第5話 食糧が尽きる日
《殺人事件の可能性がある?》
セシャトの質問に対して、霧矢は端末ごしにうなずいた。
「可能性が大きいか小さいかはともかく、その可能性はあると思う」
霧矢の深刻な声に、セシャトは嘆息した。
《だいぶ困ったことになったわね。死体捜索とどっちを優先するかなやましいわ》
「これはぼくの憶測なんだけど……検史官とアドバイザーも殺されたんじゃないの?」
《アマノとユウカを殺害した犯人に? しかもその犯人はエイリアンじゃなくて人間?》
霧矢はうなずいた。
が、それは端末越しにはわからない動作だと気づき、すぐにつけくわえた。
「うん……セシャトさんは、エイリアンのしわざだと思う?」
《現場検証をしてみないと、なんとも言えない。というか、キリヤくんはエイリアンの犯行をうたがってたんじゃないの? どうして急に否定的になったの?》
霧矢は事情を説明した。彼とトトは、事件現場のあとかたづけと称して、遊花と甘野のコンパートメントを念入りに調査した。血や肉片が飛び散っている箇所もあったが、こうなっては臆病になってはいられなかった。
そして、三つの重要なことを発見した。
ひとつめは、どちらの部屋にも出入り口はひとつしかないこと。入り口のドア以外に、人間が通れそうなスペースはなかった。天井に通気口が通っているらしかったが、その穴は鉄格子でしっかりとふさがれていた。霧矢とトトはそれをはずそうと試みたが、できなかった。それに、むりやりはずしたようなあともなかった。
ふたつめは、ドアがオートロックではないこと。内側からロックを自主的にかけないと、自動ドアのように勝手に開いてしまうことがわかった。その証拠に、霧矢とトトが遊花の部屋に入るときは、マザーの許可を再度取る必要はなかった。つまり、事件当時、遊花はドアを内側からロックしていたが、甘野はしていなかった、という事実を意味していた。
《となると、サクラさんの証言にはいちおう整合性があるわけか》
「だね。彼女は発砲音を聞いて甘野の部屋のようすを見に行ったら、勝手にドアが開いたって言ってる。甘野がドアを内側からロックしなかったのなら、そうなるよね。遊花さんがシャワーを浴びようとしていたのなら、内側からロックしたのは納得がいくよ。ただ、そうなると……」
《現場は密室ってことになるわね……で、みっつめは?》
「これが一番ぼくのなかで不思議なんだけど……シャワーはわざと冷水になってた」
《わざと?》
「シャワーは自動温度調節で、ふつうはお湯が出る仕組みなんだ。冷水に切り替えるときは温度設定をさげないといけないんだ。つまり……」
《つまり、エイリアンがわざわざ温度調整をしたとは考えにくい、ってことね?》
セシャトの解釈に、霧矢も同意した。
「だから、ぼくの意見を言わせてもらえば、これはエイリアンの襲撃にみせかけた殺人事件だよ。しかも密室殺人なんだ。甘野のほうは単なる事故死かもしれないけど、遊花さんのほうはそうだとは思えない……ところで、こっちとは合流できないの?」
《いろいろやってるんだけど、入り口は全部ロックされてるの。パスコードも通らない》
その情報に、霧矢はふと思い当たることがあった。
いちど、みまわりで行けるところまで行ってみようと思い、ラボを通り過ぎてさらにその奥へ足を運んだことがある。ところが、そこから百メートルもしないところでシャッターが降りており、そのシャッターがまったく開かないのだった。
霧矢は甲板の町並みを思い出した。あれはどう見ても、大きな街の一区画以上の広さがあった。機関部や電気系統がどうなっているのかは分からないが、船内の居住部分は、これまで見てきた面積よりも遥かに広いはずである。
「もしかして、茜さんはぼくたちの移動範囲を制限してる……?」
《茜さんが、どうかしたの?》
「うん、じつはさっき……」
霧矢は、マザーと茜とのやりとりを説明した。
すると、セシャトは大声で、
《中央制御されてるわけねッ! どうりで開かないわけだわッ!》
とさけんだ。
《霧矢くん、その茜さんが音声認識でロックをはずしてたのは、まちがいないのね?》
「うん……あ、待って、そのまえにパスワードを入力してた」
セシャトの舌打ちが聞こえた。
《2段階認証か……両方手に入らない?》
「音声はHISTORICAで録音できるけど、パスワードはさすがに……」
銃声。霧矢は通話を切って、ラボをとびだした。コックピットへもどる。
硝煙をくゆらせる銃を天井に向けた茜と、それを見守る乗組員たちの姿があった。
「茜さんッ! なにがあったんですッ!?」
「キリヤ! 気をつけてッ! アイツが出たッ!」
「アイツ?」
「エイリアンだッ!」
ところが、茜の必死の形相とはうらはらに、箕倉とドクターはしらけたような顔をしていた。霧矢は、茜に確認する。
「茜さん、エイリアンはどこにいるの?」
「あそこッ!」
霧矢は、茜が指差した天井の一角を見上げる。格子状の鉄棒をはめた通気口が、人間ひとり入れそうなほどの口を開けていた。
照明の角度のせいで、通気口のなかがどうなっているのかを伺い知ることはできない。ネズミが顔を出したとしても、注意深い人間だけが気づくであろう、そんな暗さである。
「……逃げたの?」
霧矢の声は、とうに興奮からさめきっていた。
「わたしが撃ったら、逃げていった」
茜の解説は、霧矢の疑念を晴らさなかった。
見間違えではないのか――他のメンバーも、内心そう疑っているように見えた。
「姿を見たの?」
「あ、頭部のでっぱりを……すこし」
「ほかに見たひとは?」
霧矢は箕倉、ドクター、トト、篤穂、サクラの順番に目をくばった。だれも答えない。それどころか、篤穂は「バカバカしい」と言わんばかりに、テーブルの席にのけぞっていた。
この霧矢の態度は、茜を傷つけたらしかった。
「……信じてくれない?」
「そ、そうじゃないけど……」
じぶんの台詞の白々しさに、霧矢はどぎまぎしてしまう。
「じゃあ物音は? 鳴き声とか? ……トトさん、なにか聞いた?」
「……いえ」
トトは首をふって答えた。
茜はどもり始める。
「ほ、ほんとうだ。音がしなかったのは、遠かったから」
茜の弁明は、その感情的な動揺を除けば、ある程度の説得力を持っていた。天井までは3メートル近くあり、この距離で物音が聞こえるかどうかは、あまり定かではない。それにエイリアンが鳴き声をあげるのかどうかも、霧矢は知らなかった。
それにもかかわらず、霧矢の中では、信頼よりも不信の方が優勢になりつつあった。
だが、ここはひとまず茜を落ち着かせることがたいせつだと考え、
「わかった……おたがいに気をつけよう……」
とフォローした。
茜はすこし気が楽になったらしく、うんうんと首をたてに2度ふった。
茜は銃を持ったまま、箕倉に話しかける。
「わたしはドクターと見回りにいく。食事をお願い」
茜はドクターといっしょに、コックピットを出て行った。
箕倉は、昼食とも朝食ともわからない食事の準備をはじめた。
篤穂は席を立つと、
「あのバカから銃はとりあげたほうがいいんじゃないの」
と言って、個室へもどろうとした。
サクラはそれをみて、
「て、手伝わなくていいんですか?」
とたずねた。
篤穂はうしろ髪をなでながら、
「キャプテンは箕倉を指名したんでしょ。それに、サクラ、あんたはわたしが頼んだ衣服のつくろい、さっさと終わらせといてね。着替えはないんだから」
と言って、個室に消えてしまった。
箕倉はキッチンで洗い物をしながら、
「いいですよ。衣食住の衣もだいじです」
とつぶやいた。サクラはしばらく迷ったらしかったが、個室にもどった。
霧矢はしばらくボーッと立っていたが、やがて箕倉のそばに歩み寄った。
ちょうど食料の箱を開けていた箕倉は、あまり感謝のこもっていない調子で、
「キリヤくん、手伝ってくれるんですか。ずいぶんと親切なんですね」
と言った。
「手持ち無沙汰だからね」
「動機はどうだっていいですよ。労働量の減り方は同じです」
食事の用意と言っても、極めて簡単なものだった。箱を開けて中から機内食のような安っぽいタッパーを取り出し、それを電気コンロにかけるだけである。
火の番はトトに任せて、霧矢と箕倉は、貯水タンクの水を汲み上げていた。ステンレス製の銀光りするコップに、オイルポンプのようなもので水を流し込むのだ。衛生的に大丈夫なのかと、霧矢はすこしばかり不安になる。さいわいなことに、油の皮膜は見当たらなかった。
2杯目に取りかかろうとしたとき、コップを持った箕倉が口をひらく。
「キリヤくん、通信機みたいなもので、だれかと連絡をとってますよね?」
ポンプを手放しそうになった霧矢は、あわてて柄の部分をにぎりなおした。
「そんなにおどろかなくても、いいじゃないですか」
箕倉は顔もあげずに、そうつぶやいた。
「あ、茜さんもこのことを?」
「彼女は知らないですよ。っていうか彼女じゃ気付きっこありません」
気付きっこないという言い回しに、霧矢はなんとなく納得した。
彼女にはあまり観察力があるように見えなかったからだ。
箕倉は、さらにセリフを継いだ。
「ねぇ、キリヤくんも、もう気づいてるんでしょう」
「……なにに?」
「茜さんが、ずいぶんニブいってことに、です」
茜が鈍いという指摘に、霧矢はとまどいを覚えた。
「そうかな、茜さんはキャプテンとして、よくやってると思うよ」
「茜さんなりによくやっている、というのは認めます。彼女は境界知能ですからね」
「ボーダー?」
「かろうじて知的障がいじゃないと認定される、そういうIQレベルってことです」
霧矢は、あやうくコップのひとつを落としそうになった。
箕倉は平然とつづけた。
「IQが七〇から八〇くらいのひとを言うんですがね……まあようするに平均よりだいぶ下なんですが、知的障がい者じゃないんです。それに、僕はそのことで茜さんをどうこういう気はありません。だいたいIQなんて人間の属性のひとつでしかないんです。ただ、彼女は純粋にちょっと足りてないんです」
この情報は、霧矢にとってはショックだった。
箕倉はそれを見透かしたように、
「ルッキズムの偏見ってありますよね」
とつぶやいた。
「ルッキズム?」
「見かけがなによりも優先、ってやつです」
霧矢は、茜に対して抱いた第一印象を、よくよく思い出してみた。
「……そうかもしれない」
「もし茜さんが冴えないおじさんだったら、あんなに優しく接してもらえませんよ。まあ僕くらいしかあいてにしないんじゃないですかね」
「まるで、じぶんだけは偏見をまぬがれてるみたいな言い方だね」
「イヤみに聞こえましたか? それはすみません」
ますます嫌みったらしいように、霧矢は感じた。
二杯目のコップがいっぱいになり、霧矢は手を休めた。
「箕倉くんは、ずいぶんと落ち着いてるんだね。遊花さんたちが死んだときも……」
「僕は気が強くないですからね。だからでしょう」
からかわれているのだろうか。霧矢には意味がわからなかった。
「どうかしましたか? ……ああ、僕が矛盾したことを言ってると思ってるんですね? 違いますよ。僕みたいなタイプは、こういう事態に直面すると、恐怖よりも諦めが先に来ちゃうんです。まあ、死んでも仕方ないかな、って。人間、死ぬときは、どこにいてもなにをしていても、死にますからね」
あまり好ましくない話題だと、霧矢は気まずくなった。
だが、そんなことは気にも留めず、箕倉はしゃべり続けた。
「遊花さんたちがだれに殺されたのかは、それは知りませんけどね、エイリアンだろうが、このなかのだれかだろうが、僕らを待っている運命よりは百倍マシですよ。そりゃあ、斬られたときは痛かったかもしれませんが、ドクターの話では、気をうしなってシャワールームに倒れこんでいたんでしょう? 苦しみもなにもありません」
箕倉の話に聞き入っていた霧矢は、ポンプに最後の余計なひと絞りを入れてしまい、コップから水があふれた。
「ご、ごめん」
「かまいません……最後の最後で、この一滴を後悔するかもしれないですけど」
「……最後の最後?」
箕倉は三杯目のコップを添え、水の出を待つ。
霧矢が作業を再開したところで、箕倉も話をもどした。
「餓死ですよ」
箕倉の言葉に、霧矢はハッとなった。船倉を一瞥する。
「まさか……食糧が……」
「ええ、そのまさかです。ここを見つけたとき、最初になにをしたと思います? もちろん、水と食糧の確保ですよ。それがないと死んじゃうんですからね。この倉庫はすぐに見つかりました。ところが、ほかの備蓄がさっぱり見当たらないんです。仕方ないので、マザーにそのことを尋ねました」
霧矢は、ごくりと唾を飲んだ。その先は分かり切っている。
箕倉は、確認のためだけに、言葉を紡ぐ。
「そしたらどうです。食べ物はここにしかないんですってね。まあ、水はシャワーや洗面所で調達できますけど、それも永久にあるのかどうか……というか、あの水を飲んでも大丈夫なのかどうかすら検証してないんです。いずれにせよ、ここの食糧が尽きたら、僕らはもう終わりなんです」
そこで、箕倉の話は終わった。
どう反応すればいいのか、霧矢には皆目見当がつかない──いや、本当は、質問すべきことに薄々カンづいているのだが、それを口に出すのがはばかられたのだ。
「……訊かないんですか? いったい、何日分の食糧があるのかって?」
「……何日分なの?」
箕倉ははじめて、霧矢の顔を見あげた。
「だれも知らないんですよ。怖くて、数えられないんです。死刑執行の日付を確認するようなもんですからね。教えてもらわないと不安になる。でも、じぶんからは訊けないんです」
霧矢は、頭のなかで計算を始めた。一箱にタッパーが五〇前後。それがこの居住スペースに……いくつあるのだろうか。一日二食と仮定して、一一人x二食=二二食。
つまり、二日に一箱のペースで消費することになる。
だとすれば……霧矢の脳は、考えることをやめた。
「で、でも、この船は楽園に向かっているんだろう? だったら、そのうち……」
箕倉は視線をコップにもどす。水があふれそうだ。
霧矢は蛇口をひねる手をとめ、箕倉がコップを交換した。
「楽園ですか……あるといいですね」
「船はあったんだ、楽園だって……」
「箱舟があるかどうかと、楽園があるかどうかは、べつの問題です」
「……どういう意味?」
「非常口が見つかったからって、その先が安全とは限らないってことですよ。火事をふりきったら、そこで強盗に遭うってこともありえるでしょう。そもそも、楽園ってなんなんですか? このようすだと、どこかの惑星なのかもしれないですね。そこに人間は住めるんですか? 大気は安定してるんですか? 人間が食べられるものはあるんですか? 凶暴な生物や、細菌、ウイルスはいないんですか? ……だれも知らないんです」
箕倉の言葉の説得力に、霧矢はなにも言い返せなかった。
「ねえ、キリヤ先輩、茜さんのこと、どう思います?」
どこかで聞いた台詞。
「なんというか……その……頼りないけど優しいひとだと思う」
「そうですかね。無知は無力を正当化しますか?」
評価のちゃぶ台返しの連続に、霧矢はついていけなくなった。
「そもそも僕たちは、なぜここにいるんですかね?」
「そ、それは……」
そういえば、なぜだろう? 霧矢は疑問に思った。
どうやって茜は、この方舟を見つけたのだろう?
霧矢が返事をするよりも早く、箕倉はじぶんで答えを言った。
「茜さんの妄想のせいですよ。茜さんは、地球が環境破壊で住めなくなると不安になって、キーテジ号をさがそうなんて言い出したんです。地球温暖化で人類が滅びるから、ほかの星に移住するつもりだったんですよ」
「妄想? ……でも、環境破壊が進んでるのは、事実だよね?」
霧矢はテレビや新聞で報道されていることを、いくつか挙げてみた。
「あんなのはインテリのヒマつぶしでしょう。ああいうエコロジストは、いつもひとの不安を煽るんですよね。お金になるのかな」
箕倉は、すこし興奮しているようだった。
だが、言葉のはしばしからそう感じられるだけで、声量はいつもの箕倉だった。
「茜さんはこう言ってました。世界は、人間も動物も住めなくなってしまうんだって。僕は訊きましたよ。なんでそう思うんですか、って。なんて答えたと思いますか。かわいそうなウミガメの写真を見たことがある、ですって。それが彼女の限界なんです。簡単な空想以上のことが考えられないんだ。ねぇ、キリヤくん、地球の温度なんて一定していないんですよ。きみなら知ってますよね、地理かなにかで習ったはずですから。もっと暑い時代もありました。白亜紀とか。人間は死ぬかもしれませんが、生物は死滅しませんよ。もしかすると彼女のなかでは、人間は地球ができたときからいることになってるのかな。聖書の物語みたいに」
自分たちを箱舟という牢獄に閉じ込めてしまった、茜の無知。
その無知に対して、箕倉は怒りよりも諦念の感情をあらわにしていた。
霧矢は、この押し問答に耐えきれなくなり、話題を変えた。
「そう言えば、どうやってこの船を見つけたの?」
「知りませんよ。茜さんに聞いてください、そんな不幸な発見のいきさつは」