第0話
――これは、簡単なトロッコ問題だ。
片方には他人の命。
もう片方には、私の命。
普通なら悩むまでもない。
……いや、違う。
私にとっては最初から答えなんて決まっている。
私は人でなしだ。
たった一つの誓いのために、恩人の女の子になりすまし、死罪から逃れている咎人だ。
そんな私が、赤の他人の命を気にする?
そんな道徳心、あるはずがない。
何百万人が死のうが、関係ない。
――そう、思っていたのに。
「蒼! 北側を食い止めて!!」
気付けば、叫んでいた。
反射だった。
理屈も、打算も、何もない。
ただ、喉から勝手に言葉が飛び出した。
「蒼! 早く!」
ここは山頂。
東西に延びる尾根が、この地を二つに分断している。
けれど、そこにレールなんてものはない。
あるのは――足跡一つない白雪。
その下に広がる針葉樹林。
さらにその先に、途切れた鉄のレール。
でも。
そんな景色は、もう意味を持たない。
すべてが、塗り潰されていく。
青白い、あの世の化け物どもに。
トロッコなんて比じゃない。
速さも、重さも、規模も。
ブレーキなんて概念すら持たない“災害”。
「一ヶ所に集まれ!!」
山頂には、人がいる。
三十六人。
見た目は私と同じ高校生。
けれど中身は違う。
あの世の化け物を狩る者――霊滅士。
……の、はずだった。
だが。
誰一人、動かない。
呼吸すら忘れたみたいに、立ち尽くしている。
武器を握る者もいない。
ただ震えているだけ。
それが現実だった。
「蒼!」
三度目の叫び。
――おかしい。
分かってる。
蒼とは昨日会ったばかりだ。
赤の他人だ。
そんな相手に助けを求めるなんて、どうかしている。
ましてや。
名も知らない連中や、遠くの街の何百万もの人間を守るために戦う?
そんなの――
咎人のやることじゃない。
神様だって笑う。
きっと、鼻で。
それでも。
「蒼! あんたは戦えるでしょ!?」
止まらない。
言葉が、勝手に溢れてくる。
「昨日、メギドレイの一撃を受け止めたあんたなら!!」
あの怪物。
最強最悪の霊獣。
世界中の霊滅士が束になっても敵わない存在。
その一撃を、蒼は受け止めていた。
なのに。
「……私のせいだ」
蒼は、戦わない。
しゃがみ込み、頭を抱え、涙を零すだけ。
子供みたいに。
いや、実際に子供なのかもしれない。
結局。
武器を持っているのは――私だけ。
「……ずるい」
思わず、零れた。
あの子には力がある。
なのに逃げている。
私は違う。
力もある。
戦う意思もある。
霊滅士なんかより、ずっと強い。
あの津波みたいな化け物だって、全部殺せる。
――一人なら。
そう。
一人なら、勝てる。
でも。
守りながら戦う?
そんなの無理に決まってる。
他人は枷だ。
視界を遮り、刃を鈍らせる。
乱戦になれば――
誰が誰を殺したかなんて分からない。
「どうしてよ……」
胸が、痛い。
締め付けられる。
強く、深く。
握り潰されるみたいに。
歯を食いしばっても、消えない。
逃げたい。
全部投げ出したい。
でも――時間がない。
「灼焼煉火!!」
炎が、爆ぜる。
私は刀を振り上げ、空へ跳んだ。
その瞬間。
全身が、震えた。
――来る。
青白い波。
獣の群れ。
山を飲み込む、死の奔流。
頂上に届く、その直前。
私は、迷わなかった。
「弐式――日輪!!」
振り下ろす。
世界が、燃えた。
山全体が業火に包まれる。
押し寄せていた青白い津波を、力でねじ伏せる。
斜面を、麓を、一瞬で焼き払う。
――けれど。
「……なんで」
その炎は。
赤じゃなかった。
青白い化け物たちよりも、なお濃い――
深い、青だった。




