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どうぞよろしくお願いします。

 私は小さな花束を持っていつものように帰りの電車に乗った。

 いるかな?

 心臓がドクドクする音が耳にうるさいくらい響く。

 身体の外にも響き出しているんじゃないかっていうくらい聞こえて、鼓動も強く感じて、視界も少しチカチカする。


 電車のドアが背の方で閉まる音。

 私は寄りかかって、静かにゆっくり息を吐いてから、息を吸う。

 うん、少し落ち着いた。

 いつものように立っている人は少なく、座席はほぼ埋まっているぐらいの車内。

 立っているあの人と目が合った気がする。

 私はいつものように軽く会釈……ではなく、いつもより意識的にお辞儀をして花束を持ち直す。

 あの人は怪訝そうな顔をしたようだ。軽く会釈をして私から視線を外し、そして、また私を見て、歩み寄って来てくれた。


「こんばんは」 低く優しい声。

「こんばんは」 私も挨拶を返す。


 また心臓の音が頭に耳にドクドク響いてきて、手が身体が鼓動に合わせて震えているような気がする。

 言わなきゃ。言わなきゃ。言わないときっと後悔する。

 もう何も考えずに……、いや、でも……。

 心の中で恥かしさと、でも後悔したくない気持ちと取っ組み合いの……、そうなることはわかっていたのに……。


 あの人は花束をちらりと見て「お祝いごとでも?」と言った。

 

 声震えるな。


「会社を退職したので、同僚達が贈ってくれました」

「退職?」

「はい、前線へ行くことが決まったので」

 あの人が少し目を見開いたのがわかった。

 私は薄く茶色のレンズの入った眼鏡をかけている。近くに来てくれればある程度の表情は読み取れるが、彼の表情は暗く感じた。

 同情してくれているのだろうか?


「それは……、でも、あなたは軍人ではないでしょう?」

「私は医療技師として参ります」

「前線へ?」

「はい」

「……徴兵ですか?」

「いえ……、その……志願になります」

 そう、志願なんだけど、自ら志願したわけではない。


「いつですか?」

「明日の午後です。東京の第三師団へ」

「明日で……、今日退職?」

 

 彼の言葉に私は微笑んだ。

 ああ、この人は、私のことを少しは気にかけてくれているんだ。

 そう思えただけでうれしかった。

 彼は言葉を続けた。


「それは違反ではないですか?

 召集が決まった者は三日前に退職し、休みが保障されている」

「私には……家族がいませんから。

 それに私は徴兵ではなくて志願ということになってます。

 勤めている会社は叔父の会社で、私が今、生活している社宅もそうです。

 三日前に放り出されたら、私、生活できなくて困ってしまいますし……。

 叔父が特例として申し出て、うまく処理されたと聞きました」


 彼はさらに目を見開いて「では、今夜はその社宅に帰って、ひとりで過ごすだけですか!?」と言った。

 その言葉に打ちのめされた。でも本当の話なので頷く。


「そう……、そうです。ひとりでいつものように……。

 もう部屋の物は片付けてありますから。

 そして、いなくなります……。

 誰も私のことなんて見ていませんし、知りませんから……」

「そんなことはありません。

 その、あなたさえ良かったら。いや、こんな……」

 彼は口籠り、慌てたように口を片手で覆った。

 今の私は泣きそうな表情をしていると思う。

 恥ずかしさと情けなさと、でも、ここで自分から言わないと……。

 茶色のレンズが周囲との壁になっていたけれど、それが今は一歩踏み出す、壁なのに、私を押してくれているかのような気がした。

「あの、お願いがあります」

 彼は動きを止めて私を見た。

 私は彼に一歩近づき、小さな声で言った。


「あの……、その!

 私を抱いてはいただけないでしょうか?」

 

読んで下さり、ありがとうございました。

世界観は現実世界にかなり近い感じ(何かと戦争をしていたりしますが)なので、現実世界のジャンルにしました。

まだ他に連載中の話もあり、こちらはそちらが完結するまではのんびり1日1話投稿の予定です。

どうぞよろしくお願いします。

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