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偉人たちとの夏  作者: 中西貴之
10/12

実験技術者 遊佐アカネの実験ノート 第10話 湖畔の小さな街での夏

湖畔の小さな街での夏


 私のボスはいつも「お金がない、おかねがない」とぼやいていた。私としてもボスがお金を持っていないのは非常に困るのだけれども。高額な報酬がもらえる画期的な観察実験をしているのでと、ここへ呼ばれてやってきた。そのボスがお金がないという・・・なんたる不幸。


 私の名前は遊佐アカネ、いろいろなところを仕事を求めて旅するノラの実験技術者テクニシャンをやっている。私の仕事は、今まで誰も見たことのないものを見たり、誰もしたことのないことをする一流科学者をボスとしてその下で正確無比な実験を行うこと。わかりやすく言えば、実際に手を動かして実験をする人、といえばいいかしら。ボスたる人物の仕事の少なくない部分を研究資金集めが占めている。一方で、頭脳を駆使して世界で最先端の未解明の難問について仮説を立て、それを証明するためのルートを考え出さなければならない。でもルートが決まれば、あとは私がなんとかする・・・実験予算さえあれば。そういう役割分担。私たちの仕事は研究テーマごとの契約なので、一つの研究が終わると、あと、契約期間が切れても無職になっちゃう。そして新しい研究所に採用してもらって経験を積みながら報酬も増やしていく・・・はずだったのに・・・そんな感じで、今回はとんでもない貧乏な科学者の元へやってきてしまった。


 私は粗末な実験室の真ん中に置かれた丸椅子に座って足を組んでいる。今のボス、アントニー・レーウェンフックはせっせとガラス細工にいそしんでいる。といっても、芸術家ではない。純然たる科学者だ。いつもいつもガラス玉で顕微鏡を作っている。私も微生物の研究にはたくさん携わってきたので、顕微鏡を使った実験は数限りなく行ってきたが、私がこれまで使った顕微鏡は複数のレンズを組み合わせた対物レンズと接眼レンズを使ったかなり複雑な顕微鏡だ。

 それに対し、レーウェンフックの顕微鏡は限りなくシンプルだ。


「どうしてガラス玉顕微鏡にこだわるんですか?」

 組んだ足を組み直すと、床板がギィと鳴った。

「わしは顕微鏡そのものに興味があるのではない、顕微鏡で見えるその世界に興味があるのだ」

「であればなおさら顕微鏡から自作せずに、フックの顕微鏡を買ってくればいいじゃないですか」


 フックとは、ロバート・フックのこと。レーウェンフックと混同しそうだが全くの別の科学者だ。顕微鏡の発明者であり、「微生物学の父」とも呼ばれている人だ。世間ではノミの拡大スケッチで有名だ。


「一枚レンズ顕微鏡は、精度の良いガラス玉を作ればそれで素晴らしい観察ができるのだ。こんな美しい観察はないと思わないか?」


 レーウェンフックはフックの高性能な顕微鏡と同じ性能を1個のガラス玉で出そうとしている。レーウェンフックはついこないだまで織物商をしていたが、どうしたことか顕微鏡に目覚め、私を助手にして顕微鏡科学者に転身したのだが、織物商時代の貯金を食い潰す日々だ。


「たくさんのレンズを使うと、焦点を合わせる方法の工夫とか、色収差の問題とかが出てしまい、見えない世界の真実を見誤るかもしれん」

 たしかに、21世紀のデジカメのレンズもそれらを修正するために、特殊な材質のレンズや非球面のレンズなどを複雑に組み合わせて苦労して設計されている。

「そう言えば、私も子供の頃ビー玉を目に近づけて、葉っぱの筋なんかが拡大して見えるのを楽しんでましたっけ・・・」


 私は組んだ足を組み替えた。床板がまたギィと鳴った。


「そうか、子供の頃から自然に慣れ親しんでいたか、それはよいことだ」

「はい、あとは、本の活字をビー玉で拡大してみたり」

「ワシが見ようとしている微生物はどうだ?」

「子供の頃は微生物の存在なんて知りませんでしたよ」

「そうだろう、そうだろう、先日見せた微生物の世界は素晴らしかったろう」

「はい、とても」


 じつは、レーウェンフックは顕微鏡の大量生産をしている。観察対象ごとに顕微鏡を作るのだ。今はまさに私が子供の頃にビー玉で見た葉脈の観察をする顕微鏡を作っている。


 レーウェンフックは手先が器用で、キレイなガラスレンズを作る。それを穴の開いた2枚の金属板の間に挟み込んで固定する。標本を固定するピンを別途用意して、レンズとピンとの間の距離を調整できるようにネジ式でレンズの付いた金属板に枠を取り付け、ネジを回すようにしてレンズと標本との距離を調節して観察を行う。だいたい倍率は300倍くらいだろうか。シンプルで高性能な顕微鏡だ。

 だがしかし、レーウェンフックは絵が下手だという致命的な欠点があった。そこで、レーウェンフックが顕微鏡を作って観察対象を決定し、私がそれをスケッチする、というのが今回の役割分担だった。


 しかし、葉脈ならスケッチのしがいもあるが、微生物なら300倍でもほぼ点にしか見えなかった・・・。

 私は立ち上がって、ぶらぶらと書棚の方へ歩みを進める。


 一番よい場所に鎮座しているのがロバート・フックの名著『顕微鏡図譜』だ。レーウェンフックが織物の商売でロンドンを訪れた際に書店のガラスケースの中に展示されているのを見て一目惚れして購入したと言っていた。安泰な家業を捨てて、ノラの科学者という茨の道にレーウェンフックを歩ませるきっかけとなった本だ。現在は『顕微鏡図譜』という略称でしか知られていないが、本を手に取ると正式名称が『顕微鏡図譜。すなわち、顕微鏡を通して見た微小体の生理学的記述。それに関する観察と研究を含む』という長いものであることが分かる。この本は1665年に出版され、ロンドンでは「コーヒーテーブルブック」という範疇に入る本で、ガチな専門書ではなく、今で言うポピュラーサイエンスに近い、来客を楽しませ、会話のきっかけを作ったり、会話を弾ませたりすることを意図してテーブルに置く大きくて豪華な装丁の本だ。


 これがコーヒーテーブルブックだとしても、『顕微鏡図譜』が一般の人々に顕微鏡を通して見た世界を初めて紹介した本であることに異論を挟むものはいないと思う。実験技術者テクニシャンとはいっても、研究テーマには好き嫌いがあって当然で、実は私は昆虫が苦手だ。超ダメだ。『顕微鏡図譜』大型本であることにくわえ、さらにその中に折り込みページがあって、ノミだとかシラミだとかハエの複眼などが、実物の数百倍に拡大して描かれていて、私はこの本を手に取るたびにうっかりそのページを開かないように気をつけている。レーウェンフックはそのようなスケッチも大好物のようで、ここに来た直後はしばしばそのような足のたくさんある生き物の拡大図を差し出して講義を始めてしまうのに閉口したものだ。


 私は『顕微鏡図譜』を読み物として楽しんでいる。この本は単なる図譜ではない。フックはこの本が出版できることをチャンスと捉え、観察したミクロの世界についてはもちろんのこと、光の性質から化石の起源に至るまで、さまざまな事象に対し、自らの科学的考察を盛り込んでいる。


 そんな考察の中でも後世にまで残ることになったのは「cell」の観察だ。私たちは「cell(=細胞)」という単語を何気なく使っているが、これはフックがこの本の中で作った言葉だとされている。


  フックは何を思ってそうしたのかは分からないが、コルク片の横断面の観察を記録している。コルクはヤワヤワした木質のかたまりに見えるが、実は微小な箱に似た構造の集まりであることを明らかにし、この一つ一つの箱に対して「cell」と名付けたのだ。調べてみると「cell」はフックの造語ではなく、同じ大きさの部屋がずらっと並ぶ修道士の個室のことを「cell」と言うのだそうだ。間違っていたらごめんなさい。


 さて、そんな感じでパラパラと『顕微鏡図譜』を眺めている間も、部屋の反対側の作業台でレーウェンフックはガラス玉を磨いていた。ガラス玉の磨き方は極秘中の極秘で、実験技術者テクニシャンの私にさえ見せてくれない。聞くところによると今から350年以上も後の21世紀になってもレーウェンフックのガラス玉の作り方は解明されていないらしい。つまり、ボスがガラス玉を磨いている間は私はすることがないのだ。


 私は今、オランダのバーケルという小さな街に滞在している。特に観光名所のようなものはないのだけれど、自然が美しく、建物が建ち並ぶ街の中心部を少し離れると田園風景が広がる。すぐ近くに、ベルレールのヤン3世が築いた城が残る都市ヘルモントがあり、ここは織物業がさかんだ。レーウェンフックはヘルモントで作られた織物を主に英国に売りに行く行商人をしていたのだった。


 あるとき、そのヘルモントから一人の医師がレーウェンフックを尋ねてきた。

 レニエ・デ・グラーフと名乗るその医師は、白髪で豊かなひげをたたえた紳士だった。

「アントニー・レーウェンフック先生にお会いしたいのですが」

 私が対応する。

「先生は今、取り込み中ですが、どういったご用件でしょうか?」

「失礼ですが、あなたは?」

「申し遅れました、私は実験技術者テクニシャンをしております、アカネと申します」

「アカネさん、私はアントニー・レーウェンフック先生の作られた顕微鏡が素晴らしいと街の噂になっているのを聴いて是非拝見したいとヘルモントから参りました」


 レーウェンフックは、良い顕微鏡と良い標本ができると、街の中心に近いカトリック教会へそれを持参してミサに参加し、ミサが終わった後に、参加者に顕微鏡を披露していたのだ。その話が伝わったのだろう。


「申し訳ありませんが、仕事の内容は秘密にしていますので、今、部屋の中にご案内することはできません」

「そうですか。待たせてもらうことは?」

「先生に確認しますのでそのままお待ちください」

「わかりました」

 私はいったんドアをそっと閉める。


「先生、ヘルモントからお医者様が先生の顕微鏡を見たいと来ておられますが」

 レンズをのぞき込んで作業をしているレーウェンフックに後ろから声をかけた、

「おや、そうかい、わかった、お通ししなさい」

「かしこまりました」

 レーウェンフックはそのへんの堅物の科学者とは正確が全く異なっていた。根が商売人だからだろう、サービス精神旺盛の人だ。私は再びドアを開け、グラーフ医師を工房に招き入れた。


「すいませんが、ちょっとキリが悪いのでお待ちください」

 レーウェンフックは対物レンズをのぞき込んだまま、そういった。

「はい、こちらこそ突然のぶしつけな訪問にもかかわらずありがとうございます」

「お茶をお入れしますね」

「ありがとうございます」

 と、グラーフ医師。

「わしのも頼む」

 と、レーウェンフック。


 もう少しで手が空くから、というレーウェンフックに応えて、私がお客様のお相手をする。

「あなたはひょっとして日本人ですか?」

「はい、そうです、日本をご存じですか?」

「もちろんです、我が国の者なら日本を知らない人などいません」

「そうでしたか」

 グラーフ医師はガバリと大きく身を乗り出す。

「かつて大航海時代、ポルトガルとスペインが制していたアジアを、我が国が制することができたのは、日本の徳川家康との結びつきができたためだと皆、学校で習っています」

「たしか、日本の銀ですね」

「いや、これは、天使に説法するようなものでした。失礼をお許しください」

「当時日本は内戦の時代でオランダ商人が徳川家康に武器の支援をし、その対価が銀だったと私も自国の歴史を学んでいます」

「そうです。銀は当時の国際通貨で、日本は世界有数の銀の産出国でした」

「日本統一を目指していた家康はオランダの最新式の武器を導入し、それらは、信長や秀吉らが導入していた、スペインやポルトガルの武器よりも優れていたので日本統一を成し遂げたということだったかと」

「はい、私も細かいところの日本人の人名まではあやふやなのですが、日本の銀が我が国の世界覇権に大きく寄与したのは間違いありません」


 そんな話で盛り上がっていたところにレーウェンフックが「キリ」よくなったのか、ニコニコしながらやってきた。


「こちらの地区の教会であなたの顕微鏡が話題になっていると耳にしまして、いてもたってもいられず、こうして失礼を承知でおしかけてきたのです」

「いえいえ、ようこそおいで下さった」

「早速ですが、先生はポケットに入れて持ち運べるほど小さく、ロバート・フックの顕微鏡よりも小さい者を詳細に観察できる顕微鏡を開発されたとか」

「これですわ」

 レーウェンフックは自身が作成した顕微鏡を差し出した。


 これまで私は「顕微鏡」「顕微鏡」と言っていたので、多くの人は理科の実験で使うような筒型の顕微鏡を想像していたのではないだろうか。レーウェンフックの顕微鏡は本当にレンズ一個、しかも、そのレンズ自体が顕微鏡で見なければならないほど小さい顕微鏡だった。そう、金属製の極小トランプにネジが付属したもの、といえばイメージできるだろうか。

 グラーフ医師もロバート・フックの顕微鏡をイメージしていたようで、レーウェンフックの顕微鏡を差し出されて、どう扱ったものか思案しているようだった。


「ここをこのように持って」

 と、極小トランプのカードの根っこの部分を右手の人差し指と親指でつまむように。

「ここにレンズが入っていますので」

 かろうじて極小トランプの形状から分かる場所を指さして

「左目をレンズにギリギリまで近づけてみて下さい」

 グラーフ医師は言われたとおりに、鈍く金色に光る「顕微鏡」を右手に持って左目に恐る恐る近づける

「ピントは合わせてありますが、もしぼけていたら左手でネジを回して調節して下さい」

 グラーフ医師はその大きな手で扱うには小さすぎるネジを少し動かした。


「おお、なんとすばらしい」

「それは、アカネ君が放置したパンに生えたカビです」


 いや、まあ、たしかにそうなのだけれども、それはレーウェンフックが放置してカビを生やせと言ったから実験技術者テクニシャンとしてそうしたわけで、けっして、引き出しの奥に食べ残しのパンが入っていたわけではない。そこは、はっきりさせておきたい。


「これは、うつくしい」

「いえ、それほどでも」

 と言いかけて口を閉じる、私ではなくてカビの話だった。


「その美しさが、単レンズ顕微鏡の最大のメリットなのです」

「なるほど」

「複数のレンズを使うと、光の色の成分ごとに屈折率が異なるため、最終的に目に入る色に変化が生じてしまうのです」

「ほお」

 グラーフ医師は極小トランプから目を離してレーウェンフックの方を向く。

「これはすばらしい! 観察記録は」

「ああ、観察記録はアカネ君が作成しています。最近のを持ってきなさい」

「はい」


 観察記録は、大判の紙に詳細に描いて、それを厚手の表紙で閉じてある。一番最近のものを書棚から手に取ってレーウェンフックに渡す。レーウェンフックはパラパラとページをめくって、青カビのスケッチのページを開いてテーブルの、グラーフ医師の前に置いた。


「すばらしい!」

 そこには(私が描いた)精緻で、この時代の科学絵の流行に合わせてあえて淡く彩色した青カビのスケッチがあった。

「なんと、こちらもすばらしいことか」

 私の方を振り向いた目は感動に満ちあふれていた、と思う。


 グラーフ医師は顕微鏡をのぞいて、ちょいちょいとネジを触っては、私のスケッチを見て、また顕微鏡をのぞいて、ちょいちょいとネジを触っては、私のスケッチを見て、していた。レーウェンフックの顕微鏡は、たしかに倍率も高いし、色の表現も正確なのだが、ピントが合う範囲が狭いという欠点がある。

 私のスケッチは、何段階もピントを合わせる位置を変えながらスケッチをして、ピントの合っている範囲が広く見えるように描いてあるので、グラーフ医師は実際にピントの位置を調節しながら、スケッチと比較して見え方を楽しんでいるようだった。


「他に何かありますか?」

「私の場合は、観察するごとに試料を準備していますので、すぐに用意できるのは、コルクなら」

「コルク! すばらしいではないですが、『cell』ですね」

 レーウェンフックは作業台に向かい、並んでいる顕微鏡の一つを手に取って自分で覗いてピントを確認をしている。

「どうぞ」

 それをグラーフ医師に差し出す。

「アカネ君、観察記録を」

 コルクの観察記録はたくさんあるので、しばし悩んで、一番スケッチの良くできていると思っている記録のページを開いてレーウェンフックに渡す。レーウェンフックは青カビの観察記録を少しずらして、その上にコルクのスケッチのページを開いて観察記録を広げる。

「これはたしかに、フックの顕微鏡よりもシャープで美しい。標本自体も切断面が崩れておらず、限りなく美しく良くできている」

 コルクを切断したのは実験技術者テクニシャンの私だ。


「先生、これを学会に発表したことは?」

「いえ」

 レーウェンフックの技術は素晴らしいが、いわゆるアマチュア科学者だった。私と同じノラだった。今回は報酬よりもそこに惹かれたのだけれど。報酬だけで選ぶなら、ロンドン王立協会の会員で協会から莫大な援助を受けているロバート・フックの方の助手になっている。


「先生、私はロンドン王立協会とつながりを持っています、是非これは世に出すべきです、私に発表の仲介をさせて頂けませんか」

「そうなのですか?」

 レーウェンフックはピンときていないようだった。


 王立協会とは、今からおよそ10年ちょっと前、1660年に英国ロンドンで設立された民間の科学に関する団体だ。世界最古の学会と言われている。王立とは言うもののチャールズ王が設立したわけでもなく、王室の予算で運営されているわけでもない。設立者については、どの段階を設立と捉えるかによって諸説あるが、オックスフォード大学の数学者、ジョン・ウォリスら複数名によるものでそもそもは1640年代まで遡れるとすることがここオランダでは一般的な考え方だ。当然ながら、今後21世紀に至るまで、欧州における科学者学会の頂点に君臨し続けることになる・・・のだが、今はまださほど敷居は高くなく、協会員になるだけならアマチュアのレーウェンフックでさえ、推薦があれば可能だった。


 ちなみに、この後、1677年には顕微鏡の発明者ロバート・フックが事務局長になって権力を掌握し、アイザック・ニュートンと対立するなど、ややこしいことも起きるのだが、その頃には私はもうここにいないので、とりあえずは、ボスの入会は手放しで歓迎したい。実験技術者テクニシャンとしての私の格も上がるというものだ。


 レーウェンフックとグラーフ医師はしばらく、あれやこれやの顕微鏡をのぞきながら歓談をして帰って行った。


 そんなことがあったこともいいかげん忘れ始めたある日、王立協会から親書がレーウェンフックの元に届いた。あとにして思えば、あと数年、グラーフ医師と出会うのが遅れていれば、レーウェンフックの王立協会入りはなくなる・・・それはもちろん、ロバート・フックが権力を握り、同じ顕微鏡学者に対して圧力をかけることになるからだろうが・・・ところだったので、危ういタイミングではあった。


 それからレーウェンフックと王立協会の関係が始まり、以降、レーウェンフックと私は二人がかりで観察する対象を選び出し、私が標本を作製し、レーウェンフックがそれに合った倍率の顕微鏡を作成して、私が観察記録用のイラストを描いて王立協会に送る日々が始まった。最終的には、報告した手紙の数は百通を超えたが、顕微鏡の作り方についてはやはり門外不出のようだった。すでに、ロバート・フックが王立協会にいたのがその理由の一つかもしれない。


 年が変わって1674年夏。


 レーウェンフックが湖でボートをこぐ。私は、彼の向かい側に座って、片手を湖水に浸す。一見、とってもロマンティックな雰囲気に見えるが・・・つまり今日も顕微鏡観察の試料集めだ。バーケルの街の中心からわずか2キロほど離れた田園風景の中に湖がある。


 この湖の水は冬は澄んでいるのだけれども、夏になると小さな白色や緑色のものが現れるというので、それらの正体を観察するために、こうして炎天下、ボートをこいでもらって湖の真ん中にいる。地元の人たちは夜露のせいで現れるもので、特別珍しいものでも、注意を向けるようなものでもないと考えていた。 私がガラスの小瓶に湖水を採取すると、レーウェンフックは美しい湖の景色を見る時間ももったいないとばかりに、全力でオールをこいで岸に戻り、そのまますぐに自分の顕微鏡で観察に取りかかった。次に私が顕微鏡をのぞいてスケッチに取りかかる。観察している湖の水には細かい粒子が浮遊しているのが見えた。また、髪の毛のようなものや、髪の毛がらせん状になった緑色のものも観察された。私がぱっと見た感じ、アオミドロ、ワムシやミドリムシといった類いだった。


 私は自分の先入観を一切排除して、忠実に顕微鏡の中にあるものをスケッチした。フックが顕微鏡を発見する前は誰も目に見えない生物がいるなどとは考えもしなかった時代で、つい最近まで、ノミが最小の生物であると考えられていた。このような観察は何度も繰り返され、私はすっかり日焼けしてしまったのだけれども、そうこうしているうちに冬になって湖もきれいになってしまったのでその年の観察は打ち切りとなった。


 年が変わって1675年夏。


 レーウェンフックが湖でボートをこぐ。私は、彼の向かい側に座って、片手を湖水に浸す・・・つまり今年も顕微鏡観察の試料集めだ。私たちは冬の間何もしていなかったわけではない。レーウェンフックは湖の水をできるだけ新鮮な状態で観察するにはどのようにすれば良いか、その試行錯誤を続けていた。その結果考え出したのが、採取した湖の水を細いガラス管の中に封じ込めて観察する方法だった。


 昨夏は、水滴をそのまま観察していたので、あっという間に乾燥してしまい、私のスケッチも干からびたものとなって、レーウェンフックはそれには満足していなかった。そこで思いついたのがこの方法だった。


 実験室で細いガラス管をガラス瓶の湖の水に接触させると、毛細管現象で水がガラス管の中に入ってくる、そこで、ガラス管の両端をチョイチョイと焼いて湖の水を密封するのだ。これは乾燥を防ぐ画期的な観察手法の発見だった。


「おや?」

「アカネ君、どうした?」

「小さな手足のようなものを動かし続けている生物がいますね」

「どれどれ」

「・・・・」

「・・・・」

「どうですか?」

「見えんな、スケッチしてくれないか」

「わかりました」


 それがミジンコであれば肉眼でも見ることができるはずで、それをレーウェンフックの顕微鏡で拡大してしまったら、私は嘔吐していたかもしれないが、そんな巨大な生物ではなく、すでに400倍を超えていた顕微鏡の倍率からすれば、ミジンコよりも1万倍も小さい生物のはずだ。とすれば、細菌か。であれば、見えていた手足のようなものはべん毛???


 微生物学を学んだ身としては、単レンズ顕微鏡でべん毛が見えるのは信じがたいが・・・やっぱり見える。どんだけレーウェンフックの顕微鏡は優れものなのよ、と思いながら、短桿菌の細胞と見えたとおりにべん毛を表現した。


 レーウェンフックは、私がバーケルに滞在している間だけでも数百台の顕微鏡を作成した。生涯に作成した顕微鏡は500台を超えると言うから驚きだ。この観察結果は翌年、王立協会に報告され、これは素晴らしい観察成果だとして、フランスに送られ、1678年、学術雑誌「ジュナル・サヴァン」に掲載された。これが博物学者の間でレーウェンフックを一躍有名にした微生物の発見となった。また、この観察によって彼自身も王立協会会員に認められた。


 私はそれを見届けて、バーケルを去ることにした。決して、王立協会から多額の研究支援金をレーウェンフックが得、そこから高額な報償を受け取ったから満足した、というわけではないことは申し添えておく。王立協会会員となれば、私のようなノラがいつまでも足下にすり寄っているわけにはいくまい。


 ところで、私がスケッチした、べん毛を持つ短桿菌のスケッチは後に議論を起こすことになる。私を信じて・・・いや、自分の顕微鏡製作技術を信じてなのかもしれないのだけれど、べん毛が見えたというレーウェンフックと、そんな物見えるはずがないと反論するフックによるフック対決となってしまった。それはもうすさまじい論争で結局二人が生きている間に決着は付かなかったのだけれども、これについては、20世紀になってロンドン自然史博物館の研究者らによって、ユトレヒト大学に保管されている本物のレーウェンフックの顕微鏡の一つを使った観察実験が行われ、私が本当に微生物のべん毛を観察していたことが確認され、私としてはめでたしめでたしとなったのだった。


【つづく】

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