第2章 始動
アーニャさん再来日の経緯
地の文少な目 会話回
冒険者が音速を超えようと、ダンジョンが亜空間を生成しようと、未だ人類最速の移動手段は飛行機である。
徒歩で大陸横断くらいなら余裕じゃね? と思う冒険者は少なくないが、よほどの馬鹿でない限り実際にそれを実行する者はいない。
なので、音速超えの技を持つ少女――――アリョーシャもまた、当然の如く飛行機に乗って帰国していた。
仕事に学校にと多忙を極める彼女は、仕事の一環とはいえ、アニメの聖地、憧れの国ニッポンに訪れることが出来て、それなりに満足していた。
とはいえアリョーシャも10代の少女である。もっと行ってみたいところもあったし、もっと話したい人もいたが、詰まりに詰まったスケジュールを考えるとそれは難しい。
後ろ髪ひかれるような思いを断ち切って戻ってきた祖国は、初夏とはいえ夕方になるとまだ少しだけ肌寒い。
夏の代名詞である蝉が合唱を始めていた日本とはえらい違いだ、と、またニッポンでの出来事を思い出している自分にアリョーシャは苦笑した。
皮肉なものだ。
強くなればもっと好きな事が出来ると思っていたが、強くなればなるほど自由というものは遠ざかっていく。
非力な少女一人が日本に住んでみたいと言ったところで、異を唱える者など誰もいないが、剣帝アリョーシャがそれを口にしたならば大問題である。
アリョーシャは少しだけ悶々としながら、約2週間ぶりに返ってきた我が家の扉を開けた。
「帰ったよー」
広すぎるエントランスに声が反響する。彼女の父親は仕事で世界中を飛び回っているし、母親は既に他界しているため、彼女は馬鹿みたいな大邸宅でほとんど一人暮らしである。
かといって、主人の帰宅の一声に返事が返ってこないわけではない。
「おかえりなさいませお嬢様」
クラシカルなメイド服に身を包んだ女性が恭しく頭を垂れる。
まるでアリョーシャが帰ってくる事が最初からわかっていたかのように、エントランス正面で佇んでいたのは、彼女の専属使用人兼マネージャーのタバサである。
年の頃は30代前半。
腰まで届く藍色の髪を上品に結い上げ、チラリと見えるうなじからは匂い立つような色気が滲み出る。
露出の少ない正統なる女中衣装に身を包んでいるというのに、主張の激しい肉体を隠すことは難しいようで、見るたびアリョーシャは思わず自身の胸に手を当ててしまう。
なのに、笑顔で佇んでいるだけで楚々とした印象を受けるのだからわからない。
タバサは上品な微笑みを浮かべながら口を開いた。
「お嬢様、お仕事の首尾はいかがでございましたか?」
勝手知ったる彼女の言葉に、アリョーシャは少しだけ驚く。
タバサは使用人であると同時に、アリョーシャの仕事を管理するマネージャーである。
実は今回初めてとなったギルドからの要請も、スケジュールを含めた調整を行ったのはタバサであり、アリョーシャが日本で何をしていたかなんて事は誰よりも知っているはずなのだ。
「え、タバサ知らないの? ダンジョンハックまで起きたんだから結構なニュースになってるはずだけど」
「存じておりません。タバサはお嬢様のメイド。お嬢様のお仕事の首尾はお嬢様ご本人の口からお聞きすると決めておりますので」
もちろん、これだけ長い付き合いになると彼女のポリシーも知っているが、さすがにテレビをネットもダンジョンハック一色であった事を考えると、凄まじい徹底っぷりである。
アリョーシャはキャリアバッグを「よいしょっ」とタバサに預けながら得意げに言った。
もちろんニッポン古来の文化である『勝利のVサイン』も忘れない。
「上手くいったよ! バッチリ任務成功ッ!」
「まあ! さすがですお嬢様! タバサは嬉しゅうございます!」
まるで我が事のようにオーバーリアクションで喜ぶタバサ。
すると、ひとしきり喜んだタバサが笑顔のまま言った。
「実はギルドから苦情が来ておりましたが、結果良ければ全て良しでございます」
アリョーシャがピシリと固まる。
「え……? く、苦情……? ギルドから? ど、どんな……?」
「『頭脳労働が苦手だと聞いていたから詳細を知らせず陽動を任せたのに、陽動らしい事を一つもしないから何とかしてくれ』 と」
「ちょ、えぇ……? 頭脳労働が苦手って、だ、誰がそんな失礼な事――――」
「タバサがギルドに具申しておりました」
使用人の遠回しな『馬鹿』発言に動揺を隠せないアリョーシャ。
しかし、タバサは満足気に頷くと、あろうことか、更なる暴言を吐いたのだ。
「ご安心くださいませお嬢様。先方にはきちんと『ウチのイモ可愛いお嬢様に一体何を期待してるのか』 と抗弁しておきましたので」
「イモじゃないっちゃッ!!」
ふふふ と上品な笑みを浮かべながら、タバサはエントランスの階段を上って2階にあるアリョーシャの部屋に向かう。
その後ろをブツブツ言いながらアリョーシャがついて行くといういつもの構図である。
「いいもん! 今回は勝ったし!」
「当たり前でございましょう? お嬢様は同世代最強の使い手にございます。頭は弱くても腕力で負けるはずが無いかと」
くるりと振り返ってサラリと毒を吐いたタバサ。
それに対してアリョーシャが「どんなもんだい!」とばかりに胸を突き出した。
「勝ちは勝ちでも違うもーんッ! 相手はすんごい強敵で! そんで今回は『パーティー』で、しかも私が指揮官だったんだから!」
――――ガタンッ
タバサが持っていたキャリーバッグが床に落ちる。
タバサは驚愕の面持ちで魚のように口をパクパクさせ、呻くように言った。
「ぱ、パーティで、指揮官として…… お嬢様が……?」
「その通りっ!!」
「組んで敗走、指揮して壊滅。疫病神と恐れられ今や誰もパーティを組んでくれないお嬢さ―――おぼっち様が……?」
「その、通り……」
ずどーんっ とタバサのアゴが落ちた。
往年のディズニーアニメ並みのリアクションである。
ちなみにアリョーシャは四つん這いになって凹んでいた。
「何を、やっているのですか……?」
「……え?」
「こんなところで、何をやっているのですかと聞いているのです!」
「え? タバサ? え? 」
タバサは俯き、拳をブルブル震わせながら戦慄いている。
対して、頭の上に盛大に『?』マークを浮かべるアリョーシャ。
すると、タバサが ダンッ と床を鳴らしてカッと目を見開いた。
「お嬢様のダンジョン攻略はしばらく37階層で足踏み状態。ソロでの攻略に限界を感じているのでしょう!? 組んでは捨てられ声をかけては断られ!」
「捨てられてなんかないよッ! 方向性の違いだもんッ!!」
「拗れに拗れて解散するバンドみたいな言い訳はやめなさいッ!」
タバサが再び、ダシンッ と床を踏み鳴らすと、アリョーシャがビクリと震える。
「ソロでの限界を感じ、一緒に肩を並べる者を探し、別ればかりを繰り返しそしてついにっ お嬢さ―――おぼっち様は仲間を見つけた…… そうではないのですかッ!?」
「あの…… 『おぼっち様』っていうのやめて欲し――――」
「ついに『ぼっち』は仲間を見つけたッ! そうでしょう!?」
「いやもっと酷いから」
興奮も露わに拳を突き上げるタバサの暴言は今に始まったことではない。
使用人にあるまじきその行動も、アリョーシャに対する愛情から来ていることも知っている。
だからこそ、アリョーシャは困ったように笑う。口をついて出た言葉は、まぎれもない本心だった。
「だって…… そんな事……」
はあぁ と溜息一つつけば、アリョーシャの頭に浮かんでくるのは、一人の少年の顔だ。
かつて年端もいかない頃が、親に連れられ一度だけ会った事のあるその少年は、見違えるほど逞しく成長し、時折、男の顔を見せるまでになっていた。
少年が自分の事を覚えていないのは軽くショックだったが、10年以上も前の事だ。しょうがないと言えばしょうがない事である。
少年は弱かった。その辺の冒険者学校に放り込んでみても、その実力は下から数えたほうが早いだろう。ましてやトップランナーである自分と比べるべくもない。
それなのに、少年は死を目前にして不敵に嗤った。無様に震える自分を励まし、遂には火竜討伐をも成し遂げてしまった。
雷に打たれたような衝撃を受けた。心臓を鷲掴みにされるような胸の高鳴りを覚えた。
それは直感だ。
彼ならば、彼とならば。
私はもっと先へ行けるかもしれない。もっと強くなれるかもしれない。
一緒に戦いたい。仲間になって欲しい。そう思った。
それが偽りなき本心だ。しかし――――
「そんな事出来るわけないもん……」
アリョーシャ・エメリアノヴァは同世代最強の冒険者だ。
次世代のトップとして期待され、あらゆる便宜を図られ、ポーランドの至宝とまで謳われるトップランナーである。
一挙手一投足が注目の的だ。何をするにも利益が絡む。たかが小娘の戯言があらゆる方面に深刻な影響を及ぼす。わがままなど許されるはずもなかった。
社会という名のカゴの鳥。大衆の奴隷。
それが自分。【剣帝】アリョーシャ・エメリアノヴァだ。
だからいつしか諦めていた。好きな事も、やりたい事も。
憧れのニッポンでアニメ放題な生活をすることも、再びあの少年に逢いに行くことさえ。自分にはそんな自由は無いのだと思い込んでいたのだ。しかし―――
「誰がそのような事を? 誰が『出来ない』と、そう言ったのです?」
「タバサ……私は……」
少しだけ俯いて唇を噛みしめるアリョーシャ。
しかし、タバサはそんなアリョーシャの手を取り、まるで母が我が子に向けるような慈愛に満ちた笑みを浮かべたのだ。
「全てこのタバサめにお任せください」
涙すら浮かべるアリョーシャに一礼したタバサは、おもむろに携帯を取り出し、どこかに電話をかけると、繋がった相手にこう告げた。
「大統領に繋ぎなさい。『タバサが吊るしに来た』と言えば、愛人と腰を振っている最中でも取り次いでいただけるはずです」
「ちょ、た、タバサ、さん……?」
それ以降の会話は頭に入ってこなかった。
石のように固まるアリョーシャを放置したまま、タバサは何があっても決して表には出せないような話をバーゲンセールみたいにぶち撒けていく。
――――タバサのイモ可愛いお嬢様は今、サナギから蛾へと生まれ変わろうとしているのです。あらゆる反対勢力に伝えなさい。このタバサが相手になる、と
――――ええ、そうです。当家のイモ可愛いお嬢様が遂に羽ばたかれる時が来ました。何です? そんな事は認められない? ほう、このタバサが認めているというのに、あなた如きが異を唱えると…… そう認識してよろしいので?
――――今すぐに動きなさい。こういう時の為に我々は、表に出した瞬間に人生が終わるようなブツを取り揃えてあるのです。今すぐおもしろ動画風に加工してあらゆる媒体に巻き散らしなさい。
そして、最後の最後、アリョーシャはタバサのこんなセリフを聞きながら、現実から逃げるように自室のベッドに転がって頭から毛布を被った。
―――日本の制度? そんなものは知りません。物理的に首を縦にしか振れないようにしてやれば良いのです。 うふふ、たかだが人の10人20人程度、海に浮かんでも誰も困りませんよ?
タバサさん大好きです




