第六章 聖都アル・メイダ・オルカダール(5)
皇国だ、と誰かが声をあげた。
「……あ」
遠く見える陸の影。幾つもの高い尖塔が立ち並んでいるのが見てとれる。
(あれが、聖都?)
「いえ。聖都……アル・メイダ・オルカダールは、もう少し内陸にあります。あれは、聖都への玄関口。皇国の誇る自由貿易都市アル・ダーフルでしょう」
「アル・ダーフル……」
「自由貿易都市って何ですか?」
アルフィナは軽く首を傾げる。
『自由貿易』という単語が気になった。
「どこの国の誰であっても、許可さえ受ければ自由に商売ができる都市だからそう言われています。他国の商人であっても制限はありません。商売をする為に許可を受けなければなりませんが、その手続きも一律です」
(意味、わかんない)
「普通はですね、自分の国の商人を優遇します。他国の商人の扱う品とは関税の税率が違っていたり……あー、税率ったってわからないですかね。えーと、国が取る手数料のようなものが、自分の国以外の商人だとすごく高かったりするんですよ。でも、アル・ダーフルでは同じなんですね」
「……そうすると、何がいいんですか?」
「簡単に言えば、商業活動が盛んになります。純粋に商品だけで勝負できるということですから。アル・ダーフルはたぶん大陸一、二を争う貿易都市でしょう。ティシリア皇国は元々治安の良さで知られていますが、聖都のお膝元であるせいで尚更です。更に税金が安く、アルネラバとの良好な関係もあって交通の便も良く、港も整備されているとくれば栄えないはずがありません」
「……ようは、栄えるための条件が揃ってるんですね?」
「この上なく」
ルドクはきっぱりと言い切り、そして、わずかに笑んで付け加えた。
「アル・ダーフルで成功することが、商人の究極の野望といっても過言ではありません。それは、大陸随一の商人であるという証明のようなものですから」
ルドクはどこか別人のようだ、とアルフィナは感じ、そして、イリは初めて出会う人を見るような表情でルドクを見ていた。
「どうしました?」
「いえ……何か、ルドクさんがいつもと違って見えて」
「ああ……もうすぐお別れですから、少し感傷的になっているのかもしれませんね」
「お別れ……」
ズキリと胸の奥が痛んだ。
わかっていたはずなのに、その言葉を聞くとどうしても胸が痛む。
「ええ。聖都についたらお別れです」
(どうして?)
イリは大きく目を見開く。
出会った頃のことを考えると、格段に表情豊かになっている。ルドクはそのことが少し嬉しかった。
「イリは別としても、アルフィナさんは聖都でできるだけ位の高い人を教母、ないし、教父にして洗礼を受け、すぐにでも聖職者にならなければならないんです」
(シェス様ではダメなの?)
「シェス様は、まだファナですから」
(そうだけど……)
「純粋に位だけで言うならば、シェス様にアルフィナさんを守ることはできません。今、シェス様がアルフィナさんを庇護しているのは、物理的にシェス様に力があるからです」
(ぶつりてき?)
「あー、単純に、襲ってきた人間を撃退できる力があるってことです」
その言葉にイリは深く納得した。
「……やっぱり、一緒にはいられないでしょうか?」
アルフィナは躊躇いがちに問いを口にする。
これまでの道中をシェスティリエの庇護下で過ごしてきたアルフィナは、その状態の居心地のよさに慣れてしまっていた。
イリがいて、シェスティリエが居て……そして、自分が守るのはシェスティリエだけだと言いながらも、イシュラが守ってくれて……旅を続けるルドクは別だとしても、そうやってずっと皆の中に居たいといつしか思うようになっていた。
そう。一緒にいられるのであれば、シェスティリエの従者のままで良いとさえ思っている。
「アルフィナさんがどうしてもご一緒にいさせて欲しいとお願いすれば、シェス様はダメとは言わないかもしれません。シェス様のことです。何か方策を考えてくれるでしょう。……でも、それではいつまでたっても貴女は変われない」
「それは……」
「……アルフィナさんは、ちゃんと、最初に考えていた道を歩むべきでしょう。そうでなければ、あのお屋敷を出て、皇国を目指した意味がないのではありませんか?」
「でも……」
アルフィナは躊躇う。
一度、あんなにもはっきりと決意したことなのに、迷わずにはいられない。
自分の弱さを知りながらも、それを思い切ることができない。
「守られるだけが嫌だったのでしょう?」
「……はい」
「皇国で聖職者となり、ちゃんと自分の道が見つけられれば、いつか、あなたはあなたの力で誰かを守ることのできる人になれます」
ルドクは優しく言い諭すようにアルフィナに言う。
その言葉は、迷うアルフィナの心に突き刺さる。
「私が、守る……」
「そうです。……そして、そういう人になることが、シェス様の役に立つ日がいつか来るかもしれない」
「……私に、なれるでしょうか?」
アルフィナの問いに、ルドクははっきりとうなづく。
「なれます。……僕だって、そうなるつもりですから」
アルフィナは何だか胸の奥が熱くなるのを感じて、どうしていいかわからなくなった。
なぜか涙が出そうで、それを無理やりこらえるようにして問う。
「ルドクさんは何になるんですか?」
「皇国一の穀物商になる予定です」
ルドクはサラリと言った。
アルフィナもイリも笑わなかった。
それがどれほどのことかを正確に予想できなかったせいもあるが、何となく、ルドクならなれそうな気がしたからだ。
「……諦めなければなれると思うんですよ」
ルドクは少し恥ずかしそうに付け加える。
それは、アルフィナたちのよく知っているいつものルドクの表情で、何となくアルフィナはほっとした。
(……僕もなれるかな……?)
イリがそのまっすぐな瞳で、ルドクを見上げた。
混じりけなしの純粋さ……それは純粋であるからこそ危うかったが、同時に比べようのない強さをも持つ。
「イリは何になりたいんですか?」
聞かずともその答えをルドクは知っていた。だが、あえて問う。
大概のことをどうでもいいと思っているイリには、『自分の意思を表す』ということが必要だからだ。
(シェス様を守りたい)
「なれますよ。だって、イシュラさんの弟子になるんでしょう?」
(うん)
「……イシュラさんは、帝国でも有数の剣士です。……何か言ったらいけないような気がして本人には言いませんでしたが、『左の死神』……ローラッドになんて一度も行ったことのない僕ですらその異名を知っていたほどの人です。だから、イリも諦めないで修行をすればきっとなれます」
(いっぱい、強くなりたい)
「大丈夫ですよ、きっと」
だが、イリが守りたいというシェスティリエより強くなるのはかなり困難ではなかろうかとルドクは思った。
ルドクの中での最強はシェスティリだ。それは、おそらくそうそう間違いは無いだろう。勿論、それを口に出さないだけの分別はある。
「……みんなで、約束をしませんか?」
「約束、ですか?」
二人の視線がルドクに向かう。
「はい。大事な約束です」
ルドクはそれにはっきりとうなづいてみせた。
(何の約束?)
イリがクビを傾げる。
「……諦めないことを」
何を、と問う必要は無かった。
「はい」
(はい)
二人も当たり前のようにうなづく。
「……いつか、シェス様の役に立つ人間になること」
「はい」
(もちろん)
「絶対に諦めないこと」
「はい」
(う……はい)
うん、とうなづきかけ、イリはアルフィナを真似して「はい」と返事をする。
「僕もですが、きっと、二人にも辛いことがたくさんあります。世界はそれほど優しくできていない。でもね、僕らはシェス様に出会った……それは、きっととても幸運なことなんです」
「それは、本当にそうだと思います!」
(僕もそう思う)
「それを忘れそうになることもあるかもしれない。……だから、約束しましょう。僕は絶対に自分の道を諦めない。だから、二人も諦めないで下さい」
「……はい」
(はい)
二人の神妙な表情にルドクは小さく笑う。
「……まあ、こうやって二人と約束することで自分に言い聞かせているんですけどね」
(?????)
「僕のほうが少し年上ですからね、君たちにいいとこ見せたいっていう見栄っ張りな気持ちが、原動力になるんですよ」
諦めたら恥ずかしいってね。
(ルドクさんは、大丈夫だよ!)
根拠も何もないのに、イリは絶対に平気と言い切る。
そして、それを心から信じて疑わない。
「私もそう思います」
そして、アルフィナもまた、まったく疑問ももたずに笑みを浮かべて賛同する。
「ありがとう」
ルドクは笑った。
きっと、どんなときでも、今この時を思い出すことができれば自分は大丈夫だと思える。
自分を信じる人間がいるということは、ただそれだけで自分を支えてくれるのだ。
何をしてくれなくてもいい。ただその存在だけで力になる。
「僕も二人を信じてます。……絶対に大丈夫だと」
「……はい」
(うん)
何か思うところがあったのだろう。真剣な表情で二人はうなづいた。




