EP2 昼のあとの図書館
一週間もすると、人は少しだけ慣れる。
皿の重さにも、流しの位置にも、ダイナーの昼の音にも。
ミリーは毎日、昼前になるとアンナの車で町へ来て、ケンのダイナーを手伝った。
朝の町はまだ自分のものではない。
ミリーが知っているのは、昼どきの店の熱気と、皿を下げる手順と、流しに立つときに邪魔にならない立ち位置くらいだった。
その日も、アンナはいつもの調子で車を止めた。
「帰りは夕方でいいかい」
「うん」
「図書館にでもいな。あそこなら静かだ」
ミリーはうなずいた。
アンナはそれ以上は言わず、さっさと車を出していった。
昼前のダイナーは、もう少しで混み始めるところだった。
ミリーが表のドアを開けると、カウンターの向こうでケンが顔を上げた。
「来たか」
「こんにちは」
「今日はコーヒーカップが足りない。洗い終わった順に棚へ戻せ」
「はい」
それだけで話は済む。
ミリーはエプロンをつけ、流しの前に立った。
この一週間で、皿を下げる速度は少しだけ上がった。客の邪魔にならずにテーブルへ近づくことも、洗い終わった食器をどこへ戻せばいいかも、もう考えなくていい。
「ありがとうね」
席を立った老婦人が言う。
「こちらこそ、ありがとうございました」
返す声も、初日より自然になっていた。
ガソリンスタンドのおじさんがカウンターでそれを聞いている。
「慣れてきたな、アンナの孫ちゃん」
ミリーはグラスを拭きながら少し笑った。
「最初よりは」
「最初は皿が割れそうで見てるこっちが緊張した」
「割ってませんよ」
「割らなかっただけ立派だ」
その会話に、近くの席で小さく笑いが起きる。
ケンは何も言わず、グリルの前でハンバーグを返した。
昼の波はいつものように慌ただしく来て、いつものように過ぎていった。
注文の声。
皿の触れ合う音。
コーヒーの匂い。
入口のベル。
ミリーはその中を行ったり来たりしながら、気づけばほとんど立ち止まらずに動いていた。
まだ「働ける」とまでは思わない。けれど、少なくとも「ここにいて邪魔ではない」くらいにはなれた気がした。
一時を回るころには、客足が少し落ち着いた。
ケンはサンドイッチをひとつ作り、紙で包んでカウンターの端に置く。
「昼飯」
ミリーはもう驚かなかった。
「ありがとうございます」
「アンナは夕方か」
「たぶん」
「そうか」
それだけで、また手は仕込みに戻る。
ミリーは紙包みを持ってダイナーを出た。
外の光は昼を少し過ぎて、通りを白く見せている。
町役場の隣にある図書館は、昼のあとは静かだった。
ドアを開けると、古い本の匂いと、少し冷えた空気がある。
窓際には新聞を読んでいる老人が一人。あとは誰もいない。
ミリーは入口近くの椅子に腰を下ろし、サンドイッチの包みを開いた。
ターキーとチーズ。パンは少しだけあたたかさが残っている。
静かな場所で一人で食べると、味がよくわかった。
食べ終えて紙を畳み、くずかごに入れる。
それから館内をゆっくり見て回った。
本棚は高すぎず、児童書の棚は入口から見える場所にある。
小さな机と椅子。あせた絵本。窓辺の読書用の椅子。
どれも新しくはないけれど、ちゃんと誰かのために置かれている感じがした。
ミリーは児童書の棚の前で少し足を止めた。
こういう場所は嫌いじゃない。
むしろ落ち着く。誰かに話しかけられなくても不自然じゃなく、ただ座って本を見ているだけで時間が過ぎる。
午後の光が少しずつ傾くころ、役場のほうから人の出入りの音がした。
やがてスクールバスのブレーキの音が遠くに聞こえる。
しばらくして、図書館のドアが開いた。
赤いバックパックを背負った男の子が一人、そのあとに女の子が二人。
慣れた様子で机に座り、鞄の中をごそごそやっている。
一人の子が、鉛筆を持ったまま困った顔でプリントを見ていた。
ミリーは少し迷ってから、その机へ近づいた。
「宿題?」
男の子が顔を上げる。
「うん」
「どこがわからないの」
プリントを差し出される。算数だった。
ミリーは椅子の背に軽く手を置いた。
「じゃあ、一回いっしょに読もうか」
男の子は少しだけ恥ずかしそうにしながら、問題を声に出した。
その様子を、役場の裏口から入ってきたグレイスが見ていた。
グレイスは何も言わず、しばらく本棚のそばに立っていた。
男の子が一問解けると、ミリーは「そう、それで合ってる」と小さく言う。隣の机では女の子が絵本を広げ、もう一人は窓の外を見ている。
「アンナの孫ちゃん」
グレイスが声をかける。
ミリーは顔を上げた。
「はい」
「昼のあと、だいたいここにいるのかい」
「静かなので」
グレイスはうなずいた。
「そうだろうね」
その言い方には、何か考えている気配があった。
けれど、その日はそこで終わった。
グレイスは館内を一度見回し、役場へ戻っていく。
ミリーはまた男の子のプリントに目を戻した。
夕方、アンナが迎えに来るころには、図書館はまた静かになっていた。
車に乗り込むと、アンナがちらりと横目で見る。
「どうだった」
「ダイナーは慣れてきた」
「図書館は?」
ミリーは少しだけ考えた。
「好きかもしれない」
アンナはそれを聞いて、口元だけで笑った。
「そうかい」
それだけだった。
車は夕方の道を家のほうへ戻っていく。
窓の外では、町役場の灯りがつき始め、ダイナーの窓にもあたたかい明かりが入っていた。
ミリーはそれを見ていた。
昼に手伝う店と、午後を過ごす図書館。まだどちらも借り物の場所みたいなものだったが、それでも一週間前よりは、自分の体がそのあいだをちゃんと移動できるようになっていた。
シダーリッジでの時間は、派手には進まない。
けれど静かな場所ほど、少しずつ人を受け入れるのかもしれなかった。




