18
ヴィスはトリアの部屋の前までいき、ドアをノックしたが、何の反応もなかった。
「入れちがいになったかな?」
一人でつぶやいた後、すぐに首を振った。
フロントからトリアの部屋までは、入れ違いになるような通路がない。ヴィスはもう一度ノックし、ドアノブをまわした。すると、鍵がかかっていなかったらしく、ドアは簡単に開いた。
部屋の中は薄暗かった。ヴィスは暖炉から漏れるかすかな明かりをたよりに、部屋のなかに進み、電灯のスイッチを入れた。
「なっ」
目の前の光景に、驚愕した。
部屋の中央にあるソファーの近くで、トリアは仰向けに倒れていた。シャツが引き裂かれ、白い腹部が開かれた状態で停止していた。なかをのぞきこむと、トリチウム電池が抜き取られ、ギアも細いピストンも動いていなかった。
「トリア!」
ヴィスは駆けより大声で呼びかけたが、トリアは反応しなかった。
「くそ!」
部屋を見回し、ヴィスはトリアのアタッシュケースを探した。あのなかにトリチウム電池があるはずだ。だが、アタッシュケースが見当たらない。ヴィスは舌打ちしながら、ほかの部屋も探してみたが、どこにも見当たらなかった。
襲った奴が持っていったのだろうか?
ヴィスはトリアのところにもどり、考えた。
とにかく電池だ。電池をなんとかしないと。
すべての表情を消失させ、目を閉じているトリアを見て、ヴィスは焦りを感じた。
この状態は眠っているのか、それとも、死んでいるのか。
ヴィスは昼にもらったトリチウム電池を思いだし、あわててコートのポケットから取り出した。使用後の電池だから、もう使い物にならないかもしれなかったが、それでもヴィスは、真鍮色のトリチウム電池を慎重に嵌めこみ、腹部を静かに閉じてみた。
静寂。
トリアは目を閉じたまま動かない。
「ダメか……」
あきらめかけたとき、聞き覚えのあるギア音が鳴り出した。
カチカチ……ギギギ、ウィーン。
しばらくギア音が鳴り響いたあと、トリアは静かに目を開いた。
「ヴィス……おはようございます」
「おはようじゃない! 一体どうしたんだ!?」
ヴィスの質問にトリアは半身を起こし、二度、瞬きをした。
「よくわかりませんが、後頭部に衝撃を受けたようです」
「よくわからない? 怪しい人影とか、気配とか、感じなかったのか?」
「ソファーで書類を読んでいたら、ドアの開く音がして、振り向いたら、後頭部に衝撃が走りました――おや?」
トリアはいろんな間接部分を動かしながら、首をかしげた。
「おかしいですね。電池の残量が少ない。予想よりもずいぶん減りが早いですね」
「いま入れてるのは、オレが昼にもらった電池だよ。もともと入れてた電池は誰かが抜き取っていった」
「なるほど……では、すいませんが、テーブルの上に置いているアタッシュケースを取ってもらえませんか? そこに電池が入っているので」
「そいつも、なくなってるみたいだ」
ヴィスは短く答え、フラフラと立ち上がったトリアに肩を貸し、中央のソファーに座らせた。そして、そこで妙な違和感をおぼえた。
この部屋は、なにかおかしい。
ヴィスは、あらためてまわりを見回した。物取りのように引っ掻き回したようすはないが、この部屋はあきらかに、なにかが不自然だった。そういえば、入ったときからなにかが変だった。思い出せ、なにがおかしかった?
ヴィスは唇に指を当て、入ったときのことを思い出した。
薄暗い部屋。
かすかに部屋のようすが見えて……。
ヴィスは電撃が走ったように目を見開いた。
「お前、暖炉の火をつけたか!?」
「いえ」
トリアの言葉にヴィスは反射的に反応し、暖炉に駆けよった。
どうして、エレクトオートの部屋に暖炉の火が必要なんだ。
ヴィスは火掻き棒を掴み、暖炉の薪をかき回した。予想通り、薪の下で灰に埋もれたアタッシュケースがくすぶっていた。ヴィスは火掻き棒をアタッシュケースの取っ手に引っ掛け、引っ張り出した。
「ヴィス、離れたほうがいいですよ。トリチウム電池は516℃を超えると、破裂しますから」
ソファーから立ち上がったトリアは、ヴィスの足元で煙を上げているアタッシュケースを拾い上げ、ヴィスから遠ざけながら中身を確認した。端の焦げ始めた書類を確認し、焦げたトリチウム電池を確認した。
「熱くないのか?」
ヴィスが訊ねると、トリアはうなずいた。
「ええ、そういう感覚はありませんから」
トリアは電池が破裂しないことを確認した後、カバンごとテーブルの上に置き、フラフラとした体を投げ出すように、ソファーに倒れこんだ。
「どうやら、いくつか書類が抜き取られているようです。その事実を隠すためにおそらく暖炉に放り込んだのでしょう。もしかしたら、電池の破裂を利用して、部屋ごと火に包むつもりだったのかもしれません」
「誰がそんなことを?」
ヴィスの質問にトリアは首をふり、肩をすくめた。
「具体的に誰かはわかりませんが、工場見学をされると困る人物でしょうね」
「どうして、工場見学をされると困るんだ?」
「そこに不正があるからです」
トリアは淡々と答えた。
「不正?」
ヴィスは突然の言葉に耳を疑った。トリアは天井を見つめたまま、話しだした。
「引き算が合わないんです。仕入れている原材料に対して、生産している電池の数があまりにも少ない。一体、あまった原材料はどうしているのでしょう?」
「単に効率が悪いだけじゃないのか?」
「かもしれません……ですから、それをあきらかにするため、私は視察に来たのです」
そして、トリアは襲撃にあった。
ヴィスもキナ臭いと思った。
「なんだか、とんでもないことになってきたな」
「そうですね。巻きこんでしまって、申し訳ありません」
トリアは身を起こし、頭を下げた。それを見て、ヴィスは苦笑した。
「お前が悪いわけじゃないだろう。不正を暴けばいいだけのことさ」
「でも、あなたに被害が及ぶかもしれない」
「まあ、そのときは、そのときだ。ケーナバルト二世に会うまで、オレはお前の従者を務めるぞ」
「……ありがとう」
トリアは微笑みながら、立ち上がった。
「では、行きましょうか」
「行くって、どこへ?」
ふらついているトリアを心配しながら、ヴィスが訊ねた。
「夕飯をご一緒する約束でした。毒茄子の講義をお聞きしないと」
「いや、お前、それどころじゃないだろう……もっとほかになにかするべきことがあるんじゃないか?」
「起きてしまったことに対しての対処は終わりました。ほかにすることはありませんから、当初の目的を達成するべきです。それに電池も買いに行きたいですし」
「……だったら、オレの服を貸してやるよ。その格好はあんまりだ」
ズタズタに引き裂かれたシャツを見て、トリアはうなずいた。
「でも、サイズが合うでしょうか? あなたのサイズに合わせているのなら、少し小さいかもしれません。おかしな格好にならないでしょうか?」
妙なところは心配するんだな。
ヴィスは思った。
ふたりは電池を買い求め、毒茄子料理を食べたあと、――トリアの服を買いに行った。
やっぱりヴィスの上着は、少し丈が短かった。