予想外の来訪者 3
小袋がテーブルに置かれると、チャリンと軽い音がした。小銭が入っているようだ。
(財布?)
意図が分からず首を傾げそうになるシリルに、エドガーも気まずそうに小さく咳払いをする。
「王太子が重用するダンフォード侯爵の調査能力を見込んで頼みたい。これの持ち主を捜してほしい」
「……は」
「もし見つけだせたら、魔女と呪いについて解決までの協力を約束しよう」
「!」
思いがけない提案に、シリルだけでなくフレディも耳を疑った。
国内外を見てもエドガー以上に魔術に通じている者はいない。魔女に関しても同じで、彼以上に知っている者はいないだろう。
全面的に力になってくれるのなら、これほど心強いことはない。
「前にも言ったとおり、すぐに解呪を、というのは難しい。だが、魔術省が保管している資料を捜せば、手がかりが掴めるかもしれない」
「それは、願ってもないお話です……!」
魔術省の資料には魔力を流さないと読めないような書物もあり、王族ですら閲覧は難しい。それを調べてくれるという破格の申し出だ。
そこになら解呪の手がかりや、今シリルたちが探している魔女の名前などの情報もあるかもしれない。
ローラから「魔女の名前が手がかりになるのでは」と聞いたときと同じような、いや、それ以上の手応えを感じながら、シリルは目の前の小袋を見つめる。
(しかし……この財布がその条件?)
見合っていない気がする。エドガーにとっては同等の価値があるのだろうか。
「……触れても構いませんか?」
「ああ」
断って、財布を実際に持ってしげしげと眺める。丁寧に縫われているが、使っている布はどこにでもあるような端切れだ。
(これといった特徴はないな……)
フレディにも見せながらあちこち眺めるが、ただの布袋だ。中には数枚の銅貨と銀貨が一枚入っていたが、どこにも名前などはなく、持ち主を示すような刺繍も見当たらない。
(まあ、なにか書いてあればわざわざ「捜してほしい」なんて頼まないか)
今のシリルの目には分からなくとも、夜の姿――人間とは違う、動物のものの見え方――を使えば本人に繋がる手がかりを見つけられるかもしれない。
そのためにももう少し情報が必要で、シリルはエドガーに問いかける。
「こちらの財布は、オルグレン卿にとって特別なものなのでしょうか」
「特別……というわけではない。だが、気にかかる」
切実そうで、しかし奥歯にものが挟まった言い方だ。
前に会ったときと同じく、エドガーの顔色は冴えない。だが、シリルの手にある財布を見つめる青い瞳にはどこか強い思いが浮かんでいるように感じられる。
「……実は先日、こちらを訪れる際に、道に飛び出して来た人を馬車で轢きそうになった」
唐突な告白にシリルは目を瞬く。
「幸い事故には至らなかった。その者が落としていったものだ」
接触しそうになった寸前で馬車を避けて転び、実際にはぶつからなかったという。
王宮官吏の制服を着た従者がいたことから貴族の乗った馬車だと気づいたようで、騒ぎになるのを避け、飛び出してきた者は一目散に走り去ったそうだ。
落ちている財布に気づいたのは、当人がいなくなってからだ。
「では、持ち主に返したいということでしょうか?」
容れ物の袋は粗末なものだし、財布に入っているのは下町の食堂で一、二食分程度の小銭。魔術師長が落とし主を捜すような金額ではない。
釈然としないシリルに、エドガーは言いにくそうに口を開く。
「この袋からは、私に近い魔力を感じる……ほんの僅かだが。それが何者なのか確かめたい」
魔力は人により異なり、長く持ち続けた物にも残留することがある。それゆえ、魔力差異の調査は重大事故や事件の犯人特定に使われることもあり、目の前のエドガーはその見極めのプロでもある。
その彼が「自分と近い魔力」が、この財布に残っていると言う。
「つまり、オルグレン卿のお身内の持ち物ということでしょうか。どなたか行方不明になっていて、その方をお捜しとか」
「いや、両親は他界しているし、行方の知れない身内はいない」
フレディの問いにエドガーは首を横に振る。つまり、自分に近い血縁を思わせる魔力を感じ取れるが、対象となる存在に思い当たる節がない、というわけだ。
たしかにそれは妙な現象で、気になるのも分かる。
「なるほど……拾ったときの状況をもう少し詳しく伺えますか? たとえば、その者の背格好とか」
「私は車内にいたから見ていない。従者が言うには、十代後半くらいの若い女でメイドの服装だったそうだ」
「若い……ん?」
(メイド?)
メイドと言われ、シリルの頭にある人物の顔が浮かぶ。
「……髪の色や長さなどはお分かりに?」
「濃い色で、長い髪だったと聞いた。瞳の色までは分からん」
――その色合いに合致して、「馬車に轢かれそうになって財布を落としたメイド」を、自分たちは一人知っている。
そういえば、思い切り膝を擦りむいた彼女が侯爵家を頼ってきたのは、エドガーが来た日の晩だった。
(……もしかすると……)
視線を感じて顔を向けると、フレディと目が合う。同じ事を考えていたと分かって、小さく頷いた。
「……オルグレン卿。もしかすると、私たちはその者を知っているかもしれません」
「なんだと?」
「ええ、実は――」
言いかけたとき、ノックが三回響く。口を噤み顔を見合わせて、フレディが扉へ進んだ。
「お待たせしました、お茶をお持ちしました」
「あー、うん」
礼儀正しいメイドらしく見えるよう、ローラがかしこまって告げると、応接室から出てきたフレディになんとも言い難い顔で眺められた。
(言われた通りにしているのに、なんで?……あっ、もしかしてこれ?)
フレディの視線がローラ顔から運んできたカートに移って、ハッとする。
「あの、お菓子が昨日のチェリーパイしかなくて! 一応、市販のビスケットも持ってきましたが、ちょっとお客様にお出しするには庶民的すぎるかなって、それならまだ私の焼いたパイのほうが――って、フレディさん?」
「ああ、ごめん。お菓子はパイで大丈夫」
菓子皿を指差しながらわたわたと説明すると、問題はないと言われる。
「それよりちょっと聞きたいんだけど。ローラって、リドル家から逃げて来た日に『馬車に轢かれかけた』よね?」
なぜか背後の扉を気にしているらしいフレディに問われ、ローラは質問に首を傾げる。
「え? えっと、轢かれかけたっていうか、わたしが飛び出してぶつかりそうになりました。それで頑張って避けたら派手に転んじゃって」
「どんな馬車だった?」
「偉い人が乗っていそうな立派なやつでした。従者さんもいて」
「落とした財布にいくら入れていたか覚えてる?」
「たいして入ってないですよ、小銭だけです」
「……だよね」
派手に転んで足を怪我して財布も落とした、あの日の事情を再度聞かれて不思議に思いながら答える。
(なんで今また、そのことを?)
首を傾げるがフレディからの答えはない。
「フレディさん? どうしたんですか、急に」
(なんでこんな話……あれ、今日来たお客様って……)
言いながら、はっと思いついた。
もしや、あの馬車に乗っていた人が抗議をしに来たのだろうか。
家から逃げ出している最中だったこともありその場から逃走してしまったが、目撃者は大勢いる。少し調べれば、馬車にぶつかりそうになったのはローラで、そこからリドル家に問い合わせれば今はダンフォード侯爵家で働いていることも判明するだろう。
そして、今のローラはダンフォード侯爵家の使用人だから、監督責任はシリルにある。
(そうすると、も、もしかして解雇?)
それはまずい。
実はあの馬車には割れ物……高級ガラス製品などが積まれていて、ローラの飛び出しで急ブレーキをかけて荷が破損した、とかいうなら、弁償を求められる。
(支払う気はあるけど、今は無理!)
シリルはローラに給料をくれているが、まだ勤めて日が浅く貯金はない。
後でお詫びと説明をすると約束する、しかし今は一旦下がりたい。
「じゃ、じゃあ、お任せしますね。わたしはこれで――」
「やっぱりローラにやってもらおう」
「ごめんなさい分割でどうにか……って、えっ?」
茶道具の載ったカートを残してキッチンに戻ろうとしたら、手を掴まれた。
「分割?」
「えええ、慰謝料とかそういうお話じゃないんですか?」
「ぜんぜん違うから。ローラ、落ち着いて」
なんのことやら、という顔をしたフレディに少しだけ安心する。どうやら、賠償うんぬんの話ではなさそうだ。
それでやはり、給仕はローラがするようにと言われてしまう。
「僕よりローラに淹れてもらったほうがきっと喜ばれる」
「そんなはずないですよ……」
「いつも通りにしていればいいから。あと、聞かれたことには素直に答えてね、嘘偽りなく」
「いつも素直ですし嘘なんて吐きませんっ、ああ、待って押さないで……!」
フレディにぐいぐいと押されて、応接室に入れられてしまった。
(も、もう、お作法ミスしても知らないから!)
こうなったら仕方がないと、茶器の載ったカートを押しながら腹をくくる。
「し、失礼します」
足元だけを見たままソファーまで近付くと、ぺこりとお辞儀をする。恐る恐る視線を上げると、こちらを見て驚いた顔をしているシリルが見えた。
部屋の前までお茶を運ぶだけの役だったローラが、こうしているのが不思議なのだろう。ものすごくなにか言いたそうである。
(フレディさんの指示ですから! 侯爵様、怒らないでくださいね!)
「お茶を、お持ちしました」
心の中で「伝われ」と念じながらローラは手早くお茶を淹れる。
シリルの向かいに座るエドガーのことも気になったが、人嫌いの彼は他人からの視線は好きじゃないだろう。
手元だけに集中して、でも決して零したりしないように気を付けて、カップをテーブルに置いた――と、そのローラの腕が掴まれる。
「えっ?」
手首を持つ手のひらが、妙に熱っぽく感じる。
大きな手をたどると、肩までの金髪に王宮魔術師のローブが目に入った。
(な、なに……?)
さらに視線を上げると、すっかり顔色をなくして青い瞳を見開いたエドガーがローラの顔を凝視していた。その唇が躊躇ったように動く。
「……オリビア」
(オリビア?)
伯母がなにかにつけ苦々しく呼ぶ名前だ。
ローラなど引き取るつもりはなかった、勝手に死んで迷惑だと蔑むその名前は――。
「……オリビアはわたしの母ですが」
ローラを産んですぐに亡くなった母の名前に、ローラは目を瞬かせた。驚くシリルとフレディの姿が視界の端に映る。
「……母」
「はい。オリビア・ノークス。お呼びになったのは、母……のことでしょうか。母をご存じなのですか?」
「君は――」
「わたしはローラです……あっ、それ、わたしのお財布!?」
掴まれた手はそのままに唖然とした様子で訊かれ、深く考えられずに答えるものの、なにがなにやら分からない。
狼狽えて泳いだ目はテーブルの上の小袋にとまった。逃げ出した日に、転んで落とした全財産がそこにあることにも混乱する。
「財布?」
「は、はい。下町の近くで落としたんですけど、どうしてここに?」
「……なんということだ」
「ふぁっ!?」
いつのまにかすっかりソファーから立ち上がっていたエドガーに抱き締められた。目の前がローブで埋まり、なにも見えない。
(な、なにごと!?)
初対面の人に抱き込まれた。エドガーの囲いは強固で抜け出せそうにないが、その腕からは小さな震えが伝わる――突然のことに驚いた。
驚いたけれど、どうしてか嫌な気持ちはしない。
動揺して固まったまま動けないでいると、シリルの声がくぐもって聞こえた。
「オルグレン卿。お捜しのメイドは彼女ではありませんか?」
「ああ、そのようだ……ローラ、といったな」
「は、はい」
ゆっくりと腕が解けて、エドガーの顔が見えた。凍てつく冬空と呼ばれる瞳はぎこちなく細められて、まっすぐにローラを射貫いている。
心の中までも見透かすような視線を受け止めて、ローラからも見返した。
「君は、私の娘だな」
「……はい?」
「は?」
「ええっ!?」
淡々と落とされた爆弾発言に、ローラのみならずシリルとフレディの二人も驚きの声を上げた。




