第三章 王都ルティウス(10)
「叔父様っ」
飛び込んできたのは、少女だった。
華美ではないシンプルなドレス姿であっても、その美貌は明らかだった。
(……へえ……こりゃあ、美人だ)
「叔父様……ああ……よかった……」
これがアルフィナなのだと、誰に聞かずともイシュラにもわかった。
「アルフィナ……」
リュガルトはのろのろと顔をあげる。
「エレノアから聞きました。叔父様が、旅の聖職者様を私の身替わりにしようとしてるって」
(察するに、あのメイドのねーちゃんがエレノアか……)
アルフィナは、シェスティリエを見て、目を見張った。
菫色の瞳が大きく見開かれる。大概の人間と同様に、その幼さにまず驚いたのだろう。いつもそばにいるイシュラやルドクはついその幼さを忘れがちだが。
「……ファナ……叔父様のこと、申し訳ございませんでした」
膝をつき、両手を組んで深々と頭を下げる。
「謝って許されることではございませんが、どうぞ、叔父様の暴挙をお許しください」
「ころされて、めをくりぬかれるところだったことをゆるせ、といわれましても……」
静かにシェスティリエは微笑む。
その言葉に、表情が大きく歪む。だが、それが事実であることを、アルフィナも承知していたのだろう。否定はしなかった。
(ま、そんなこと、させるわけねーけど)
イシュラは、自分がいる限り、シェスティリエに傷を負わせるつもりはまったくない。
「それは……それは、すべて私ゆえのこと。……罰は、私が代わってお受けします」
やや青ざめた顔色ながらも、アルフィナはきっぱりと言う。
聖職者に対する傷害の罪は通常よりも重い。それが、ティシリア聖教を国教とするフェルシアの法の基本原則だ。
「アルフィナ。罰ならば私が受けるのが道理だ」
「いえ、違います。私が……」
「ファナ、あなたを狙ったのは私だ。アルフィナには関係が無い」
「いいえ、私が紫の瞳だからこそ、叔父様はファナを狙ったのです。ですから、責は私に。どうか叔父様には慈悲を賜りたく……どうか……」
かん、とそれほど大きくない音が響く。
互いに自分に罪を、と言い争そっていた二人は、ぴたりと動きを止めた。
「うるさい。かってにありもしないつみをかぶりあうな」
シェスティリエは軽く眉を顰める。
「ファナ……?」
「あの……」
リュガルトとアルフィナは、シェスティリエの変貌に目をしばたかせる。
「……あー、姫さん、言葉遣い、言葉遣い」
「おひめさまぶりっこは、もうおわりだ。とっくにじかんぎれだ。……よいか、リュガルト=シュリエール=ヴィ=ガーナ。おまえのたくらみなど、さいしょからきづいていたといっただろう。それにつきあってやったのは、おまえにりようかちがあるからだ」
「……は?利用価値?」
言われた当人は、あまりの言葉に目を白黒させる。かたわらの、リュガルトに縋っているアルフィナも同様だ。
「姫さん、正直すぎ、正直すぎ」
「こんなことをことばをかざってどうする。………そなた、おちゃはいれられるか?」
「は?はい」
こくこく、とアルフィナはうなづいた。この子供に逆らってはならない、と本能が告げていた。
「なにか、ほかにとくぎは?」
「えーと……えーと……」
「……なにもないのか?」
シェスティリエは、やや嫌そうな顔になる。
「えーと……あ、あります!フォルテール流拳法の免許皆伝です!」
アルフィナは笑顔満面で言いきる。
その隣で、リュガルトはああ~っと力ない奇声を発し、がっくりと肩を落とした。
「は?」
イシュラは思わず疑問を発してしまう。
(けんぽう?けんぽうって拳法?貴族の……いや、王族か?まあ、いいや。この、お姫さんが?)
目の前のアルフィナは、特にむきむきまっちょというわけではない。ガリガリというわけでもなく、とくに太っているというわけでもない。普通に健康的な少女だ。しかも、平均を遥かにこえる美貌の持ち主だ。
シェスティリエと並べれば、さながら、柔らかな春の陽光と冴え凍る冬の夜の月光といった風情で、まったくもって目の保養になる。
「免許皆伝といっても……フォルテール流ですから、試合をしたりしたことはないのですけれど……」
恥ずかしそうにアルフィナは言う。
フォルテール流は古い拳法の一派だ。評価の基準は技や型をどれだけ美しく演じることができるかで、直接に拳を交わすことがない。試合の代わりとなるのは演舞で、互いに型を披露しあう。
貴族階級の人間が好むのは、武術という形でありながら、ケガをする要素がない為だといわれている。確かに実践的ではないだろう。
(あー、確かにお貴族さま御用達っつーか、お決まりだけど……)
それでも、れっきとした貴族の姫君が特技とするにはそぐわない。……いや、正直に言って、貴族のご令嬢の特技に、武術は………ダメだろう。だからこそ、リュガルトはこんなにも悲壮な表情で肩を落としているに違いない。
「……いや、いい。それはすばらしいとくぎだ」
だが、意外にもシェスティリエには好評だった。
「え?そうでしょうか?」
「ああ。……ところで、そなた、このさきどうするつもりだ」
「え?」
「………そなたは、おうぞくとしてはかちがない。きぞくのむすめとしては……おうひのにくしみをかっているじてんで、どんぞこをえぐるくらいマイナスだ」
(どん底を抉るってどんんだけマイナスだよ……)
まあ確かに、婿養子の夫が浮気をして作った娘を憎まないでいられる妻がいるとは思えない。
生まれた子供には罪はありませんから、と微笑み、その裏でいろいろと画策するよりは、最初から、おまえなど許すものかという態度でいてくれるほうが大分マシに違いない。
が、その妻が、一介の商家のおかみなどではなく、れっきとした一国の王妃……それも、王家の血を引き、『陛下』の称号で呼ばれる共同統治者である場合、それはとても恐ろしい事態を招く。
目の前の少女は、その恐ろしい事態の、まさにその渦中のど真ん中にいるわけだ。
「どん底……」
あまりに率直過ぎる言葉に、アルフィナは目を大きく見開く。
「そうだ。……ロクデナシのちちおやをたよろうなどとは、おもわぬほうがよいぞ」
「……父だなどと、思ったことはありません」
その静かな声音には、不思議なほど感情がこもっていなかった。怒りも、悲しみも、そして、憎しみさえもなかった。
「それはよいこころがけだ」
うん、うん、とシェスティリエはうなづく。
それから、アルフィナの前に立って、まっすぐと見下ろした。
「……たしかにどんぞこのマイナスだがな、それはべつにそなたのせいではない」
「………ファナ……」
「そなたは、そなたじしんのちからでゼロからはじめることもできるのだ」
アルフィナの瞳が、信じられないと言いたげな光を帯びる。
「わたしははくしゃくけのちゃくしだ。そなたとちがい、くににはきぞくのひめとしてのさいこうのしあわせ……とやらもそんざいしていた」
(皇子の婚約者だもんな……いや、もう『元』か……)
「良家とのご婚約が整っておられた?」
「ああ。……いくさがなければ、きっとそのまま、わたしはあたえられたしあわせのなかでいきていっただろうとおもう。なにもおもいだすこともなく、そして、りょうしんをうしなうこともなく……」
「戦に……巻き込まれたのですか?」
「そうだ。わたしじしんのいのちもあやうかった……イシュラがおらねば、きっといまのわたしはなかっただろう」
それはイシュラも同じだ。
シェスティリエがいなければ、今のイシュラはない。




