下町へ 2
カランと音を鳴らしてドアを開けると、店内はすでに賑わっていた。
「いらっしゃい。ああ、犬はダメよ! 外で待たせて」
(女将さん……!)
懐かしい声にローラの顔が自然と綻ぶ。なにかと頼りにしていたここを訪れるのは家出をして以来だが、女将はいつも通りで常連客も相変わらずのようだ。
「やっぱり犬は駄目だって。なるべく早く済ますから」
フレディがぽんと背中を撫でると、シリルは不満そうな様子もなくふいっと離れた。店の前で待ってくれるらしい。
ハンチングを深めに被ったフレディとともに店内に入り、奥のカウンターへ向かう。若い女性客は珍しいためちらちらと見られるが、ローラだとバレた様子はない。ウィッグと化粧の効果は抜群だ。
慣れた様子で飲み物を注文するフレディに、女将が申し訳なさそうに詫びを言う。
「悪いね、犬が苦手な客もいるから。アタシは好きなんだけどねえ。で、なに飲む……ん? そっちのお嬢さん。あんたどこかで……っ、もしかしてロ――っ」
「しーっ」
カウンターから身を乗り出すようにしてまじまじと顔を覗き込まれ、さすがに変装を見破られてしまった。ローラの名を呼び切る前に、女将の口をフレディが押さえる。
パチパチと目を瞬かせた女将だが、さすが、長年客商売をしているだけあって空気を読むのが早い。
すぐに気を取りなおすと、周りの客に分からないよう視線と指で「分かった」と合図を出してきた。
頷いたフレディが女将の口から手を離すと、ごく低く声を潜めて話し出す。
「……変装してきて正解よ、ローラ。アンタの伯父さんに頼まれたって奴が、この店に来てね」
「わあ、ごめんなさい! 女将さんに迷惑を」
「大したことじゃないよ」
客たちがこちらを気にする気配がないのを確かめ、三人で顔を寄せ合う。
女将が言うには、探しに来たのはその一度だけだが、見かけたら必ず連絡するようにとしつこく言い置いて去ったそうだ。
「別の家に勤め始めたけどリドル家に連れ戻すって。ローラもそれを望んでいるけど、今のご主人が許してくれないとかなんとか言ってた。だから、この店に来たら引き止めておけってさ」
「おやおや」
呆れたように相槌を打ちながら、フレディの目が「ほらね」というようにローラに向けられる。
ローラがリドル家に戻りたいと言っているなんて、ひどい捏造だ。
(ほ、本当に連れ戻す気でいたんだ……!)
「でもさ、アンタの手紙には『今の職場に満足している』って書いてたから、そんなわけないって思って」
「私、戻りたくないのに」
「だよねえ」
女将が言うにはあちこちの店に同じような伝言を残しているらしいから、うっかり外に出ていたら、すぐに見つかってしまっていただろう。外出禁止を言い渡されていて助かった。
「もちろん、告げ口なんてする気はないから安心おし」
「女将さぁん……!」
女将の気遣いに泣きそうなほど感動したローラだが。
「手間代も置いていかない奴の言うことを、なんで聞かなきゃいけないんだい。冗談じゃないわ、まったく」
「女将さーん……」
現実的な回答に、それもそうだと遠い目をして納得する。しょぼくれるローラに満足したらしく、女将はローラの手に自分の手をポンと重ねた。
「――っていう冗談は置いといて。あの家から逃げられてよかったね、随分顔色も良くなって安心した。そっちの兄さんは同僚? この子は気のいい子だからね、くれぐれもよろしく頼むわよ」
「ああ、もちろん」
向き直った女将に言われ、フレディがにこりと受け合った。
「それで今日はどうしたっていうの? わざわざそんな格好までして、息抜きって感じでもなさそうだし」
現金な女将だが、これまでと同じようにローラが話しやすいよう水を向けてくれる。嬉しくて、ローラぱっと笑みを浮かべた。
「実は、女将さんに歌を教えてほしくて」
「歌ぁ?」
「よく歌っているでしょう。それを、できればたくさん」
「別にいいけど、なんだって歌なんか……ああ、分かった。今は小さい子の子守りをしているのね」
「あ、ええと、そうかも……?」
「ローラは面倒見がいいし、子ども好きだもんねえ」
女将に書いた手紙には、フレディの「詳しく知っていると共謀を疑われて、リドル男爵から言いがかりを付けられるかもしれないから」というアドバイスで、細かい経緯やダンフォードの家名は伏せてある。
実家よりも待遇のいい大きな家に勤めている、とだけ教えたからか、小さな子がいると都合良く想像してくれたようだ。
「子守唄のレパートリーが切れたんでしょ」
「う、うん」
(そういうことにしておこう!)
うまい言い訳が浮かばなくて曖昧に笑えば、女将は勝手に納得してくれた。そこにすかさず、フレディが話を合わせる。
「いやあ、坊ちゃんの夜泣きには使用人の皆が参っていてね! 女将が一番よく知っていて、歌もうまいってローラに聞いてさ。もちろん、無料でとは言わないから」
言いつつ、そっと銀貨を数枚差し出すと、女将はひゅうと口笛を吹いて眉を上げた。
「太っ腹ねえ。ちょうど手が空いたところだし、構わないわよ。ああ、ちょっと! 伴奏してちょうだい!」
常連客に向かって女将が声を掛けると、客のほうも慣れた様子で置いてあるギターを引き寄せる。
じゃん、と弦を軽く鳴らすと、まるで打ち合わせていたかのように本日の歌会が始まった。
女将が歌い始めて3曲、5曲。いい感じに酒が回った店内は、次第に合唱大会のようになっていく。
次は俺が、と言い出す客もいて盛況だ。
知らない歌ばかりのようで、興味深そうに聴くフレディの横で、ローラは次々と披露される歌の詞を頭にたたき込んでいた。
(曲は知ってるけど、歌詞はうろ覚えだったなあ……!)
今のところ、分かりやすく魔女に関係する歌詞はないが、ローラが気づかないだけかもしれない。
戻ったら書き出して調べる予定だから、どうにか全部覚えて帰ろうと必死になっていると、フレディがこそりと耳打ちをする。
「記録しているから大丈夫だよ」
「えっ?」
「ほら、これで」
フレディが鞄の蓋を開けてちらりと見せてくれたのは、握りこぶし大の半透明な石っぽいなにかだ。丸い形でボタンのついた台座にはめ込んであり、きらきら輝く小さな欠片が石の中に動いているのが見える。
「スノードーム?」
「いいや、魔道具。音声をこの中にとどめて再現もできるやつ」
「魔ど……っ!?」
思わず仰け反りそうになって、今度はローラがフレディに「しーっ」とされる。教えてくれる声が小さいのは、魔道具なんて超高級品を持っていると周囲に知られないようにするためと、会話の声まで録音されないようにだろう。
「そ、そんなものがあるんですね!?」
「うん。だから――」
フレディの言葉を、店の外からの犬の鳴き声が遮った。と同時に店のドアが乱暴に開けられてガラの悪い男が入ってくる。
「おう、女将! 例の娘は見つかったか?」




