18 魔法令嬢、平行世界から帰還しました。①
「はい、レディ」
恭しく頭を下げるエリオットに、ルリエルは力強く頷いた。
「では、私の後ろに立って、身体を支えてくださいませ」
「貴女の身体を?」
「ええ。出来ればなるべくがっちりと。それはもうがっちりと」
「……承知しました」
ほんの僅かに嬉しそうな声音になり、灰色の顔色に血の気が戻ったが、今はそれどころではないのでルリエルは気が付かない。エリオットは言われるままルリエルの背後に立つと、その身体を支えるようにうやうやしく両腕を回した。
「このような形で?」
「ばっちりですわ!」
ちなみにルリエルは肩幅程度に足を開き、しっかりと踏ん張っている。
《お嬢様、念のため伺いますが、一体何をなさるおつもりで?》
「良いことを思いついたのです。普通に飛べば十五秒もかかるのでしょう?」
《そうですね》
「でしたら、吹き飛べば宜しいのですわ」
《……?》
「噴水というものは、水が下から上へ勢いよく噴き上がるでしょう?」
《ええ》
「つまり、同じことをすればわたくしたちも上へ飛ぶのでは?」
《…………》
「素晴らしいですね、ルリィ」
《殿下は一度黙っていていただけますか》
褒められたのでルリエルは満足げに胸を張った。
水魔法を自分たちの足元から真下へ向け、強烈な勢いで放出する。反動を利用して上空まで一気に飛び上がる。理論だけで言えば、まあ、分からなくもない。
《……一応、可能ではあります》
「でしょう?」
《ただし、姿勢を少しでも崩した場合、放射位置がズレて門とは全く違う方向へ吹き飛ぶ可能性があります》
「だからエリオット様に支えていただくのですわ」
「なるほど。では、私は責任重大ですね」
「ええ。行けますか?」
「貴女の力になれるのであればどのようなことでも喜んで」
エリオットの腕に少し力が入った。
《なぜこのお二人はこれで話がまとまるのでしょう》
ステッキの呟きは華麗に無視された。ルリエルは大きく息を吸い、足元へステッキを向けた。
「それでは――」
と、魔力を集める。
魔法の効果的な出現において重要なのは、ルリエルの体力とイメージする力である。イメージが具体的であればあるほど、ステッキを通じてより強力な魔法を展開することができる。
ステッキを通じて手が熱くなる感覚が足元へと広がった。ルリエルの足元1メートル程度に魔法が展開する。 ルリエルがイメージするのは王宮の大庭園にある噴水。時計仕掛けになっており、一定時間に一度水が噴出する技巧を施されているものだ。王女殿下が、国で一番のからくり技師に特注で頼み、数年掛けて完成させた王宮自慢の噴水だ。 そして、ルリエルは王宮のお茶会に呼ばれた際にずっと思っていた。 あれって、乗ったらどんな感じなのでしょう。と。
「皆様、気張ってくださいませ!」
赤い宝石が眩く輝き、真っ黒な世界に光が広がった。小さな水球を作る時とは比べものにならない魔力量だ。
空気中の水分が一気に引き寄せられ、ルリエルたちの足元で渦を巻く。
ルリエルはステッキを振り下ろした。
「――水精噴流!!」
轟音。真下へ放出された大量の水が地面に叩きつけられた。その瞬間、ルリエルたちの身体が跳ね上がった。
しっかりと魔力が行き渡り、地を沸かす勢いで水が噴出した。その勢いで流れ込めば、林の一つ程度は洗い流してしまう程だ。
その噴出口に立つルリエルとエリオットは、押し上げられるようにスピードを上げて宙へと上がる。
《十分な勢いです。この調子で、出力を上げます》
「ええ!どんとこい、ですわ!」
「私にもっと体重を預けて構いませんよ」
「では遠慮なく!」
ぐっと背中を押しつける。いわば噴水の溢れる水に乗っているためバランスは非常に悪いが、ルリエルの体幹、腹筋、そして献身的に支えるエリオットの3点によってしっかりと立ち続けていた。
「行きますわよ!」
噴水というよりもはや、大砲である。ルリエルの鉄壁のスカートが激しくはためいた。
地面が一瞬で遠ざかり、木々がみるみる小さくなっていく。水の轟音と急激な上昇に伴い、エリオットの耳の奥が鈍く痛む。
水の勢いもあり急激に上昇し、モノクロの木々の高さをすぐに超えた。 ルリエルの紅の宝玉のような瞳は、逸らすことなく森の奥を見ていた。抜けた先につい先ほどまでいた檻の位置が見える。
針葉樹のように見える木々も十分高いが、その中にある檻の頂上は頭100個分ぐらい飛び抜けていた。アーチ状に伸びる檻の屋根は、その上に立つ黒い存在の腰元に繋がっている。
檻の真下にいた時には気が付かなかったが、どうやら檻と魔族は一体になっているようだ。
「あれって……檻というよりも鳥籠、ですの?」
俯瞰して初めて知る。その形状は檻よりも鳥籠に近い。ルリエルも、祖父が買ってきてくれたことがあるのでよく知っている。
鳥を捕え、逃がさないようにする場所。そこにルリエル達を捕らえようとしていた?
「門の位置は!?」
ルリエルが叫ぶ。
《このまま上昇で問題ありません!》
「成功ですわね!このままの勢いでズラかりますわ、」
それは美しいまでのフラグだった。
突如、ぎゃり、と。遠くから金属を引き裂くような音が聞こえた。黒い森の向こうでぎょろりとした巨大な虹彩が動く。 身体の大きさに対して異常に小さい深緑の目がルリエルを見ている。
完全に、ルリエルを捉えていた。
「見つかりましたわね!?」
《見つかりましたね》
今度は疑いようがなかった。認識阻害も何もあったものではない。
巨大な瞳がきゅっと細められた。空気が震える。
[――ミツケタ]
低い。声なのかすら分からない。
地面そのものを揺らすような音が、世界中から響いた。
《まずい、攻撃が来ます!》
瞳の周囲で、何本もの黒い柱が形成される。鎖のようなものが、爆発するように地上から立ち上がる。
「ぐううう」
今のルリエルは水精噴流を全力で展開している。
ここで防御魔法を並行して発動させれば、水精噴流の威力が落ちる。急に勢いを落とせば角度が変わる。門に到達できない。
(どどど、どうしますの!)
ルリエルの思考回路は停止直前まで持っていかれる。このままだと、丸腰状態で魔族に捕獲されるエンドしか見えない。
「ルリィ」
ルリエルの耳元で、エリオットの声が静かに響いた。
「飛行魔法に切り替えてください。残りの門までの距離は飛行魔法で突き抜けられますか」
エリオットの声には焦りの色はなく、落ち着いている。
「え、ええ」
「流石ルリィです。……合図とともに飛行魔法に切り替えてください」
一つ目の鎖が飛来した。その軌道は、真っ直ぐルリエルへ向いている。
「今です!」
エリオットの声と同時に水精噴流と飛行魔法を切り替える。切り替わると同時に、上昇のスピードが変わる。真っ直ぐにルリエルの胴を狙っていた鎖が、ルリエルの頭上あたりに逸れる。
ぎん、と金属がぶつかる鈍い音が響いた。
「エリオット様!?」
ルリエルを支える両手を離したエリオットが、腰元の細剣を抜いていた。
顔色はまだ悪い。握る手も、よく見れば僅かに震えている。それでもエメラルドの瞳だけは真っ直ぐに飛来する柱を捉えていた。
「エリオット様!?」
「前だけをご覧ください、ルリィ」
細剣が再び振るわれ、黒い鎖と刃が接触する。当然、人間の剣であの巨大な攻撃を切断できるはずがない。
しかしエリオットはハナからそれを切ろうとはしていなかった。本当に僅かに、軌道を逸らした。軌道が逸れた鎖がエリオットの顔すれすれを通過していく。
轟音があたりに響き、空気が爆ぜた。ルリエルの髪が大きく揺れる。
門はもう目の前。ルリエルは翼を強く羽ばたかせた。
「突っ込みますわよー!!」
《お嬢様、少しは減速を――》
「間に合いませんわ!!全速力で行きますわ!」
「そのままで構いません!」
《殿下まで!!》
二人と一本は勢いそのまま、空中に開いた門へと飛び込んだ。
*
[――ミツケタ]
と、黒い森の中に音だけが響いていた。
*
ばしゃあああん!盛大な水音とともに、ルリエルとエリオットは元いた森の池へと落下した。
「…………」
「…………」
《…………》
森は静かだった。虫の声だけがりんりんと鳴っている。空には月があり、星がある。黒一色ではない。
ぶくぶくと息を吐いていたルリエルは、水面から顔を出した。
「戻って……きました?」
《ええ、脱出は成功です》
「やりましたわ!」
ざばっと立ち上がった。エルフ製の服は特殊なのか萎むこともなくふっくらと柔らかなままだ。
「エリオット様!ご無事ですの!?」
すぐ近くで、同じくずぶ濡れになったエリオットが身体を起こした。しかしエリオットは立ち上がろうとして、身体が大きく傾いた。
「……ええ。無事ですよ。レディ、貴女こそ体調は?」
そう言って微笑んだ。先ほど同様顔色が悪い。元の世界へ戻ったからといって、受けた影響が一瞬で消えるわけではないらしい。
「いえいえいえいえ。どう考えてもエリオット様の方が心配されるべきですわ」
《お嬢様もすぐに変身を解除してください。エリオット殿下と一緒に、この場で簡易的な測定を行います》
「分かりましたわ」
ルリエルが変身を解除する。赤と白の光が散り、いつもの服へ戻った。
その横で、ステッキの瞳から細い光が伸び、エリオットの身体を上から下へと走査していく。
《……想定していたよりも魔族側の魔力が体内に残っていますね》
「危険なのですか?」
《いえ、生命に関わる数値ではありません。しかし、想定していたよりも悪い影響です》
ルリエルの顔が青くなった。
「で、では、早くお医者様に。学園のお医者様まだいらっしゃるかしら、それとも専属のお医者様がいらっしゃいますか?」
あわあわとするルリエルを片手で制した。
「それは少々難しいでしょうね」
「どうしてです?」
「並行世界へ行って魔族の瘴気を浴びました、と説明するのでしょうか?」
「あ”」
それは非常によろしくない。国家間の外交問題どころではない。
「わ、私が王太子殿下を勝手に魔族との戦いに連れ込んだことになってしまいますわ……お縄……お縄になりますわね……」
「連れ込んだというよりも私が勝手に着いて行ったのですが」
「世間というものはそう単純ではございませんのわ!」
「ルリィがそれを仰るのですね」
「どういう意味ですの?」
《お二方、漫才をしている場合ではありません》
ステッキからツッコミが飛んだ。
《エルフ側へ今回の情報を送ります。想定外のことは多かったですが、潜入自体は有意義でした。殿下の状態についても、我が主に解析を依頼します。それまでは安静になさってください》
「承知しました」
エリオットは素直に頷いた。それから僅かに眉を下げる。
「……申し訳ありませんでした、ルリィ」
「何がですの?」
「結局、貴女に運んでいただくことになりました」
「ええ」
「……」
塩らしい様子のエリオットに、ルリエルは首を傾げた。
「?別に宜しいではありませんか」
「しかし私は、貴女の邪魔にはならないと申し上げたのに」
「そうでしたっけ?」
「…………」
「王宮専属の菓子職人のお話でしたら鮮明に覚えていますが……まあ、とにかく今回はステッキさんですら想定外のことが多かったのですもの。それに、世とはままならないものでしょう?ルーモスがよくそう言っておりますもの」
「ですが」
「それから、最後は助けていただきましたもの」
「最後?」
「ほら、あの黒い鎖です。あれが当たっていたら、私、門にたどり着いていなかったかもしれませんもの」
エリオットは少しだけ目を見開いた。
「ですから、おあいこですわ」
ルリエルはからりと言った。本当に、それ以上でもそれ以下でもなかった。
誰かが出来ないことを別の誰かがやればいい。
エリオットの具合が悪くなったから運んだ。ルリエルが攻撃を避けられなかったからエリオットが逸らした。
それだけだ。
「……おあいこ、ですか」
「はい」
エリオットはしばらく黙ってから、いつものように微笑んだ。
「そういうことにしておきましょう」
「ええ、そういうことですわ」
しかしその微笑みがいつもより少しだけ薄かったことに、ルリエルは気が付かなかった。




