調査開始 1
王宮図書館の閲覧申請書と魔術伯のエドガーへの手紙を書き終えたフレディは、意気揚々とそれらを出しに行った。
一方のローラとシリルは、フレディに言われた通りに侯爵家の図書室へ向かう。
「私、図書室に行くの初めてです」
ダンフォード侯爵家の図書室は、ローラが立ち入り禁止の二階にある。呪いの秘密もバレてしまったため、邸内での行動制限は解かれた。今日からはどこでも出入りできると思うと気分が浮き立つ。
足取り軽く進むローラを、シリルは怪訝そうに眺める。
「本が好きなのか?」
「下町にある本屋さんは似たような古本ばっかりなので、新鮮というか期待というか……わあ、すごい!」
執務室の少し奥、重そうな扉を開けて広がった光景にローラは目を輝かせた。
左右の壁には天井までの書棚が何台も置かれており、その上半分にはガラスの保護扉がついている。
ほかの部屋より窓が小さめなのは本の日焼けを防ぐためだろうか。とはいえ室内灯が多く、暗さは感じない。
部屋中央の大きな机には立派な書見台もあって、調べ物も捗りそうだ。
「お城の図書館みたいです。行ったことありませんが」
「そこまでじゃない」
シリルは謙遜するが、ずらりと並ぶ本は下町の古書店でお馴染みの廉価本とは一線を画したものばかり。革に箔押しされたものなど芸術品のようで、見ているだけで楽しくなる。
「うわあ、背表紙まで立派。なになに『レザント王国史』……へえー、この国の本ですか。面白そう」
「その辺りの歴史書は、貴族の必修本だ。子どものうちから読まされるから、リドル家にもあるはずだが」
「あー、伯父が仕事をする部屋に書棚はあります。ただ、掃除以外では触らせてもらえなかったので」
あはは、と笑ってみせるローラをシリルはどう思っただろう。
名目上はリドル男爵令嬢だが、物心着く前から使用人扱いをされているローラは、貴族の子どもが最低限読む本すら与えられなかった。
下町で読み書きや一般常識を覚えたものの、貴族令嬢が身につけるべき教養はない。本当に名ばかり令嬢である。
(お嬢様扱いをされたかったわけではないけれど)
本来、得られるはずの学ぶ機会がなかったのは残念に思う。ローラには、自国の成り立ちを知る余裕もなかった。
「気になる本があるなら持っていっていい」
「えっ」
「俺はさんざん読まされたからもう必要ない。暇な時に読めばいい、字は分かるんだろ」
「いいんですか? じゃあ、魔女のことを調べ終わったらお借りします!」
(わあ、嬉しい! 汚さないように読まなきゃ!)
内容が理解できるかはさておき、こんな立派な本を自由に読んでいいなんて、思いがけないご褒美だ。
ににこにこしながらシリルに礼を言うと、大げさだと呆れられてしまったが、とても嬉しい。自分のあの部屋で、あの椅子に座って本を読む――なんて魅力的な時間だろう。
興奮が冷めやらぬまま、ローラはさて、と袖を捲った。
「じゃあ、さらに気合を入れましょうか! それにしても、難しそうな本がいっぱいですね」
「ここは訳本も多い棚だからな。それでも、言い回しは独特なものもあるが、慣れれば内容的にたいしたことはない」
「侯爵様と私の『たいしたこと』の基準はかなり離れていると思うので、分からないところはその都度聞きますね!」
王国史など歴史書の近くには、各貴族家の系譜も置かれている。ざっと見回しても、娯楽小説は見当たらず、実務的なものや、アカデミックな本が多い。
驚いたことに、どれも読まれた形跡がある。体裁のために揃えたのではなく、実際に調べたり読んだりして仕事に使っているのだろう。
これがきっと貴族の家の本来あるべき図書室の姿なのだ。
張り切るローラとは反対に、シリルのテンションは低い。本に手を伸ばす前に振り返ると、やれやれと言いたげに軽く肩を竦めていた。
「……フレディがうるさいから来たが、この部屋はかなり調べ尽くしている。魔女のことを書いてある本はなかった」
「少しもですか?」
「ああ。『呪われた』事例ならいくつかあった。ほら、そこにまとめている」
指さされた先にあった数冊は旅行記や著名人の回顧録で、それぞれ栞が挟んであった。
開くと、たしかに魔女に呪われた人のことが書いてある。けれど記述は短く、結局呪いが解けないまま終わっている。
しかもどの本でも必ず、呪いを受けるのは極悪非道な悪人ばかりだ。
(私が聞いた話もそういうのだったけど……なんだかなあ)
現実では、魔女は利害や善悪に関係なく、気分次第で人を呪うこともある。むしろそっちのほうが多いとも聞く。
けれど、伝わり広がる話の「呪い」は、横暴な権力者に対する正義の鉄槌となっているものばかり。
理不尽かつ人智を超えた力は、弱者のためにこそ振るわれてほしいという庶民の願いが反映されているのだ。
目の前にいるシリルは、呪いの純然たる被害者である。
呪われた理由は当事者であるシリルの祖父と魔女の問題であって、そもそも子や孫は無関係。
けれど、もしシリルが呪われていることが公になったら、世間は「運が悪かった」のではなく、本人や家に非があったからだと後ろ指をさして責めるに違いない。
これでは他人に打ち明けられなくて当然だ。
(……私もそう思っただろうな)
シリルと関わらなければ、ローラだって気の毒に思いつつもそれ以上にはなにも感じなかったはず。
本当のことを知ろうともしない無関心が、偏見につながるのに。
申し訳なくて、情けない。
自分にできることは高が知れているが、雇ってもらえた恩返しだけではなく、せめての罪滅ぼしにも手伝いたいと思う。
「……じゃあ、ここにあるもの以外で探します」
しらみつぶしに本を開きそうなローラの気迫に根負けして、シリルが本の置き場を説明してくれる。
「こっちの棚は、市場動向の変遷や年鑑といった資料がまとまっている。紀行文や滞在記なんかは向こうにあって、奥側は詩集や戯曲集が――」
数は多いが、しっかり整頓されているから分かりやすい。シリルの説明を一通り聞いて、ローラは改めて沢山の本と向かい合った。