第三章 王都ルティウス(11)
「……わたしは、あのときのいくさをけっしてわすれないだろう」
「だから、聖職者におなりに?」
「………それも、りゆうのひとつだな。だからといって、ごかいしないでほしい。いくさをなくすためにとか、いくさのむえきさをおもいしって、かみのおしえにめざめたとかというわけではない。……ただ、せいしょくしゃになることが、わたしのもくてきをたっするのに、いちばんごうりてきだったにすぎぬ」
アルフィナは小さく笑った。
目の前の幼い少女は、やや舌足らずな甘い声音で淡々と己の思うところを語る。そして、聖職者でありながら、そうなったことを手段だと言い切る。その潔さに、羨望を覚えた。
「……そなたにも、わるくないせんたくだとおもうぞ」
「私、ですか?」
アルフィナは虚をつかれたような顔をした。
「そうだ。ティシリアせいきょうのせいしょくしゃになるということは、かこのすべてをたちきることができる。……そう。ちちおやとのかんけいをたちきることもできるのだ。……つまり、そなたは、マイナスからではなくゼロからはじめられる」
アルフィナは、そして、リュガルトは、はっとしたような顔をした。
「…………………なんだ?まさか、そんなかんたんなことにきづいていなかったのか?」
「え、ええ……だって、私は特に信仰が篤いわけではありませんから……聖職者になろうだなんて……」
「……なんのために、わたしのじつれいをかたったとおもっているのだ」
「申し訳ありません。ですが、ファナのように手段と言い切るには……。私は、これでも信徒でございますから……」
「……では、かみのあたえてくれたおんちょうとおもうがよい」
「神の恩寵……」
「そうだ。まず、ろくでなしのちちおやとのえんがきれる。それから、おうひのにくしみからのがれることができる……これはおおきなポイントだ。まんがいち、うらみをわすれずとも、せいしょくしゃにたいしては、おうひもてをだすことができない。ティシリアというこっかが、そなたをまもるだろう」
ティシリアにとっては、そなたにはそれだけの価値がある。と、シェスティリエは告げる。
「……ファナ、もし、アルフィナが決意したとしても、このフェルシア国内に、アルフィナの教父、ないし、教母となってくださる聖職者はおりますまい」
一度は顔を輝かせたものの、リュガルトは諦めた表情で首を横に振った。聖職者になる為には、最低でも司祭以上の階位を持つ人間に『教父(教母)』になってもらい、洗礼を受け、誓願を立てねばならない。
「リスタのリドしさいならば、おうけくださるだろう。……が、ぐずぐずこくないにとどまっていてはきけんであろうな。せいちにおるものにたのめばよい」
「……残念ながら、例え皇国でのことであったとしても、わが国の王妃陛下を敵に回してまでアルフィナを庇護して下さる方の心当たりが私にはございませぬ」
「あんずるな。わたしにはその心当たりがある」
(あー、会ったこともない心当たりですけどね)
リド司祭の紹介状を思い出しながら、イシュラは内心で苦笑をもらした。
行き当たりばったりなのか、それとも、恐ろしいほど緻密な計算の上でのことなのかわからぬが、大概の物事は、シェスティリエの思う方向に進むように思える。
「ですが……この子を連れてでは、王都の関所を抜けることは難しいでしょう」
「なぜだ?」
「旅券が出ません」
「じゅんれいになればよいではないか」
「王都の聖堂では、聖帯をいただくことも難しいでしょう。……万が一、いただけたとしても、その後、その方にどれだけの迷惑がかかることか……」
「こまかいことにうるさいおとこだな……そなた、どうする?そなたのけついひとつだ。そなたがのぞみさえすれば、このくにのせきしょはわたしがとおしてやる」
シェスティリエは、アルフィナに向き直り、冷ややかとも言える眼差しで見下ろす。
「私、聖職者になります」
アルフィナはその瞳をまっすぐと見上げた。
その瞳には確かな光が宿る。
シェスティリエは、了承したしるしに小さくうなづいた。
「アルフィナっ」
「だって、ファナのおっしゃるとおりなんです、叔父様。……このままだったら、私は死ぬまでこの邸の奥深くで、ひっそりと息を潜めて暮らさねばなりません。王妃様の刺客に怯えながら……叔父様にも迷惑をかけて……」
「そのようなことは気にする事は無い」
「ですが、このままでは、伯爵家はさまざまな理由をつけて取り潰されることでしょう。もし、何か事態が変わったとしても、良い方に変わることはありません。……けれど、私が聖職者になることで、私とこのガーナ伯爵家との縁は切れます。さすればきっと王妃陛下のお心も宥められるに違いありません」
アルフィナはにっこりと笑う。シェスティリエと違って、裏に何の思惑もない、柔らかな少女の笑みだ。
(可愛いんだけど、物足りないとおもっちまうんだよな……)
つくづく、自分はシェスティリエに毒されているのだとイシュラは思う。
「いや……そなたが聖職者になったとて、王妃陛下の怒りが解けるとは限らぬ」
「いいえ。私がこの国を出て、二度と戻らねば良いのです。皇国で洗礼を受ける事さえできれば、私の身の安全は、ティシリアという国が守って下さいます。……そうですよね?ファナ」
「ああ、そうだ」
シェスティリエは満足そうに笑う。アルフィナが想像以上に頭の巡りが良い事が嬉しかったのだろう。
「……神聖国家を名乗るとて、俗世に介入しないわけではない。そなたの生まれを利用することがあるかもしれぬ」
「でも、それは、マイナスじゃありません」
「……………?」
リュガルトはわけがわからないというように顔を顰めている。
「そなたより、そのむすめのほうがずっとそうめいだな」
皮肉げな呟き。
「……叔父様、私に利用価値があるということは、私もその分を利用できるということなのだと思います」
リュガルトは、まだ子供だとばかり思っていた姪の言葉に驚きを覚えた。
「ですから、叔父様。私は、ファナとご一緒に皇国へ参ります」
まっすぐに彼を見上げる菫色の瞳は、晴れやかだ。
「皇国へ行って、何とする。聖職者になってどうするのだ」
「それは……行ってから、考えます」
ぺろっと小さく舌をだす。幼いしぐさだ。三年前までは良く見ていた屈託の無い表情に、リュガルトは苦笑をこぼす。
アルフィナの決意を変えることはもうできないだろう。
そして、アルフィナは、シェスティリエの前に膝をついて頭を垂れた。
「ファナ、どうか、私をファナの侍者としてご一緒にお連れ下さい」
「アルフィナっ」
「良いのです、叔父様。……私は、ファナが侍者にして下さらなければ、おそらくこの国を抜けることが出来ないでしょう。それほどに、王妃陛下に憎まれております」
「だが、ガーナ伯爵家の姫が侍者になどと……」
侍者などと……と顔を伏せるリュガルトとて、それが一番良い方法なのだということがわかっていた。
国外に出るには、聖職者に侍者として連れて行ってもらうしか方法は無く、一歩外に出れば、いつ襲われるかもわからない娘を同行してくれるような聖職者は他にいようはずもない。
「良いのです。どうせ聖職者になれば、伯爵家の姫であったことも関係なくなりますわ」
アルフィナはすっきりとした表情で告げる。
「……そなた、おもいきりがいいな」
どこかおもしろがるような響きだった。
「これまで、いろいろ鬱屈してましたから」
ファナのおかげで吹っ切れました、とアルフィナは笑う。
「わたし?」
「はい」
シェスティリエはイシュラを振り向いて、何か言っただろうか?というように、軽く首を傾ける。
イシュラは肩を竦めて、まったくわかりませんと首を横に振った。
(良くも、悪くも、ここにも姫に毒された人間がまた一人……か……)
前菜のオレンジソースを頬につけたまま、幸せそうな表情で眠っているルドクが目覚めたなら、この事態をさぞ驚くに違いなかった。




