ローラ・リドルというメイド 3
フレディが強引にローラを雇ってからというもの、毎日の食事が見違えただけでなく、こういう菓子もよく口にするようになった。
前までいたコックは料理上手だったが、デザートにはあまり興味がなく、シリルたちもそこまで求めていなかったのだ。
新しい使用人など、面倒だし危険因子でしかないと思っていた。
しかし食事情がかなり改善されたのは事実である。
そして、気を逸らせたフレディが駆けていったのも、自分が僅かでも未来に前向きになったのも、この騒がしい小柄なメイドのせいであることは間違いない。
(ホイストン卿とリドル男爵の調査順位を上げるか)
どちらも叩けば埃が出る。まとめてさっさと潰したほうが後々のためだ。
そこまで自然に考えが行って、自分が「これから先」のことを考えていると気がついた。
「あの、もしかしてフールはお嫌いでした? クリームは軽めにしてみたんですけど」
反応の薄いシリルが気になったのだろう。おずおずと窺ってくるローラと、ガラスの器に入ったデザートを見比べる。
ピューレにした果物をクリームに混ぜ込んだフールは、家庭用の手軽な菓子だ。
(これは、母さんが好きだった――)
祖父が呪いを受ける前、まだ母が生きていた頃の記憶が蘇る。あの頃も、こういうデザートがよく食卓に上がった。
……帰宅の遅い祖父を心配しながら待っていたあの晩、屋敷に巨大な獣が現れた。シリルを庇って母がその獣に襲われ、父は迷いなく猟銃を向けた。
騒然としたホールに残されたのは、噛みちぎられ、鋭い爪に引き裂かれた母の死体と、何発も弾を撃ち込まれてようやく斃れた獣。
その亡骸が祖父へと戻るのを、信じられない気持ちで眺めた。
猟銃を取り落とし、蒼白な顔で膝をつく父に縋ろうとした幼いシリルの耳に、魔女の高笑いが響いた。
あの日からずっと、この家もシリルも、暗闇の中でもがいている。
「ええと、侯爵様?」
なにも知らずに飛び込んできたこのメイドは、誘拐犯にレモンを投げるし、子どのシリルを抱き上げるし、雷に怯えて泣くくせに犬は怖がらず餌付けをしたがる。
本当に、規格外だ。
呪われているという事実よりも、デザートに反応のないシリルのほうに焦るローラがおかしくて、少しだけ口角が上がる。
「なんでもない。この器は母が気に入っていたやつだと思い出していただけだ」
「えっ、もしかして大事なとっておきでした? すみません、食器棚にあったので使っちゃいましたけど、わわっ、どうしよう……!」
凄惨な現場ではなく、平和だった家族の姿を明るい気持ちで思い出せたのはいつ以来だろうか。
「使われて困るものなら、手の届くところに置かないだろ」
「そ、そうですよね! あー、焦ったぁ……!」
「お前、動揺しすぎじゃないか?」
「侯爵様が思わせぶりなことを言うからです! こっちは小心者なんだから、加減してくださいっ」
「小心者は誘拐犯を撃退したり、嵐の晩に男をベッドに連れ込んだりしないと思うが」
「そ、それはだって、お坊ちゃまだったし、いやもう連れ込んだなんてそんな! ああ、でも事実? やだー!」
(……妙な奴)
気の抜けたローラの叫び声がキッチンに響き、シリルは久し振りに声を出して笑った。
§
ごてごてと飾り付けられたリドル家の応接室は、不穏な空気に包まれていた。
わざとらしく溜め息を吐いて、夫妻の対面に座った男性が薄い唇を開く。
「約束を反故にされるとは、私も見くびられたものだな」
「い、いえその……っ、ホイストン卿、お言葉ですが……!」
「しらばっくれても無駄だ。小物のお前たちに目を掛けてやったのに、飼い犬に手を噛まれるとはこういうことか」
底冷えのする声に、リドル夫妻が揃ってますます肩を縮めた。俯いた顔は蒼白で、恥辱と恐れに歪んでいる。
「娘はダンフォード侯爵家にいるそうだな」
「ど、どうしてそれを!」
「おかしなことを。花嫁の引き渡し延期を申し出て、ろくな理由も説明もないときた。これで調べないほうがどうかしている」
「ぐ……っ」
冷や汗を流しながら、リドル男爵が押し黙る。
(く、くそっ、ローラめ!)
とある事業の会合で面識を得たホイストン伯爵により深く取り入るため、姪を差し出すことにした。
赤子のうちから引き取って世話をしてやったのだから、最後まで自分たちの利になって当然だというのに、突然姿をくらましたと思ったら、侯爵家の使用人になったという。
侯爵家の執事が突然現れ、こちらが驚いている間に、ローラの身柄を正式に譲渡する手続きは済んでしまった。
人嫌いで有名なダンフォード侯爵は、王太子の覚えもめでたい実力者だ。社交はしないため袖の下は通用せず、家格からいっても逆らえる相手ではない。
あの家の使用人となったローラには金輪際関わらないという絶縁状に署名までさせられてしまったが、到底受け入れられるものではない。
「私が払った支度金を今すぐ返すか、約束通りローラを連れてくるか選ばせてやろう」
「そ、それは……っ」
追加の援助どころか、先に渡した金を返せと迫られて、リドル男爵の額から汗が落ちる。
(金なんてもうとっくに使った! ちくしょう、正式に結婚した後に、もっと巻き上げてやるつもりだったのに)
同じ穴の狢であるホイストン卿のやりくちは自分がよく知っている。金を返すか、ローラを渡すかしなければ、自分たちの命が危ない。
煩く響く心臓の音に、妻であるマチルダの震える金切り声が重なった。
「ロ、ローラは、行儀見習いに行っているのです! お恥ずかしながら躾け不足でして、あのままではホイストン卿に恥をかかせてしまいますもの。ねえ、あなた、そうですわよね!」
「! え、ええ! そうですとも、行儀見習いですよ、は、ははは!」
同意を求められ、大いに頷く。
「お約束の期日には少し遅れてしまいましたが、必ずや、近日中にホイストン卿のもとへ連れて行きますのでご安心くださいませ!」
今は帰ってくれ、と口には出さずに全身で念じる。
ホイストン卿の刺すような視線はしばらくこちらに向けられていたが、たっぷり侮蔑を含んだ溜め息と共にようやく外れた。
「その言葉に偽りはないな」
「ございません!」
「次に破ったら倍額を請求する。それと、私の事業への参加権も剥奪するから、そのつもりで」
「ホイストン卿っ、それだけは!」
それはまずい。ホイストン卿の「事業」 にはもうかなり投資しているのだ。まだ利益を手にしていない今の段階で権利を剥奪されたら、これまでつぎ込んだ大金が無駄になってしまう。
こちらの足元を見た宣言だが、リドル男爵は表立って訴えられる立場にない。
歯噛みする思いでさらに頭を下げる。
「二度目の猶予はないと思え」
「……承知いたしました」
(儂にこんな惨めな思いをさせやがって……!)
捨て台詞を残して、ホイストン卿が部屋を出て行く。
骨が軋むほどに握り込まれた拳は、元凶であるローラに振り下ろさねば気が済まなかった。




