第3章 プロローグ
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
3章長くなりそうなので、分割。
前半はゆるゆる
『自然法』という概念がある。
明文化するまでもなく、たとえ条文にその記載が無かったとしても、当然の如く存在する根源的法を指す概念だ。
人として、社会動物として道義的、倫理的に超えてはならない一線というものがある。
逆に、人であるからこそ、何があろうとも認められなければならない権利というものもある。
自然法とは、そういった原理原則的な価値基準の総体であるらしい。
法律には書いてなくてもそのくらい分かれよks という理屈だ。
また、『幸福追求権』という概念がある。
人は他人に迷惑をかけない範囲で、いかなる種類の幸福を追求してもよいという事だ。
我が国改正憲法19条に記されたその権利は、思想、良心の自由や、平等原則と並び、自然法由来の根本原則として、憲法改正ですら改正することのできない権利として国民に保障されている。
幸福追求権が自然法なのかについて議論はあるらしいが、圧倒的多数の偉い先生方は口を揃えて「幸福追求権は自然法である」と言った。
俺は先生方の見解に心の底から同意する。
人様に迷惑をかけず、自身で全て完結する限りにおいて、俺たちはどんな欲求を満たしてもよいのだ。俺の幸せは俺が決めてよいのだ。
さすが偉い先生は言う事が違う。
ちなみに、とある先生は幸福を追求し過ぎて腹上死したが今は関係ない。
重要なのは、『幸福追求権』は人間として根本的に保障される権利である、ということだ。
なので、俺は、幸福追求権を行使して違法動画をダウンロードした。
もちろん公共の福祉の範囲内だ。
DLが終わると、いつもの『吟味』フォルダに放り込む。
ちなみに吟味フォルダに入れたファイルは、何があろうとも、たとえ今日、世界の終わりを迎えようとも3日以内に吟味するというルールを自身に課していた。
今日の俺は最悪だった。
なんせ、同志たちが集まる『レベルアップ監視委員会』の掲示板で、既に神意執行者と認定された紳士、ハンドルネーム『ジャスティス』氏とは対極を為す背信者、『愛loveぺいん』氏による悪質なトラップを踏んでしまったからだ。
天上人であるジャスティス氏を装って張られたアドレスにアクセスしてみると、あろうことか、むくつけき漢共の悍ましいレベルアップ動画集の強制再生ループを食らってしまったのだ。
PCは固まったまま何をしても止まらない。必要以上の画質で野郎どもがのたうち回る映像が大音量で延々と流れ続ける。
オオッ オおォォォッ ガっ ゴバァッ
た、たす、たすけぐあァァ~~~~ッ
ホゥリィシットッ!! ファッキン、サノバビ、ビビビビィヤァァッァ~~~~っ!
チョルトブリャーチ ハハハァンカハァァァ~~~ッッっ!!!
ひぎぃやぁァァッ あ、あ、あアアアアァアッ!!
動画鑑賞にヘッドホンを使わないのは俺のポリシーだ。
それが仇となって、俺の部屋は野太い咆哮が木霊す地獄と化した。
『レベルアップ監視委員会』は、官憲の目をかいくぐるため、男のレベルアップを排除していないので、絶叫動画は規約違反ではない。
しかしそれは極々少数の会員が男のレベルアップ目当てで来ている事実に付け込んだ冒涜行為である。
真理を信奉する敬虔な徒にとっては許し難い所業だ。
気配を感じて部屋の入口を見ると、メイドがニヤニヤしながら部屋を覗き込んでいた。そしてその脇でアーニャが鼻血を垂らしながら何かを描いていた。「男×ダンもナオトとヨシヒトが……っ」とか訳の分からない妄言を吐いている。
先日、侵入防止にと、壁に作られた扉の前に棚をバリケード代わりに置いたのだが、次の日には別の扉が施工されていた。
大家は既に買収済なので、奴らの暴挙を止める手段がない。耐震基準とかどうなってんだ。
奴らを追い出した後、PCを強制終了して再度立ち上げる。頼むからこんなことに秩序破壊使わせてくれんな。
そしてPCが再起動すると、デスクトップの画像が、あられもない姿のGACHI・MUCHIへと変貌を遂げていた。こめかみが破裂するかと思った。
『愛loveぺいん』は発見次第殺すと決意した瞬間である。
ともかく、そんな最悪の時間を乗り越えての今だ。
すぐさま吟味フォルダを開き、DLしたての動画をクリックする。
ちなみに動画は、最近、メキメキと頭角を現し始めた新鋭、ハンドルネーム『えくすたりおん』氏によるものだった。
彼の手法は、金にものをいわせてパーティメンバーを買収する、又は密かに防具に極小カメラを設置するというものだ。
そのため、彼の動画は賛否両論で、過激なアンチが常駐し、UP即通報という流れがお約束になっている。
しかし俺は手法こそ褒められたものではないが、動画に込められた輝きが色褪せるわけではないと思う。
『真実』とは尊く、そして平等だ。
俺が両手をこすり合わせていると動画が始まった。
もうわかりきっていると思うが、念のため言っておくと『レベルアップ動画』である。
動画は突然戦闘から始まった。
剣戟音、飛び交う怒号。
そのやり取りから察するに中国人の男女二人組だ。
俺は一瞬息を呑む。
なぜなら、その敵が見たことも聞いたこともない相手だったからだ。
まさかついに40階層が突破されたのか!? と焦ったが、映像に映る周囲の景色を見て首を振る。
ドロリと粘性を帯びたマグマ、凹凸だらけの火山岩の台地、そこら中に舞い散る火の粉。
一目でわかる。21~29階層だ。
踏破済みフィールドの動画は散々出回っているし、現れるモンスターも研究されつくしている。冒険科の授業にも出てくるし、個性的なモンスターにはファンがついている事もあるくらいである。
俺だって人より少しだけ冒険動画を見る関係で、モンスターの知識はちょっとしたものだ。
それなのに、見たこともないモンスターとなると、まさか……
「ユニークモンスターかっ!?」
それを一言で称すならば『蝶人』
筋肉が盛り上がったその体の大きさはほぼ人と同じか。そのフォルムは人と変わらない。
全身にうっすらと体毛が生え、そして何故かアマレスユニフォームのような服を着ている。この時点で単なるモンスターとは決定的に違うし、なにより不快を通り越してもはや悍ましい。青々と茂る髭とケツ顎には吐き気すら催すほど。
そして特徴的なのは、顔の上半分を覆うSFチックなバイザー、頭からぴょこんと生えた2本の触覚、そして背中から生えた一対の美しい蝶の羽。
七色がうねり、芸術的な輝きを持つ羽と、ガチムチマッチョとのコントラストが絶望的に不愉快だ。
間違いない。相手はユニークモンスター。
そう、ダンジョンにはユニークモンスターと呼ばれるモンスターが出没する。
そう聞くと、ゲームのように一定の場所で一定確率でとかいう話になりそうだが、それは全く違う。
ユニークモンスターは同一種の別個体は発見されておらず、姿形も、特性も、能力も、性格もまるで違う。
現れる階層すら不特定で、今日30階層で現れた個体が明日1階層で目撃される事もある。
何一つ共通するものがない彼らだが、唯一共通する要素があった。それは―――
『哇靠!!』
『操你妈!!!』
とてつもなく強い、という事だ。それも並みの強さではない。
ダンジョンがこの世界に現れて30数年。人類が39階層を踏破し、多くのモンスターを斃し、階層ボスを地に沈めた歴史を振り返ってなお、ユニークモンスターを討伐したとされる事例は
ただの一件も報告されていない。
中国人男女の冒険者が一方的に攻撃を仕掛けている。その威力を見る限りでは相当高レベルの冒険者であることが窺える。
しかし、それを食らっている蝶人は反撃するでもなく防御すらせずに、のっしのっしと二人の冒険者に近づくのみだ。
『逃吧!!』
たまらず二人組が逃走を開始する。
間違いない。この動画は出会う事すら殆ど無いユニークモンスターとの貴重な戦闘動画だ。
とすれば、冒険動画としてはとんでもない価値がある。
でもぶっちゃけ俺は絶頂動画を見たいんですけど。
逃げる。逃げる。二人組が全力で逃げる。
男の頭部についているらしいカメラが前を行く女の背中を捉えている。
荒い息遣い、尋常じゃなくブレる視点。緊迫感が伝わってくるが、見ていると酔いそうだ。
すると、女が男を一瞬振り返る。
瞬間、俺は驚きに目を見開いた。
「『楊 美鈴』だとっ!! だとしたら男は『劉邦』かっ!?」
上海連邦の新星、『大剣』。
大戦で虫の息となり半ば分裂した中国。広大な国土と人口を持つ彼らは皮肉な事に権限を一つも持っていない。
資源の輸入は出来る。資産だってある。しかしこの時代、権限を保持していない国家にどんな交渉が出来るというのか。
売るに買い叩かれ、買うに足元を見られ、大国であったというプライドが足を引っ張り全てが空回り。
ダンジョン攻略は今や中国の悲願だ。
そんな国威と資源のため、血眼になってダンジョンを攻略する中国勢の中でここ数年、メキメキと頭角をあらわしている二人組、それが彼ら『大剣』。劉邦と楊美鈴である。レベルは共に27.
世界ランクにも名を連ねる二人は美男美女でもあり、本国では凄まじい人気を誇ると聞く。
そして彼らは恋人同士であることもまた有名で、理想のカップル№1の地位を不動のものにしていたらしい。
しかし最近、劉邦の浮気を取り沙汰されてから、表舞台ではめっきり姿を見る事が無くなっていた。
災害レベルの痴話げんかのあげく、国の仲裁によりまたダンジョンアタックを再開したと聞いてはいたが、劉邦がダンジョンで受けたダメージを理由に引き籠っているという噂もあり、真偽はさだかではない。
もっとも、劉邦の頭部に設置されたカメラが色々と物議を醸しそうだ。
「そんな事よりレベルアップはよっ!」
俺は空気も読まずに吠えた。
『ユニークモンスターの撮影に成功しちゃいました! すごいでしょ!』で終わりそうな空気をヒシヒシと感じたからだ。
正直どうでもいいから早よレベルアップ出せよ。
二人が逃げていると、行く手を遮るようにモンスターの集団が現れる。この階層ではザコに分類されるモンスターだ。
後ろを振り返ると、蝶人がストライド走法で迫ってきていた。ていうか飛べよ。
二人はモンスターの集団を突っ切る事にしたらしい。パーティ名の元にもなった大剣を抜き放ち、そのまま突撃を敢行。剣を振るたびモンスターが宙を飛ぶ、いわゆる無双状態だ。
しかし、それは突然だった。
モンスターの集団を突き破る直前、何の前触れも無く。
楊美鈴がバタリと倒れた。
前のめりに、受け身すらせずに。
糸の切れた操り人形のように唐突にだった。
劉邦がそれに気付いて美鈴に駆け寄る。そして呻いた。
『…………哎呀』
俺も呻いた。
「哎呀」
それはまさしく五体投地。
神に対する絶対的帰依の表明。
だがしかし、小刻みに震える尻だけが天に向かって突き出されている。
俺は彼女のその姿に、心から感銘を受けた。
押さえた口元から言葉が漏れる
「很漂亮……」
それはいわば背徳の極み。
遥か古、人が神を求めた瞬間より続く敬虔なる祈り。最も厳粛で無欲で清らかなる行為。
それなのにその姿は、あさましくおねだりするメスそのもの。
剥き出しになった獣欲そのままに、彼女は吠えた。
『ウ、ウウぁウゥゥ~~~ッッ』
楊美鈴が口端から涎を垂らしながら、獣のような唸り声。
血走った眼は明後日の方を向き、体中が強張り全ての指がピンと張られている。
荒すぎる呼吸音と時折混じる控えめの嬌声。原始的な肉欲が奔流となって彼女の体を駆け巡っているのだ。
そして、ついに。
彼女は痙攣を始めた。
『ア、アゥッ ア、ハッ、アゥゥ~~~ッッ オ゛、オオッっっ』
『美鈴! 没事吧!? 美鈴!!』
敵陣ど真ん中で、楊美鈴はレベルアップしていた。
周囲からモンスターが押し寄せ、背後からは蝶人が全力スプリントである。
覚悟を決めたのか、劉邦が足を止めモンスターを薙ぎ払う。
血飛沫と白刃舞う戦場で、ぶつかり合うのは互いの存在意義だ。
血と血。肉と肉。互いに差し出したソレを、己が『生存』をかけて破壊する。それは最も美しく、最も醜い動物としての原始的衝動。
しかし生物としての原始的衝動は『生存』だけではない。生き残った生物は、生物として己の存在を残さねばならない。
そう彼女―――楊美鈴は、もう一つの原始的衝動に身を焦がす。
当初の姿勢より尻は更に天高く突き出され、背骨が軋むほど背を反らしている。
羞恥と快楽に歪められたその顔は淫靡に濡れ、物欲しそうに腰を振り、そして断続的に大きく跳ねる。
両の手は無為に火山岩を掻きむしり、カエルのように開かれた股のあたりからは不自然な湯気が立っていた。
暴力と狂気と肉欲の坩堝、その中心で彼女は―――
『生殖』の雄叫びを上げた。
『イ"イ"イ"……ひ、ヒギィィあィィオオオォォ~~ッッ!!』
だから俺はシンクロした。
「イ"イ"イ"……ひ、ヒギィィあィィオオオォォ~~ッッ!!」
ブレにブレる視点カメラは、吹き飛ぶモンスターと迫る蝶人、そして悶える楊美鈴をランダムに映し、最早レベルアップ動画の態を成していない。
真実に迫るジャスティス氏の神視点とは比べるべくもない。まともに聞こえるのは音声だけだ。
しかし、と俺は思う。
なんと尊き事か。
我らが住まう星、地球。
異なる国、異なる人種、異なる言語、異なる文化。
人は自身と異なるものに恐怖する。全てが異なり、相容れないとも思える俺たちも。
その美しい空の下、レベルアップはみな同じだ。
同じ空、同じ大地の下、境目などないのだと。文化や価値基準が違おうとも、俺たちは皆同じ人類なのだと。
だからこそ自然法は保障する。ひとはみな平等だ。
俺の頬に一筋の滴が伝う。
『来来来ィ来来出来ィィッッ 我出ィィィ~~ィ~~ッッ!!』
「素晴らしい……」
俺は無我の境地に達し、天を仰いで感涙に咽び泣いた。
すると突然、無粋にも劉邦の怒声が響き渡る。
映像は30階層特有の赤茶けた空を映していた。どうやら蝶人にタックルをキメられたらしい。
心底どうでもいいが、取りあえず最後まで見届けようと画面に視線を戻す。
すでに劉邦は蝶人にマウントをとられており、厳つい蝶人の顔がドアップで映る。
豪快に張ったエラ、割れたアゴ、分厚い唇。青々とした頬。
バイザーで目が隠され何を考えているかはわからない。
ただ間違いないのは、至近距離で見るにはかなりキツイ絵面だということだけだ。
すると、蝶人が明らかに笑った。ニヤリと、口角を上げて。
瞬間、凄まじい悪寒が俺を襲う。本能的に肛門括約筋全力で締めた。
「お、おい…… 待て、まさか……」
劉邦が声にならない悲鳴を上げる。
しかし、蝶人はゆっくりとアップになっていき、半ばめくれ上がった分厚い唇が画面いっぱいに広がり、そして――――
『くぁwせdrftgyふじこlp~~~ッッ!!!!!』
ぶちゅー
そんな最悪の音声と共に画面が暗転。
唐突にエンドロールが流れ出す。
茫然とエンドロールを眺めていた俺は、ハッと我に返ると無言で動画を切る。
そして、既吟味目録に、☆3つと『グロ注意』とだけ書き添えてPCを落とした。
「☆4つは固かったのに……」
劉邦が引きこもっているという噂はどうやら本当らしい。
最後の最後で台無しだった。
なぜレベルアップ動画で細マッチョと太マッチョの接吻を見せられなければならんのだ。
俺は未だ残る寒気を振り払うように体を震わせると壁に貼られたカレンダーに目を向けた。
「いよいよ、か……」
明日から初めてのダンジョン実習が始まる。これから俺たちが人生を賭けて闘う戦場に、初めて足を踏み入れるのだ。
そして更に、2週間かけて5階層に到達した者の中から、2学期に行われる総合戦闘大会のメンバーが選ばれ、夏休み中に夏合宿が行われる。テレビ密着取材もダンジョン実習の頭から始まるらしい。
実際のところ、大会自体には大して興味はない。補欠含めて15人のメンバーに入れるかどうか実力的にも微妙なところだ。
しかし、葵が絶対一緒に行くと言って聞かないので、面倒だが俺は俺で頑張らなければいけない。
「ま、なるようになるさ」
そう呟くと、俺はライジングの整備のため机に向かった。




