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夏季休暇 3

 ◇ ◇ ◇



 事前に伝えてあったためもあっただろう。

 母さんにクレデールのことを紹介するのはスムーズに済んだ。


「メールにも書いたと思うが、母さん。こいつがクレデール・ローディナ。夏の間、うちに泊めて構わないか?」


 夏の間、とは言ったが、それが春もそうなるのか、来年もそうなるのか、今の時点では分からないので、それ以上の事は言葉にはしなかった。

 おそらくはそうなるんじゃねえかと、諦めというか、予感がしてはいるのだが、確定はしていないことだし、本人の意思や、家庭の事情も全く分からない現状で、俺が勝手に断定するわけにはいかなかったからだ。

 母さんは、最初は驚いているように、じっとクレデールの事を見つめていたが。


「まあ。随分と可愛らしい子ねえ。うちは歓迎よ。よろしくね、クレデールさん」


 すぐにクレデールのことは気に入ったようで、そのままふたりで喋り始めてしまったので、代わりに俺はキッチンで夕食の準備をすることにした。

 いつもに比べれば、人数も半分だし、量も半分で構わねえだろう。

 冷凍してあった米をレンジで解凍し、適当に冷蔵庫の野菜や肉と混ぜて炒飯を作るべく、準備をしていると、


「あら、イクスくん。そんなの母さんがやるから」


 と、キッチンでの権利を主張されてしまい、なにやら張り切っているらしく、場所を譲るつもりはないようで、俺はキッチンから追い出されてしまった。

 今から準備を始めるということは、まあ、小一時間くらいはかかることだろう。

 それなら、ちょっと腹を空かせるために運動でもしてくるか。


「それなら、俺はちょっと出てくるから」


「だったら、私も」


 階段を上がり、着替えるために自分の部屋へ向かう俺の後ろから、クレデールがついてくる。


「先輩。走りにゆくのですよね? 私もついて行って構いませんか?」


 クレデールがついてくるのはいつものことだ。

 それに、個人の都合だし、俺が咎められるものでもねえ。


「好きにしろよ」


 しかし、一応、尋ねられたことなので返事をすると、クレデールは嬉しそうな声で「はい。好きにします」と答えてきた。

 まあ、考えてみれば、クレデールはこの辺りの地理には詳しくないわけだし、運動をするのは日課だが、まさか走っている最中に一々スマホやら、地図やらを確認するという訳にもいかないだろう。

 当然だが、路の脇に立っている大雑把な地図じゃあ、うちの場所までははっきり示されてねえからな。

 ならば、この辺りの地理を知っている俺についてくるというのは、正しい選択だろう。


「お待たせしました」


 先に着替えて玄関で待っていると、いかにもスポーツウェアといった感じのスパッツとシャツに着替えてきたクレデールは、髪もポニーテールにまとめていた。


「じゃあ、行くか」


 まあ、コースはいつも通りで構わねえか。

 玄関に準備したスマホに地図を表示させ、クレデールに確認する。


「大体この辺りまで走るが、構わねえか?」


 行き先は、高等部入学以前に、そして今でも休みの期間中には世話になっている道場だ。

 駅よりは遠くなく、かといって、走る距離として往復で考えた時に短すぎもしねえ。準備運動としても丁度いい距離だった。

 もっとも、今日はいつも通り、長期休暇の帰省の挨拶と、スケジュールを尋ねるだけで、実際に稽古をつけて貰ったりはしないが。時間も足りねえしな。


「はい。大丈夫だと思います」


 いつも一緒に走っているため、クレデールの走る速さは大体身体で覚えている。

 クレデールは大丈夫だと言っていたが、初めての道だ。いつもよりは少しゆっくりしていた方が良いだろう。

 ストレッチを済ませ、家に置いてあった腕時計のストップウォッチを起動させ、俺たちは走り出した。

 夏とはいえ、さすがに夕方にもなってくると、涼し気な風も吹いてくるようになる。


「先輩」


 走り始めて、少し経ってから、クレデールが話しかけてきた。

 慣れないどころか、初めての道だというのに、大した奴だ。


「先輩が通っていらした道場というのは、武術の、ということですよね?」


「ああ。なんか、師範はファウカ流だか、何とかって言ってたが、その辺はよく覚えてねえ」


 ただ、まあ、一種の超人じみた人ではあるんだよな。

 昔、平原でバッファローと相撲を取ったとか、自分の身長よりも頭ひとつ分以上高い道場の塀まで垂直飛びで飛び乗るとか、まあ、色々と規格外過ぎる逸話を聞かされている。

 後者に関しては、俺も実際にこの目で確認しているし、その他に関しても、それに相応しいだろうというだけの風格というか、雰囲気のある人物だ。

 ちなみに、結婚もしていて、子供もいる。まだ、初等部だったと思うが、男と女のひとりづつだ。


「それで、先輩は何故、そんな道場に通っていらしたのにもかかわらず、喧嘩に明け暮れるような中等部時代を過ごされたんですか?」


「お前、何か勘違いしてんじゃねえか? 武術を習っている人間が、全員が全員、自分を律して、何事も受け流せるような奴だとでも思ってんのか?」


 そもそも、武術でも、剣術でもそうだが、要訣はひとつ。喧嘩に強くなるってことだ。

 いや、もちろん、それだけじゃねえし、俺はそのために修業したわけじゃ……ないとはっきり言い切れねえのが困った所ではあるんだよな。

 つうか、そもそも、俺はしたくて喧嘩をしてたんじゃねえ。


「まあ、精神が鍛えられないってことでもねえがな。クレデール。お前も入門してみれば、少しは整理整頓の力が身につくんじゃねえのか?」


 もっとも、女っ気は少ないところだったから、クレデールが顔を出したら結構な騒ぎになるかもしれねえが。


「いいえ、私は遠慮しておきます」


 そいつは残念だ。

 クレデールも習うってんなら、学院でも練習相手に困らなくなると思っていたんだがな。




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