舞姫
イヴァル男爵領を抜けるかという頃、セピア達は、気候が大分変わってきたことに気がついた。
特に、峠を超えたところから、顕著になった。
風は冷たく、草は低く、針葉樹林がポツポツと見えている。
朝、踏みしめる大地は、しゃりっと音がした。足の下で何かが砕ける。
こんな感触はセピアには初めてだった。息が白く煙のように舞うのも、また興味を引いた。
「寒いね」
道中、行商人から購入した厚手のマントを被る。
内側が毛羽立っていて、ぬくぬくと温かい。
ガイも、鎧を脱いでいることが増えた。
鉄製の鎧は、暑さ・寒さに弱いのだと言う。
代わりに、何枚もなめした革を重ねて作った鎧に着替えていた。
バルドーと、さして変わらない服装だ。どちらが上位なのか、服装ではわからない。
ガイは、領民のことを考えていた。こんなにも国が荒れてしまった現状に、悲しくなる。
バルドーは主人の顔を見て、自分が確りと守り切らねばと決意を新たにした。
ムアルは、もともと革鎧だったので、マントを女の子らしくお洒落に着こなしていた。
だが、身長が低めなので、時々裾をブーツで踏みそうになっていた。
(メルロンは何処にいるのかしら……)
彼女の探し人は、神出鬼没で、いつ会えるか分からなかった。
「兄さんは、父さんは、何処にいるんだろう……」
セピアが、探している家族に、思いを馳せた。
……セピアの兄ノアは、父親を超えたいと常々思っていた。
トラブ村にいた頃から、その思いは強かった。
徴兵された時、思春期只中だったこともあり、父親より活躍したい、手柄を立てたいと感じていた。
しかし、いつも父親が彼の前に立ち塞がった。
何でも卒なくこなす父親が、鬱陶しかった。
どうして同じ隊に入れられたのか、と、日々鬱屈していた。
ある戦で、ノアは、父親を誤射という名目で殺した。
勿論、意図的なものだった。
だが誰も彼を咎めなかった。戦場では、特に乱戦状態では、良くあることだ。
その後も、ノアは、邪魔と感じた存在を消して回った。
やがて自身が隊を率いるようになり、彼は好き放題に暴れ回った。
隊は、強盗団に変化していた。
ノアは名を捨てた。
故郷も捨てた。
荒くれ者達に、良い羊の取れる村があるぞと、トラブ村を売った。
結果、トラブ村が襲われることになった。
村に残ったはずの母親も、弟も、どうでも良かった。
これこそが、本当の自由だ! 誰も俺を阻める者などいない!
ノア、いや、グーハシュバルクと呼ばれるようになった男は、更なる力を欲して、クロウランサー族の娘を捉えた。
爪を自由に伸び縮みさせ、槍のように操るネコ科の獣人は、妹を人質に取られて、従順に動くしか無かった。荒くれ者たちが、わざと姉猫の前で、牢に閉じ込めた妹猫を、甚振って見せつける。
「ファーリン、俺の言うことを聞くんだ。俺の邪魔をする奴は、順に消していけ。言う通りにすれば、お前の妹猫も少しは長生きが出来るだろう」
ファーリンは怒りに毛を逆立てたが、従うしか無かった。妹猫を失ったら、ひとりぼっちになってしまう。
グーハシュバルクは、ファーリンの集落も壊滅させていたのだ……。
兄が思春期を拗らせたうえ、狂気にあてられて、おかしくなっているとは思いもしないセピアは、まだ父と兄を探していた。無事を祈っていたし、正気であると信じていた。
「ああ寒い。鼻が赤くなっちゃうわ」
ふうふうと指先に息を吹きかけて暖をとるムアル。
「何方です!」
突然、ファーリンの奇襲を受けて、ガイが盾を構えた。鋭いファーリンの爪が盾を滑って、耳に痛い、嫌な音を立てる。
「ガイ様、油断召されますな」
バルドーが前に立つ。ファーリンは名の通り、葉が風に舞い踊るかのように、殺戮の舞を踊った。
「バリアーノ!……ちょ、寒いから出たくない? 何ワガママなこと言ってるのよ!」
火精霊の友が言うことを聞かないので、ムアルが苦戦している。
「仕方がないわね……ティルカ! あの娘を束縛しなさい!」
樹精霊は召喚に応じたが、低木と針葉樹林しかない土地だ。どうにもならない。
ファーリンは爪を長く伸ばし、槍の穂先のように揃えて、バルドーに挑みかかった。
「兄さん!」
セピアが剣を構え、ミムを庇いながら、ファーリンの背後に目をやった。
すっかり雰囲気の変わった兄ノアが、そこにいた。
邪悪な笑みを浮かべながら、ファーリンの活躍を見ていた。
「兄さん、父さんは!?」
「知らないね」
それより、とグーハシュバルクはセピアに近づいた。
「背後の白い娘を寄越しな」
「ミムは、渡さない!」
セピアは、兄の狂気を感じ、剣を持ち直した。
「そんな目をした兄さんは、信用出来ない! ノア兄さんも、シィアーヌの邪気にあてられたの?」
グーハシュバルクは、クロスボウを取り出し、躊躇せずに、弟を射た。
セピアが胸を押さえて倒れる。ミムは抱え起こし、貫通した傷口にそっと青い光をあてた。
「ほう、治癒の術か。あると便利だな。ますますお前が欲しくなってきた」
下卑た口調で、グーハシュバルクはミムに近づく。
カツカツとブーツが、霜を踏み砕いた。
ミムの、渾身の後ろ回し蹴りが、グーハシュバルクを宙につき飛ばした。
ファーリンは、吹き飛ばされたグーハシュバルクに巻き込まれ、体勢を崩した。
バルドーとガイが息を合わせて、斬りかかる。
「やめてあげて! その子には、妹がいるのよ。脅されて私達を襲ったんだわ」
ミムは琴を抱えて、ファーリンを見た。
ぽろんと、風が弦を鳴らす。
「何がしたいの、シィアーヌ! 世界をおかしくして、皆の心身を痛めつけて……何が望みなの!」
ミムが天に向かって問う。セピアは兄に向かって叫んだ。
「兄さん……母さんが、故郷が……」
「知っている。俺が襲わせた。醜鬼族との取り決めを破らせて、な」
セピアは、ガラガラと世界が崩れたような気がした。襲わせた?……兄が?
全て、兄に仕組まれたことだったのか?
「父さんは?」
「殺した。次は、お前だ。そしてその白い娘を貰い受ける」
「させませんぞ!」
バルドーがセピア達とグーハシュバルクの間に割って入った。
ファーリンの相手はガイとムアルが務めている。
「そうか。じゃあ、死ね」
グーハシュバルクは、素早く間合いを詰めると、バルドーの額にぴたりと矢じりをあて、クロスボウで頭ごと吹き飛ばした。
流石にこれはミムでも治せない。
ミムはセピアの傷を治しながら、「何てことを!」と叫んだ。
「バルドー!」
「ガイ、よそ見は命とりよ!」
部下の元へ走ろうとするガイ。止めるムアル。襲い続けてくるファーリン。
ガイはファーリンの爪を押さえて、力任せに圧し折ろうとしたが、クロウランサー族の爪は鋼に例えられるほど硬い。
逆に投げられてしまった。地に仰向きに倒れたところで、喉を爪で貫かれそうになる。
樹精霊ティルカが、危うくガイの首を守った。植物がファーリンの爪に絡みついて、動きを封じる。
荒くれ者達の気配が近づいてきた。
グーハシュバルクとファーリンだけで襲ってきたのではなさそうだ。
「バリアーノが呼べれば、森ごと一網打尽なのに……!」
ムアルが唇を噛む。
シィアーヌの居城まで、もうそう遠くない。行きつけないのか、と皆が絶望的に思った時。
「おねいちゃんのとこへ、かえれー」
狐妖精アマランスが、精霊界から姿を現した。
ぽーいと、人質になっていた妹猫をファーリンに放り投げる。
「パリス、剣は返したからな」
放浪者が、精霊狐の王に、細長い布の包みを手渡した。
『生前の俺の愛剣か』
「しらねぇよ」
彼らの出現により、戦況は大きく変化していた。
ファーリンは戦意を失い、傷だらけの妹猫を舐めている。
荒くれ者達とグーハシュバルクは、ティルカの樹操作により、足元を束縛されて動けなくなっていた。
「下草の存在に気づくのが遅れたわね」
ムアルは自省する。
そして、精霊達の出現により、人間を狂わせていた狂気が、緩んでいた。
「このまま、シィアーヌの元へ行け」
放浪者は一行に言った。
「バルドー……」
もう二度と起きては来ない仲間を、皆、悼んだ。
ガイは涙を堪えて、彼の遺体にサーコートを被せた。




