第3話 銃声の恐怖
霧矢はテーブルに腰をおろし、ぼんやりと天井を眺めていた。左側にはトトが座り、HISTORICAを心配そうにみつめている。
「セシャトさんから連絡ないです……」
「トトさんは、それは仕舞っといて……」
霧矢もまた、ちはるのことが心配だった。しかし、このコックピットは、内緒話をするにはあまりにも狭すぎた。茜はサクラといっしょに、テーブルの反対側でなにか作業していた。箕倉はテーブルにつっぷしたまま昼寝をし、ドクターは猟銃の手入れをしていた。篤穂、遊花、甘野の三人は、それぞれの個室にもどって、出てこなかった。
霧矢は銃をあつかったことがない。だから、ドクターの作業が興味深く思えた。
1分ほど観察していると、ドクターと目があった。
ドクターはなぜか立ち上がり、こちらへ歩いてきた。
霧矢は気まずくなって、
「あ、すいません、じろじろ見ちゃって……」
と先手で謝った。
「キリヤくん、悪いが、見回りを受け持ってもらえんかね?」
ドクターは用事があって来たのだと、霧矢は理解した。
「見回り……ですか」
「わしと茜くんで定期的にやっていたんだが、ふたりはきつい」
霧矢は、銃のあつかいかたを知らない、と答えかけた。
だが、これは船内をうろつくチャンスだと気づいて、請け合った。
「わかりました……ひとりだと心細いので、トトさんといっしょに行きます」
ドクターは眉間にしわをよせた。
「女の子を巻き込むのはいかん」
「いえ、こうみえても、射撃の名手なんですよ……ね、トトさん?」
トトはきょとんとした。
霧矢は、彼女のわき腹をこっそりこづいた。
「あ、はい、アカデミーでは、射撃の訓練があります」
「アカデミー? 射撃の訓練? ……きみは警官か?」
「検史官です」
「なんだ、検死官か、そうなら先に言ってくれ。じゃあ、もう一丁用意しよう」
ドクターは霧矢とトトに、猟銃を一丁ずつ手渡した。
「これはどこにあったんですか?」
「奥の倉庫の箱に入っておった」
よくないな、と霧矢は思った。
キャラクターのあいだで抗争が起きたら、いくらでもひとを殺す方法がある。
さきほどは茜と篤穂の口論で済んだが、撃ち合いにならない保証はなかった。
「それじゃあ、あと5分で定時のみまわりだ。頼んだぞ」
霧矢とトトは、きっかり5分待って、コックピットを出た。
どこへ行こうかという話になり、ラボへと足を向けた。
とちゅうの廊下で、霧矢は現状整理をすることができた。
「検史官とアドバイザーが失踪したのは、どうも事実みたいだね」
「どうして分かるんですか?」
「検史官とアドバイザーの任務は、この物語をもとにもどすことだろう。でも、茜さんたちは、ほかに誰かに会ったような話をしなかった。つまり、検史官とアドバイザーは、登場人物にまだ会っていないんだよ」
トトはうなずいた。そして身震いした。
「ということは……エイリアンに殺されちゃったんでしょうか?」
どうだろうかと、霧矢は思った。
「これは個人的な意見なんだけど……エイリアンは、茜さんの妄想だと思う」
「どうしてですか? ラボに実物がありましたよ?」
「さっきの篤穂さんの説明、ぼくはすごく納得したんだよね。エイリアンはなにか食べないと、生きていけないはずだ、っていう。なのに食料が荒らされてる形跡がない」
トトは声を落として、とてつもなく不安そうに、
「もしも……もしも、ですよ……ひとの死体を食べてるとしたら……?」
とつぶやいた。
霧矢は一番触れて欲しくない可能性を指摘されて、顔をしかめた。
「だけど、それなら血だまりとか肉片が……いや、たしかにそうだね。さっきのは撤回するよ。予断はよくない。エイリアンはいるのかもしれない。だけど、検史官たちを殺した犯人が、事件をエイリアンのしわざにしようとしている可能性も、忘れちゃダメだと思う」
トトは納得したように、大きくうなずいた。
ラボに到着し、霧矢はなかを捜索する。
そこは、ふたつの実験用テーブルと、四つの大きな薬品棚のある部屋だった。
広さとしては、学校の教室ひとつ分くらいだろうか。ただ、白い光沢をはなつ壁のなめらかさは、最新のテクノロジーが使われていることを示唆していた。明かりの仕組みが謎なのだ。壁自体がぼんやりと光っているようにもみえた。
研究設備には、使い道の分かるものもあれば、見当のつかないものもあった。
霧矢はケガをしないように、なるべく器具にはさわらないようにした。
「……やっぱり血痕はない。エイリアンが歩き回った形跡もない」
「床がピカピカですね」
トトの疑問に、霧矢もふと妙な感じがした。
「たしかに、コックピットより綺麗な気がする……ん?」
ひとの声が聞こえる。霧矢とトトはテーブルのしたに隠れた。
すると、ラボのドアが開き、さきほどの声が大きくなった。
声の主は篤穂だった。
「だから、この宇宙船を地球へもどす方法を考えるのよ」
篤穂の声は、あきらかに怒気をふくんでいた。
そしてその言い方からして、相方がいることがわかった。
甘野だった。
「そうは言っても、コンピュータは茜の命令しか聞かないんだぞ」
「茜の命令すら聞かない、のまちがいでしょ」
篤穂は椅子を引いたらしい。ガタリと音がした。
霧矢は身をすくめ、もうすこし奥へ隠れた。
甘野のタメ息が聞こえる。
「あのマザーとかいうコンピュータ、いっそのこと壊すか」
「バカね、そんなことして船が動かなくなったらどうするの?」
「そうは言っても、元凶はマザーだろ。あいつが茜をキャプテンに指名したんだ」
指名した、という甘野のセリフに、霧矢は首をかしげた。
ふたりの会話は続く。
「そこはべつにいいのよ」
「……篤穂、あいつがキャプテンになるのイヤがってただろ」
「最初は、ね。今はむしろ好都合。めんどうな仕事はぜんぶあいつにやらせましょ。そのあいだに、あたしたちで船の航路を変えるの。地球から出発したんだもの。もどれないってことはないはずよ」
篤穂の言葉には、どこかじぶんを納得させようとしているところがあった。
すくなくとも、霧矢にはそう感じられた。
とはいえ、ふたりはアイデアに行き詰まったらしく、しばらく沈黙した。
「……ねぇ、茜が死んだら、この船は地球へもどると思う?」
甘野は絶句した。
霧矢のとなりでトトが悲鳴をあげそうになり、霧矢はあわてて口をおさえた。
「篤穂……まさかおまえ……」
「質問しただけよ……でも、緊急避難ってことばがあるし」
「殺人の誘いにはのらないぜ。ただのイジメとは、わけがちがう」
「そこだけイイ子になる意味、なにかあるの?」
甘野は返答しなかった。
「いずれにせよ、実質的なリーダーはあたしよ。そう約束したでしょ?」
「俺と篤穂と遊花のあいだでは、な」
「サクラと箕倉も、反対はしてないわ。はっきり反対したのはドクターだけ」
霧矢は、このメンバーの派閥をはっきりと理解した。
甘野は大きく息をつく。
「俺は殺人はごめんだ。帰還できても、その後の人生にダメージがデカすぎる」
「だれも話さないわよ」
「それが信用できないんだよ。脅迫されて生きるのはゴメンだ……そろそろ時間だぞ」
甘野はそう言って、移動をはじめた。
篤穂も立ち上がったようで、ふたりの足音が消える。
霧矢は殺していた息を再開し、深呼吸した。
トトはこわごわと、とびらのほうをのぞきこむ。
「……いまの、殺人の打ち合わせでしょうか」
「いや、最悪の手段として話しただけだと思うけど……」
ヴィーヴィー
バイブレーションの音。
霧矢はトトのほうに顔をむけた。
「セシャトさんからじゃない?」
トトは端末の画面をみて、顔を明るくした。
「セシャトさんからですッ! ……もしもし? はい、ふたりとも無事です。セシャトさん、よかったですぅ。ちはるちゃんも元気ですか? あ、はい、キリヤさんに?」
トトは霧矢に端末をさしだした。
「ぼくに? ……もしもし?」
《もしもし、キリヤくん?》
「うん、キリヤだよ。ちはるは無事?」
通話のむこうから、ちはるの威勢のいい声が聞こえた。
霧矢は安心して会話を続ける。
「セシャトさんたちは、今どこに?」
《学校の校庭》
「校庭?」
《『恋愛黙示録ラブマゲドン』の舞台は、電園町っていう山奥の田舎なの。この宇宙船は、その町のちかくに埋まっていたんでしょうね。全長は1キロほどってところかしら。大部分は山だけど、すみっこに小学校があったのよ。とっくに廃校になってるみたい》
「ってことは……セシャトさんたちは地上にいるの?」
《その言い方だと、キリヤくんたちは地下? とりあえず状況報告を》
霧矢は、ここまでの経緯と、出会ったキャラクターたちについて説明した。
《そっか……だいぶ偏っちゃったみたい》
「どういう意味?」
《あたしたちのほうは、収穫なし。地上にはだれもいないわ》
「無人ってこと?」
《地球人はいない、っていうのが正確ね。変な警備ロボが一体だけウロついてるけど》
「警備ロボ? ほんとにケガはないの?」
《河原をウロウロしてるだけ。襲ってくる気配はないのよね。それよりも、下へもどれないほうが問題。入り口は再発見したけど、ロックされてて開かないの》
霧矢は端末から耳をはなし、天をあおいだ。
「……困ったな、どうにかして合流できない?」
《合流するのがいいかどうか、わからないと思う……被害者は今のところいないのね?》
「さっき言ったとおり、検史官とアドバイザーらしいひとが、失踪してる」
《死体は?》
「出てない」
いったん沈黙が続いた。
《ほかのキャラから離れて、死体の捜索はできない?》
「ムリだよ」
そもそも死体を捜すという行為自体が、霧矢にとって忌避したい行動だった。
それともうひとつ、霧矢には不安材料があった。
「ぼくはこの『恋愛黙示録ラブマゲドン』ってゲームはプレイしたことがないんだ。前回の事件とちがって、キャラの相関関係もわかんないし、調べるのがすごくむずかしいよ」
《そっか……じゃあ、あたしが今から説明するわ》
セシャトは、このゲームに登場する人物を、ひとりひとり説明した。
まず、第一ヒロインの未羽茜。電園高校二年生。人類滅亡の危機が迫っているという妄想から、世紀末クラブという奇怪なサークルをたちあげた張本人だ。
次に、第二ヒロインの過田篤穂。電園高校二年生で、茜のクラスメイトだが、友人関係ではない。どちらかというと煙たがっている。
今居遊花は第三ヒロインで、茜や篤穂と同学年だ。甘野という、三年生の先輩が彼氏役だった。ヒロインに彼氏がいるというのもおかしな話だが、進行ルート次第では別れさせることができるらしかった。
箕倉は、世紀末クラブの副会長で、電園高校の一年生。恋愛ゲームによくいる、便利キャラのひとりだった。あれこれ情報をくれる立ち回りだ。そして最後に、攻略対象ではないが、世紀末クラブの三人目の会員である、サクラがいた。
霧矢は、セシャトの説明を聞き終えたあち、
「ドクターって知らない?」
とたずねた。
《ドクター?》
「うん、年配のお医者さんがいるんだけど……」
霧矢は容姿を説明した。が、セシャトは知らないと答えた。
《背景に移ってるモブキャラかしら?》
「さあ……いずれにせよ、メインキャラはこっちにそろって……」
そのとき、ラボのそとで破裂音がした。
セシャトのあわてた声が、HISTORICAから聞こえる。
《もしもし? 今なにか爆発しなかった? だいじょうぶ?》
「いや、ぼくたちは無事……」
霧矢がそう言いかけたとき、緊急地震速報のようなアラームが鳴った。
その音が意味するところを、霧矢は熟知していた。
「事件だッ!」
《キリヤくん、打ち合わせはまたあとで》
ラボを飛び出した霧矢は、ろうかの左右を確認する。
トトは端末をみながら、
「こ、この近くですッ!」
と叫んだ。
「方向は?」
「コックピットのほうですッ!」
霧矢は全力失踪した。トトもあとを追う。
コックピットにもどると、第八コンパートメントのまえに人だかりができている。
そのひとだかりの中央で、茜が声をふるわせていた。
「ど、ドクター、どうなんだ?」
箕倉が、茜の肩をひく。
「おちついてください……それにあの様子だと、もう死んでます」
「……ッ!」
ドクターが部屋から出てきた。
「ダメだ。亡くなっとる」
「……」
目を大きく見ひらいた茜は、へなへなとその場に腰を抜かした。
「そ、そんな……わたしのせいでひとが死んでしまった……」
静寂。
ただ、だれもが茜に同情しているようにはみえなかった。
霧矢が観察するかぎり、サクラは同情よりも怯えのほうが強く出ていた。
箕倉はさきほどから落ち着き払っているし、篤穂はやっかいなことになったという表情で、かるく爪を噛んでいた。遊花の死を心からじぶんのこととしてとらえているのは、茜と、もうひとりトトだけに思えた。
トトは制服のそでで目もとをぬぐいながら、
「キリヤさん、アマノさんがエイリアンに殺されちゃいましたよぉ」
と涙した。
ドクターが口をはさむ。
「待て待て、まだエイリアンの仕業と決まったわけでは……」
ドクターの説明をさえぎって、ふたたび警報音が鳴った。
霧矢とトトへ視線があつまる。篤穂はいまいましそうに、
「スマホはマナーモードにしときなさいッ!」
と命じた。
霧矢はわかったという態度でごまかし、それから、周囲をみた──遊花がいない。
霧矢はだれとはなしにたずねる。
「遊花さんは、どこに……?」
サクラが答えた。
「ゆ、遊花さんは、第七コンパートメントにいるはずです」
それは、ちょうど右どなりのドアだった。
茜はそれを聞き、ドアをたたく。
「遊花ッ! だいじょうぶッ!?」
茜の声に、ドアが口をひらいた。茜はすぐその中へと消え、みながあとに続く。
霧矢はその迂闊な行動を、一瞬にして後悔した。
「……手遅れじゃな」
ドクターは、シャワーを浴びながら血を流す裸の少女をみおろし、そうつぶやいた。