たぶんきっと大団円
――解呪から半年。
ローラはエドガーの自宅にある自分の部屋で、わたわたと身支度を調えていた。
王宮魔術師長たるオルグレン卿の屋敷には使用人がおらず、国で唯一の魔術伯令嬢となったローラには侍女のひとりもいない。
大変だと思うこともなくはないが、それは今日のようにごく限られた日だけで、あとは悠々自適な毎日を快適に過ごしている。
この半年。実父の元に住まいを移したローラの毎日はこれまでとあまり変わらず、そして今までにできなかった様々なことをする毎日だった。
料理をしたり、読書をしたり、エドガーとおしゃべりをしたり、一緒に出かけたり。特に、母オリビアの話を聞くのはこの上なく楽しい時間だった。
記憶にないオリビアのあれこれを聞くたび、実感のなかった母親という存在が身近に感じられるようで胸が温かくなった。
勉強もできた。
家庭教師を招くのは難しいから、代わりに登城するエドガーに付いていって魔塔で講師から教わった。
王太子が手配してくれた講師は少し変わり者の先生が多かったが、教えられる内容はどれも興味深く、ローラは半年間の突貫授業ながら、ダンスも含めて最低限の淑女教育もクリアした。
前髪を整えていたヘアブラシを置くと、全身が映る鏡の前でくるりと一回りをする。白を基調に、鮮やかな黄色を差し色に加えたドレスは今夜のローラの大事な衣装だ。
(こ、これでいいかな……? うん、たぶん大丈夫!)
鏡に映る姿が正解かどうかはよく分からない。が、それなりに様になっているはずだと自分に言い聞かせる。
胸元のコサージュを直し、裾を整える。最後に仕上げのイヤリングを着けたところで部屋の扉がノックされた。
「ローラ」
「あっ、今行きますね!」
そそくさとドアを開けると、王宮魔術師の正装をした父エドガーがそこにいて、ドレスアップしたローラに目を細める。
「……よく似合っている」
「お母さんにそっくり?」
「ああ、とても」
「ふふ、じゃあ今夜はお母さんのためにもしっかり頑張らなきゃね!」
父親の頼もしい腕にエスコートされて、ローラは自宅を後に王城へ向かう。
今夜は、貴族令嬢の披露目をしていないローラが参加する初めての夜会――実質のデビュタントだった。
(うわあ、人がいっぱい……!)
礼儀作法や会話術などをどうにか身に着けたローラだが、頭の中まではなかなか生粋の令嬢に切り替えられない。
口を開かなければ合格、とマナー講師の年配女性に太鼓判を押されたローラは、エドガーと話すとき以外はただにこにこと微笑んでいる。
(あれ、今の誰だっけ。ああもう、こんがらがってきた!)
貴族年鑑でめぼしい人物は予習済みだが、同じような名前で同じような年齢で、同じようにキラキラとドレスアップをしているとなかなか区別が難しい。
会うたびに一から自己紹介をするか、胸元に大きく名札を着けてほしいと切実に願う。
エドガーは人付き合いをしないからこういう悩みは範疇外で、「名前など覚えなくて問題ない」とさらりと躱されて同調してくれる人がいないのが残念だ。
「覚える必要はないって言われても……せっかく挨拶をしてくれるんですし。少しはお友達もほしいです」
「友人なら下町に大勢いるだろう」
「それはそうですけど!」
令嬢っぽいのは立場と名前だけで相変わらずのローラだが、実父はさらに上をいく変わり者である。しかしそんなエドガーも、ローラを引き取ったおかげで多少なりとも社交の幅が広がった。
さらに、長年要注意だった魔術伯の取り扱いは、ローラという娘が加わったことにより格段に易しくなったらしい。
魔塔に籠もりきりになったり、ふらりと数週間姿を消したりすることがなくなったため、部下たちに盛大に感謝されている。
(役に立っている実感はまったくないけどね!)
そして今は王族への挨拶も済み、宴開始のアナウンスを待つ段階。
こちらをちらちらと気にする貴族たちの視線には気がつかないふりで、王宮大広間の豪華な壁際で父娘仲良くおしゃべりタイムを満喫中だ。
「しかし、ローラ。ダンフォード侯爵の申し出を断ってよかったのか?」
「ブッ」
なにも飲んでないのに噎せそうになり、慌てて扇で顔を隠す。
大変にまっすぐなエドガーは、何事も単刀直入だ。悪気も他意もないのが分かるから、ローラはどうにか平静を装って問題ないと力強く頷く。
「もうずっと会っていないんだろう? せっかく今夜のエスコートをしてくれるという話だったのに」
「何度も言いましたけど、私、この歳で突然オルグレン卿の一人娘って発表されて大注目を浴びているんです。これで、実質デビュタントになるこの夜会であのダンフォード侯爵と登場、なんてさらに目立つこと、できるわけないじゃないですか!」
「それは侯爵が嫌いということか?」
「そうじゃなくて、目立ちたくないんです! だってほら、あれですよ、あれ!」
扇でそっと示す先では、ちょっとした混雑ができていた。
たくさんの令嬢の中心にいるのは、『人嫌い侯爵』の称号を返上したシリル・ダンフォードだ。
「思ったとおりだ……盛大にもみくちゃにされていらっしゃる」
「ほう、ずいぶん人気だな」
「お父さん、知っているくせに」
「話に聞いてはいたが、実際に目にするのは今夜が初めてだからな」
変わったのはローラとエドガーだけではない。呪いから解放されたシリルもまた、新しい人生を歩み始めていた。
本来の自分に戻ったシリルはもう人嫌いを装わなくてよくなった。
変身しての諜報活動はできなくなったが、シリル本来の実力と、可能になった人付き合いでもって、ダンフォード侯爵家を盛り立てている。
素晴らしく社交的……とまでは言えないが、それなりに社交に顔を出すようになったシリルは、今代最後の魅力的な配偶者候補として、大勢の独身女性の熱視線を受けている。
これまで謎のベールに包まれていた美形の令息、しかも侯爵家当主。話してみれば理知的で紳士的。数多の令嬢が雪崩を打つように集まるのも当然だ。
(……よかったよね)
せっかくふさわしい場所に立てるようになったのだ。
中途半端な令嬢でしかないローラに関わるよりも、外見も中身も釣り合いが取れる、お似合いのお嬢さんを見つけてほしいと思う。
(寂しくないわけじゃ……ないけど)
リドル家から逃げ出して……いや、路上で誘拐されそうになっていたシリルを助けたときから、ローラの人生は音を立てて変わっていった。
伯父夫婦のことやホイストン卿など、今も思い出すと胸が苦しくなることもある。
けれど、つらい記憶よりもダンフォード侯爵家でメイドとして過ごした日々や、エドガーと再会できたこと。それになんといっても、シリルの呪いを解く手伝いがほんの少しできたこと。
そんな鮮やかな思い出の日々が、ローラの心の真ん中に座っている。
だから、それで充分だと思う。
シリルには、これまでの分も目一杯幸せになってほしい。
それには、いつまでもローラが近くにいては駄目なのだ。
だってこれからのダンフォード侯爵家に必要なのは、料理が得意なだけの訳ありメイドではないのだから。
「……侯爵様とは、たまーにおしゃべりができたら、それでいいかなって」
ローラは父との時間を大切にしつつ、料理をしたり掃除をしたりの代わり映えのない毎日を送れたら充分だ。
「そうなのか?」
「そうですよ。あ、そういえば一昨日、下町でフレディさんに会いました」
「フレディ? ああ、ダンフォードの執事」
「ですです、そのフレディさんがなにかお父さんに相談したいことがあるって言ってました。来週あたり、また家に来るんじゃないでしょうか」
「分かった、構わない」
フレディは気さくで賑やかな女将の酒場が気に入ったらしく、ちょくちょく通っているそうだ。
夜になってもシリルが変身しなくなったため、つきっきりでいる必要がなくなり、自由時間が増えたことも関係あるだろう。
また、ダンフォード侯爵家は使用人を少しだけ増やしたと聞く。最も苦手とする調理を任せるコックが入ったことで、フレディの身軽さに拍車がかかっている。
夜間の外出を控えるようになったローラと夕方の下町で偶然ばったり出会っては、立ち話をする仲だ。
それに魔術伯の圧にも慣れているためか、時々「相談」といっては家を訪れる数少ない客人でもある。
(そう。シリル様もフレディさんも、そのくらいの関係が私には調度いいよね)
魔女とか、呪いとか。ローラ自身も逃亡していた特殊な日々だったから、思い出は強烈だ。
(……忘れられないのは、そのせい)
なんとはなしに痛む胸の高さで、渡されたグラスを掲げる。
王のスピーチに続いて、開会が宣言されて夜会が幕を開けた。
エドガーとグラスを交し、口を付ける真似をする。ファーストダンスをつとめる王太子の優雅なステップをぼんやり眺めていると、視界に誰かの腕が入った。
「……?」
「ミス・ローラ・オルグレンにダンスを申し込む」
聞き覚えのある声にハッと顔を上げる。
そこにはシリルが立っていた。
「な、なんで」
「なんではこっちのセリフだ。エスコートを断るのは酷くないか?」
「それは、だって、シリル様……」
「おかげでこんなふうに他人行儀に申し込む羽目になった。どうしてくれる」
「いや、どうしてもこうしても」
断ったのに、どうしてここにいるのだこの人は。誘うべき人も、付き合うべき人もこんな壁際ではなくホールのど真ん中にいるはずだ。
ローラは脳内で思い切り頭を抱える。
「父親が見つかったんだ、家族のもとに帰るのは当然だから我慢する。けれどローラ、目一杯俺のこと避けまくってるだろう」
(ば、バレてる!)
「いやあの、それは――」
ローラだって会いたかった。
けれど、会うとあの日々に帰りたくなってしまいそうだった。
前を向いて歩かなくてはならないのに、過去に戻るわけにはいかない。だからこんな思いは捨てるしかなくて。
「それは?」
「その、私はメイドだったし」
ローラのもとからシリルが戻ってくるのを、ジリジリと待ち構えている令嬢たちの山が視界を埋める。あのなかにきっと、侯爵夫人として相応しい、身も心も美しい令嬢がいるはずだ。
だからこんなところでローラと長話をしていないで、はやく行けばいいのに。
(フレディさんの相談だって、そういうことでしょう? 結婚時期とか、お嫁さんになる人には呪いのことをどう話したらいいかとか、お父さんと打ち合わせしにくるんだろうし)
シリルがパートナーを迎えるにあたって、呪いのことを全部告白する必要はないだろうが、一切知らせないのも難しい。
魔女の呪いではなく魔術で説明ができないかとか、そういう相談が必要になるはずだ。
だが、逃げを打つローラの返事を、シリルは一蹴する。
「関係ない」
「なっ、関係なくないです! ダンフォード侯爵家とシリル様に釣り合いの取れる人を――」
「だから、それはローラがいい」
直球で言われて、吸い込んだ息が喉の奥でヒュッと音を立てた。
――空耳に、違いない。
思い切り目を泳がせたローラの手を、シリルがやや強引にとる。ぐい、と引き寄せて耳元に口を寄せてきた。
「え? えっ?」
「ローラ、なんのために呪いを解いたと思ってる」
「な、なんのためって、それは」
ああ、内緒話だからだ。この体勢はあまりに近いけど、うん、大きな声で話せる内容ではないし。
できるなら意識を飛ばしてしまいたいが、悲鳴のようなお嬢様方の嘆き声よりもすぐ近くのシリルの声しか聞こえない。
「俺が生きていてもいいって思えたのは、ローラが来てからだ」
「!?」
驚いて身を引いて、シリルの顔をまっすぐに見る。
不安そうに揺れた濃い紫の瞳の奥に、レモンを投げつけた晩に強がったお坊ちゃまのシリルが重なった気がした。
「解呪できたのは、ローラが飛び込んできて運命が動いたからだ。隠すことは生きるために必要だったが、閉じた世界にいたままでは呪いは解けなかっただろうから」
シリルの紡ぐ言葉が胸に落ちる。正直、混乱しすぎて全部は理解できていない。
けれど、分からないだけに、込められた思いはまっすぐに落ちてくる。
――生きたいと。
ローラと一緒に歩きたいと言ってくれている。
「急がせるつもりはない。好きなだけ父親と暮らしていいし、料理もすればいい」
「シリル様……」
「だから頼む、ひとりでいなくならないでくれ」
とられた手が、小さく震えている。
顔を上げたローラの目に映るのは、あの晩守ったお坊ちゃまではなく、大人のシリルだ。
コトンと心で音が鳴る。
「……そんなこと言われたら、私、本当に好きにしますよ?」
「奇遇だな、俺もだ」
言い切られてつい、吹きだしてしまった。
ほどけた空気にシリルも表情を緩める。
「とりあえず一曲。いい加減に頷いてくれ」
「……私、最低二回は足を踏みますけど」
「ははっ、断定するんだ。いいよ、いくらでも」
行ってこい、とエドガーにも手を振られ、笑いながら二人でフロアに進む。
「あーー、フレディさんにまた迷惑かけちゃいそう」
「あいつなら喜ぶだけだろ」
向かい合ったタイミングで新しい曲が流れ出す。前奏に合わせて、シリルが危なげなくローラの手を取り直した。
「あの、じゃあ……お手柔らかに」
「任せろ」
ホールに軽やかな弦の音が響く。
その晩、宣言通り二度シリルの足を踏んで、ローラは初めてのワルツを踊った。
お読みいただきありがとうございます。
『呪われ侯爵様の訳ありメイド』これにて完結となります。
途中、長くお休みをいただいて随分お待たせしてしまいましたが、ここまでお付き合いくださった読者の皆様本当にありがとうございます!
こうしてやっと最終話まで公開できて、ほっとしております…。
夏チヨ子先生のコミカライズ(ライドコミックスより単行本①②発売中)も、ぜひお楽しみいただけたら嬉しいです!
また、ほかのお話でもお会いできますように。
2026/08 小鳩子鈴




