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第17話 接近

 王宮に入り、医者に手当てをしてもらっている間、エドワルドはずっと側にいてくれた。王子が一人の令嬢に心を砕いている姿を城にいる衛兵や他の貴族たちが好奇の目で見てくる。ジロジロと見られたり、自分を見て何かをささやかれるのは良い気持ちではなかったが、エドワルドは気にしていないようだった。それよりもわざとエレオノーラとの親密具合を周囲に見せつけているような節もあった。

 医者が去り、部屋にはエドワルドとエレオノーラの二人だけとなった。話すのはとりとめのない日常のこと。エドワルドは時折笑いながらも優しい目でエレオノーラの話を聞いてくれた。

 

「エドワルド様。私さっきギルバートと一緒に武器屋に行く道で初めてお菓子を食べたのよ。とても甘くて美味しかったわ」

「へぇそうなのか。ギルバートが買ってくれたのかい?」

「ええ、エドワルド様も今度一緒に食べましょう? 気に入ったならまた買ってくれるって言っていたもの」

「そうか、ギルは優しいね。彼が女性に優しくしているなんて意外だな」

 

 笑みを含んだ声に、エレオノーラもきょとんとする。

 

「意外? そうなのかしら」

「そうだよ。あれでいてギルバートは結構モテるんだ。宮廷でご令嬢に声をかけられたり文をもらって素気なくあしらっているのを何度か見たよ」

「ギルバートがモテることこそ意外だわ。いつも意地悪なことばかり言うし、しかめっ面ばかりしているのに!」

「僕から見れば、君と一緒にいる時のギルバートはだいぶ表情豊かだよ」

 

 とうとう堪えきれなくて吹き出してしまったエドワルドを見てエレオノーラは不思議そうに小首をかしげた。いつも眉間にシワを寄せて腕組みをしているような人が表情豊かだとは到底思えない。

 だがあの不機嫌そうな表情が脳裏に浮かんだ途端、先ほど見せた彼の意外な顔を思い出してエレオノーラはうつむいた。自分の為に怒ってくれた優しい幼馴染。私生児であることを公然で侮辱され、彼は今何を思っているのだろうか。

 

「ねえエドワルド様、ギルはいつもあんなに酷いことを言われているの?」

「アーサーの護衛のことかい? まああの家はもともと注意が必要な家だからね。噂では僕ではなくアーサーを王にしようと画策しているらしい。だから彼が僕やギルバートに敵意を向けてくるのは仕方がないんだ」

「でも生まれのことを言うのは酷いわ。ギルはあんなに頑張っているのに」

「君は優しいね、エレオノーラ。でもこの宮廷内では優しさだけでは渡り合っていけない。さっきの護衛のように、敵対する相手を害そうとしてくる者もいるんだ。君も十分に気を付けてくれよ」

「ええわかったわ。でもどうすればいいのかしら」

「君を守る一番の方法は、僕と君が親密であることを周囲に見せつけることだ。そうすれば首が飛ぶのを恐れて君に手を出すものはいない。僕が君の盾になってあげよう」

「でもギルバートがきっと反対するわ。あの人は私に王宮に入ってほしくないみたいなの」

「彼と僕とでは考え方が違うんだ。僕は君に重要な役職を与えて周囲の貴族たちに君の存在を見せつけたい。だから今日も、この後は僕の自室で過ごそう。これはギルも承知していることだ」

 

 言いながらエドワルドが微かに目を細める。これはエレオノーラにとって夢のような話であるはずだ。だが先ほどの苦しそうな表情をしたギルバートのことがどうしても忘れられなかった。

 

「エドワルド様ありがとうございます。でも私、この後ギルのところに行きたいの。どうしても彼のことが気になってしまって」

「ギルのところにかい? 君がそうしたいなら構わないよ。ギルと仲良くすることも、この王宮で渡り合っていく上で大きな力になるからね」

「ええ、ありがとうございます。じゃあ私はこれで失礼しますね。お話しできてよかったわ」

 

 エドワルドが頷き、エレオノーラに向かって手を差し伸べる。その手を取って部屋の外に出ると、エレオノーラは教えられた場所まで急ぎ足で歩いて行った。




 扉の前で大きく深呼吸をしてコンコンと軽くノックをする。すぐに扉が開き、ギルバートが驚愕の表情で出迎えた。

 

「エレオノーラ、どうしたんだ? お前は殿下の自室で過ごすはずだっただろう」

「あの、ちょっとだけギルと話したくなったの。でもごめんなさい、こんな遅い時間に来るのはやっぱり迷惑よね」

「いや、いい。入ってくれ」

 

 そう言ってギルバートが扉を開けて中に招いてくれる。ギルバートもこの部屋では職務から解放されるからか、騎士服を脱いで簡素なシャツとズボンだけになっていた。

 

「しかし、お前が俺と話したいだなんて珍しいな。何か困ったことでもあったのか」

「いいえ、何もないわ。だけど、あの、ギルのことが心配になって……」

「なんだ、お前もずいぶんと俺に優しくなったもんだな。海にいた頃の気の強さはどこに行ったんだ?」

「もう、どうしてあなたはそういう言い方しかできないの? 心配したのが損だったわ」

「いや、お前の気持ちはありがたく受け取っておこう。あいにく来客を迎えないもので座るところがないが、まあベッドにでも腰かけていてくれ」

 

 そう言ってギルバートが部屋の隅に置いてあるベッドを指さす。シンプルだが絹のシーツは純白で、一目で質の良いものであることがわかった。

 ベッドに腰かけると、ギルバートもエレオノーラの横に腰を下ろす。

 

「で、お前は俺が気落ちしていないか心配してくれたのか」

「そうよ。だって酷いじゃない。ギルは何も悪くないのにあんなことを言われるなんて」

「それが貴族社会の常識なんだ。受け入れるしかない」

「あなたはそれで辛くないの?」

「今更だな。幼少期からそんな言葉をかけ続けられていれば嫌でも慣れる。……だがお前が庇ってくれたのは嬉しかった」

 

 そう言って笑うギルバートの顔は驚くほどに優しかった。どこか切なさも内包しているその表情に、エレオノーラの胸がぎゅっと締め付けられる。どうにか彼の力になりたくて、エレオノーラは思わずギルバートの手を取った。

 

「当然よ。私はギルの味方だもの。同じことを言われたら、今度は私があなたのことを守ってあげるわ」

「守る? どうやって」

「えーと、よくわからないけど、とりあえず私があの人を叱ってあげるわ。ギルに酷いことをしないでって」

「ハハ、これはとんだ怖いもの知らずのお姫様だ。ある意味では宮廷内で一番強い存在かもしれないな」

 

 両手に拳を作って意気込むと、ギルバートが声をあげて笑った。今までに見たことのない彼の素顔に驚くと同時に少しだけくすぐったい気持ちになる。なんだか少年の頃の彼に戻ったみたいだった。

 

「あなたもそんな風に笑ったりするのね」

 

 くすくすと笑いながら言うと、ギルバートの灰色の瞳がわずかに揺らいだように見えた。大きな手が伸びてきて、エレオノーラの頬に触れる。指先で肌を優しく撫でられて、エレオノーラの心臓が大きく跳ねた。

 

「ギル……?」

 

 だがエレオノーラの戸惑いの声は、顎を軽く持ち上げられることによってかき消された。ギルバートの顔がゆっくりと近づいてくる。お互いの口先が触れ合いそうになった瞬間、エレオノーラはパッとうつむいて顔をそらした。同時に顎に添えられた手も離れていく。心臓が痛いくらいにドキドキしていた。

 

(今のは何……? もしかしてキスをしようとしていたの?)

 

 頬に添えられた手の熱も、自分を見つめる瞳がいつもと違っていたこともハッキリと感じていた。だがそれを確かめる勇気はなかった。ギルバートは昔から意地悪で愛想がなくて、エレオノーラに冷たい男のはずなのだから。

 

「ギル、わ、私そろそろお部屋に戻るわ。エドワルド様が王宮の一室を貸してくれたのよ。あんまり遅いと、お城で迷子になったってエドワルド様に思われてしまいそうだし」

 

 ドレスの裾を伸ばしながら慌てて立ち上がる。だがギルバートの腕が伸びてきて、まるで引き止めるかのようにエレオノーラの手を掴んだ。

 

「エレオノーラ、俺がお前の隣にいることはできないのか?」

 

 ささやくように告げられた言葉には、まるで懇願するような響きがあった。自分を見上げる灰色の瞳には訴えるような熱があり、エレオノーラの心を捉えて離さない。

 ギルバートのことは憎からず思っている。だが自分を救ってくれたあの初恋の感情は簡単に忘れられるものではなかった。混乱する感情を落ち着かせるかのように首元のダイヤの首飾りに手を触れると、ギルバートがフッと微かに笑った。

 

「そうだな。お前がずっと想っていたのは殿下なのだな」

「ギル、私……」

「いや、いい。すまなかった。だが俺の言葉もどこかで覚えていてくれないか」

 

 コクリと頷くと、掴んだ手がするりと離れていく。

 ドキドキする心臓を抑えながらギルバートにいとまの挨拶をすると、エレオノーラはパタパタと部屋を去っていった。


 

 

 海色の髪が扉の向こうへ消えていくのをギルバートはずっと眺めていた。

 彼女がずっと王子に恋をしているのは知っている。同時に、幼い頃から自分の胸のうちに宿っていた感情の正体も。

 エレオノーラが見ている先は自分ではないこともわかっているはずだった。彼女が人魚であるうちは、結ばれないことを受け入れていたからこそその想いを胸のうちに秘めることができたのだ。だが彼女が人間の姿を得てからは、諦めきれない自分自身がいることに気づいてしまった。自分を気遣う彼女の言葉に、衝動的に口づけを迫るくらいには。

 右手に残る細い腕の感触に愛おしさがこみあげて、彼は右の手のひらにそっと唇を落とした。

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