世の中にはいろいろな研究があるけれど、実験室には教授みたいなエライ人から試験管を洗ってくれる男の子、掃除をしてくれるイケメン男子、いろんな人が実験を支えていて、私の仕事は実験技術者テクニシャン。何をするのかというと、そうね、実際に実験の手を動かす係、といえばいいかしら。教授が頭を使って私にはよくわかんない難しいことを考えて、仮説を立てて、それを証明する。証明するためには実験が必要だけど、教授のシワシワのおっきな手では実験なんてできないし、そもそもいろいろと忙しいし。だから、手を動かすことなら誰にも負けない私たち実験技術者テクニシャンが、教授の立てた実験計画に従って正確に実験をする。そういう役割分担。


 基本的に研究テーマごとの契約だから、一つの研究が終わったり、終わらなくても約束した期限が来たりするとそこで契約は終わって、また次の研究室を探す。そうやって私たち実験技術者テクニシャンは経験値を積んで、だんだん難しい実験も正確にできるようになって、報酬も増えていく。私たち(テクニシャン)がいないと、実験は一歩も進まないから、すごい人は教授を超える報酬をもらっている人もいるらしいけど、私は駆け出しなのでまだチョボチョボ。正直言うと、メイリンとのコーヒー代もキビシイレベル。


今、私は何の実験をしているかというと、スミソニアン博物館ってとこに勤めてます。知ってる? スミソニアン博物館。アメリカを代表する科学、産業、技術、芸術、自然史の博物館群・教育研究機関複合体の呼び名です。歴史は古く、1848年、イギリス人の科学者ジェームズ・スミソンが「知識の向上と普及に」と委託した遺産を基金としてつくりました。スミソニアン協会が運営する19の博物館と研究センターの施設群で、ほとんどはワシントンD.C.の中心部にあります。あとは、ニューヨーク市とか、海外にも。収集物は1億4200万点にも及びます。以上は、ウィキペディアからの受け売り。


博物館って、古い物を集めて展示するだけではなくて、いろいろ最先端の研究もしているのです。で、私が何の研究をしているかというと~、本当はヒミツなんだけどみなさんにだけ教えちゃいます。ヒコーキの研究をしているんです。もうびっくりでしょ、私、ヒコーキって乗る物かと思ってたんだけど、ここでは研究するものなのです。

あ、そんな自己紹介をしているうちに研究室に戻ってきちゃいました。


巨大なスミソニアン博物館の一つの真新しい工場のような建物の裏口・・・裏口といっても、そうとう立派なものなのだけど、そこから入って突き当たりを右。正面のドアが私の部屋・・・というか、ほとんど工場よね。その片隅に私のデスクはあります。

「さてと、続きの仕事っと」

「アカネさん、ここのところなんだけど」

私が席に着くなり、ジミーが声をかけてきた。

「エンジンの取り付け部分の構造が決まったから設計に反映して欲しいって」

彼の名前はジミー・エリス。頭の回転は速いのだけれど、家庭の事情で高等教育を受けていないのでパシリのような仕事をさせられている。

「これを見せればアカネさんにはわかる、って。んじゃ、ボク次の用事があるから」

「うん、ありがとう」

 ジミーが持ってきた設計図が入っている細長い筒のフタを取ろうとしたところにボスがやってきた。今の私のボスの名前はサミュエル・ラングレー。実はここの博物館の館長だったりもする。

「調子はどうかね?」

 もう65歳のおじいちゃんです。

「特に問題はないです」

「そうか、ちょっと頼まれごとをしてほしいのだが」

 私はジミーから受け取った筒を机の隅に転がらないようにおいて、ラングレーの後を追って、ほとんど工場な部屋を出る。館長室は博物館の本館に迎賓館みたいな部屋があるんだけど、この工場みたいな研究棟にも館長の部屋がある。ちなみに私は迎賓館に行ったことがないので、そこのところは想像。

「失礼しま~す」

 研究棟の館長室はさほど広くない。そう、テニスコートの半分くらい。ちなみに私はテニスもあんまししない、というかいわゆるウンチだ。

「アカネ君にはこの手紙の対応をしてほしいのだが」

 と手紙を渡される。宛先はラングレー館長、差出人は・・・ウィルバー・ライト・・・誰だろう? 「中を読んでもかまわない。オハイオの自転車屋だそうだが、私たちが先日行った飛行実験のことを新聞で読んで興味を持ったらしい、館報用に作った報告書があっただろう、あれをその差出人に送っておいてくれんかね」

 わたしは手紙を開く・・・



拝啓 スミソニアン博物館館長サミュエル・ラングレー様

私は弟と共に、オハイオで自転車業を営むウィルバー・ライトと申します。突然のお手紙を差し上げるご無礼をお許し下さい。

私は先日、新聞にてラングレー館長様が研究をしておられる空を飛ぶ装置の飛行実験成功の記事を読んで感動いたしました。私の父は聖職者ですが、私たち兄弟が興味の赴くままに何でも研究できる自由とそのための支援を惜しまない人です。また、母は非常に器用な人で、私たちが実験するために必要なものを何でも手作りしてくれました。私はこのような恵まれた環境で育つことができたことを神に感謝しています。あれは忘れもしません、私が11歳の誕生日のことでした。父がゴム動力で飛ぶおもちゃのヘリコプターを買ってくれたのです。私は弟と一緒に夢中になってそれで遊びました。思えば、それがきっかけで空飛ぶ乗り物に大きな関心を寄せるに至ったのだと思います。

現在私たちはチェーン駆動の空気タイヤ自転車の店を9年ほど前に開店し繁盛しております。私は、自転車をこぐような仕組みで、タイヤではなくプロペラを回転させて空飛ぶ乗り物が作れるのではないかと考えています。

ラングレー館長は4年前のオットー・リリエンタール氏のグライダー実験にも関わっておられたと伺っております。空飛ぶ乗り物に対する世界一の造詣を持っておられるラングレー館長様を見込んでお願い申し上げます。飛行に関する理論や技術について、どうか私たち兄弟にご教示頂けませんでしょうか。


1899年7月吉日

ウィルバー・ライト

敬具

 


 手紙を閉じる。目の前では翼幅3フィート、日本で言えば約1メートルの主翼を二枚装備した巨大なトンボのような飛行機が組み立て中だ。これを完成させて飛行実験を行い、成功すれば人が乗れる大きさまで拡大してエンジンを積む計画だ。この手紙の送り主は自転車屋なのに飛行機に興味を持っていて、スミソニアンに教えを請おうというつもりなのだろう。

館長はそれに対して、館報用の報告書を送れって言った。それは確かに飛行機に関する報告書だが、館報用の報告書に書かれている機体は、今、スミソニアンで研究している最新のこれとは全く違う。3年前に飛行実験中に事故死したオットー・リリエンタールによる一枚主翼のグライダーの報告書だ。その設計と飛行理論、墜落事故の調査報告がまとめられている。っていうか、私がまとめた。あの機体は私は失敗作だと思っている。この時代の技術で一枚翼の機体ではピッチのコントロールが難しい。ピッチというのは機体を重心でバランスを取ったときに、機首が上や下を向く動きだ。リリエンタールの失敗を教訓にして館長が考えているのは、主翼を2枚、前後に配置したタンデム翼の飛行機だ。羽ばたかない巨大トンボだ。これならピッチが安定する。


「館長・・・」

「なんだ、なんでも言ってみなさい」

「この手紙の送り主には、あの報告書よりも新しい情報を伝えるべきだと思います。リリエンタールの事故死の原因はピッチのコントロールに失敗し失速です。そもそも、人間が鳥のように飛ぶという発想がすでに時代遅れです。彼らは、自転車を空を走る乗り物にしようとしています。それは私たちの研究と方向を同じくするものです。安全に空を飛ぶ乗り物を作る、そのためには私たちの持っている最新の情報が彼らにとっても必要だと思います」


 ラングレーは自分の椅子から立ち上がって、私に背を向け、窓の外、大空を見上げていた。

「やはりそうだろうか」

「はい」

「しかし、空を飛ぶ乗り物が完成すれば、学術協会(※スミソニアン学術協会のこと)には莫大なライセンス料が入るだろう。それは、米国の科学のためになる。それを、得体のしれない田舎の自転車屋に提供して良いものか」

「私は、鳥形の『飛行機』は成功しないと思います。それは、私がこちらにお世話になって依頼、何ヶ月もの月日をかけて計算した結果から明らかです」

「・・・」

「この手紙の差出人はまだ32歳の若さです。弟さんはきっと20代です。若さに賭けてみませんか?」

「君も言うねえ」

「もうしわけありません」

「いや、かまわん・・・アカネ君」

「はい」

「あの機体『エアロドローム』、名前の由来を知っているかね?」

 ラングレーは私に背を向けて言った。

「ギリシア語で『空中を走る物』です」

「トンボよりも自転車にふさわしい名前のように思えるねえ」

「館長・・・」

「ただし、エアロドロームには軍の莫大な予算がかけられている、成功させる以外の選択肢はない」

「それは承知しています」

 長い沈黙・・・。

「そうか、では、あとはアカネ君にまかせるよ」

「承りました」


 私は静かに館長室の扉を閉めた。そのときにはすでに、頭の中では自転車を空を飛ばすためにどんな資料が必要か、どんな資料をそろえられるかについてすでに整理ができていた。

 私はウィルバー・ライトにとりま手紙を書いた。自分はスミソニアン博物館館長ラングレーの代理であること、そちらの要求は理解し、こちらで応じる準備があること。提供可能な資料がまとまった時点で改めて連絡するので、その時は兄弟二人でスミソニアンまで来てもらいたいこと、だいたいそんな感じだ。念のために館長のサインももらって、ちょうどそこへやってきたジミーに手紙を渡す。

「これをよろしくね」

「え、研究所のお金でラブレター? やるじゃん」

「わたしがどんだけここにいると思ってるの」

ジミーはその手紙がラブレターではないことはもちろん知っている。それくらいのことは言い合える関係ということだ。

「さてと、忙しくなるわね」


 巨大トンボ、3フィートエアロドロームの設計図修正にそれからしばらくの日数を要してしまった。模型には実機で搭載する予定のエンジンにできるだけ似た形、似た大きさのハリボテエンジンを3フィートサイズに縮小して作って載せる。そのエンジンの構造が変わったというので、ハリボテの取り付け方も変えなければならないが、そのエンジンが生まれて始めて見る星形エンジンというものに変わっていたので、ハリボテ周辺も大幅な変更で時間がかかってしまったのだ。CADが無い時代なのでちょっとの変更も図面書き直しの大仕事だ。夜になっていた・・・。

(そういえば『日本人は夜も寝ないのか』とアメリカ人に言わせるほど研究に打ち込んだのは野口英世だっけ・・・)

 そんなことを考えながら、私は重い腰を上げてライブラリに向かう。


「必要な資料は頭の中で整理できてるんだけど、それをどうやってウィルバーさんに渡すか・・・だよね~。館報は何部か刷ってあるのでそれを渡せばいいとして、問題はこれだ・・・」

 私は目の前に、レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿のいくつかの複製を並べて思案していた。もちろん、レオナルドの空気スクリューやはばたき機が空を飛べないことはわかりきっている。しかし、手稿の中には鳥の飛翔を詳細に観察したものがあり、その中には『飛行機』の飛行理論の解析に役立つ記述が多く散見される。これは重要だ・・・。しかし、イタリア語の鏡文字、しかもキチャない落書きのような文字で書かれたそれらを転記するのは、転記する人にもある程度の航空力学の知識が必要だ、ジミーには任せることができない。かといって、私はジョブ型管理のスミソニアンではそれはできない決まりだ。

「どうしよう・・・」

 と、口では言いながら私の気持ちは決まっていた。

「とはいっても、わたしがやるしかないよね」

 私はそれからしばらくの間の毎夜、ライブラリに忍び込んではレオナルドの飛行理論を翻訳して書写した。その作業を続けているうちに私は、自分の中に変な意識というか、決断というか、そういう物が芽生えてくるのを感じた。実験技術者テクニシャンの感というか「この実験はうまくいくのではないか」そんな漠然とした物だった。しかし、私を突き動かすには十分すぎるものだった。

 

 さらに数日後、私はスミソニアン本館の館長室を訪ねた。

「自転車屋に送る資料がまとまったか」

「はい、ついでに私の気持ちもまとまりました」

「気持ち? そういうことか・・・ここでの君の仕事は終わったということか・・・」

 察しはいいらしい。

「お暇を請いに参りました」

「アカネ君は・・・私のエアロドロームよりも、空飛ぶ自転車の方が成功すると思うのかね?」

 想定していた範囲の質問ではあるけれど、ストレートに「はい」というのも大人としてどうかと思う。

「わたしは実験技術者テクニシャンです。3フィートエアロドロームの飛行実験に成功した今、もはやここに私の仕事はありません」

「君さえ良ければ、学芸員キュレーターとしてスミソニアンに残ってくれてかまわないのだよ、もちろん報酬は十分に出す」

「館長、今言ったばかりじゃないですか、私は実験技術者テクニシャンです」

「なるほど」

「あとは工学者エンジニアの仕事です」

 しばらく静かな時間が流れた。

「君がスミソニアンにいてくれたことを神に感謝するよ」

「わたしはエアロドロームの成功を神に祈ります」

「ありがとう」

「それと、最後にひとつお願いが・・・」


 そうして私はスミソニアンを辞して・・・オハイオ州デイトンにある「自転車屋」に向かった。時は1901年の夏だった。


 私は身支度を整え、オハイオ州のデイトンに向かった。身支度と言ってもスーツケースひとつと小さなバッグにすべての荷物は収まってしまう。

スミソニアンのあるワシントンD.C.からデイトンは、実を言うと、そんなに大げさに別れを惜しんで行くような距離ではない。ざっと500マイル、日本に直せば東京から広島あたりくらいだろうか・・・「飛行機」があれば日帰りができる距離だ。私はバスでえっちらおっちら行っているのだけれど・・・。

 今はデイトンの中心部は河東に移っているけれど、私がこの街を訪れた頃は川の西岸にあった。長距離バスはノース・ブロードウェイ・ストリートの公園通りに停車するので、そこでおりて通りを歩いて15分ほど南下、サードストリートとの交差点を日照りに曲がって少し行った路地にその自転車屋はあった。事前に地図を送ってくれと頼んでいたのだが、妹のキャサリンと名乗る人から地図が送られてきたのはいいのだけれど、どっちが北かがよくわからず、目印に川が描かれている。街のはずれで川はT字路のように交わっていて、どのようにも見ることができる地図だった。私はなんとか目的地を小さな路地裏に見つけ

「ごめんください、スミソニアンの方から来た者ですが」

今は私はスミソニアンの人間ではない。

「はい、お待ちしてました」

 奥から端整な顔立ちの女性が出てきた。

(この人がキャサリンさんか・・・以外と歳いってるな・・・三十路・・・)

その後から男性二人が出てきた。年齢からして、この二人左側がお兄さんのウィルバー、右側が弟のオーヴィルだ。


「初めまして、お手紙を差し上げたアカネと申します」

「遠路はるばるありがとうございます、私がウィルバーです」

「ようこそデイトンへ、私は弟のオーヴィル、そしてこれが妹のキャサリンです」

「いやあ、それにしても助かりました。私は返事もいただけないだろうと思いながら、半ばダメ元で手紙を書いたのですが、こうして実験技術者テクニシャンの方を派遣して下さるとは、さすがスミソニアン博物館です」

「あ、えへへへへ」

 実はスミソニアンを辞したことは、言うほどのことでもないかと思い、彼らには知らせていない。

「本当にそうです、資料を送って頂けるだけでもありがたいのに、あなたのような美しい女性にこうして力学の指導に来て頂けるなんて」

「私の方こそ光栄ですわ」

「お送り頂いた資料は熟読しました。私たちは本当に無知を恥じています」

「今となっては、スミソニアンによくもあんな図々しい手紙を書いたものだと、恥ずかしくて顔が燃えているような気分です」

「資料を読んで、人類の飛行への取り組みの歴史と挑戦に驚愕したと同時に、それが失敗の歴史であることも知りました。弟と話をして、大胆な挑戦よりも慎重な取り組みが必要であることを理解し、亡きリリエンタール氏が夢見たような人間が鳥になるような挑戦ではなく、自分たちが商売している自転車が道路の代わりに空を走るような、たとえばハンドルとペダルを操作しながら空中を移動する機械の開発の方が重要であると考えました」


 もちろん、空を飛ぶことを考えたのはこの兄弟が初めてではないし、すでに多くの人が飛行経験もしている。しかしそれは「鳥のように空を飛びたい」という人類永遠の夢であり、まさに鳥を目指して進んできた歴史だった。私はこの二人が鳥とは違う、自転車屋を長年やってきた自分たちだからこそ気づける目標を目指していることを知ってワクワクが止まらなかった。これはきっとうまくいく!

「こちらの進み具合としては、エンジンを先行して製作に着手していて、機体は私の到着を待って、ということでしたが」

「はい、こちらをご覧になってください」

「もともとは自転車に乗せる予定のエンジンを使うつもりだったのですが、それでは力が足りないだろうと思い、アカネさんが来て下さるまで1年以上時間が空くということで、その間に思い切って空飛ぶ自転車用に大きなエンジンを製作しているところです」

「設計上は10馬力以上でるはずです」


(スミソニアンのエアロドロームよりも見た目は大きいのに馬力がずいぶん小さい・・・たぶん半分、いや4分の一か・・・やはり軍がらみのスミソニアンようにはいかないか・・・)


「なるほど、わかりました。機体についても何か目途はあるのでは?」

「あ、はい。タンデム翼の重心にエンジンを搭載し、4枚の翼を両手足でねじるように操作するのが良いのではないか、と考えています」

「なるほど、人間が操縦するというわけですか」

「そうです、私たちはただ空を飛んで記録を作ることが目的ではないのです。自転車のように気軽に空を飛んで移動できる道具を作りたいのです」

「ですが、空飛ぶ自転車にハンドルをつけても方向は変えられません。そこで、羽をねじることを思いついたのです」

「ところでその『空飛ぶ自転車』という呼び方ですが」

「なにか?」

「人が操縦して空を飛ぶのですから『フライヤー』というのはどうでしょう?」

(私は見た目やネーミングから入るタイプだった)

 兄弟は顔を見合わせた。

「なるほど、『フライヤー』なかなか良いネーミングですね」

「兄さん、私たちの名前をつけましょう『アカネ&ライトフライヤー』にしましょう」

「うんそれはいい」

こうして、私と『アカネ&ライトフライヤー』の悪戦苦闘が始まった。でも、自分の名前が入るのは恥ずかしいので、私はこれから作る飛行機のことを単に『ライトフライヤー』と呼ぶことにした。



親愛なるメイリンさま

いかがお過ごしですか?

スミソニアンにはもう慣れましたか?

周りのみんなは優しくしてくれていますか?

ジミー君は元気にしているでしょうか?

実は相談があります。

そちらは、エアロドロームの実機の製造が進んでいることと思いますが、実は私もタンデム翼の機体の設計をしているところです。でも困ったことに、後ろ側の翼の挙動が計算通りにならないのです。何か情報があれば教えて下さい。

【個人情報のため中略】

お互いがんばりましょうね。

1901年初冬

アカネ

敬具



親愛なるアカネ様

お元気そうで安心しました。

また、お礼が遅くなってごめんなさい、私にスミソニアン博物館の職を譲って下さるなんて、どれだけ感謝をしても足りません。本当にありがとう。

私にはアカネさんのような、数字で計算して図面を描くなんていうことはできないので、詳しくお伝えできなくてごめんなさいなのですけど、こちらではそのような問題は起きていません。3フィートエアロドロームの機体構造をそのまま採用して問題ないようです。たぶん、星形エンジンを使っているので、機体の安定性が良いのではないかと思います。正確なことを教えてあげられなくてごめんなさい。

【個人情報のため中略】

またなにかわかり次第お手紙します。いつかはデイトンに遊びに行きます。

アカネさんもワシントンに来たときには寄って下さいね。

1901年初冬

メイリンより



「寒いわね」

 私は11月の寒風の中、マイアミ側の河原で巨大な扇風機を相手にライト兄弟と格闘していた。私が来た時点で二人は何種類かの機体の模型を作って河原で風洞実験を行っていた。しかし、機体が安定しないのだという。私はおそらく、空力学的計算をしていないからだろうと思い、この数ヶ月、あのデカくて重いエンジンを飛ばすための翼の設計のやり直しをしていた。

「どうやっても後ろの翼がバタつくわね」

「これでは足で上手く操縦できるかどうか」

「多分ムリね」


 リリアンタールの墜落の事故報告書の問題点から、一枚翼ではピッチのコントロールが上手くいかない、というかとても難しいので、そこをタンデム翼にして改良したのがスミソニアンのエアロドロームだ。ところが、翼を前後二翼にした結果、後ろ側の翼の挙動が安定しなくなってしまった。エンジンの大きさに合わせて設計のやり直しをして確かに翼が大きくなり、安定性は増しているはずだったが、後ろの翼の謎の振動は放置できない。なんとか有人飛行の前に実験でその原因を解明したいところだった。


 パキパキと足元から音がする・・・腕組みをして歩き回っていると枯れ枝を踏んだようだ。

「!! 枯れ枝!」

「枯れ枝がどうかしましたか?」

「そうだ、キャサリンさん、エンジンの向こう側で枯れ枝を燃やしてくださらないかしら」

「え、枯れ枝を? ・・・わかりました」

 キャサリンは私や二人の兄のこれまでの突飛な発想にも「どうして?」とは決して言わなかった、粛々と指示通りに手伝いをしていた。

(私よりも実験技術者テクニシャンに向いているのでは・・・)

「枯れ枝を集めたので火をつけますね」

「ええ、お願いするわ」

 11月の乾いた枝にはすぐに火がついた。もくもくと煙が上が・・・らずに、煙はエンジンに取り付けたプロペラに吸い込まれていく。

「みてこれ!」

「なんだこれは!」

「おおおお!」

 プロペラに吸い込まれた煙やススが『アカネ&ライトフライヤー』の模型の翼にぶつかって渦を巻くのが見えた。

「ほら、翼を操縦するために翼にねじりが加えてあるから、翼の上側で空気の渦ができてしまって、それが後ろの翼に影響を与えているのよ!」

 このときに私たちは、飛行機が飛ぶ原理の発見の目の前まで行っていたのに、目の前で渦巻く空気の流れに気を取られて、そこまで考えが至らなかったのは私が一生悔やむところとなった。ちなみに、この空気の渦が飛行機の原理と関係があることがわかるのはだいたい100年くらい後のことである。


「これは・・・この空気の渦は複雑すぎる、この形状では飛べない」

 長い沈黙が訪れた。キャサリンは煙を出すことが、理由はわからないけれど今はとても必要とされていることだと悟って、私たちが考え込んでいる間も駆け回って枯れ枝を集めては煙が途絶えないようにしていた。キャサリンが枯れ枝を追加するたびに、ブワッと炎が強くなって大量の煙がプロペラに吸い込まれ、煙に濃淡が出たことで、空気の渦がよりいっそうよくわかるようになり、そして、よりいっそうタンデム翼の開発は中止すべきだと言うことが明白になった。


(とはいっても、翼一枚では仮に両手で必死に操作して安定が取れたとしてもあの重いエンジンは持ち上げられない・・・翼を大きくする、ダメだ長い翼の強度を保つには翼の重さが増えてますます機体が重くなってしまう・・・どうする!考えろ!考えるんだ!)


「アカネさん、実は、スミソニアンからタンデム翼の情報をもらう前に考えていたもう一つのアイディアがあるんです。

 ウィルバーはそう言うと『アカネ&ライトフライヤー』の模型を入れてきた紙の箱のフタを取り、底をベリベリと破いた。できあがったのは四角い筒だ。

「この箱の中に人が入って操縦する飛行機です。翼が前後ではなく上下二段についた飛行機を考えてみたのです。そう言ってウィルバーは箱を煙の中に差し入れた。箱は『アカネ&ライトフライヤー』の翼のようにねじってあったので煙の渦は発生したが、上下の翼の間での渦の干渉はなかった。

「そしてこうやって操縦するんです、見ていて下さい」

 ウィルバーはそう言うと、箱をねじって見せた。

「なるほど~、そういうことか~」

 ウィルバーが箱を右に左にねじるのに合わせて、煙は見事に右に、左にと流れる方向を変えていた。煙で空気が左右に流れるのが見えたことにはライト兄弟自身も驚いたようだった。「いける!」確信した瞬間だった。


「おっはよ~ございま~す」

 ある日、ライト兄弟の工房に「出勤」すると、オーヴィルがストレッチ運動のようなことをしていた」

「ハッ! ハッ!」

「何をしているの?」

「初飛行に備えて、こうして操縦の練習をしているのですよ、ハッ! ハッ!」

 結局、手足で4枚の翼を操作する必要がなくなったので、いろいろ試行錯誤した結果、上の翼と下の翼をワイヤーで連結させ、腰のひねりで二枚の翼を操縦し、両手で新しく追加した方向舵を操縦するのが一番力が入るし、安定もするのではないか、という結論に至ったとのことだった。

「飛行機が右に傾いたら腰を右に、左に傾いたら左に、というのを身体に覚え込ませているんです」

「なるほどね~」

「ハッ! ハッ!」

 オーヴィルが腰というよりもお尻を振りながら床でのたうち回っているように見えるのがなんだかおかしかった。私はというと、タンデム翼から複葉機にデザインが変わったので、スミソニアンで覚えてきたレオナルドの空力学が役に立たなくなり、翼の大きさ、重心の位置、プロペラの大きさ、離陸のためのカタパルトに使うおもりの重さや落下速度などの計算を最初からやり直すことになってしまった。

 この兄弟の元に来て2回目の夏だった。そこへ思わぬ連絡が届いた。



親愛なるアカネ様

ごぶさたしています。

スミソニアンのエアロドローム号の飛行日程が決まりました。10月のできるだけ速い日程です。 取り急ぎ用件だけ。

1903年盛夏

メイリンより



 郵便配達と入れ違いにウィルバーが工房にやってきた。

「ウィルバーさん、スミソニアンが10月に飛ばすって」

「なんてことだ、それでは世界初の動力飛行はスミソニアンのものになってしまう」

「兄さん、急いで機体を仕上げよう、そして9月に飛ぼう!」

「まって、二人とも、私が初めて来たときのことを覚えている?」

「空を飛ぶことへの取り組みの歴史は失敗の歴史」

「・・・そうだ、大胆な挑戦よりも慎重な取り組みをするんだった」

「スミソニアンのエアロドロームより『アカネ&ライトフライヤー』は機体が柔らかくて操縦が難しいわ、ワイヤーの本数も多い、調整に時間をかけるべきよ、たとえ世界で二番目でも何も恥じることはないわ、向こうは軍から5万ドルものお金が投じられているのだから」

 二人はそれほど悩むことはなかった。

「よし、それじゃぁ、ぼくたちはスミソニアンの結果を見極めてからでもいいじゃないか、機体の調整と操縦の訓練をするんだ」

「そうだね」



親愛なるメイリンさま

いかがお過ごしですか?

エアロドローム号の飛行日程が決まったとのこと、おめでとうございます、と言うべきよね。こちらはこちらのペースで進めることにしました。

初飛行、たぶん見に行けないと思うけど、神のご加護がありますように。

1903年盛夏

アカネ

敬具



 1903年10月7日、私たちはいつも通り初飛行に備えていた。つまり、ウィルバーはエンジンや翼の調節に苦闘し、オーヴィルさんは「ハッ! ハッ!」とお尻を振っていた。私は、その日はなぜだかなんだか落ち着かなくて、自分が設計した『アカネ&ライトフライヤー』の構造計算の検算を落ち着きなく進めていた・・・。

 翌日の新聞のトップ記事は「アメリカ空軍エアロドローム号試験飛行に失敗」ポトマック川に設置された立派なカタパルトから、川面に向かって落下するタンデム翼の写真が掲載されていた。

「機体の強度が足りてないわ、実機には模型にはないさまざまな自然条件が容赦なく襲いかかる、エアロドロームはそれに対応できてないわ」

 ライト兄弟は黙って私が持つ新聞に視線を落としていた。その目はまるで、明日の我が身を見ているかのように暗かった。



親愛なるアカネ様

ごぶさたしています。

エアロドローム号はエンジンが水没してダメになったのでエンジンを作り直すのに二ヶ月くらいかかるようです。機体の補強もします。今度こそ絶対成功して見せる、とみんなもがんばっています。

取り急ぎ用件だけ。

1903年10月

メイリンより



 メイリンからの手紙はとても事務的なもののように思えた。スミソニアン研究所の実験技術者テクニシャンを私が辞するに当たって最後にラングレー館長にお願いしたのは、当時無職だった実験技術者テクニシャンのメイリンを私の後継に雇用して欲しいと言うことだった。私がメイリンから手紙を受け取ったのはこれが最後となった。



 私たちの『アカネ&ライトフライヤー』も最終調整の段階に入っていた。12月中に初飛行を実施することにすでに決めていた。1903年12月9日、新聞一面を再びエアロドロームが飾った、今度は初試験の時よりも大きな文字、大きな写真がその結果を伝えていた。エアロドローム、試験飛行二回目失敗。軍、動力飛行機の開発を断念・・・。


「寒いわね」


私は吹きさらしの砂丘でコートの襟を立てる。砂漠に設置されたカタパルト、ライト兄弟の二人は墜落時の安全を考え、エアロドローム同様に川、マイアミ川での飛行を提案したけれど、揚力を安定させる点から砂丘での飛行を私は一歩も譲らなかった。そのせいで、『アカネ&ライトフライヤー』を分解して組み立て直すという作業が増えたのだけれど・・・。


 ウィルバーが翼の末端を支えつつ、慎重に風を読む。オーヴィルは機体中央に腹ばいになってしっかりと二枚の翼を安定させていた。見物に来ている数人の人たちは「なんだか珍しいものが見られるらしい」ということで、丘の上にあるそれを興味深そうに見ている。新聞社も集まってカメラを構えている。きっと彼らは『アカネ&ライトフライヤー』が風にもまれてクチャクチャになるのを心の底では楽しみにしているのだろう。人間なんてそんなものだ。しかし、私は彼らの期待に応えて失敗するわけにはいかないし、必ずや成功すると思っていた。


 カタパルトから伸びたワイヤーの先のおもりを保持しているロープをキャサリンが寸分違わぬタイミング、位置で斧で見事に切断する。走り出した『ライトフライヤー号』はカタパルトの末端に届くよりも先にふわりと舞い上がった。と、同時に手を離すウィルバー。機体は傾いているが、オーヴィルは必死で体勢を立て直している。ウィルバーの脇を浮かんだまま通過する全長6.4メートルの機体。


「おめでとう、ウィルバー、オーヴィル、キャサリン」


 私は足下に置いたスーツケースを持ち上げ、その場を去った。一つの仕事が終わればそのラボを去るのは実験技術者テクニシャンの宿命。当日予定していた4回の飛行がすべて成功したのを知ったのはそれからずっと後のことだった。


【つづく】

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