第八話 暁生の誓い
「さすが暁生様、結月の秘めていた才能をお見抜きになられたのですね!」
顔を上げた母の顔は、欲と野心で溢れたなんとも醜いものだった。
「結月も紫明野家を代表する素晴らしい巫女の一人です! 髪色は異端ですが、ご覧いただいた通り、巫女としての力は紗和以上! 暁生様のお眼鏡にかなうなんて、結月も喜んでいるでしょう!」
「……お母様!? あの忌み子を差し出すつもり!? 私はどうなるの!?」
血眼になっている母の訴えを、紗和は怒りと焦りの入り混じった声で遮った。
「あんな銀髪より、私のほうが……!」
「紗和! あなたも紫明野家を思うのなら、大人になりなさい!」
激昂する娘を叱責する母。
人間の欲が渦巻く醜い光景を、暁生は呆れたように眺めていた。
──そういうことか。
母はただ名誉のため。娘は己の欲のため。
初めて式神を飛ばした時、なぜ結月が辺鄙な物置小屋にいたのか。なぜ頭を布で隠していたのか。
見合いの時、なぜ『銀髪の巫女はいない』と答えたのか。
すべてが腑に落ちた。
彼女はずっとこの家で疎まれ、隠されていたのだ。
「お前たち、もう止めろ。それ以上の醜態を晒すな。それとも、紫明野家の名を地に落としたいのか?」
暁生が二人に向けた視線はあやかしを見るように軽蔑で、失望したかのように冷たかった。
あまりの威圧感に紗和と母は次第に口を噤む。
それでも母はせめてもと、恐る恐る暁生に頭を下げた。
「申し訳ございません。結月は土蜘蛛に両親を殺されて以来、心を病んで閉ざしてしまい、人前に出れる状態ではございませんでした。しかし霧生院家に嫁いだ際には、それも回復なさるでしょう」
声と肩をわずかに震わせて懇願する母の姿は結月を思う気持ちからではなく、嘘と打算であると暁生はすでに見抜いている。
彼の眉間にしわが寄り出す。
「私からも醜態を晒してしまい、お詫び申し上げます! 結月義姉様も霧生院家に嫁ぐことで更に巫女としての才能を開花させるはずです! なのでどうか、紫明野家に寛大なご配慮を……!」
紗和は手のひらを返すように頭を下げたが、母同様、決して反省から来ているわけではないと暁生は確信している。
彼女は、霧生院家の誰かと縁を結べればいいのだ。
『暁生』個人ではない。『名門・霧生院家』と結婚できるなら、どうせそれで満足なのだろう。
──なんて切り替えの早い。
親子揃って、自己中心的な思考回路。
霧生院家も結月も、自分たちを飾りたてるための道具としか見ていないようだ。
暁生は低く、重い声で告げる。
「結月はもうこの家の娘ではない。絶縁状を出したのはお前たちだろう? 俺からしても、お前たちは赤の他人ということだ。これ以降、紫明野家は霧生院家との接近を一切禁じる」
二人は絶縁状のことを知っていることに驚くよりも、接近を禁じられた事実に呆然とし、青ざめた。
父は事態を把握するのに必死で、一人動揺している。
暁生は結月に視線を落とした。
──さぞ辛かっただろう。
今までどんな思いで過ごしていたのだろうか。
両親を亡くしたか弱い少女。ずっと一人で抱えていたその辛さは計り知れない。
腕の中で安らかな顔をしている結月を見つめ、暁生は改めて決心する。
「……暁生、様……?」
降り注がれた視線に気がついたように、結月は浅い眠りから目を覚ます。
まだ夢現の彼女の声に、暁生は微笑んで応えた。
「結月、お前に伝えたいことがある。聞いてくれるか?」
結月はまどろみながらも目線を合わせて、こくりと頷く。
「結月は俺が選んだ唯一の女性だ。滅妖師としての力だけではなく、純粋に人を愛する心、そして共に歩む未来。俺は結月と一緒にその物語を紡でいきたい」
優しく、そしてまっすぐに囁くように言った暁生の言葉は、結月の胸を少しずつ幸福感で満たしていく。
「暁生様……それって……」
結月の目が大きく見開き、蒼い瞳が潤んだように輝く。
確認するまでもなく、その言葉がなにを意味しているのか結月はすぐに理解した。
「俺と、結婚してくれ」
彼の真剣な眼差しに射抜かれ、一瞬時間さえも止まったような気がした。
今までの苦しみや悲しみ、孤独感を包み込んで愛情へと変えてくれる。
胸の奥から溢れ出した幸福感は結月の心の中にあった冷たい感情を溶かし、それは涙となって結月の頬を伝うように流れる。
「……はい」
抱えきれないほど溢れる「幸せ」という感情。
彼を慕う気持ちと、彼から感じる温もりは、両親のそれとは少し違うように思えた。
──これが、人を愛する気持ち……。
誰かを思うことがこんなにも幸福な気持ちを生むのかと、結月はまた涙を流す。
暁生はそっと彼女を地面に降ろし、涙を拭った。
「今までよく耐えてきたな。これからは俺が結月を守り、そして幸せにする」
彼の言葉は、閉ざしていた未来への扉を開けてくれるものだった。
──私に、こんな幸せな未来があったなんて……。
両親を失い、忌み子として蔑まれ、いつかは生まれ育った家を追い出されることを覚悟していた。
自分に訪れるのは、夢も希望もない未来だと受け入れていた。
だから、とうの昔に『幸せ』なんて諦めていた。
それが今、一筋の光に照らされ、幻であったかのようにうっすらと消えていく。
こんなにも幸せな未来が訪れるなんて、考えもしていなかった。
目から真珠のような大粒の涙がいくつも零れた。
骨ばった大きな手が頬を包んでくれている。
逞ましくも、繊細な指先から伝わってくる愛情。
自ずと、その手に自分の手を重ねていた。
涙に濡れた瞳が微笑む暁生を映し出し、彼女もまた、それに応えるように優しく微笑んだ。
だが。
「……私は認めない!!」
縮まっていく二人の距離を引き裂いたのは、絶叫にも似た紗和の声だった。
怒りと嫉妬を隠そうともしない涙と歪んだ表情は、どこか自暴自棄のようにも見える。
さすがの母も紗和をなだめに入ったが、それでも納得がいかない様子で声を荒げる。
堰を切った感情は、そう簡単に止められるものではなかった。