第20話 ジャズ・ロックを叩いて渡る 3
右膝、それが下がって、また右膝。
鉄の臭いがする、鉄の味がする。
勝の鼻から弾けた血が口の中に入る。
鼻呼吸が血で邪魔され、ティホンの膝が下りた瞬間、慌てて口から息を吸い込んだ。
口に入る息の様に、膝が勝の顔面に吸い込まれる。
四度目の膝。
勝の鼻から弾けた血が顔面中に広がった。
強烈な痛みに勝は意識を飛ばしかける。
視界がぼやけて、まるで光に包まれたように白くなった。
身体からは力が抜け、痛みを感じなくなり楽になっていく。
やべぇ。
心の中で呟いた言葉は、しかしそれほど危機感のあるものではなかった。
薄れていく意識の中で、自身の危うさを実感しきれていない。
やべぇ、という自分の感情がまるで他人の呟きの様だった。
しかし、意識を失うことをティホンが許さなかった。
掴んでいた頭を上へと引っ張り、勝の上半身を起こすと押し込むように胸へ前蹴り。
なされるままに押され、勝は後ろの高級ソファーに座るように倒れ込んだ。
ティホンの大きな靴跡が勝の服にくっきりとついた。
蹴られた衝撃は心臓を止めてしまうかというほどだった。
かはっ、と音をたて勝は息を吐いた。
素早く短く、乱暴に呼吸を繰り返す。
止まりかけた心臓が反発するように動き出した。
心臓の鼓動がその乱暴な呼吸より荒々しく、身体を震わす。
真っ白になろうとした視界が鮮明さを強引に取り戻した。
意識だけは、はっきりとしている。
心臓が無遠慮に叩き起こしてくるからだ。
しかし、身体を動かせるとは思えなかった。
膝蹴りを何度も食らった手は痺れていて、顔に、いや頭に食らったダメージは足にきていた。
高級ソファーから立ち上がろうと身体に力を入れようとするものの、まるで力の入れ方を忘れてしまったかの様に動かなかった。
まるで、自分の身体では無いような感覚だ。
視界正面には、ティホンが立っている。
両足を前後に開き、両手は開いたまま肩の高さで構えていた。
若干前屈みの姿勢で、長身のティホンがそうすると威圧的であった。
勝は歯をくいしばった。
何度も膝蹴りを食らった顔には、どうにか力を入れられるようだ。
奥歯がガキッと音を立てた。
荒々しくなる呼吸をどうにか抑えようとする。
鼻で息を吸い込もうとすると、また鉄の味がした。
鼻血が鼻の奥から喉へと流れ、喉元で詰まる。
呼吸が止まり苦しくなった勝は、しかし身体に力が入らずもがくことも出来なかった。
はっきりとした言葉にならない音が口から溢れる。
勝は必死に、まさに必死にその音を鳴らし続けた。
かっ、かっ、かっ、かっ。
やがて血は痰と共に口から飛び出した。
赤い絨毯に赤く濁った痰が落ちた。
また荒々しくなる勝の呼吸。
しかし次第に呼吸は落ち着きを取り戻していく。
ティホンはじっと待ち構えていた。
あと一撃、その筋肉の塊の様な太い脚で頭でも蹴ってしまえば勝を呆気なく殺せるだろう。
コロスと宣言した男は何を待っているのだろうか。
痰の次は鼻血を噴き出し絨毯を汚す勝を前にして、ティホンはじっと構えて動かなかった。
余裕なんだ。
待ち構えるティホンを睨み、勝はそう思った。
痛めつけた相手が苦しみもがき、そして最後の反抗をしようとするのを待つ余裕。
目の前の大男は紳士的に勝が立ち上がるのを待っているのではない。
ただ痛めつけた相手の最後の足掻きを打ち砕くタイミングを待っているのだ。
単なるサディストだ。
呼吸を整えつつあった勝は再び歯を食いしばった。
呼吸が正常になったことで、身体に力を入れる感覚を思い出した。
ソファーの縁を両手で掴み、強く押した。
両足を揃えて上げ、ガラスのテーブルを蹴り押す。
テーブルの重さに食いしばった歯に力が入る。
ガキッと音が鳴る。
テーブルは勢い良く絨毯を滑り、ティホンの前に構えた左足、脛へとぶつかる。
「余裕こいてっからだよ!」
苦痛の声をあげ、前屈みになるティホン。
勝はテーブルを蹴った勢いに乗って身体を起こすと、一歩二歩と踏み込んでテーブルに飛び乗る。
テーブルに着いた右足を踏み込んで、さらに跳ねる。
左飛び膝蹴り。
前屈みになったティホンの頭を両手で掴み、先程のお返しにと顔面に膝を叩き込んだ。




