第五十六話【決着】
「━━ドサッ」
カイトのおかげで、私はたった一発の銀の弾丸を【銀血】に命中させる事が出来た。
ううん、カイトだけじゃない。ボロボロになるまで一番前で戦ってくれた逆月先生と、臨機応変に自分の出来る事を全力でこなしてくれたレイカの頑張りも。
「……はぁ…………っ」
緊張の糸が解けたのか、私はその場に崩れ落ちる様に座ってしまった。
油断しない様に【銀血】の方を確認するが、大丈夫。ちゃんと倒れているままだ。
「……本当にお疲れ様、白銀生徒」
重そうな身体を引きずりながら逆月先生が私の下へ歩み寄り、労ってくれた。
「先生の方こそ、ボロボロじゃないですか」
吸血霊鬼の身体は多少の傷なら瞬く間に修復される。しかしそれも体調が万全ならの話だ。
逆月先生は【銀血】と終始最前線で戦い、有効打を与える為に銀製の武器を常に握り締めていた。両腕をだらんと下げているのはまともに動かせないからだろう。
それに顔や肌が露出した部分を見ても細かい傷が治っていない。相当な消耗をしていることは明らかだった。
「……私の血、少し要りますか?」
「むふっ!?」
頑張ってくれた逆月先生への感謝の気持ちを込めてそんな提案をしてみる。
逆月先生は一瞬嬉しそうに目を輝かせたが、静かに首を横に振った。
「……いや、遠慮しておくよ。君はたった今、【銀血】から取り戻す事の出来た初めての女の子になったんだ。一時の食欲に負けて傷付けたくない、そんな気分なんだ」
「でも傷が……」
「心配ないよ、保健室に戻れば輸血パックがたくさんあるからね。先程私が勢い良く飛び込んだ際に破裂していなければだが……」
逆月先生が遠い目をしていた。そんな勢いで保健室に飛び込むような理由があったのだろうか。
……私が攫われたからか。
「それに、満身創痍なのは私だけではない。私だけ良い思いをする訳にもいかないよ」
先生はそう言うと、私に周囲を確認するよう促した。
「はぁ……ふぅ……」
少し遠くには、私と同様床にへたり込んだレイカ。
そして私と【銀血】の間に立つ、もう一人の頑張り屋さん。
「カイト……」
私はよろよろと立ち上がり、カイトに近寄った。
「ね、右手出して」
「……ああ」
「痛かったらごめんね」
私はカイトの右手を取り、ゆっくりと指輪を外していった。
どうしてかはわからないけれど、今のカイトは吸血霊鬼の右目をしている。
それに銀の指輪をつけていた指の周りが赤く火傷痕の様になっていた。
カイト以外にこの指輪に触れられるのはこの場には私しかいない。カイトの手が取り返しのつかない状態になる前に早く外してあげる必要があった。
「……はい、全部とれたよ」
指輪を全部外すと、改めてカイトの手を観察し始めた。
ほんの少しだけ爪の先がとがっている。これも吸血霊鬼になった影響なのだろうか。
そもそもどうしてカイトは吸血霊鬼になったのだろうか。
「……カイト、大丈夫?」
カイトはどこかぼうっとしていた。
私も戦いが終わった瞬間力が抜けたからわからなくもないけれど。
「いいや、きっと大丈夫じゃないはずだ。と言うか普通な訳が無いのだよ」
「あっ、先生」
気が付くと逆月先生がすぐ近くまで寄ってきていた。疲れてるのに無理しないでほしい。
しかしカイトの謎がわかりそうなのもこの場には先生しか居ないか。
「人間が吸血霊鬼になるなんて前例聞いた事がない。今は私もズタボロだから簡単な診察しか出来ないが、ちょいと身体を確認させてくれ」
「……悪いな、紗霧ちゃん」
カイトは素直に先生の方へ振り向いた。
だがやはりどこか様子がおかしい。気が抜けたとか疲れたとかそういう雰囲気じゃない。
「……カイト? 肩貸してあげるから、手伸ばして?」
「ああ……さんきゅ…………ヒナ」
カイトは素直に私に向かって手を伸ばした。もちろん十字架や銃は一旦置いて。
「━━バタン」
それでも、カイトの手が私に届く事は無かった。
「えっ……カイト?」
カイトは私の横を掠める様に床に倒れた。
「カイト!? 大丈夫!?」
私は再び同じ言葉を問い掛けた。だが今回はより緊急性が増している。
カイトの容態が急変したからだ。
「神上生徒!? ……失礼するよ」
逆月先生はそう言ってカイトの身体を仰向けに変えた。
先生の両腕が動かし辛そうにしていたので私も手伝ったのだが、カイトの顔を見た瞬間思わず息を吞んでしまった。
「はっ……はっ……」
カイトの顔が先程よりも吸血霊鬼に近付いていたからだ。
人と吸血霊鬼に大きな差は無い。それでも明確に見て判断できるのは牙の有無だった。
本来人間だったカイトには必要の無かった鋭い牙。カイトは今その牙を剥きだしにして苦しんでいた。
私も何回か見た事がある症状だった。
「これは……飢餓状態!?」
吸血霊鬼が急速に弱った時、もしくは長期間の吸血が行われなかった時に起こる吸血霊鬼特有の症状。飢餓状態。
目の前の生き物から問答無用で血を欲し始める危険な状態のはずだ。
だがカイトは私達に襲い掛かる様子を見せない。となると軽度の飢餓状態は既に越え、重度の危険域に突入しているのだろう。
相手に襲い掛かる事すらできない程弱っている状態に。
「そんな……でもどうしてカイトが!?」
「わからない……が、推測は出来る」
逆月先生は冷や汗を流しながら、なるべく簡潔に私の質問に答えてくれた。
「神上生徒は一度、確実に致命傷を受けていた。レイカ君が必死に治療したとしても、命を繋ぎとめる確率はほぼゼロに近いほどのだ。それを神上生徒は何らかの方法で復活した。今彼が吸血霊鬼の特徴を備えているとなると、おそらくはその治癒能力が後押しした可能性が高い。それでも、失った心臓を再生するだけのエネルギー、一度も他者から血を吸った事の無い神上生徒が持ち合わせている訳も無いんだ……」
つまりカイトは、吸血霊鬼になる事で蘇ったけれど、その際に持っていたエネルギーを使い果たしてしまったと言う事か。
そんな空っぽの状態で【銀血】と戦っていた……私達を守る為に。
「…………飢餓状態、なんですよね」
「症状を見る限りな。姿が消えていないのも私達全員が彼の名前を知っているからだろう」
「……わかりました」
「白銀生徒? 一体何を……」
私は急いで着ていた上着を脱ぎ、シャツの胸元を緩めた。
そして自分の首元に杭で小さな傷を付け、一筋の血を流した。
「……そう言う事か」
逆月先生も私の行動を見てすぐに意図を理解した様だ。
私はすぐにカイトの身体を抱き上げ、カイトの頭を肩に乗せた。カイトの口に私の血が入る様に。
「確かに今出来る一番の処置ではある。飢餓状態の回復には血の補給が不可欠だし、他でもない白銀生徒の血だからね。しかし……」
逆月先生は顔をしかめた。
「気をつけたまえ。飢餓状態が軽度になった場合、神上生徒が自分の意思で君の血を奪い始めるかもしれない」
「覚悟の上です」
「いや覚悟と言うけれどね……」
「……本気ですよ」
焦りが無いとは言えない。でもそれ以上に、カイトの無事が最優先なだけだ。
逆月先生は私の身を案じてくれているのだろうが、それは私も同じ、カイトを救いたいのだ。
動けなくなるまでカイトを救おうとしたレイカや、自分の命と引き換えに私達に勝機を与えてくれたカイトみたいに。
「……大丈夫だよ」
「レイカ……?」
気付かない内に傍まで寄ってきていたレイカが私に寄り添う。
「安心して紗霧ちゃん。カイトが暴れそうになったらあたしが抑えるから」
「出来るのかい?」
「やるの」
レイカの言葉は力強く、瞳は真っ直ぐだった。
「カイトにヒナちゃんの事傷付けさせる訳にはいかないから」
「……そうだな、レイカ君の言う通りだ」
「ふふっ……もしカイトが知ったら、私を傷モノにしたって言って責任取ってくれるかもしれなかったのに」
「うぇ~?」
私のこぼした冗談に怪訝な顔をするレイカ。
「……ありがとう、レイカ」
「……カイトに血をくれてありがとう、ヒナちゃん」
私達は互いに礼を言い合った。
レイカは私と同時にカイトの気持ちも守ってくれていたから。
だから私もカイトを助ける。私の大切なカイトと、レイカの大切なカイトを。
「……なら神上生徒の事は君達に任せたよ」
「……えっ?」
逆月先生はそう言って立ち上がり、どこか遠くを見つめていた。
視線の先が気になって、逆月先生の見ている方向を辿る。
「………………っ!?」
逆月先生の声色が暗くなった理由がわかった。
【銀血】が姿を消していた。
「そんな……やっと倒したのに!?」
慌てて【銀血】を探そうとするが、この状態のカイトを離す訳にはいかない。
かと言ってあの【銀血】を野放しにすることもできない。
「……大丈夫だ。君達は自分がやるべきだと思った事をやるんだ」
悩んでいると、逆月先生が工場を出ようと歩き出した。
「危険です先生!!」
「大丈夫だって、【銀血】ももうロクに動けやしない。誰か被害者を出す前にとっとと終わらせて帰って来るよ」
逆月先生はそう言うと、足を止め振り返った。
「……いや、君達にはちゃんと説明しておくか。もうただの子供や生徒じゃなくて、死線を共に乗り越えた戦友なんだから」
逆月先生の表情が優しいものに変わった。
心からの感謝が滲み出ているかの様に。
「理由は二つ。君達はまだ若く、他者の命を奪った経験を抱えるべきではない。そういう点では奴が生きててよかったね」
「……もう一つは?」
「こっちの方がもっとシンプルさ」
逆月先生は私達に背を向けながら、ゆっくり歩き出しつつ語った。
「あいつにとどめを刺す為に、私は今日まで生きてきたからだよ」
その言葉を最後に、逆月先生は姿を消した。
◇
「ねえヒナちゃん、カイトの具合はどう?」
私の肩に頭を乗せ、私の血を注がれているカイトを見つめながらレイカが訊ねて来た。
「わからないわ……本能なのか血を飲み込んではいるけど、それ以外で動く様子は見えない……わ……」
「ヒナちゃん!?」
レイカに説明しながらふらっと一瞬視界が揺れた。
座っているのに立ち眩みを感じた様な。
あわててレイカが私の身体を支える。
「大丈夫!?」
「……大丈夫じゃないかもね。私達、全員無茶しすぎたし、この状態で血を与えるのは危なかったかも……」
そう言っている間にも、徐々に頭がぼーっとしてくる。
「い、一旦帰ろ! カイトもちょっとは元気になっただろうし、帰って休みながらカイトの看病しよ?」
「…………」
レイカの提案は当然の物だった。
だがまだカイトは意識を戻さず、吸血霊鬼になった理由もわからず、元に戻す方法もわからず。
私はカイトの為に何も出来ていない状況にかなり焦燥感を感じていた。
「ヒナちゃん!!」
レイカが再度私に呼び掛ける。
「……わかったわ、そうしましょう」
カイトの飢餓状態を回復させるには人の血が必要。それも上質であればあるほどいい。
つまり今、私以上の適任は居ないのだ。その私が無茶して倒れる訳にはいかない。
私は今、私とカイトの二人の命を背負っている。個人的な焦りでカイトを道連れには出来ない。
「カイトはあたしがおんぶしてくから、ヒナちゃんは歩ける?」
「そのくらいなら……レイカは大丈夫なの? あなたもふらふらだったじゃない」
「あたしはカイトから貰った再生液でちょっとだけ元気だからっ!」
「そう、カイトの……」
……………………。
「カイトの…………」
吸血霊鬼の再生液。それは主に口内、唾液と同じ様に分泌される。
それをカイトから与えられたと言う事は、つまり。
「…………行きましょうか」
「うん! ゆっくりでいいからね!」
私は何も言わずにレイカの背後をゆっくりついていった。
私にもカイトが危険な時にふざけてる場合じゃないと自分を抑える程度の理性は残っていた。
◇
「……ゴホゴホッ!! ゲホッ……はぁはぁ」
【銀血】は工場を出て、人通りの多い場所を目指していた。
誰でもいいから血が要る。目撃者は全員記憶を消せばいい。面倒だったら殺せばいい。
心臓に撃ち込まれた銀の弾丸に全身を侵食される前に、自分の手で弾丸を摘出できる程度には回復する必要があった。
「おのれ……私が、このような無様な姿に……」
【銀血】は段々と歩みが遅くなっていく。思うように足が動かず、前に進めないのだ。
それだけではない。印象的だった銀色の長髪が色を失い、彼本来の髪の色が表に現れてきたのだ。
赫くて黒い、血の様な色の髪に。
「……やあ、【銀血】」
「ッ!?」
【銀血】の背後から声をかける者が居た。
そのものはくすんだ金色の髪と白衣が特徴的な、全身ボロボロの女性。
【銀血】をここまで追い込んだ元凶の一人、逆月紗霧だった。
「貴様ッ……どうして私が見えている!?」
そう、見えているはずがなかったのだ。
【銀血】は今姿を消している。あれほど見下していた吸血霊鬼としての能力を使ってでも生き延びようとしていたのだ。
しかしそれは紗霧には効果が無かった。紗霧には今現在も彼の姿が見えていたのだ。
「そんなの決まってるだろ。知ってるからだよ」
じりじりと近付きながら、紗霧は【銀血】を睨みつけ言い放った。
「お前の名前をなぁ……ブルートロート」
「そ、そんなはずはない!!」
【銀血】は叫んだ。
当然だ、彼は紗霧に名乗った事など無い。紗霧どころが他者に名乗った事すらないのだ。
少なくとも彼はそう認識していた。
「……まあ一千四百年も生きてたら昔の事なんて忘れてるか」
「やめろ……来るんじゃない!! お前は……私の事を知らない!!」
【銀血】の瞳がぼんやりと光る。紗霧の記憶を消そうとしたのだ。
「はぁ……下の名前知られてる時点でどうして考えが至らないかね」
それでも紗霧は止まらない。【銀血】の記憶操作は全く効いていなかった。
「そ、そんなっ……そんな訳がァッ!!!」
「あるんだよッ!!」
「おごっ!?」
【銀血】の目の前まで迫った紗霧の回し蹴りが炸裂し、【銀血】は壁に蹴り飛ばされた。
壁にもたれる【銀血】の胸にとどめを刺さんとばかりに紗霧の足がヒールのかかとを押し付ける。
仕込みヒールからむき出しになった銀の杭を突き刺す様に。
「なぜ……なぜだ、ごほっ!? なぜ貴様には何も効かんのだ……」
「……………………あんたはここで死ぬ。でも、そうだね……自分の罪を悔いるチャンスぐらいはやろうか」
紗霧はそう言い放つと、静かに瞳を閉じた。
すると彼女の髪が見る見るうちに色を変え、本来の色を取り戻していく。
【銀血】の髪と同じ、赫く黒い髪色へと。
「ブルートロート・ジゼルモンド。それがお前の本来の名前だろう?」
「ばっ……ばかな……何故私の名を全て……知っ……て…………?」
もはや息も絶え絶えの【銀血】は、ブルートロートは徐々に目を見開いていった。
そして太古の記憶を思い出し、戦慄した。
「まさか、お前…………」
ブルートロートは困惑を隠せていなかった。
紗霧ちゃんはブルートロートにとって、到底生きているとは思っていなかった相手だったからだ。
「…………シャルハロッテ、なのか?」
「……………………」
紗霧は自らの本名を口にしたブルートロートを見下ろしながら、冷たい声で呟いた。
「やっと思い出したのかよ……クソ兄貴」




