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Second-Life  作者: 杜音
第一部 第二の人生

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十六章 不一致の中の調和

 Yumiが四つ目のメッセージを残したのは、湯澤が新山圭介という自分の名前を知った翌日のことだった。

 昼休みを終えて15階へ戻った遥は、自席で午後の予定を確認していた。戸神が復帰してから、秘書として処理する仕事は明らかに増えている。もっとも、それは九条から正式に戸神付きへ回された以上、むしろ自然なことだった。滝本の方も、最初の頃に比べれば会社の仕事に戸惑うことが少なくなっている。過去の記憶が戻ったわけではない。それでも資料を読ませれば判断は早く、会議でも社員の説明を聞いただけで問題点を見つけることがある。その姿を間近で見ていると、戸神尚人という人間が少しずつ滝本の中へ戻ってきているように感じることがあった。

 だが、それを本人に言うつもりはなかった。昨日、湯澤に話していた滝本自身の言葉が頭に残っている。戸神について何かを知るたび、それが自分の記憶だったような気がしてくることがある――。だからこそ、周囲の人間まで「戸神ならこうする」「戸神らしい」と意味を与え続けるべきではないのだろう。本人が何も思い出していなくても、周囲からそう扱われ続ければ、いつか滝本自身が戸神尚人という人間に寄っていく可能性がある。

 遥が予定表を閉じたとき、デスクに置いていた私用のスマートフォンが短く震えた。画面に表示されたのは《Second Life Connect》からの通知だった。

《Yumiが新しい投稿をしました》

 遥はすぐに《Second Life Connect》を開いた。

 投稿されたのは数分前だった。画像も説明もなく、英文が一つだけ置かれていた。


Harmony in discord.


 遥は頭の中で意味を追った。不一致の中の調和。それが四つ目だった。

 遥は四つの英文をメモへ並べたが、すぐに意味を考えるのはやめた。以前なら、それぞれが何を示しているのかを考え、兄や《セカンド・ライフ》へ結びつけようとしていただろう。だが、三つ目までの段階で何度考えても答えには届かなかった。今の時点で確かなのは、Yumiが何らかの意図を持って、複数回に分けて言葉を公開しているということだけだった。

 遥はスマートフォンを伏せると、席を立った。社長室の扉をノックする。

「どうぞ」

 中へ入ると、滝本はデスクの上に広げた資料を読んでいた。複数の書類を並べ、数字を照らし合わせながら赤字まで入れている。戸神として会社へ戻ったばかりの頃なら、それだけの作業にも時間がかかっていたはずだ。

「少しいいですか?」

「仕事なら」

「仕事じゃありません」

「じゃあ駄目だ」

「Yumiが動きました」

 赤いペンが止まった。

「入れ」

「もう入ってます」

「そうだったな」

 滝本は資料を閉じた。遥はデスクへ近づき、スマートフォンを置いた。

「四つ目です」

 画面を見た滝本の眉が僅かに寄る。

「不一致の中の調和、か」

「そうなります」

 滝本はしばらく画面を見ていたが、やがて椅子の背へ身体を預けた。

「分からんな」

「私もです」

「珍しいな。いつもなら何か考えてくるだろ」

「考えてないわけじゃありません。でも、今の段階で意味を決めるのはやめました」

「その方がいいだろうな」

 遥は四つの文章を画面に並べた。

Words fly away, the written remains.

In the beginning, Deity has created the heaven and the earth.

One of many.

Harmony in discord.

「こうして並べると、やっぱり普通の投稿には見えませんね」

「ああ。文章の意味以前に、四回に分けて公開してること自体に意図はあるんだろう」

「最初から順番も決めていたと思います?」

「少なくとも、誰かに読ませるつもりなんだろうな」

「誰かって?」

「それが分かれば苦労しない。特定の人間なのか、《Second Life Connect》の利用者なのか、それとも意味に気づいた誰でもいいのか。今のところ何とも言えない」

 遥はもう一度、四つの英文へ目を落とした。

 Yumiはこちらからの接触には応じず、誰もが見られる場所へ一方的に言葉だけを残している。

「湯澤さんを呼びます?」

「そうだな」

 滝本は答えてから、すぐに表情を変えた。

「いや、会社には呼ばない方がいい」

「一昨日は連れてきたのに?」

「一昨日は、あの人が新山圭介だと知らなかった」

 滝本はスマートフォンを遥へ返した。

「新山は《セカンド・ライフ》の開発にかなり深く関わっていた。その人間が3年前に会社から姿を消し、今は記憶を失った湯澤浩二として生きてる。本人が望んで施行を受けたのか、受けさせられたのかも分からない」

 そこまで言われて、遥も一昨日とは状況が違うことに気づいた。

「もし強制だったら、湯澤さんをSAに連れてくること自体が危険ですね」

「ああ。一昨日の入館記録はもう残ってる。空調設備の点検という名目はあるが、これ以上、湯澤浩二と戸神尚人の接点を会社に増やしたくない」

「じゃあ、お店に行きます?」

 滝本は少し考えてから首を振った。

「今日は俺の家にしよう」

「戸神さんの家?」

「今は俺が住んでるんだから、俺の家でいいだろ」

「そういう意味で言ったんじゃありません」

 遥は少し意外に思った。これまで調査の話をするときは湯澤の店を使うことが多く、戸神尚人の家へ誰かを招くという発想自体がなかった。それは滝本にとっても同じだったらしく、言ったあとで僅かに落ち着かない表情を見せた。

「会社よりは安全だ。店と違って他の客もいない。それに、新山のことも含めて三人で一度整理したい」

「分かりました。湯澤さんには私から連絡します」

「頼む」

 遥が社長室を出たあと、滝本は閉じていた資料を開き直した。だが、すぐには仕事へ戻れなかった。

 俺の家。

 何気なく口にした言葉が引っかかっていた。あの家をそう呼んだのは、初めてだった。


 19時を少し回った頃、遥と湯澤は戸神の家を訪れた。

 玄関のチャイムが鳴り、滝本はリビングから立ち上がった。モニターには二人の姿が映っている。解錠して玄関へ向かい、扉を開けると、遥が家の外観を振り返っていた。

「何だ?」

「いえ。思っていたより普通だなと思って」

「社長は城にでも住んでると思ってたのか?」

「そこまでは言ってません」

 その後ろで湯澤が小さく笑った。

「俺はもう少し豪邸を想像してたな」

「帰っていいぞ」

「まだ入ってもいないだろ」

 湯澤が靴を脱ぎ、玄関へ上がる。遥も続いた。

 二人を家へ入れた瞬間、滝本は妙な感覚を覚えた。自分で買ったわけでも、選んだわけでもない家へ、自分の客を招いている。数日前まで、この家にある物のほとんどを知らなかった。それなのに今は、どこにグラスがあり、客用のスリッパがどこへ収納されているのかを知っている。もっとも、それは思い出したからではない。この数日間、生活する中で覚えただけだ。

 滝本は二人をリビングへ通した。

「適当に座ってくれ」

「綺麗にしてるんですね」

 遥が室内を見回す。

「俺が綺麗にしてるわけじゃない。最初から物が少ないんだ」

「戸神さんって、こういう部屋が好きだったんですね」

「さあな」

 滝本はそれだけ答えてキッチンへ向かった。コーヒーを用意しようとして棚を開けたところで、湯澤が声をかける。

「俺がやろうか?」

「人の家に来てまで仕事するな」

「いや、コーヒーなら俺の方が旨いだろ」

「......それは否定しない」

 結局、湯澤がキッチンへ入った。

 棚から器具を取り出している湯澤を見ながら、滝本は妙な光景だと思った。かつて戸神尚人と新山圭介がどの程度の関係だったのかは分からない。少なくとも同じ会社にいて、厚衛省との《セカンド・ライフ》事業に関わっていた。その二人が過去を失い、別の名前になったあと、今こうして戸神の家でコーヒーを淹れている。


挿絵(By みてみん)


 不一致の中の調和。

 先ほど見た言葉が頭をよぎったが、それ以上意味を与えるのはやめた。

「それで、Yumiがまた何か書いたのか?」

 湯澤がコーヒーを運びながら尋ねた。

「ああ」

 遥がスマートフォンをテーブルへ置く。

「四つ目です」

 湯澤はソファへ座り、画面を覗き込んだ。

「Harmony in discord。不一致の中の調和、か」

「何か分かります?」

「そんな期待した目で見られても困るよ」

「元《セカンド・ライフ》開発者でしょう」

「それと英語の格言を解く能力は別だろ」

 湯澤は苦笑しながら、これまでの投稿も確認した。遥が四つを順番に表示すると、しばらく黙って読み返している。

「個別に検索はしたんだよな?」

「ええ。有名な言葉や、それに近い表現は出てきます。でも、それぞれの意味をつなげようとすると、どうしてもこっちの解釈が入りすぎるんです」

「なら、今はそれでいいんじゃないか」

「気になりません?」

「気にはなるよ。でも、答えが足りない状態で考え続けると、欲しい答えに寄せていくだけだろ」

 滝本がコーヒーカップを手に取った。

「昨日から、そんな話ばかりしてるな」

「あんたが言い始めたんだろ」

「そうだったな」

 湯澤はもう一度四つの英文へ目を向けた。

「ただ、意味だけじゃない可能性はあるな」

「どういうことです?」

「わざわざ別々の言葉を選んで、順番に出してるんだろ。文章の意味そのものが重要なのかもしれないし、順番や言葉の選び方に意味があるのかもしれない。今はまだ、どこを見ればいいのか分からないだけで」

「暗号みたいなもの?」

「それすら分からないよ。単に四つの格言で何かを説明してるだけかもしれない」

 この家にいる三人を見れば、妙に当てはまる言葉にも思える。自分は滝本耕一として目覚め、戸神尚人の身体と過去を持っている。湯澤は湯澤浩二として3年間生きてきたが、その前には新山圭介という人間がいた。そして遥も今、会社では井川沙織として働きながら、ここでは朝田遥として座っている。

 名前と中身。過去と現在。記憶と事実。どれも綺麗には一致していない。

「どうしました?」

 遥に尋ねられ、滝本は首を振った。

「いや。この言葉、俺たちみたいだと思っただけだ」

「俺たち?」

「俺は滝本耕一なのに、戸神尚人としてこの家に住んでる。湯澤さんは新山圭介だったのに、その記憶がない。朝田さんは会社じゃ井川沙織だ」

 湯澤が部屋を見回した。

「確かに、全員名前がややこしいな」

「そういう話じゃない」

「分かってるよ」

 湯澤は笑ったが、すぐに少し考えるような顔になった。

「でも、確かに面白い。俺は新山圭介だったらしい。でも、それを知ったあとも、別に新山圭介になった気はしない。今日も店を開けて、コーヒーを淹れて、湯澤浩二としてここへ来た。何も変わってないんだよ」

「俺とは少し違うな」

 滝本が言った。

「俺は戸神の生活に戻り始めてる。会社では戸神社長と呼ばれて、この家で寝て、戸神が持っていた服を着てる。滝本耕一として目覚めたのに、生活の方がどんどん戸神尚人になっていく」

 口にしてみると、思っていた以上に不気味だった。遥は黙って滝本を見ていた。

「それでも、滝本さんは滝本さんでしょう」

「そう思うか?」

「少なくとも、私はそう思ってます」

「何を根拠に?」

 遥はすぐには答えなかった。

「……分かりません」

「だろ」

 滝本は苦笑した。

「結局、何をもって同じ人間だと判断するのかなんて、誰にも分からないんだろうな」

 その言葉に、湯澤も黙った。少しの間、三人の間に会話がなくなった。湯澤が淹れたコーヒーの香りだけが、知らないはずなのに妙に馴染む戸神の家に漂っていた。

「そういえば」

 湯澤が沈黙を破った。

「昨日、新山圭介について調べたんだけど、少し気になるものがあったんだ」

 滝本が顔を上げる。

「何だ?」

 湯澤は持ってきたバッグからノートパソコンを取り出し、テーブルの上で開いた。

「ネットに残っている情報はほとんど会社関係だけだった。古い技術イベントとか、開発者向けの記事とか。その中に、今の《セカンド・ライフ》が始まるより前のSAの研究について触れているものがあったんだ」

「新山が関わってた?」

「名前があった」

 画面に表示されたのは、何年も前に公開された技術記事だった。現在のSA公式サイトから直接辿れるページではなく、当時の記事を引用した外部の記録から見つけたものらしい。

「どんな研究?」

 遥が身を乗り出す。

「人が情報をどう選ぶか、みたいな研究だ。同じ情報を与えても、人によって注意を向ける場所が違う。何を選び、何を無視するのか。その差を行動データとして扱っていたらしい」

「《セカンド・ライフ》の研究ですか?」

「そこまでは書かれてない。時期ももっと前だ。ただ、共同研究者の中に新山圭介の名前がある」

 湯澤が画面を送ると、数人の名前が並んだ一覧が表示された。その中に確かに《新山圭介》とある。

「戸神は?」

「ここにはない」

「九条も?」

「ないな」

 滝本は画面を見つめた。自分の名前がないことに安堵するでもなく、違和感を覚えるでもない。ただ、知らない会社の古い研究記録を見ているようにしか感じなかった。

「新山独自の研究だったのか?」

「それも分からない。SAの社内研究として紹介されてるだけで、責任者の名前までは出てないんだ」

「これが《セカンド・ライフ》につながった可能性は?」

「あるかもしれない。でも、それも今は推測だよ」

 湯澤はそこで画面を閉じなかった。別のページを開き、当時の研究記録をいくつか並べていく。

「ただ、調べていて変だと思ったことがあるんだ。SAが公開している過去の研究実績には、この研究がほとんど出てこない」

「消された?」

 遥が尋ねる。

「そう決めるのは早いよ。古い研究が公開資料から外れることなんて珍しくないからね。ただ、新山圭介を調べなかったら、俺もこの研究には辿り着かなかったと思う」

 滝本は椅子の背にもたれた。また、断片だった。《セカンド・ライフ》について調べ始めてから、ずっと同じことが続いている。個々の研究や技術は見つかる。関わっていた人間も少しずつ見えてくる。それなのに、それらを一つにまとめた全体像だけが見つからない。

 その欠けた中心に戸神尚人がいるのか。それとも、そう思わせること自体が間違っているのか。

「新山が会社からいなくなったのは、この研究のあとか?」

「ずっとあとだ。このあと《セカンド・ライフ》の開発にも関わって、何年もSAにいる。それから突然、記録が途切れる」

「なら、この研究を知ったから消されたとは考えにくいな」

「ああ。少なくとも、それだけでは」

 湯澤は淡々と答えたが、自分のことを話しているという実感が薄いのだろう。画面に表示された新山圭介の名前を見ても、他人の経歴を調べているように見える。

 滝本はその横顔を見ながら、ふと考えた。自分も同じなのだろうか。戸神尚人について調べ、戸神尚人の家に住み、戸神尚人として会社へ通っている。それでも、自分の中ではずっと他人の人生を追いかけている。

 いつまでそうなのか。もし記憶が戻ったら、その瞬間に戸神尚人へ戻るのか。それとも、滝本耕一のまま戸神尚人の記憶を持つことになるのか。

「滝本さん?」

 遥の声で思考が途切れた。

「何でもない」

 滝本は湯澤のノートパソコンへ視線を戻した。

「その古い研究、もう少し調べてみてくれないか」

「そのつもりだよ。今となっては俺自身のことでもあるからな」

「頼む。ただし無理はするな」

「分かってる」

 湯澤はノートパソコンを閉じた。遥もスマートフォンを確認したが、Yumiに新しい動きはなかった。画面には四つの言葉が並んだままだ。

 その夜は、それ以上の答えを出さなかった。湯澤は古い研究を、遥はYumiの動きを追う。滝本は二人を送り出してから、冷めたコーヒーのカップを片づけた。


 日付が変わる少し前、《Second Life Connect》の街にYumiの姿が現れた。

 以前の公開イベント以来、Yumiを探そうとする利用者は増えていたが、その夜の彼女は人の多い中央区画へは向かわなかった。人通りの少ない通りを歩き、やがて街外れにある広場で足を止める。誰かに話しかけることもなく、何かを待っているようにも見えない。ただしばらくそこに立っていた。

 そして数分後、Yumiのアカウントに新しい文章が投稿された。


挿絵(By みてみん)


If you wish to be loved, love.


 五つ目の言葉だった。

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