(58)戦いの後。
「いやです。帰りません」
「いや、そう言われてもな…… ほ、ほら、リオンも一緒に帰ろう!な、なっ!」
「いーやーでーすーっ! ぼくも、かえりたくなーいーッ!」
リンドロット領の迎賓館へ家族を迎えにやってきたロンメル辺境伯だったが、目の前の現実に頭を抱えていた。
緊急避難させていたはずのキャサリン夫人は、毎日、白魔山から湧き出る温泉に浸かって肌ツヤが目に見えて良くなったばかりか、その温泉水を飲むことで体調まで万全になり、これ以上ないほどご機嫌な様子である。
末弟のリオンも同様だった。毎日、リンドロット領の子供たちとスライムに乗って遊び回り、初めて体験する『学校』という場所が楽しくて仕方がない様子だ。
さらには、リンドロット領の特産になりつつある双甘桃や龍仙果、雷針黄金魔蜂の蜂蜜。誓角黒魔牛の肉やミルクに、養殖が軌道に乗ってきたウナギや川魚、エビなど、食卓には毎回とんでもない絶品ばかりが並ぶ。
すっかりこの領地を気に入ってしまった二人が、冒頭の我が儘を盛大に炸裂させるのも、無理のないことであった。
そう、アルフレッドたちは、あの後ザルツェリア王国の軍勢を押し返して、勝利を収めていた。
総勢一万五千にも上るザルツェリア軍に対し、三千の軍勢で対抗したロンメル辺境伯軍。
だが、まかりなりにも辺境を任される逞しい軍勢に、アルフレッドから供与された複合弓とクロスボウが威力を発揮して、砦を死守することに成功したのだ。
そこへアルフレッドたちリンドロット騎士団と、フローラの『蒼い薔薇隊』、それにセシル率いる魔物たちが横から襲撃して敵を蹴散らした。
とくに、この世界ではまだ誰も知るはずのない『大砲』の存在は凄まじかった。わずか4発しか残っていなかった砲弾をすべて撃ち込まれた敵陣は、それだけで大混乱を極めた。
さらには、何とか軍勢を立て直そうと敵の武将たちが躍起になっていたところへ、アルフレッドたちの後を追って、近衛騎士団と、第一、第三騎士団が、さらには近郊の諸侯連合軍が援軍として次々と到着。
これを見たザルツェリア軍は総崩れとなり、またたく間に潰走へと追い込まれたのである。
アルフレッドたちは、そこでロンメル辺境伯と感動の再会を果たして役目を終えた。
だが、近衛騎士団と、第一、第三騎士団、さらには意気上がる諸侯連合軍はそのままザルツェリア軍を追撃して国境を越え、いくつかの町や村を占領しつつもその追撃の手を緩めず、その後ザルツェリア王国の東の拠点である、グランドエレンという大きな街を占拠するに至る。
ここは、豊かな穀倉地帯を持つだけでなく、商業も盛んな場所で、ザルツェリア国内でも有数の大きな都市であった。さらに、この領地を治めていたヨハネスト・フォン・グランバウアー侯爵が捕まり、捕虜になったことも大きく、ここにいたってザルツェリア王国は講和を申し入れてきたのである。
こうして、圧倒的な兵力差を覆した歴史的勝利と、それに続く講和の知らせから数日。
国家を揺るがす激動がようやく落ち着き、激戦の舞台となったロンメル辺境伯のブラッドレー領が平穏を取り戻していくなか、冒頭でのやり取りに繋がっていく。
ロンメル辺境伯の戦後処理は、まず身内の説得という思わぬ難所から始まることになり、困惑の表情を抜け出せないでいる。
「あはははっ、そういうことでしたら、まだこちらに居ていただいて良いですよ。フローラも家族が側にいてくれるのは嬉しいでしょうから。キャサリン夫人の身体を癒やすための湯治とでも公表しておいたらいかがですか?」
アルフレッドが、そう助け舟を出した。
「まあ! それは本当ですか、アルフレッド様。ありがとうございます!ぜひともよろしくお願いいたしますわ」
キャサリン夫人が目を輝かせる。
「アルフレッドお兄さん、ありがとう! やったぁ〜〜ッ!!」
末弟のリオンも、満面の笑みでバンザイをしながらアルフレッドの周りをぐるぐると走り回り、抑えきれない喜びを全身で表していた。
「ロンメル辺境伯も、戦後処理でお疲れでしょう。どうです、温泉に浸かっていきませんか。 実は、いつかこのリンドロット領に温泉宿を作ろうと考えていまして、フローラとその計画を練っているところなんですよ」
一連のやりとりを見て苦笑いを浮かべていたフローラも、アルフレッドの提案に乗ってきた。
「ええ。ここのお湯は本当に身体に良いし、疲れも凄く取れるのよ。それに食事も美味しいから、きっとお父様もハマるはずよ。ぜひとも体験してみて欲しいわ」
「そうよ!あなたもぜひ一度、あの温泉に浸かってみた方が良いわ! 本当に凄いんだから!」
「おとうさま!ごはんもおいしいですよ!」
「……ふう。なんだかワシひとりがわからずやになった気分だな。そういうことなら、お言葉に甘えさせてもらおうかの」
その場にいた全員から背中を押される形となったロンメル辺境伯は、渋々といった表情でアルフレッドの提案を受け入れた。
「はぁ〜っ。確かに、ここの温泉は素晴らしいな…… ぬっ!この前の戦いで付いた傷が塞がっているではないか!? おおっ!こちらの傷までっ!?」
「なにっ!? 温泉水を飲むのかっ!? ……おおっ!なんだか腹の内側からポカポカして、胃腸の調子が一気に良くなってきたような気がするぞっ!!」
「こ、これはっ! このローブに使われているのはシルクバードの糸かっ!? 貴重な糸がこんな贅沢に使われているとは……」
湯上がりの至福から一転、今度は豪華な食卓を前にして辺境伯の怒涛の咆哮が始まった。
「うおっ!!この肉は誓角黒魔牛ではないかっ! うむっ! 口に入れたときの脂の甘さ、噛まずともとろけてなくなっていく肉の旨味。これは、誓角黒魔牛の中でも最高の肉というにふさわしい逸品だ!」
「なにぃぃッッ!? 双甘桃と龍仙果のはちみつ漬けだとぅッッ!! ――ッッ!? し、しかもこれは、ただの蜂蜜ではないッ! 雷針黄金魔蜂の蜂蜜ではないかッッ!?」
「――ッッ!? う、美味いッ、美味すぎるッッ」
ロンメル辺境伯は、経験することのすべてに驚きの声を上げて回り――。
うーーまーーいーーぞーーおぉぉぉーー!!!!!
ついに、その感動は迎賓館を震わせるほどの絶叫となって爆発したのだった。
結局、ロンメル辺境伯は温泉の良さににどっぷりとハマってしまった。食事の美味しさと居心地の良さから、「あと一日」「もう一日だけ」と滞在を引き延ばし、気がつけばこちらにやってきてから一週間が過ぎようとしていた。
「ロンメル様。さすがにそろそろ領地へお戻りください。それでなくとも戦後処理で忙しいのです。ロンメル様の決裁を待つ書類が山のように溜まっておりますゆえ、早急に対処をお願いいたします」
だが、そんな至福の時間も、ついに終わりが訪れる。激務が限界に達し、目の下にはっきり分かるほどの隈ができているラングレー家の家令、ダグラスが必死の表情で迎えにやってきたのだ。
「……うむ。……そうだな、あと数日したら戻ることを考えても……」
「何をおっしゃいますか。領民からの嘆願もたくさん届いております。このまま放置していれば、領民から見捨てられてしまいますよ」
「……ぬっ、ぬぅ……ぬぐぐぐぐ……」
敵の一万五千の軍勢には決して屈しなかった誇り高き辺境伯だったが、激務で完全に目が血走っているダグラスの正論には、ただただ言葉を詰まらせるしかなかった。
何とかして滞在期間を引き延ばそうと抵抗していたロンメル辺境伯は、最後まで未練たっぷりのまま、引きずられるようにしてラングレー領へと戻っていった。
領地へ戻る際も、家族が一緒に戻らず、自分ひとりが帰ることへの不満を露わにしたが、それが逆にキャサリン夫人の逆鱗に触れてしまい、涙目になり、ガックリと肩を落として馬車に乗り込んだ。
――なお、これには後日談がある。
後に、改良が終わった滑空魔導車を手に入れたロンメル辺境伯は、執務の間のわずかな時間を見つけてはリンドロット領へとやって来て、温泉を堪能することになる。
それも、最初のうちはこっそりと屋敷を抜け出しひとりで来ていたのだが、当然のごとくキャサリン夫人に見つかり、屋敷を揺るがす大騒動へと発展。その末にみっちりと絞られた結果、今では仲良く家族そろってやって来るようになった。
そういえば、その滑空魔導車だが、大幅な改良がなされた。
まずは居住空間を広く確保し、車内で快適に過ごせるよう設計を見直した。シートには、丈夫でありながらしっとりと柔らかな魔物の革を贅沢に使用。フルリクライニング仕様へと生まれ変わらせた。
さらに、小型化した冷暖風の魔道具を埋め込むことで空調を完備。これにより、夏の猛暑はもちろんのこと、真冬の極寒の中での移動が格段に快適になったと、王妃様たちから追加で褒美が届けられるほどの大絶賛を浴びた。
さらには、照明の魔道具をヘッドライトとして車体前面に取り付け、夜間の安全な走行をも可能にしている。
そして、何より一番こだわったのはその「速さ」だ。プロペラを同軸上で逆方向に回転させる『二重反転プロペラ』という画期的な構造に変えたことで、最高速度は今までの二倍をゆうに超える爆速へと進化を遂げたのである。
そんなふうに、ようやく平穏な日常に戻りかけたある日、突如として来賓の訪問があった。
執務室に慌てて飛び込んできた家令のブルックスが、息を切らせて伝えてきた相手の名に驚き、アルフレッドはフローラと共に応接室へと急行した。
部屋の前で軽く身だしなみを整え、意を決してドアを開けた先にいたのは――ソフィア第四王女殿下その人であった。
「ソ、ソフィア王女殿下!? こんな山奥の辺境へ、先触れもなく突然どうされたのですかっ!?」
アルフレッドは畏まった挨拶などすっかり忘れ、思わず大声を上げてしまう。
「まあっ! あなたがお父様と約束したから、わざわざここまで来てあげましたのに、ずいぶんな言いようですわねッ!」
ソフィア王女は、ふん、と腕を組んでむっとした表情になった。
「えっ! 約束……国王陛下と約束など……あっ!!」
脳裏に、ある記憶が鮮烈に蘇る。そう、滑空魔導車を駆って王城へと赴き、ミスリルと浮遊石の鉱脈の報告をした時のことだ。名目上の監査役として、ソフィア第四王女をリンドロット領へ派遣する取り決めをしていたことを、アルフレッドはこの瞬間まで完全に忘れていたのである。
「あっ! ああっ! お、思い出しました……お、お許しくださいッッ!」
アルフレッドは、必死になって頭を下げた。
「フンッ! ……そ、それなら、この前みたいに、あ、頭を撫でてくれたら許してあげるわ……」
「……へっ?」
腕を組んだまま、ぷいっと横を向いたソフィア王女。だが、その耳は熟した果実のように真っ赤に染まっている。
「……あ〜、その、本当に良いんですか?」
ポリポリと頬を指で掻きながら、アルフレッドが恐る恐る尋ねる。
「わ、私が良いっていったら良いのっっ! 早くしなさいよッッ」
そう言って、ソフィア王女が小さく目を閉じて頭を差し出してくる。
「……あー、じゃあ、ちょっと失礼して……」
アルフレッドは、ソフィア王女の頭にそっと手を置くと、その柔らかい髪を優しく撫で始めた。
「むふっ、んふふ……ふふふっ……」
頭を撫で始めた途端に、目に見えて機嫌の良くなるソフィア王女。
しかし、触れれば一瞬で凍りつきそうなほどドス黒く、そして刺すような冷たい目でそれを見ているのがフローラと、王女お付きのメイド。どちらも凄まじく鋭い殺気が放たれていて、その中心で、ひとりだけ上機嫌に「むふふ」と喉を鳴らしているソフィア王女という絵図……。
この世の終わりかと思うほど完璧なカオス空間に、アルフレッドは冷や汗を滝のように流しながら、すぐにでもこの部屋から逃げ出したい気分になっていた。
「と、ところで、何で今の時期にこちらへ来られたのですか? ついこの間までザルツェリア軍と戦っていたばかりで、正直、こちらもまだ王女をお迎えする準備が出来ていないのですが……」
アルフレッドは、文字通り背中に突き刺さる殺気から目を背けるように、必死の思いで話題を切り出した。
「今の時期だからこそよ。この後もう少ししたら、王城でこの前の戦いの功労を称える式典が開かれるわ。もちろん、そこにはあなたも出席することになるわよ。そして、お父様はその場でこのリンドロット領からミスリルと浮遊石の鉱脈が出たことを公表するつもりよ」
ソフィア王女は、頭を撫でられて満足げに目を細めたまま、しかし声音だけは王族らしい凛としたものに変えて言葉を続ける。
「当然、他の貴族たちからの嫉妬や詮索の目があるから、あらかじめ決まっていた『監査役の派遣』もその場で併せて発表されることになるわ。だから、その発表の前に、事実として私がすでにリンドロット領に滞在している実績が必要なのよ」
「はぁ~~っっ……」
アルフレッドは、肺の底からすべての空気を吐き出すような大きなため息をついた。
せっかく戦争が終わり、平穏な日常が戻ってくると思っていた矢先、まさかソフィア王女がリンドロット領に滞在することになろうとは……。
自領に一国の王女が留まるなど、どう考えても絶対に平穏な日常になどなるわけがない。新たな騒動が怒涛の勢いでやってくる未来しか見えなかった。
「はぁ~~っっ……」
アルフレッドは、もう一度、大きなため息をつくのだった。




