第五十一話【吸血鬼(ヴァンパイア)】
銀の効かない吸血鬼。
奴は自分の事をそう語る。
ありえない、ハッタリだ。そう願う俺の思考をあざ笑うかのように、【銀血】の周囲を羽ばたく眷属の様な蝙蝠と、背から伸びる黒い翼が威圧感を放っていた。
◇
「見た所貴様も純血な様だが、何をそこまで驚いているのだね」
「…………」
宙に浮かんだまま【銀血】を睨みつける私に、奴は煽る様に語り掛ける。
「まあ無理もない。今や吸血鬼を名乗れる者も居ないのだから。故に貴様の無知は恥ずべきものではない」
奴の言う通りだ。千年前に吸血霊鬼なんて言葉は存在しなかった。
元は人々に恐れられていた吸血鬼。だが人間と敵対する長い歴史の中で戦いに疲弊し、共存を求めた者達が居た。それは決して弱かったからじゃない、ちっぽけなプライドなんかよりも種の存続を願ったが故の愛のある行動だ。
しかし今はそんなことは重要じゃない。どうして奴に銀が通用しないのかだ。白銀生徒がこの状況で嘘をつく理由は無い。なら彼女の言っていた事は真実なのだろう。
だが何故だ、吸血鬼だろうと吸血霊鬼だろうと銀には弱いはず。それなのに奴の手には銀に触れた時特有の火傷痕も無ければ、私に近付いて能力が低下している素振りも無い。
「…………くっ」
私とこいつにはわずかだが、明確に力の差がある。
その差を埋めるために用意した数多の銀製品、その全てが役に立たないとしたら、これらはただ私の能力を若干下げるだけの重荷でしかない。
脱ぎ捨てるべきか。銀が通用しないのなら白銀生徒の助力も期待できない。だったら私とこいつの戦力の差を少しでも縮めて勝率を上げるべきだ。
しかし本当にそれでいいのか。銀が効かないという確証に至るにはまだ少し足りない。もしこれで装備を捨てる事で残っていた勝ち筋を捨てるような事になれば、私だけでなくあの子達の未来も無い。
「それとも、怖気づいてしまったかな?」
「チッ……ほざいてろ!!」
攻撃を再開した。煽られて直情的になった訳じゃない、こいつに対する銀の有用性を今一度確かめる為だ。
「━━ガッ!! ドゴッ!!」
格闘による打撃は当然の様に防がれる。
「━━シュッ!!」
「おぉ危ない危ない、斬られる所だった」
「クソッ……」
白衣の裏に忍ばせていた銀のナイフも、紙一重で躱されてしまう。
銀のナイフを紙一重で躱す、その行為すら普通の吸血霊鬼では困難を極める。銀が近付いた時点で能力が低下するからだ。
白銀生徒の攻撃も、杭を掴んで投げ捨てたと言っていた。ありえない、退魔用の純銀の杭なんて持った時点で指先が腐り落ちてもおかしくないんだぞ。
「吸血霊鬼だと言うのに頑張るものだ。それらの武器、持っているだけで負担がかかるのだろう?」
「……その通りだ」
「ならば捨ててしまえばいい。私にそれらが通用しない事は理解しただろう?」
「…………っ」
こいつの言う通りだ。強敵を前にしてデバフにしかならないならさっさと手放すべき、誰だってそう判断する。
頭ではわかっているんだ、その方がいいかもしれない。
「……ふんっ!!」
「……ほう」
今度は銀の杭を握り締め、かぎ爪の様にして拳を振り下ろす。
「物分かりが悪いな、貴様は戦況を冷静に分析できるタイプだと思ったのだが」
「よーくわかってるよ。お前の言ってる事の方が正しいって」
銀の杭だ、特注の手袋越しと言ってもじわじわと焼けるような熱さが手に広がっていく。
それでも私は杭から手を離さなかった。
理由はひとつ、たった一つのシンプルな答えだ。
「……ただ、お前の言った通りに行動するのが癪に障るだけだよ!!」
「愚かな……ならば仕方ない、もうしばし貴様と踊ってやるとしよう」
私と【銀血】の殴り合いが、更に勢いを増した。
◇
ヒナは完全に戦意を喪失していた。
今まで【銀血】を倒す事を目標にして学んできた、信じて来た退魔術が通用しないと言われたんだ、無理もない。
それでもなんとか紗霧ちゃんの力になろうと、俺達は二人の戦いを見守っていた。
「ヒナ、吸血霊鬼の弱点って銀と十字架だけじゃねえよな?」
俺は以前、親父の手帳に書いてあった内容を思い出しながら訊ねた。
「確かに聖水とかにんにくとか、吸血霊鬼全般が苦手とするものはあるよ。でも聖水はかさばるし効果がピンキリ過ぎて頼りづらいから持ってきてない。にんにくだってどうやって食べさせろって話だし、食べたとしても大きな効果は期待できない」
「そうか……」
「だから基本的にはみんな十字架と杭を使うの。後は指輪をはめるくらいだけど……結局銀が効かないならどれも効果は薄いわ」
ヒナは自分の鞄をひっくり返しながら、取り出した杭の山を見つめてため息をついた。
「……なあヒナ、その箱は?」
その横で一際存在感を放つ、丁寧な銀の刺繍が施された箱を指差した。
「これは師匠から預かった、対魔族用の秘密兵器……銀の弾丸」
ヒナは俺に説明しながら箱を開け、中から物騒な物を取り出した。
「ばっ、銃!?」
「弾丸なんだからそれを撃ち出す銃もあるのは当然でしょ」
「ひぇ……」
想像以上にヤバいものが出てきて、レイが俺達から距離を取る。
レイからしたら近付くだけでおっかないだろう。
「でも結局は銀よ。銀が効かなきゃ意味がない……それに弾丸は一発しか無いの、適当に撃って外せないわ」
「一発……」
俺は再び、頭上で激戦を繰り広げる紗霧ちゃんと【銀血】を見上げた。
そこそこ距離があるうえに激しく動き回っている。近くには紗霧ちゃんも居るし、考え無しに撃っては最悪のパターンも考えられる。
運よく命中したとしても効果が無いんじゃ意味がない。
「でも、このままじゃ逆月先生も危ない。何か私に出来る事は……」
「……だったら、あたしが行く」
「レイカ?」
必死に思考を巡らせるヒナを前に、レイが勢い良く立ち上がった。
「ちょっと役割変わっちゃうけど、ヒナちゃんにカイトを守ってもらって、あたしが紗霧ちゃんを助ける」
「む、無茶よ! あなた戦った事なんて無いでしょ!?」
「無いけど……でも何もしないのも嫌! ヒナちゃんが上手く戦えないなら、他に出来る人がやらなきゃ!」
レイの意思は固い。ヒナに止められても曲がらなそうだ。
「……ほらよ」
「カイト?」
俺は近くに転がっていた鉄パイプをレイに手渡した。
「正直、お前に行かせたくはない。でも俺達に出来る事がない以上お前に頼るしかないんだ」
「大丈夫、まかせて!」
「紗霧ちゃんの攻撃に当たらないようにな。んで【銀血】の隙を見て思いっきりかましてこい」
「うん!」
レイは俺から鉄パイプを受け取ると、勢いよく二人に向かって飛んでいった。
「カイト、良かったの?」
「言ったろ、良くはねえよ。でもレイの言う通り、今紗霧ちゃんを助けてやれんのはあいつだけだ」
拳を握り締めながら、【銀血】を遠目に睨みつける。
「だからって、何もしないまま諦めるつもりもねえぞ」
よく見て観察しろ。ヒナが目を覚ました今、俺は戦えない分何かに意識を割く必要も無い。
探すんだ、奴の弱点を。あるかもわからない、素人の俺に見付けられるとも限らない。でもそれは何もしない理由にはならない。
「紗霧ちゃんの事頼んだぞ、レイ」
俺も、俺に出来る事を全力でやるから。
◇
「なんだ? もう息が上がってきたのか」
「はぁっ、はぁっ……」
こいつ、本当に不死身のつもりか。
手応えは感じる。なのにダメージが蓄積されている雰囲気をまるで感じない。どれだけ殴っても消耗しないのだ。
いや、ありえない。こいつだって生きている以上消耗が無いなんてことはない。
ああクソッ、こいつを見てからありえないありえないとそればっかりじゃないか。
「……白銀生徒。随分あっさり助けさせてくれたじゃないか」
時間稼ぎのつもりで、疑問をひとつ投げかける。
「あの子達を妨害できない程、私の攻撃を捌くのに必死だったのかな?」
「挑発のつもりか? 乗ってやらんでもないが……単に必要が無かっただけだ」
【銀血】は白銀生徒達を見下ろす。
「彼女は優秀な退魔師に育った様だが、銀に頼る限り私の敵ではない。ならば唯一私と渡り合えそうな貴様を倒した後、またゆっくりと捕まえればいい。違うかな?」
「へぇ、私をそこまで買ってくれているのか」
「ああ認めよう、貴様は同じ純血として素晴らしい力の持ち主だと」
【銀血】の視線が再び私に向けられる。
「だが! それでも私には及ばない!!」
「知ってるさ。だから……」
私は武器を手放して両腕を伸ばし、【銀血】に掴みかかった。
「何?」
「私はあの子達を連れて来たんだ!」
直後、ゴオッと音を立てて【銀血】の背後に新たな影が回り込んだ。
「思いっきり振り下ろせ、レイカ君!」
「なんだと!?」
「おりゃあああああぁぁぁっ!!!!」
鉄パイプを振り上げたレイカ君が【銀血】の背後を取った。
レイカ君はそのまま振り上げた鉄パイプを力任せに振り下ろした。
【銀血】は私が掴んでいて逃げられない。レイカ君の不意打ちが確実に脳天を捕らえた。
「……甘すぎる」
はずだった。
「━━バサバサバサッ!!」
「へっ!?」
「な……に?」
レイカ君が振り下ろした鉄パイプは、そのまま私の腕の間を通過し空振った。
その軌跡をなぞって嘲笑する様に無数の蝙蝠が羽ばたいていた。
「なんだこれは……」
蝙蝠たちは困惑する私の横をすり抜け、背後で再び一つの影に戻ろうとしていた。
「吸血鬼の伝説も、退化した種族が世に蔓延るとここまで忘れられるものなのだな。これが時の流れか、ある種の寂しささえ覚えよう」
集まった蝙蝠は再び人の形を取り、【銀血】となった。
「吸血鬼は姿を変える事が出来る。常識だったはずなんだがな」
「……ハッ」
ふざけるなよ、一度も見た事無いしした事も無い。
同じ時間を生きた純血の私に出来ない事を当然の様にやるんじゃない。
だが確かに蝙蝠に姿を変える吸血鬼の伝説は現代でも残されている。おとぎ話と失念していただけだ。
不甲斐なさ過ぎて涙が出るよ、私だってある程度姿は変えられるというのに。ここまで繊細で難易度の高い変化は出来ない。
こいつはいつの間にこんな技術を会得したって言うんだ。
「それで、銀も効かず打撃も効かず、貴様らにまだ私を倒す手立てはあるというのかね?」
「…………」
どうしようもない、手詰まりだ。
私が大量に抱えた銀は役に立たない。かと言ってこれらを放棄した所で打撃も通らない。
しかし逃走する事も出来ない。奴にとっては白銀生徒と言うレーダーが居る限り何度だって私達を追い詰めるだろう。
それでも。
「関係ないね」
元より、【銀血】を前にして諦めるなんて選択肢は持ち合わせていないんだよ。
「……レイカ君」
「はっ、はい!」
「無茶なお願いをするが聞いてくれ。私は変わらず奴に攻撃を仕掛ける、当たらなくてもいい、効果が無くてもいいから隙を見て奴を殴り続けてほしい」
「っ……うん!」
「ふふ、素直でいい子だ」
まだまだ若いレイカ君には酷な願いをしている自覚がある。
それでも彼女は真剣な顔で力強く頷いてくれた。何と頼もしい事か。
「まったく……なんと哀れで無駄な事を」
銀が効かない。姿を変える。
仮にその二つが奴の特性で、後から身に付けた能力だとするなら、いずれ使用には限界が来るはずだ。疲弊しきってしまえば力は弱まる。問題はそのスタミナ切れが一向に見えない事だが。
いや、その前提を信じて攻撃を続けるしかない。いくら終わりが見えなくても、希望が見えなくても。
諦めて逃げる事以上の絶望は無いのだから。
「無駄で結構。私が共に生きる事を選んだ人間って言う生き物は、無駄な事が大好きなんでね!!」
私は再び両手に銀の杭とナイフを装備し、【銀血】目掛けて飛び込んだ。
◇
「そんな……レイカの攻撃も通らなかった」
上空での戦いを見て青ざめるヒナ。
隣でそれを眺めていた俺も表情が険しくなる、
「銀も打撃も効かない相手にどうやって勝てって言うのよ……」
「…………」
ヒナの顔はどんどん絶望に染まっていった。
「あいつ……」
だが俺の表情が険しくなったのは、決して絶望したからじゃなかった。
「……なあ、さっきあいつはレイの攻撃を蝙蝠になって躱したよな」
「……え?」
俺はただ見ていただけだ。あの三人の戦いを、第三者として遠目に見ていただけの素人だ。
だからこれは非常に恐縮な素人質問になる。その為ヒナの意見が欲しかったのだ。
「そ、そうね。蝙蝠になってレイカの振り下ろした鉄パイプから逃れるみたいに……」
「……なら、なんで紗霧ちゃんの攻撃はそれで避けなかったんだ?」
「…………どういう事?」
「だってそうだろ、攻撃の強さで言ったら絶対紗霧ちゃんの方が強いはずじゃねえか。なのにその強い攻撃は馬鹿正直に真正面からいなして、レイの大雑把な攻撃にだけあんな派手な避け方するなんてさ」
「言われてみれば……」
俺の話を聞いて共に考え込むヒナ。
言葉にする事で、やはりあの【銀血】の行動には違和感があると再認識した。
「銀での攻撃がメインだったから、それが効かないなら避ける必要がない? いいえ、例え銀に対しての脆弱性が無いとしても杭やナイフの物理的な殺傷力は残ってる。わざわざギリギリで捌き続ける必要は無い……」
「って事はさ、何か理由があったって事か? 紗霧ちゃんの攻撃で蝙蝠にならなかった理由」
「ならなかった理由…………する必要が無かったとは思えない…………逆月先生を煽る為、手札を隠す為、それとももっと別の……」
「…………っ!」
ふと、ひとつの可能性を閃き、ヒナと同時に顔を上げる。
「ヒナ、俺達も戦うぞ」
「ええ、私もそう言おうと思ってた所」
俺達はヒナの鞄から大量の杭を取り出した。
あくまで仮説だが、どうせ何もわからねえ奴が相手なんだから仮説はどんどん立てられるだけ立てた方がいい。
そしてこの仮説が証明されれば、俺達にも勝機がある、
「そうだ、これやるよ」
杭を手に持つ前に、俺は小指にはめていた指輪をひとつヒナに手渡した。
「ヒナも指輪付けてるけど、一個じゃ心もとないだろ。俺の小指サイズならお前の指でもちょうどいいんじゃねえかなって」
「…………ありがと」
ヒナは俺から受け取った指輪を、躊躇なくとある指にはめた。
「……あの」
「私、この戦いから帰ったら結婚するの」
「本当にそういうところ良くないと思うなあ、俺……」
「まあ、そういう事だから」
ヒナは左手の薬指を撫でながら、顔を覗かせて笑った。
「結婚式の用意、ちゃんとしておいてね。カイト」
「……レイと要相談で」
「往生際が悪いんだから、もう」
ヒナの言葉を無視して、ありったけの杭を握り締めた。
「妄言なら帰ってからいくらでも聞いてやる。行くぞ」
「カイトも、私から離れすぎないでね」
大魔族だか何だか知らねえが、思い知らせてやるよ。
弱くてちっぽけな人間が、どうやって繁栄して来たのかって事をな。




