入学式の日 2
◇ ◇ ◇
「あー僕もリオンとクレデールさんの晴れ姿を見に、入学式に行きたかったよ」
とっくに入学式が始まる、どころかそろそろ終わろうかという時間に起きてきたディンは、朝食を食べながらそんなことをぼやいた。
だったら早く起きて来ればいいだけだと思うのだが、こいつの中でリオンの入学式よりもベッドの中でぬくぬくとしている方が勝っていたのは否定しようのない事実だ。
それに。
「いくらお前が今日の主役のリオンと昔からの付き合いで、婚約者だっていっても、在校生なんだから入学式には出席できねえだろ」
卒業式には、高等部なら高等部の全生徒が出席することになっているが、入学式には新入生しか出席しない。
翌日に始業式があるからというのも理由のひとつではあると思うが、春休みを長く与えてやろうという学院側の配慮かもしれない。
「そうなんだけどさー。やっぱり心配なんだよね」
心配されるようなやつか?
少なくとも、今日までのところを見るに、ディンよりは余程しっかりしているように見えたが。
「何が心配なんだよ」
「リオンは可愛いからさ」
自分は婚約者がいても平気で他の女と寝たりするくせに、リオンのことは心配らしい。なんて自分勝手な奴だ。
「もちろん、リオンに心から信頼できる人がいてくれるなら、それはそれで、嬉しい事なんだけどね」
ディンは曇りのない、眩しいものを見つめるような瞳でつぶやいた。
マジか、こいつ。
「……それがお前の本音か? お前、リオンの事、どう思ってるんだ?」
「好きだよ。大切な女の子だ。だから、彼女には幸せになって欲しいんだ。親同士の決めたこの許嫁という関係に縛られることなくね」
ディンは一瞬の遅滞すらなく言い切った。
「お前はそれで良いのか?」
分からねえ。
惚れた女だっていうんなら、自分の傍にいて欲しいと思うものじゃねえのか。
「うん。だって、特定の女の子に決めてしまったら、他の女の子のところに行けなくなるからね。それはとても寂しい事じゃないか」
「お前というやつは……」
ディンはそう言ってはぐらかした。
多分、最初に言った方が本音だとは思うんだが、如何せん、ディンのことを知っているだけに、後者も絶対にあり得ないとは言い切れないのが、こいつの侮れないところだ。
「イクス。君にも早く素敵な彼女が見つかるといいね」
「うるせえ。余計なお世話だよ」
彼女どころか、普通に話す女子すらいないんだからな。
大体、女子はもちろん、男子にすら避けられ続けてきた学院生活だ。
もう慣れているし、感傷的な気持ちになる事はないが、同性、及び異性に、親しい間柄を構築することは、余程近しいところに居る相手でなければ諦めている。
「た、ただいま」
エリアス先輩とセリウス先輩はそのうち食べるだろうと思い、自分とディンの分の食器を片付けていると、玄関から疲れているような声が聞こえてきた。
「お帰り、リオン。お疲れ様」
ディンが出迎えに行ったので、俺はお茶でも用意しておくかと思い、ポットとカップを準備するために部屋へと戻る。
お湯を沸かしたりして準備を整えてから部屋を出ると、丁度エリアス先輩が起きてきたところに出くわした。
「あら、イクス君じゃない。おはよう」
「先輩。おはようって時間はとっくに過ぎてるぜ。朝食は一応冷蔵庫に入れてあるが、そろそろ昼食を作ろうと思ってたところだ」
まあ、今日はほとんど動いてないから、昼食は軽めのやつにしようと考えてるんだけどな。
それにしても、明日から学院が始まるってのに、こんなにのんびり起きてくるようで大丈夫なのか?
「じゃあ、丁度良かったわけね」
エリアス先輩はおぼつかない足取りだが、朝はいつも――今は朝とは言えないが――こんな調子であるにもかかわらず、階段を踏み外したりしたことはないので、特に手を貸したりすることはなく、先に階段を下りてゆく。
そもそも、両手はトレイを持つ手で塞がっているから、貸そうと思っても貸せないんだけどな。
後ろから意地悪ー、などという声が聞こえてくるが、俺は無視してホールへ戻った。
ホールでは、ぐったりとしているリオンをディンが甘やかし、反対にクレデールの方は朝とは違ってしっかりとした様子で座っていた。
俺が入ってゆくと、リオンは慌てた様子で背筋を正した。
思わず笑いをこぼしそうになるのを我慢して、トレイをテーブルに置く。
「お疲れ様、リオン。でも、入学式ってそんな疲れるようなことあったっけ?」
俺が継いだカップを移動させながらディンが問う。
ディンの言うことにも一理ある。
たしかに、学院長だったり、来賓の挨拶だったりを聞くのは退屈だが、リオンはそれを退屈に感じるようなタイプには見えなかった。
正確には、それは仕方のないことだと割り切っているような奴だと思っていた。
もちろん、知り合ってまだ日は浅いし、他人との交流の薄い俺の判断だから参考にはならないかもしれないが。
「違うわよ、ディン。入学式自体じゃなくて、その後、クレデールをここまで連れてくるのが大変だったのよ」
入寮の申請が入学式前で良かったわなどと漏らすリオンから、静かにカップに口をつけているクレデールへと、俺とディンの視線が向かう。
「別に大したことではありません。いつものことでしたから」
クレデールがクールにそう言い切ると、リオンはうんざりというように溜息をついた。
「クレデールは新入生代表の挨拶をしたんだけどね。多分、あれが原因よね」
リオンが言うには、ふたりは一緒のクラスではなかったのだが、帰りにどうせ一緒の寮へ帰るのだからと誘いに行こうとしたところ、人だかりがすごいことになっていて、中々声をかけるまでたどり着けなかったのだという。
例年、新入生代表の挨拶は、成績が最も良かった生徒が務めることになっている。
普通は、内部進学生から選ばれるらしいのだが、リオンが耳に挟んだ話では、クレデールは編入試験のの成績が満点だったらしく、これはかなり珍しい事らしい。
「外部生が挨拶をするだけでも珍しいのに、加えてこのクレデールの容姿でしょう? 近くでひと目見ようって人たちが集まってきちゃって」
男子も女子も関係なく、という話だったが、どちらが多かったのかは想像に難くない。
たしかに、クレデールの外面――外見は綺麗だからな。
「先輩。何か失礼なことでも考えていませんか?」
俺の考えていることを察したのか、クレデールがちらりと視線を向けてくる。
無駄に勘の鋭い奴だな。
「いや。考えてねえよ」
クレデールは、まあいいです、とカップにひと口口をつけると。
「リオンさんを目当てに集まられた方も一定数以上いらっしゃったようでしたが」
辟易するように語るリオンに、クレデールから反撃があった。
リオンも、俺が言うことではないが、少しきつめの顔を入れても、十分過ぎるほどに美人だし、そんなふたりが一緒にいれば、それは視線を集めたことだろう。
リオンがディンの許嫁だという事実は、俺だって知らなかったわけだし、今日学院にディンはいなかったのだから、新入生には(もちろん在校生にも)知りようがない。
リオンは、うぐっ、と少しばかり言葉を詰まらせる。
「とにかく、明日以降も苦労が絶えそうにないわね」
リオンとクレデールは、息ぴったりに、溜息をついた。




