第五十四話【女神の灰の上に彼は生まれた】
「さあ、楽しみに待っててね! カイトの大好きなハンバーグ、頑張って作るから!!」
いつも通りのリビング。
俺はいつも通り食卓について俺の母さん、神上露美愛の料理が出来上がるのを待っていた。
「確かにハンバーグは好きだけどさ、ハンバーグなんてみんな好きだろ。俺も多分情熱は人並みだぜ?」
「じゃあもっとたくさん教えてよ! カイトったら全然自分の話しないんだもの!!」
「う……悪い」
確かに俺ってあんまり自分の話しないよな。好きな食べ物とかその日起こった事とか。
後はそうだな、自分の過去の事とか。
『俺は━━━━━━。━━心配━━━、親父━━━━━』
「……あれ?」
何だ今の。俺の記憶?
過去の話誰かにした事あったっけ。
あの時俺なんて言ったんだっけ。
そもそも俺、誰と話してたんだっけ。
「どうかした?」
「いや……そうだ、親父は?」
よくわからんが親父って言ってたような気がした。
そのついでに思い出したので、姿が見えない親父の事を訊ねてみた。
「今日も忙しくて帰って来れないんだって。せっかくカイトの誕生日なのにね~?」
「……誕生日?」
突然言われて頭の上に疑問符が浮かぶ。
「もーっ! カイトまで忘れちゃったの!? 今日はカイトの十七歳の誕生日でしょう?」
そう言われて俺はカレンダーを眺める。
そこには十二月のカレンダーと、一日から十七日までのマスに付けられたチェック、そして十八日のマスに付けられた大きな花丸。
そのマークだけで記した人間がいかにこの日を楽しみにしてくれていたのかが伝わってくる。
「そっか、誕生日か。俺の」
「そうよ! とってもめでたい日なんだから!!」
そうだよな、誰かの誕生日って本人以上に周りがソワソワしたりしてな。
何をしたら喜んでくれるのか、何を貰ったら嬉しいのかこれでもかってぐらい悩んで。
『あ、そういや━━の誕生日っていつなんだ?』
『確か━━━━━って言っ━━━━……?』
「…………んん?」
まただ。でも今度はさっきより少しだけはっきりしてた気がする。
でも誰との会話だったのかが思い出せない。誕生日を聞くぐらい近しい相手のはずなのに。
「やっぱり様子変よ? どこか痛い?」
「えっ? ああいやごめん、全然そう言うのは無いんだけど」
またも母さんを心配させてしまった。不安そうに顔をのぞかせる母さんに俺は大丈夫だと両手でアピールする。
「本当に何でもないんだ。別に大したことじゃ……」
そう言おうとして、何故か俺の口はそれ以上話すのを拒んだ。
「……カイト?」
「…………いや、ごめん。大したことじゃなくは無いのかも」
「やっぱり病院行く!? 救急車呼ぶ!?」
「うわあ慌てすぎだろ!! そう言うのじゃねえんだってば!!」
大慌てで電話を手に持つ母さんを必死に止める。
「見ての通り身体は何ともねえんだって!!」
「そ、そう……? 無理してない?」
「してないしてない!! それに今病院なんて行ったら母さんのハンバーグ食えないだろ!?」
「それはそうだけど……あっ、ハンバーグ焦げちゃう!!」
母さんは目を離してしまって煙の出ているフライパンに慌てて戻っていった。
「……本当に、身体は何ともねえから」
ただ、さっきから頭に浮かんでくる光景の事を「大したことじゃない」って切り捨てようとした時、まるで警報が鳴り響いたかのようにそれを拒んだんだ。
どうしてそう思ったのかは、全くわからなかったけど。
◇
「じゃ……じゃ~ん! 完成しました~!」
ぎこちない笑顔を浮かべる母さんは、俺の前に出来立てのハンバーグとご飯を並べた。
「…………チーズで誤魔化してるけど、真っ黒だな」
「うぅ……ごめんね、お母さんが目を離したから……」
ハンバーグから母さんに視線を向けると、母さんはぺしょぺしょに泣いていた。
「ま、まあ俺の事心配してくれたからだし、そんなに落ち込むなよ。きっと表面だけで中はそんなに悪くないって」
「本当……? カイト、怒ってない?」
「心配性だなぁ。いちいちそんな事で家族の事怒る訳……っつぅ!?」
突如、俺の頭に一瞬だけ鋭い痛みが走った。
「カイト!?」
「あ……いや大丈夫、もう何ともない」
「や、やっぱりどこか悪いんじゃ……やっぱり救急車!」
「だからそれはもういいって!!」
母さんを眺めながら、俺は今の痛みについて考えていた。
さっきからなんなんだろうか、俺の行動や言動に反応する様に、俺の頭が何かを訴えている様な。
だとすると今の頭痛のトリガーは……「家族」か?
だめだ、さっぱりわからん。
「とにかく、冷める前に食わねえともったいないだろ? いただきまーす!」
さっきはああ言ったが、実際母さんの作ったハンバーグは大好物だ。
たまに俺の嫌いなにんにくが刻まれて入ってる事もあるけど、それでも母さんのハンバーグは美味いから気付かない振りしてたいらげる。
「……うん、美味いよ。中は無事みたいだ」
「本当!? よかったぁ……」
切れ込みを入れた所を母さんに見せると、ほっとした様子で胸をなでおろした。
そして母さんはめそめそ泣いていた目元を拭いてにっこり笑った。
『すごいでしょ~! 見直した? 好きになった?』
「っ……!?」
その笑顔を見て、さっきまでと非にならない勢いで俺の脳裏に何かがフラッシュバックする。
誰だ、この女の子は。
心から嬉しそうな顔で俺に微笑みかけるお前は、誰なんだ。
「カイト!?」
「ぐっ……」
どうしてお前の笑顔は、こんなに俺の胸を締め付けるんだ。
俺は何か、大切な何かを忘れてるのか?
「ねえ、本当に大丈夫なの!?」
「……大丈夫、だと思うんだけどな」
口でいくら大丈夫だと言っても、目の前でこう何度も苦しんでいては説得力が無いのも事実だった。
困った、不安そうにする母さんを宥める方法が思いつかない。
「……ならせめて横になって? ハンバーグはまた温め直せばいいでしょ?」
「……そう、だな」
母さんはそう言って俺をリビングのソファーまで引っ張った。
「さあ、お母さんの膝に頭乗せて」
「えぇ……やだよこの歳で母親の膝枕なんて」
「変な意地張ってる場合じゃないでしょ! 早く来なさい!」
「うぅ……はい……」
俺は今日十七になったんだぞ、母親の膝枕なんて恥ずかしすぎて顔から火が出そうだ。別に誰に見られてる訳でもないけど。
だが心配させたのも俺な訳で、黙って従う事にした。
◇
「……よしよし」
俺を膝の上に乗せた母さんは、ゆっくりと俺の頭を撫でていた。
そのおかげかはわからないが、すっかり頭の痛みは消えていた。
まあ、元々大して痛くは無かったんだけど。
「どう? お母さんの膝枕。落ち着いた?」
「…………」
確かに落ち着きはした。痛みも引いてるし、一度始めてしまえば気恥ずかしさもそこまでじゃない。
だがしかし、なんというか。
「……思ってたより硬いんだな」
「えっ!?!?」
さっき目が覚めた時も母さんの膝枕だったような気がするんだけど、こんなに硬かっただろうか。
もっと包み込むような温もりを感じていたと思うんだけど。
「女の人に膝枕してもらって、硬いだなんて言っちゃいけません!!」
「わーっ! ごめんごめん!!」
顔を真っ赤にした母さんにぽかぽかと頭を叩かれる。
本当にぽかぽかと鳴りそうなくらい貧弱な拳だったが。
「まったく……お母さん以外にそんな事言ったら、嫌われちゃいますからね」
「ははは……ま、まあ母さんは細くてスタイルがいいって事で……」
再び俺の頭を撫で始めた母さんは、小さく頬を膨らませていた。
「そうだよな、普通こんな事言われて嬉しい訳ねえよな。あの時だって……」
そう、あの時も俺は膝枕してもらって。
思ったより硬いなとか余計な事を口走って。
『わわっ、どうしたの!?』
『今度は俺が━━に膝枕してもらおうかと思って。こういうのはダメか?』
『ううん! 全然いいよ!』
…………?
『あたしの膝枕、どお?』
あの時…………?
『あたしがカイトにしてあげたい事をやらせてもらうのも、サービスだよ!』
『……カイト、気持ちよさそう』
『すごく優しい顔してるよ』
「っ…………」
今度は、痛くなかった。
ただ、あの時の記憶を追体験していくみたいに。
今の状況と記憶の中の光景が、ゆっくりと同化していくみたいに。
「……おやすみなさい、カイト」
そう呟いた母さんの一言が、俺の心の中から何かを呼び起こした。
「…………」
「カイト? 起きて大丈夫なの?」
ゆっくりと身体を起こし、片手で頭を押さえる。
母さんは心配してるけど、もうその必要は無くて。
「……ごめん母さん。せっかく作ってくれたのに悪いんだけど、あのハンバーグの残りもう食えそうにない」
「そんな……やっぱり調子悪かった!? ごめんね、気付いてあげられなくて……」
「いや、違う……そうじゃないんだよ、母さん」
「……カイト?」
困惑する母さんから離れる様に立ち上がり、まっすぐ前を向いた。
「…………母さん」
言いたくなかった。
俺がこの言葉を口にする事で、目の前に居る人がどれだけ悲しむか、どれだけ辛い顔をするか想像に難くなかったから。
それでも俺ははっきりと言わなきゃならないんだ。
この居心地のいい世界で夢を見るより、守りたい現実があるから。
「……俺の母さんはもう、居ないんだよ」
◇
「…………そっか」
「……え?」
俺の言葉を聞いた母さんは、変わらず穏やかな顔をしていた。
その顔はなんだか、最初から俺がこう言うのをわかってたみたいな。
「もう少しだけ、あなたの母親で居たかったんだけどな……カイトにももう少し休んでほしかったし」
「……どういう事だよ」
「そうね、詳しく話すには時間がかかっちゃうけど……カイトは急いでるんだもんね」
「それは……うん」
母さんは何か知っているし、俺に隠すつもりも無いらしい。
だけど母さんの言う通り、俺は今すぐにでも帰らなきゃならない所がある。
「ねえカイト、どうしてここが現実じゃないってわかったの?」
「……色々と違和感はあった」
俺はまずカレンダーを見た。
「俺の誕生日の前にもう一人、誕生日を祝ってやらなきゃいけない奴が居る」
机の上のハンバーグにも視線を向ける。
「俺に甘えてなかなか料理してくれねえけど、いつも美味しそうに食ってくれる奴がいる」
最後に、母さんともう一度視線を合わせた。
「俺がくじけそうな時、いつも支えてくれる家族が居るんだ」
そう、いつだって一緒に居た。
一人で静かに暮らしてた俺について来てくれた、可愛くて賑やかな家族が。
それだけじゃない。俺にはうるさい幼馴染も、頼りない先生もいる。
だけどここには、この家には母さんしか居ない。
「俺の日常は……ここに無い」
「そっか……家族かぁ」
「あ、悪い……」
「何で謝るの? 素晴らしい事じゃない。確かに私はカイトの家族で居られたのは、ほんのわずかな時間だったけれど……」
母さんはカレンダーを見つめると、悲しげに微笑んだ。
「お母さんは、この日のカイトしか知らないからなぁ」
母さんはそう呟くと、立ち上がって俺の前で止まった。
並んで立った時の母さんの目線は俺より少し低くて。
「ふふっ、もうお母さんより大きいのね」
「俺としてはもうちょっと身長欲しかったんだけどな」
「大丈夫よ、まだ十六歳でしょう? きっとまだ伸びるわ」
母さんは俺を励ましながら、両手を俺に向けて伸ばした。
「カイト、少ししゃがんでくれる?」
「ああ……こうか?」
「そう。それで、おでこ見せて」
俺は言われた通り少し屈み、額が母さんに見える様に前髪を上げた。
「カイト、胸の中に居るその子の事を強く思って。そうすれば目が覚めるはずだから」
「母さん……一体どこまで知って……」
「話はまた今度ね。きっとまたすぐ会えるから」
母さんはそう言って微笑むと、俺の額に軽くキスをした。
「っ……!?」
途端に俺の視界が揺れ、まっすぐに立っている事すら困難になる。
歪む視界の中で、母さんは最後まで微笑んでいた。
「いってらっしゃカイト。お母さんはどんな時も、あなたの事を愛しているわ」
俺の意識が途切れるその瞬間まで、母さんの綺麗な深紅の瞳が俺の事を見守っていた。




