第16話 諍い
しばらくの間走っていた馬車は王宮の前で停まった。
目の前のお城は想像していたよりも随分と大きく、豪華でそしてきらびやかだった。白亜の壁に高い尖塔がいくつも連なり、一部の隙もなく手入れの行き届いた見事な庭園には季節の花々が咲き誇ってかぐわしい香りで来る者を出迎えていた。
門の前に立つ重装備の衛兵がギルバートの姿を見て頭を垂れる。さすが王族直属の護衛ともなると王宮の中でも大きな権威があるようで、ギルバートに連れられたエレオノーラはあっさりと敷地内に通された。
「エレオノーラ!」
王宮へと続く石畳の道を歩いていると、前方から懐かしい声が聞こえた。見ると、エドワルドがこちらに手を振りながら足早に向かってくる。日の光を反射する金髪と新緑色の瞳を見てエレオノーラはパッと顔を輝かせた。
「エドワルド様!」
「やぁ、よく来てくれたね。ギルも元気そうでよかった」
「殿下、お部屋でお待ちくだされば彼女を連れていきましたのに」
「君達が来るのが待ちきれなかったんだよ。すごい、本当に人間になったんだね」
エドワルドがエレオノーラの手を取りながら眩しそうに目を細める。その優しい慈愛に満ちた眼差しに、エレオノーラも笑みを返した。
「やっとお会いできて嬉しいわ。エドワルド様もお元気そうで良かった」
「僕がここにいるのも君のおかげだよ、エレオノーラ。君は僕らの命の恩人だ」
「いいえ、エドワルド様のお役に立てたのなら嬉しいですもの」
エドワルドの言葉にエレオノーラが嬉しそうに笑う。と同時にコツコツと靴音がして前方から誰かが歩いてくる気配がした。
「ご機嫌麗しゅう兄上。お体の具合はもうよろしいのでしょうか」
声をかけてきたのはエドワルドによく似た若い男だった。氷の大地を思わせる銀色の髪に、少し深い緑の瞳。髪の色こそ違えど面影はエドワルドに瓜二つだ。傍らにはギルバートと同じ近衛騎士の服を着た壮年の男が付き添うように侍っており、エドワルドとギルバートをにらみつけるように見据えている。髪には白いものがまじっているが、その目は猛禽のように鋭い。
それまでにこやかに談笑していたエドワルドの目が、二人の存在を見たとたんスッと硬くなった。
「やあアーサー。気遣いをありがとう。見ての通り体を動かすのに問題はないよ」
「それは僥倖です。兄上に何かあれば、この国を背負う者がいなくなってしまいますからね」
「僕に何かあれば、その時は君が王位継承者だろう。問題はないよ」
エドワルドの言葉に、若い銀髪の男が頷く。兄上、と呼んでいるところを見るに、彼は第二王子であるエドワルドの弟なのだろう。だがそれにしては二人の間には距離があり、肉親への情愛が感じられなかった。
エレオノーラが戸惑いながら成り行きを見守っていると、アーサーの隣に立つ壮年の男がフンと鼻を鳴らしながらエレオノーラをねめつける。
「殿下、その麗しきご令嬢は? 見かけない顔だ。いくら王子殿下とは言え、勝手によそ者を王宮にいれるのは感心しませんな」
「彼女は僕の幼少期からの知り合いだ。何か問題でも?」
言葉を返したエドワルドの声は今までに聞いたことがないほどに冷たかった。驚いて彼を見ると、エドワルドは冷たい眼差しで男を見ている。隣に立つギルバートも硬い表情で男を見据えていた。
だが護衛の男は怯む様子もなく挑発的な視線を送ってくる。
「問題しかございません。王宮に入れるのは限られた人物のみ。王族たるもの、自らの権力を濫用して素性のしれない者を勝手に招き入れることなどなさらなように」
「この子は我がランベルトの縁者の娘だ。彼女の身元は私が保証しよう」
「これはこれはギルバート殿。いいえ、私はランベルトの者であるからこそ心配しているのですよ。貴殿の家は王族の御身をお守りすることよりも、賜った栄誉を守ることに心血を注いでいると聞き及んでおりますゆえ」
「貴様。無礼がすぎるぞ」
ギルバートの語気が鋭くなる。だが男はギルバートの睨みにもたじろぐことなく、小馬鹿にしたようにふんと鼻で笑った。
「半分は売女の血が流れている私生児のくせに偉そうなことを。生まれる場所さえ違えば今頃は汗水を垂らしながら客に酒を振る舞っていた男が、堂々と名家の威光をかざすことができてさぞ気持ちが良かろう」
吐き捨てるように発せられたその言葉には嘲りの響きがあった。ギルバートの瞳に鋭さが増すが、職務中に私情を交えてはいけないと思ったのか彼は口を真一文字に結んで黙ったままだった。
エレオノーラには貴族社会のしきたりもギルバートの抱えている事情もまだよくわからない。だが、今目の前の男が明らかに彼を侮辱したことだけはわかった。
背後から固く握られた彼の拳にソッと触れると、ギルバートが驚いたようにエレオノーラを見る。表情がほんの少しだけ和らいだような気がした。同時に相手の男に対する怒りがムカムカと湧いてくる。
「第一王子と結びつきの強いランベルトの家の縁者で殿下の旧友とはなんとも都合のよい話じゃありませんか。こうやって自身の縁者を次々王族の近くに侍らすのがあなた方のやり口なのだな。さすが代々にわたって王族の護衛を務めるだけある」
「ギルバートはしっかり護衛としての役目を果たしているわ。エドワルド様の為に毎日剣の稽古も欠かさないもの」
思わず声が出た。エレオノーラの言葉に男が驚いて視線を向ける。傍らにいるエドワルドとギルバートも驚いた顔でエレオノーラを見るが、そんなことはもう気にならなかった。エレオノーラの言葉に、男が小馬鹿にしたように笑う。
「ほう、これは大変礼儀正しいお嬢さんだ。私が誰だかご存知ですかな? いくら大貴族殿の縁者とはいえ、第二王子の護衛を務めるこの私にそんな口を聞いてただでいられると思いますな」
「失礼なことを言ったのなら申し訳ありません。でも彼のお母様が貴族じゃないからと言ってそんなことを言うのはあんまりだわ。ギルバート自身はとても努力をしているのに」
「ほう、あなたはよく市井のことを学ばれておられるようだ。だがもう少し貴族社会のことも知っておいた方がいい。権力者には逆らわない方がいいということも含めて」
口元に笑みを称えているが、男の目は笑っていない。だが小娘を相手にしても無駄だと思ったのか、護衛の男は咳ばらいをすると主君であるアーサーの方を向いた。
「殿下、こんなところで立ち話をしている時間はありません。早く行きましょう」
「そうだな。では兄上、どうぞご自愛くださいませ」
そう言ってアーサーが慇懃にエドワルドに礼をして通り過ぎていく。エドワルドも実弟を一瞥しただけで前に向かって歩き出した。その後をギルバートとエレオノーラも追う。だがすれ違う際に護衛の男がニヤリと口角をあげ、腰に佩いた剣の束をぐっと押し込んだ。
「きゃあ!」
剣先に足が引っ掛かり、エレオノーラの体がぐらりと大きく傾いた。目の前に硬い石の床が迫る。だが地面に叩きつけられる寸前に、ふわりと体が浮くのを感じた。
見ると、ギルバートがエレオノーラの体を両腕で抱きしめながら護衛の男を鋭い目でにらみつけていた。まるで守るかのように逞しい両腕に抱かれて、体温が一気に上昇する。背中に感じるギルバートの胸板に、かつての洞窟での記憶がふと頭をかすめた。
「貴様、今何をした」
低い声でギルバートが鋭く問う。彼は怒っていた。静かに発せられる声には怒気があり、その灰色の瞳は今まで見たことがないほどに燃えている。だが護衛の男はギルバートの視線を鼻で笑って一蹴する。
「おやこれは失礼いたしました。ですが宮廷内ではお気を付け下さいませ。あまり知らないことに首を突っ込むと痛い目に遭いますよ」
「忠告のつもりか。だがこの子に手を出せばただではすまないと思え」
「さすがランベルトの家は第一王子と結びつきが強いお家だ。殿下の後ろ盾があれば怖いものなしというわけですな」
「貴殿こそ由緒正しいベルマン家の嫡子に伝えておけ。他者を悪口する暇があるならば、剣を振ることに時間を使えと」
「っ……紛い物の存在がよくもぬけぬけと」
静かに告げたギルバートの言葉に、男がギリッと歯噛みする。二人の頭上に広がる空は雲ひとつないほどに晴れやかだが、両者の間には激しい嵐が吹き荒れていた。
二人の間に一触即発の緊張感が走る。だがその空気を破ったのはエドワルドの咳払いだった。背後にいたエドワルドがギルバートの腕の中にいるエレオノーラの腰に手を置き、するりと引き寄せる。
「見ての通り、彼女は僕の大切な人だ。この城に入るのも僕が許可をした。お前の勝手な振る舞いはアーサーの立場をも危うくすることを覚えておけ」
「滅相もございません、殿下。我々は貴方様の意思に従うのみでございます」
「そうか。用がないならばもう行くがいい」
「はっ。殿下の御前で大変失礼をいたしました。それでは私はこれで」
エドワルドの前男が深々と頭を下げる。顔をあげ、もう一度ギルバートに憎々しげな一瞥を送ると、第二王子とその護衛は立ち上がってそのままどこかへ行ってしまった。
張り詰めた空気が弛緩し、ギルバートが呆れたようにため息をつく。
「今の人は誰なの?」
「奴はベルマン家の者だ。俺の生家と同じく、この一族も代々王家の護衛を務めている。だが、力関係はランベルトの方がやや上だな。だからこそこの一族は俺達を目の敵にしているんだ」
エレオノーラが問うと、ギルバートが淡々と答える。貴族社会の派閥や力関係はまだエレオノーラには難しい内容だったが、ひとまず今の男とギルバートの家が仲が悪いことはわかった。
ギルバートがエドワルドに向き直り、恭しく頭を垂れる。
「申し訳ございません、殿下。下々の者達の諍いなど雑音でしかないでしょうに」
「いや、君にはいつも迷惑をかけてすまないと思っているよ、ギル。アーサーのことでも負担をかけているしね。エレオノーラも驚かせてしまってすまなかった」
「いえ、私は大丈夫です。ギルバートが助けてくれたもの。でもエドワルド様に弟がいたなんて知らなかったわ」
「僕とアーサーは異母兄弟なんだ。半分血は繋がっているけれど、母上が違うから幼い頃から一緒にいた試しがない」
エドワルドが淡々と告げるが、その声にはなんの感情もこもっていなかった。エレオノーラが気遣うように顔を見上げると、彼は寂しそうに微笑んだ。
「だから君が王宮に来てくれて嬉しいよ。君の方がよっぽど僕の妹みたいな存在だからね。大丈夫。王宮にいる限りは僕が君のことを守ってあげるから」
「エドワルド様……」
「そういえば足は大丈夫かい。先ほど剣先に引っ掛けられただろう。見せてみて」
そう言いながらエドワルドがエレオノーラの足元に屈む。そう言われれば足首がジンジンと痛む気がしてドレスの裾を持ち上げてみると、捻ってしまったからか足首が少しだけ赤く腫れていた。白い肌に広がる赤いあざにエドワルドが痛々しそうに顔をしかめる。
「これは可哀想だ。王宮侍医に言って手当をしてもらおう。そうだ。せっかく来てくれたんだから今日はここで一晩過ごすといい。王宮の一室を使わせてあげるよ。ギルも自室で休んでおいで」
「お心遣いに感謝いたします、殿下」
そう言ってギルバートが礼儀正しく一礼する。今はもういつも通りの見慣れた生真面目な顔をしているが、先程見せた激しい感情はエレオノーラの知らないものだった。そして王宮で彼がどのような立場であるかということも。
「ギル……ギルも大丈夫?」
小声で名前を呼びながらそっと彼の騎士服の裾をつまむと、ギルバートが少しだけ表情を和らげた。
「あんなのは日常茶飯事だ。お前が気にかけることではない」
「でもギル、悪口に慣れるなんてそんなのあんまりだわ」
「俺のことは気にするな。それよりもせっかく念願の殿下にお会いできたんだ。気のすむまで話して来るといい」
そう言いながらギルバートがエレオノーラの腰を押して促してくれる。優しいが有無を言わせない彼の態度に、エレオノーラも頷いてエドワルドと共に王宮へと歩いていった。
背後からギルバートの視線を感じたような気がしたが、エレオノーラは振り向くことができなかった。




