第九話 別れのとき
「そうよ! 霧生院家当主……暁生様のお父様は、私が見合い相手だと知っているはず! 当主様のご判断もなしに私以外と婚約だなんて、そんな勝手、当主様だって納得しないはずだわ!」
結月はハッとした。
紗和が主張した通りだ。
見合い相手のおおよその情報は事前に知れ渡っているはず。
それがいきなり別人、しかも銀色の髪の巫女を連れて帰ってきただなんて、暁生だって霧生院家から非難されてしまうかもしれない。
不安に駆られた結月は思わず暁生から視線を逸らし、表情をわずかに曇らせる。
「その当主が、結月と婚約すると言っているんだ」
耳を疑った結月は驚き、勢いよく彼の顔を見上げた。
とても凛々しくて綺麗な横顔がそこにあった。
紗和を見据える黒い瞳は力強く輝いていて、何の迷いも感じられない。
そして、暁生の言葉が飲み込めていないのは紗和たちも同じようだった。
何かの冗談か、聞き間違いかと困惑した様子で顔を見合わせている。
ざわつく庭園を静めたのは、藤仁だった。
眼鏡を押し上げ、その場を制するように暁生たちの前で姿勢よく立つと、紗和たちに向かい重々しく口を開いた。
「本日をもって、暁生様が霧生院家の正式な当主となられました。霧生院家のしきたりにより、婚約を結んだ時点で次期当主は現当主へと引き継がれます。もちろん、暁生様のお父様もそのおつもりで本日を迎えております。つまり暁生様の発言は、霧生院家当主の発言と同義なのです」
ゆっくりと淡々に告げると、そのまま暁生の方へと身体を返し、左手を胸に添え敬礼をした。
「……そんな、ことって……」
紗和の全身から力が抜けていく。
もはやこの二人の婚約を阻止する術は見当たらないと、抑えきれない絶望を滲み出しながら紗和は天を仰いだ。
紗和の惨めな姿を見ても、結月の心は何も満たされはしなかった。
虐げられた過去が消えるわけでもないし、この状況を喜んでいるわけでもない。
昔の自分を見ているような気がして、ただ同情をするだけだった。
浮かない顔をしている結月の肩を抱き寄せた暁生は、静かに頷いて正門へと足を運んでいく。
暁生とともに歩き出した結月だったが、途中足を止め、紗和たちの方へと振り返る。
「お世話になりました」
腰を折り、ただ一言、呟くように言った台詞が紗和たちに聞こえたのかは定かではない。
結月の脳裏に浮かんだ言葉はこれだけだった。
紫明野家との別れの言葉に「ありがとうございました」は、あまりにも偽善的すぎる。
かと言って、黙って出ていくのも気が引けた。
両親が亡くなってからも、すぐには追い出さずここまで面倒を見てくれたことへの感謝。
そして、両親と過ごした御屋敷とも今日で最後という思い。
自分の中の思い出や誇りを尊厳しつつ過去と決別し、けじめをつけるために最小限の礼儀を尽くした言葉だった。
立ち去っていく結月たちを、もう誰も引き止めはしなかった。