ローラ・リドルというメイド 2
予想外の質問に意表を突かれたのはシリルたちのほうだったのに、ローラはぽかんとした顔でこちらを見てくる。
「あの、魔法や呪いは、それをかけた魔女の名前で解けるって……知ってますよね?」
「は? ……いや」
「知らない。少なくとも僕は聞いたことない」
「えっ」
詳しく話せとフレディが身を乗り出すと、今度はローラのほうが驚いて説明を続ける。
「魔女は自分の名前を力の源にしているから、誰にも奪われないように秘密にしているんだそうです。だから、鍵となる名前を暴けば呪いも力を失う……って」
「なにそれ、どこ情報? 誰から聞いた話?」
「し、下町の、乾物屋のおばあさんが」
ぐいぐいとフレディに真顔で詰め寄られて、ローラがたじろぐ。
「その、みんな知っているとばかり思っていたんですけど。昔話や子守唄にもありますし」
「昔話に子守唄? つまり、庶民の口伝か……盲点だったな。僕たちが調べていたのは、貴族の情報ばかりだ」
――確かに、これまでシリルたちは魔女について貴族の枠組みの中で調べていた。
平民の間で書物や学問はたいして広まっていない。当然、めぼしい本もなく、初めから気にもかけていなかった。
「オルグレン卿も、そんなことは言っていなかったよな。シリル、僕が席を外しているときに聞いたか?」
「いや。魔女の名前のこととかは、なにも」
勢い込んでフレディに訊かれて、顔を見合わせた。
「ローラ。そのおばあさんから、僕たちも話を聞きたい」
「あ、今は……もう」
亡くなったのだと言われて、フレディが分かりやすく残念がる。
「そっか……仕方ないけど、そうかぁー」
若い頃には各地を行商して回った女性だそうで、いろいろな逸話や伝承にも詳しく、暇を見ては子どもたちによく話してくれたのだとローラは言う。
「下町には、ほかにも偉い先生がいらっしゃったんですよ」
計算や読み書き、一般教養など。家で勉強をする機会が得られなかったローラの知識のほとんどは、下町の皆から教わったものだ。
王都の裏町は、一見そうは見えないが老学者や元官吏など、博識な人たちも住んでいる。
言いつけられた用事の合間を縫って交流した彼らは驚くほど物知りで、教えてくれるいろいろな話を聞くのがローラの楽しみのひとつだった。
「昔話とか子守唄とか、それに字の書き方も、その乾物屋のおばあさんが私に教えてくれたんです」
「面倒見のいい人だったんだね」
「ふふ、怒るとすっごく怖いんですけど。でも、そうですね。大好きでした」
そう言ってローラは懐かしそうに窓の外、下町の方角に目を向けた。
聞き終わったフレディは思案顔で眉を寄せていたが、すぐにシリルに向き直る。
「なあ、シリル。僕たち、魔女って個人としては考えていなかったよな」
「個人? ああ……たしかに」
魔女は「魔女」としてひとくくりにしていた。
それぞれに名前があるかどうかだって気にしていなかったくらいだし、だから魔術伯のエドガーに相談した内容も、あくまで「呪い」についてだけだ。
呪いについての書物は、数寄者の貴族が記したものがごく僅かに残っている。
手がかりを探して閲覧制限がかかった王宮の蔵書も調べたし、稀覯本があると聞いて辺境領にまで行ったこともある。大枚を叩いて手記を買ったことも。
そして、そのすべてに落胆してきた。
だが――。
「呪いの解呪方法ではなくて、魔女個人の情報なら、どこかにあるかもしれない……そうだ! 大昔の裁判記録とかをひっくり返せば、それっぽい名前のひとつくらい分かるかも」
もしかしたら、これまでは見当違いのところを捜していた可能性がある。
そう気づいたフレディの目がきらりと光った。
「そう都合よくいくわけがないだろう。もし記録が残っていたとしても、ダンフォードを呪った魔女本人の名前とは限らな――」
「いいんだよ、シリル。やれることがあるだけマシさ! ローラ、ありがとう。よし、王立図書館に閲覧申請を出して、それと魔術伯にももう一度相談してみよう」
「おい、フレディ!」
「僕が戻るまで、シリルたちは屋敷の図書室を調べておけよ! じゃあな!」
早速手紙を書くと言って、止める間もなくフレディはキッチンから出て行ってしまった。残されたシリルと同じく、ローラも茫然としていたのだが。
「行っちゃった……? デザート、これからなのに」
斜め上な呟きに肩の力が抜けた。
改めてテーブルに目をやると、あらかた食べ終わった食器が残っている。あくまで平和な日常風景には、さっきまでの深刻な雰囲気はもうない。
「……残しておけばいい」
「そうします。でも午後にはチェリーパイも焼きますよ」
「ローラ」
出て行けと言われたことを忘れているようなローラは、にこりとシリルに笑みを向ける。
「私が出て行くのは、やれることをやってからって言いました。さしあたっては、魔女の名前を見つけましょう!」
あっさり言い切られてにこりとされると、それもそうだと納得しそうになって小さく首を横に振った。
簡単に他人に流されるような自分ではなかったはずなのに。
「……分かっているのか、呪いだぞ? 逃げるのが普通だろう」
「んー、さっきも言いましたけど、こちらで怖い思いをしたことがないですから。今さら脅されても、って感じなんですよねえ」
「ずいぶん呑気だな」
「でも、私は平気でも、『もし、なにかあったら』って侯爵様が心配してくれているんですよね。とりあえず、これからは寝るときに部屋に鍵を掛けますので安心してください」
「まさか今まで鍵を掛けてなかったのか?」
「あはは、忘れてました!」
あっけらかんと言われて、座っているのに膝が崩れるかと思った。
(そういえばフレディが、子どもの俺を探して部屋を覗いたと言っていたな……最初から開いていたのか)
自分もフレディも、使用人に不埒なことなど企まないが、年頃の女性としてどうなのだ。今日一番深いため息を吐くシリルにローラが焦り出す。
「ローラ、お前な……」
「だ、だって、今まで部屋に鍵なんてついてたことがなかったですし。第一、侯爵様もフレディさんも、私のことなんてそういうふうに見ないでしょうっ」
「見る見ないの問題ではなく、不用心すぎるだろ!」
「き、気を付けます! 私、デザートの用意をしてきますねっ」
わたわたと顔を赤くして慌てた様子で席を立つが、自覚が遅い。これでホイストン卿と結婚させられていたらどうなっていたことか。
(……ホイストン卿か)
王太子から依頼された調査対象者リストにも、あの男の名は入っている。
後ろ暗い行動は確認できているが、狡猾な奴でなかなか証拠を残さないから、それ以上踏み込めてはいない。
――諦めていないだろうな。
ホイストン卿は執着心が強い。手に入るはずだったモノを逃したまま、大人しく引き下がるとは思えない。
(フレディが言うには、リドル男爵夫妻は承諾したという話だったが)
不意打ちが功を奏したが、いつ義娘を取り戻しにきてもおかしくないだろう。
ローラは自分なんか求められていないと軽く言ったが、少なくともホイストン卿とリドル夫妻は隙あらば連れ戻そうとしているはずだ。
呪われた自分と、虐げてくる身内となら、どっちがマシだろうか。
(……どちらも最低だ)
「侯爵様、ここに置きますね」
語りかける声に意識を戻せば、ローラがデザートを持ってきたところだった。