第8話 勇気ある戦い
霧矢はベッドに座り、今日のできごとを思い返していた。
ドアがノックされた。
「……だれ?」
「トトです」
霧矢はドアを開けた。
トトは、なんだかとてももうしわけなさそうな顔をして、
「あの……いっしょに寝ていただけませんか?」
とたずねた。
「男女でおなじ部屋に泊まるのはマズいよ」
「キリヤさんなら信用できます」
そういう問題ではないと、霧矢は思った。
「茜さんたちにみられると、変な誤解を受けるから……」
「この部屋、隠れる場所がぜんぜんなくて、怖いんです」
それはトトの言うとおりだった。セキュリティの問題なのか、それとも究極的な効率を求めたのか、室内には物陰というものがなかった。
霧矢はタメ息をつき、
「わかった。じゃあ、交互に見張りと休憩をしよう」
と提案した。
トトはうれしそうにほほえんで、室内に入った。
霧矢はHISTORICAを起動し、射撃モードにきりかえた。
液晶画面を押せば、いつでも催眠弾が撃てるようになった。
「ぼくが先に見張りをするよ。トトさんは先に寝て。三時間交代でいい?」
「あ、ダメですよ、じゃんけんで決めましょう」
正直なところ、トトに見張りをしてもらうのが、霧矢には不安だった。
しかし、一晩中起きているのはムリだと考えて、右手を出した。
じゃんけんの結果、けっきょく霧矢が先に見張りをすることになった。
「あ、そのまえに、ちょっとこれ見ていただけませんか?」
トトはHISTORICAを起動させた。
「さっき茜さんから、かわいい動画をもらったんです」
おいおいだじょうぶかと、霧矢はいぶかしんだ。
「それ、変なウイルスが入ってないよね?」
「だいじょうぶだと思います。HISTORICAのアプリはセキュリティ万全なので」
トトが言うと、どこか信用できな。霧矢はそう思った。
そんな霧矢をよそに、トトはひとつの動画を再生した。
原っぱのようなところで、茜と柴犬が並んで座っていた。
柴犬は茜の飼い犬らしく、とてもなついていた。
撮影者はわからなかった。スマホを固定しているわけでもないらしく、手振れが起きていた。
動画の右方向から、一本の腕が伸びた。
その手には木の枝がにぎられていた。その枝は宙にほうられ、すこし離れたところに落ちた。
霧矢は、次になにが起こるのかを予測してみた。
そして、それはうらぎられた。
〈わんわん〉
柴犬ではなく、茜がよつんばいで、木の枝をとりにいった。
それはぶかっこうで、犬のマネというよりはカエルが跳ねているようにみえた。
茜は木の枝を手でひろい、口にくわえると、ひょこひょこともどってきた。
男女の笑い声が聞こえる。
「これは地球の遊びなんですよね? ワンちゃんごっこですか?」
霧矢は言葉をうしなっていた。ハッと我にかえる。
とてつもない気まずさの中で、霧矢はとっさに答えた。
「あ、うん……そうだよ」
茜は枝を口からはなして、こんどは柴犬にむけた。
〈ほら、こんどはポチの番だぞ……それッ!〉
枝は、そこそこ遠くに落ちた。
柴犬は茜を心配そうにみるばかりで、動かなかった。
〈ほら、ポチの番だぞ。あれをくわえて持ってくるんだ〉
柴犬は動かなかった。クーンと悲しげな声をあげる。
動画はそこで終わっていた。
トトはアプリを終了させながら、
「ポチはどうして、茜さんのお願いを聞かなかったんですかね?」
と首をかしげた。
「……茜さんと離れるのが、イヤだったんじゃないか」
トトはいかにもうれしそうな納得顔で、
「あぁ、なるほどぉ」
と言い、HISTORICAをポケットにしまった。
それから起立して、
「それでは、トト・イブミナーブル、お先に就寝させていただきます」
と敬礼した。
「それはなに、エルフの風習?」
「アカデミーでは、夜勤の同僚に、こうやってあいさつしてから寝ます」
なるほど、どうりで妙に軍隊的なのだと、霧矢は思った。
トトはベッドにもぐりこみ、霧矢は壁を背に腰をおろした。
通気口から、わずかに風の流れる音が聞こえる。
霧矢はその換気音に乱れがないかどうか、じっと耳を澄ませていた。
「……キリヤさん、寝てます?」
「ん……いや、起きてるよ」
うつらうつらしていた霧矢は、かろうじて返事をした。
「トトさんこそ、どうしたの? 目が覚めた?」
「電灯がまぶしいです……」
そうか、と思い、霧矢は電気を消そうとした。
トトはそれをとめた。
「消すと怖いです」
霧矢はふたたび腰をおろした。
「……」
「……」
静かに時が流れる。
ただ夜を過ごすということに、霧矢は懐かしい感覚をおぼえた。
「……キリヤさん、ひとつ質問していいですか?」
「なにかひらめいた?」
「わたし、やっぱりこの仕事にむいてないんでしょうか?」
霧矢の答えは、瞬時にはじきだされた。
だがそれを口にするまでに、ゆるやかな時間が流れた。
「……むいてないと思う」
「……ですよね」
トトはそれを聞きたかっただけなのか、押し黙ってしまった。
霧矢はゆっくりと問いかける。
「トトさんは、自発的に検史官になったわけじゃないんだよね」
「はい」
「前の事件では、くわしく教えてもらえなかったけど……よければ」
プライバシーに踏み込んでいることは、霧矢にもわかっていた。
トトはすぐに答えず、小さく寝返りをうつ音が聞こえた。
「……女王さまの決定で、各部族から、必ず検史官を出すことになったんです」
「部族?」
「イブミナーブルっていうのは、キリヤさんみたいなファミリーネームじゃないんです。おなじエルフの種族をあらわす部族名で……古エルフ語では、森の裁縫屋さん、という意味らしいです」
「じゃあ、一族からきみが代表で選ばれたってこと?」
「はい」
「……失礼な質問かもしれないけど、どうしてトトさんが選ばれたの?」
くじ引きで決まったとか、そのあたりではないかな、と霧矢は考えていた。
あるいは、トトの両親が部族の有力者だとか、そういう理由だと。
「笑わないでくれますか?」
「笑わないよ」
「わたし、イブミナーブルの森のなかでは、運動神経抜群で、頭もいいほうなんです」
霧矢は笑わなかった。
だが、それとはべつのなにか、複雑な感情がわき起こった。
その感情をうまくほどけるほど、霧矢はまだ人生というものがよくわからなかった。
「……そうなんだ」
霧矢はさきほどまで、言おうかどうか迷っていることがあった。
そこまで向いていないなら、もう辞めたほうがいいんじゃないかな――このひとことを、これまで霧矢が言わなかったのは、お節介だと思ったからだ。しかし、トトの話を聞いて、霧矢は別の理由から、これを口にできなくなっていた。
「トトさんは、仲間のためにがんばってるんだね」
「キリヤさんは、だれかのためにがんばってますか?」
その問いに、霧矢は答えにくさをおぼえた。
「……ないかな。トトさんがぼくの世界に、どこまでくわしいか知らないけど、ぼくが住んでる日本では、日本人だからこうしないといけないとか、霧矢っていう家に生まれたからこうしないといけないとか、そういうのはもうないんだよね。父さんはふつうのサラリーマンで、母さんは塾講師なんだけど、べつにサラリーマンや塾講師になる義務なんかないし……まあ、言ってみれば、目的地のないドライブだよね」
「うらやましいです」
そうだろうかと、霧矢は思った。
ひとは目的地を求める。じぶんで決めた目的地は、時として無謀であり、滑稽なものになるのではないかと、霧矢は感じていた。キーテジ号のキャプテン、未羽茜は、世界を救おうとしている。彼女に道化的なところがあるのは、そのせいではないだろうか。彼女の実力と、世界の救済という野望とのあいだの、あまりにも大きな乖離。風車に立ち向かうドン・キホーテには、まだどこか儚げなところがある。だが、彼女の場合は――
霧矢はいつの間にか、深い眠りについていた。




