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入国管理官というからヴィスはてっきり、体格のがっちりした男がやってくるのかと思っていた。しかし、いま目の前にいるのは小柄な女性だった。
華奢な体を隠すためか、それとも、それより小さなサイズがないためか、彼女は少し大きめの制服を着ていた。リスのような黒目がちの瞳をときどき細め、きれいに並んだ白い歯をみせながら、彼女は微笑んだ。後ろで束ねた栗色の髪が微笑むたびに尻尾のように揺れていた。
「切符とパスポートを拝見します。お持ちの方は、ビザも提出してください」
ヴィスはしばらく、ぼんやりと入国管理官を見ていた。間の抜けた顔で口は開きっぱなしだ。困惑した管理官がもういちど同じ台詞を言うと、我にかえったヴィスはあわてて、トランクの中をかき回し、コートのポケットをひっくり返した。
「あの、そんなにあわてなくても大丈夫ですよ、ミスター」
「クロット。ヴィス・クロットです」
ヴィスは切符とパスポートを差し出し、握手を求めた。
「ど、どうも」
勢いに呑まれた管理官が、さわやかな笑顔をやや引きつらせながら握手する。
「あの、クロットさん」
「はい?」
「手を放してもらってもいいですか? これから入国の手続きをしますので」
「ああ、失礼」
ヴィスは手を放し、何事もなかったかのように、行儀よく座席についた。管理官は、誰にも聞こえないくらいの小さなため息を一つだけ漏らし、パスポートの内容を確認した。
「中央ケーナバルト駅まで行かれるのですね? ケーナバルトへはなにをしに行かれるのですか?」
「旅行です」
ヴィスはにこやかに答えた。トリアのレーザーのような視線が体に突き刺さるのを感じながら、言葉を続けた。
「リーデリア湖の夕日は世界一だということ聞いたので、これは是非見に行かなければと思いましてね。モント・レイメント山も是非見てみたい! そうだ、もしよろしければ――」
「よい旅になると、よろしいですね」
ヴィスのあとに続く言葉を容易に想像した管理官は、あっというまに処理を終わらせ、パスポートを返すと、最高の笑顔で言葉をさえぎった。ヴィスはその笑顔に見とれ、「ありがとう」と笑い返した。
それに比べて、トリアの入国審査は一瞬だった。
トリアはすでに用意してあった切符とパスポートの必要なページを開き、そして一番上に一枚の書類を乗せて、管理官に手渡した。
管理官はその書類を見るなり、パスポート一式を返却し、顔色を変え、敬礼をした。
「失礼いたしました。トリア・ラ・ミレッド大使。お会いできて光栄です」
トリアは軽く会釈をし、求められた握手に応じた。
「大使? こいつが?」
ヴィスが怪訝な顔つきでトリアを指さした。その軽薄な態度に、管理官は整った眉をひそめた。
「大使、こちらはお連れの方ですか?」
トリアは静かに首をふった。
「いいえ、偶然、乗り合わせただけです。彼は、私とはなんの関係もありませんよ。ねえ、ヴィス。いうなれば、旅先での出会いですかね」
なんだか冷たい言い方だが、間違いではないので、ヴィスはうなずいた。
「では、あなたはこの方が誰だか知らないのですね?」
「知らない」
ヴィスは素直に答えた。ちょっと金持ちの電気仕掛けじゃないのか。
「この方は、エレクトリア・アンペールの最高評議会から全権を委任された特命全権大使ですよ」
「なんだって?」
ヴィスは驚きのあまりトリアを見た。トリアは小さくうなずき、涼しい顔で笑っていた。
特命全権大使。
なるほど、どおりで金を持ってるはずだ。
ヴィスは食堂車でのことを思い出しながら、ひとりで納得した。
こんなことなら、もっと、おごってもらえばよかった。
「大使、どうか一等客車のほうに、お移りください。車掌に言ってすぐにお部屋を用意させます」
管理官はトリアに席を移るよう勧めたが、特命全権大使は首を横にふった。
「そんな! このような狭い二等客車で大使をお迎えしたと知られれば、わが国の恥となります。どうか一等客車のほうにお越しください。なにもわざわざこのような薄暗い部屋におられなくとも、よろしいでしょう」
管理官は、狭くて薄暗い二等客車の席を確保するのに苦労したヴィスの目の前で、説得をしばらく続けたが、トリアは首を立てに振らなかった。
ヴィスはそのつまらないやりとりを、十分ほど黙ってみていた。
そういえば、トリアはどうして二等客車で移動しているのだろう? べつに金に困ってるわけでもなさそうだし、大使なら、大使らしくすればいいのに。
どうもエレクトオートのすることは、よくわからない。
「移動してあげればいいじゃないか? 理由もなく断ってたって、その人が困るだけだろう」
お互いに引かない二人を見て、ヴィスがとうとう口をはさんだ。援護された管理官は顔を輝かせ、力強くうなずいている。
「ですが……」
トリアがまだ抵抗しようとしているのを見て、ヴィスは詰めよった。はっきりしない奴は嫌いだ。
「だから、一等客車に行かない理由を言え!」
トリアは観念したのか、長いため息をついた後、管理官に向けていった。
「私はエレクトオートなので、疲労することがありません。また、眠ることもない。ですから、一等客車のような豪華な調度品の並べられた個室を用意していただいても、私にとっては二等客車となんら変わらないのです。私たちは非効率的なことを好みません。一等客車は、その豪華な調度品や、サービスを求めている人が乗ればいいと考えます。私は二等客車の堅い席に一日中、腰掛けていても、苦痛を感じませんので、移動を目的としているこの場合、二等客車に乗るほうが効率がいいと言えます」
「は、はあ……」
管理官は息継ぎのない説明に、面食らった。あきらかに怖がっている。ヴィスはトリアに噛みついた。
「この、生麦生米生卵!」
「……ずいぶん、オリジナリティに富んだ罵り方ですね」
冷静に、トリアが指摘する。
「うるさい! そんなことはどうでもいい。お前の言い分はわかったよ。でも、管理官の立場はどうなるんだ? 国賓として迎えようとしている管理官の好意を、お前は効率って言葉で片づけるのか? そんなに効率を考えるんなら、お前は貨物車輛で十分だ!」
「か、貨物車輛。私にだって、一応、人としての尊厳が……」
「だったら、四の五の言ってないで、さっさと一等客車に乗ればいいだろう。お前にとって、このやりとりは、非効率的じゃないのか?」
たしかに非効率的だ。トリアもそのことに気づいているようだった。だから、それ以上はなんの反論もしなかった。トリアは黙ってうなずくと一等客車に移ることを了承した。だが、あいにく客車は満室だったため、部屋の調整(つまり、一等客車の誰かを説得して二等客車に追い出す作業)に時間がかかり、結局、列車の出発は三十分遅れることになった。
部屋の準備ができるまで、トリアはヴィスを誘い、長いプラットホームに降りた。
駅以外には、本当になにもない荒野だった。ほかに見えるものはといえば、今来た道と、これから進む道だけだった。どちらも地平線に消え、その先は見えない。
ヴィスの吐く息が、煙草の煙のように長くのびた。
となりに立つトリアは、その宙に消えていく息を不思議そうに眺めながら口を開いた。
「さきほどは、ありがとうございました」
「うん?」
突然、感謝されたヴィスは、トリアのほうに向き直り聞き返した。
「あれ以上長引いていたら、出発するのがもっと遅れたでしょう。あなたを含め、大勢の乗客の時間をロスしてしまいましたが、被害を軽減することができました。あなたのおかげです」
「言ったろ、時間に弄ばれる相、大きな女難の相だって」
「なるほど……たしかにそうですね」
トリアは力なく笑いかけた。たしかに占いの結果にでていた。
「落ち込んでるのか? 電気仕掛けなのに?」
「いえ、べつに」
うそぶいて肩をすくめるトリアの背中を、ヴィスは思い切り叩いた。
「気にするな。遅れたって列車は着くんだ。何の問題もない」
「そうですね……そうかもしれない」
トリアはうなずき、力いっぱいヴィスの背中を叩き返した。
「げほ、な、なにするんだ」
「元気がでたので、お返しです」
トリアは白い歯を見せて笑った。つられてヴィスも笑い出した。
「あなたは本当におもしろい人です。短気で、自分勝手で、まさに直情径行だけど、でも、まわりにいる人を不幸にしない……ケーナバルトには、まず、あなたのような人はいません」
「それは、一応、褒めてるんだよな?」
トリアはうなずき、地平線のむこうに広がるケーナバルトを見ながら、いった。
「ケーナバルトは、トリチウム電池の生産ラインを確立することで、世界的な富を手に入れたと言っていいでしょう。その点において、リューベル・ケーナバルト二世の手腕はたいしたものだと思います……ですが、あの国の成長はあまりにも早すぎて、民衆はついていくのに精一杯です」
トリアは唇を噛み、顔を歪めた。エレクトリア・アンペールの大使は、ケーナバルトの国政を憂いているようだった。
ヴィスは、トリアの横顔を黙って見ていた。
トリアはそれに気づき、振りむくとヴィスの目を見てきた。黒い真珠のような瞳がヴィスを呑みこんだ。
「あなたがどのような目的でケーナバルトに行くのかわかりません……ですから、細かなアドバイスをすることはできませんが、ひとつだけ言っておきます。引き返すのなら、ここが最後のチャンスです」
「……」
ヴィスはなにも言わなかった。あるいはトリアのアドバイスに従い、ここで引き返すほうが賢明のかもしれない。あきらかに彼はなにかを知っている。だが、それではケーナバルト二世の凶相は回避できないだろう。もしくは、大使である彼に、いきさつを話し、助けを求めるほうがいいのかもしれない。しかし、トリアの見透かすような瞳に、どこか不安を感じた。
そう、トリアはなぜ、オレの旅の目的を探り出そうとするのか。
「その顔は、引き返す顔ではありませんね」
トリアは少し悲しげな表情で、苦笑した。
ヴィスは真摯な顔つきで、強くうなずいた。
「わるいな」
「わるくなどありません。私はただ、あなたの身を心配しているだけです」
一等客車から、入国管理官が駆け寄ってきた。
どうやら、誰かを二等客車に追い出し、部屋の用意ができたようだった。
「ここで、お別れですね」
トリアがヴィスに手を差し出した。
「これで、ギア音を聞かずにゆっくり寝れる」
ヴィスは精一杯の皮肉をいい、握手に応じた。
ふたりは一等客車と二等客車にわかれ、それぞれの客室にもどった。
発車のベルが鳴り響き、列車は一路、中央ケーナバルト駅へとむかった。




