闘いの終わり
「ダンジョンとは一体何なのか。あなたは考えた事がありますか?」
俺に向けられるその目は本当に俺を見ているのだろうか。
見る者全てを引きずり込むような、その昏い瞳に怖気がたった。
対峙した瞬間に実力の差は理解しているが、俺が感じている「差」が本当がそのまま物差しと成り得るのかは全く分からない。
それほどに底知れぬ迫力を持った男を前に、俺は無言でナイフとライジングを構えた。
「世界に突然現れたダンジョン。人はこぞって攻略に望み、それまで拠り所にしていた科学という名の神を放棄してでもその富を漁る。善悪の話ではありません。それを否定するつもりもない。ですが―――」
【J】が一歩足を踏み出す。
気圧された俺は一歩後ろに下がった。
「―――ダンジョンを踏破した先には何が?」
どろりと濁ったガラス玉のような瞳に見据えられ、銃把を握る手がじっとり汗ばむ。
その問いに対する答えを俺は持ち合わせていない。本番のダンジョンに潜った事すらない俺にとって、何を言ったところで答えにはならないと思う。そんな俺の葛藤を知るはずも無い【J】は、さらに一歩踏み込んで俺の目を覗き込んだ。
「富? 名誉? ではさらにその先は何が……?」
いつの間にか俺の隣で武器を構えていたアーニャ。
戦闘前は散々怯えていた彼女だが、いざ戦闘となるとどんな厳しい状況でも戦意を滾らせていた。
しかし、一瞬横目で見た彼女の表情は青ざめ、膝がカタカタと震えている。俺と同じタイミングでじりじり後退する様は、火竜戦では絶対に見せなかった姿だ。
俺はゴクリと唾を飲みこむと、腹から絞り出すように掠れた声をひり出した。
「お前の目的は……何だ……」
すると【J】がピタリと足を止める。
「私の、目的?」
「ああそうだ。本当は政治的主張なんてどうでもいいんだろ? さっきの戦でも、お前にとってはどっちが勝とうが関係なかった。一体何を狙ってる……っ!?」
今このガーデンにおいて、この男は神だ。
何でもできるし、何がどうなってもこの場でこいつの『負け』は在り得ない。それが階層権限を持つという事に他ならない。なのに、こいつはする必要もない譲歩を繰り返した。
火竜で無人の森を焼き、火竜にはブレスを禁じ、そして身動きの取れない俺たちに追撃を加えようともしない。そして今、俺たちを一捻りに殺せる実力を持つはずのコイツは、吐息がかかる距離にいてもなお、攻撃してくる気配すらないのだ。
コイツの目的は何だ。圧倒的優位から来る余裕だとしても、あまりに冗長に過ぎる。
「ははは。そうですね」
【J】はどこか疲れたような笑みを浮かべて言った。
「私の目的は『問う』事」
「『問う』、だと……?」
「ええ。より多くの人々に問いかけるため。そのためにダンジョンハックを仕掛け、火竜戦を強要しました。あなたたちが勝利してしまったのは想定外ですが、かえってこちらの方が良かったようです。そのおかげで、今この瞬間も世界中の人々が私たちのやり取りを目撃している。残酷な結末よりも、人は英雄を望むようだ」
「そんな事のために……ッ 俺たちの先生は死にかけたんだぞ! そうまでして問いたかった事が『ダンジョンとは一体何なのか』だとッ!?」
【J】がゆっくりと頷く。
俺はギリっ と歯を食いしばって、右手に意識を集中させた。
この距離ならば、このタイミングならば秩序破壊で―――ッ
と、腰を落としかけた瞬間、右手にそっと手が置かれる。アーニャだ。
彼女は小刻みに震える手で俺の右手を握り、そして無言でゆっくりと首を振った。
「ダンジョンを踏破し、冒険者たちが行き着く先には、本当に幸せな未来が待っていると思いますか?」
言っていることが新興宗教のイカれた連中と同じだ。ダンジョンは悪魔の住処だとか、神が人参をぶら下げて人間を試しているのだとか。
ヤツラはこぞってダンジョンを否定する。冒険者を罵倒する。理由は何でもいい、神サマでもいいし、「社会」という名の正義でもいい。
ダンジョンによってもたらされる富を偽物だと断じ、害悪とすら言ってのける。
生き残るためには進むしかなかったから先人たちはダンジョンに潜った。
次の世代の為にと、色んなものを犠牲にして。そんな偉大なパイオニアたちのおかげで俺たちは今笑って暮らすことが出来ているのだ。
そうして得た糧を貪り、豊かさを享受しておきながら、開拓者である冒険者たちを非難するその品性こそが俺から言わせてみたら悪だ。
そんな事のためにクラスメイトが危険に晒され、先生が死にかけたと思うとハラワタが煮えくり返る。
許してたまるかよ。コイツは敵だ。そう思った。
そう、次のヤツのセリフを聞くまでは。
「ダンジョンに深く潜れば潜るほど冒険者は強くなる。今でも化け物と畏れられるような人外たちがさらなる力を得て、拳一振りで街を消滅させるような怪物が生まれるでしょう。今、これを見ている人も思った事があるはずだ。冒険者たちが結託し、無差別に力を巻き散らし始めたら、この世界はどうなってしまうかを……」
「そ、それは……」
俺は一瞬だけ言葉に詰まった。
しかし、そのほんの一瞬の間が、やつの言葉を心のどこかで認めてしまったようで、俺は言い知れぬ恐怖に襲われた。今でも冒険者による犯罪は後を絶たない。
自分たちの事を『新人類』とか『選民』だと、人目を憚らず口にする連中がいることも事実だ。いくら圧倒的多数の善良な冒険者たちが口を揃えて否定したところで、何の力も無い一般的な人たちはそれを果たして信じるだろうか。
「そしていつか、核弾頭よりも凶悪な力が生まれる。しかもそれは意志を持って歩いている。気分次第で自分に振るわれるかもしれない危険な力だ。ではその先の世界に、一体何が待っていると思いますか?」
それは、誰しもが頭の奥底に押し込めている感情だった。
40階層を越えられないトップラインの冒険者は、今でも現代兵器で武装した軍隊相手に無双する力を持っている。そこまで到達していない冒険者ですら戦略レベルで見たら十分チートだろう。
40階層の次は50階層だ。50階層の次は60階層だ。潜るために強くなる。そして潜っては更に強くなる。その終わりはいつ訪れるのだろうか。
先の見えないスパイラルの果て、完全に人間を辞めた冒険者が、既存秩序に牙を剥いたら、世界は一体どうなってしまうのだろう。人類生存に十分なガーデンを取得し、ダンジョンアタックの必要性すらなくなった時、俺たち冒険者の意義は何だ。
その時、もう必要の無くなった危険すぎる爆弾に、人は一体何を望むだろう。
反論する言葉を必死に探す俺をあざ笑うかのように、【J】の問いは続く。
「人知を遥かに超越し、古き神々にすら届きくような力を手にし、禁忌すら鼻で笑い飛ばす。人の領分を超えた人に未来があると。一之瀬ミナト、あなたは本当にそう思いますか? 世界はきっとあなたの敵になる。それでも――――」
痛いほどの沈黙があたりに満ちた。チラリと様子を伺うと、アーニャも俯いて口を引き結んでいる。
それは、核心を突く問いだ。
最前線で闘う一流の冒険者ですら、明確な答えを持っている者などいないだろう。いや、上に行けば行くほど、その答えは遠ざかって行くに違いない。
レベルが上がり、力が上がる。100mを5秒台で走り、素手でコンクリートをたたき割り、挙句の果てには魔法なんてものまでぶっ放す。
段々と己の知る人間という生き物から離れ、その乖離を認識している彼らだからこそ、今、目の前の男の問いに対する答えは限られてゆく。
「――――一之瀬ミナト、それでもあなたは前に進みますか?」
だからこそ、俺は言ってやらなければいけないのだと思った。
明確な答えなんて無い。彼らの苦悩なんて俺にはわからない。
しかし、そんな俺だからこそ、素人に毛が生えた程度の実力しかない、馬鹿で夢見がちなルーキーだからこそ、口にできるケッタイな言葉があるはずだった。
「答えてください一之瀬ミナト。君ならば…… 貴方ならばきっと私の言う事をわかって――――」
「あるさ、未来は…… 夢も、希望だって、きっとある」
確信はない。
だけど、俺は信じてる。
せめて俺たちがそう口にしなければ、人類が一時は失った夢や希望を取り戻そうと、必死で闘った先人たちは、一体何のために闘っていたというのか。
不明確で曖昧なものだからこそ、俺が偉大な先達の替わりに言ってやる。
だから俺は、少しだけ驚いた顔をする【J】に向かって堂々と言い放った。
「陰気臭ぇ事ばっか言いやがって。夢や希望だらけだボケ。いやあ楽しみだぜ! さらに超高レベルの子猫ちゃん達のレベルアップが拝めるなんてよぉ! 世界中の紳士たちの夢を、俺は叶えて見せる!」
すぐ横で、アーニャ――――アリョーシャ・エメリアノヴァが「ぷっ」と噴き出した。
背後で葵が盛大なため息を落とす。
「……ミナト最低」
「ふふッ 最低! ミナトは本当に最低なんだから」
現時点でガーデンの神であるコイツには逆立ちしたって勝てるはずが無い。俺たちが家に帰るために出来る事は多くない。
しかし、ヤツは問う事が目的だと言った。
そして、俺は問いには答えた。
「これで満足かよ。さっさと俺たちを解放しろよ。モモ先生の実況スレ立ってねえか今すぐ確認したいんだよ俺は」
「いいでしょう。私の目的は達せられた。もうここに用はない」
えっ? そんなあっさり? と思っていると、【J】は更に続ける。
「ガーデンの権限を元に戻すことをお約束します。だがその前に――――」
奈落の瞳にはじめて感情の火が灯る。俺は思わず一歩後退った。驚いたからではない。
ボウッと幻聴を伴い宿ったドス黒い炎、そのあまりにも深すぎる色をした絶望に、俺は恐怖したのだ。
何を見た。何を見たらそんな目が出来る。ただならぬ気配に俺たちが腰を落とした時
【J】は、更にこう言った。
「あなたは破滅の道を望んだ。ならば進めばいい……ッ」
それは突然の出来事だった。
【J】がスウッっと右手を掲げて、指を鳴らす。
―――――認証コード確認しました。指定座標に転送を開始します。
【J】の背後で、凄まじい閃光が立ち上り、その風圧にバランスを崩す。
俺たちは視線だけで茫然とソレを見上げていた。
閃光の色は赤。先ほど見たものと似ている、いや、似過ぎている。
まさか、コイツは、まさか――――ッ
「うそ、でしょ……」
「……そんな」
禍々しいツノ。強靭な尻尾。巨大な咢。
一対の翼とそして、固く赤い肌。
知っている。俺たちはコイツを知っている。俺たちはコイツを―――
「火竜! もう一体ッ!?」
「1体だけだと、誰が言いましたか?」
「ふざけんなッ! 人質は解放すんじゃなかったのか!?」
「私は約束は守る。気付いていないようですが、とっくに仲間の皆さんのところへ転送しましたよ」
その言葉に、4人が囚われていた場所に目を向けると、すでにその姿は無かった。
視線を戻すと、【J】は既に目の前から消え、離れた場所からこちらを振り返っている。
「だったらっ! 権限を元に戻すって言っただろッ! おい待て! どこ行きやがる!」
「もうここに用は無いのでお暇させていただきます。しかしその前に、あなたは一度思い知ればいい……」
ブワリと奴の絶望の炎が燃え上がった気がした。
「この世界にはどうしようもない事がある、という事を……っ」
そして、唐突にその音は鳴り始める。
―――――キュイィィィィィ
金属を擦り合わせるような不協和音
音源は目を向けなくても分かる。何度も動画で見たことがある。
火竜の口元の眩い光、魔導収束音、それが意味する事は―――
「……破滅の吐息…………」
「そんな…… 私たちはもう……っ」
葵が思わず手放したハンマーが、石畳にヒビを入れる。
アーニャがガクリと膝を突いた。
二人とも武器に手をかけることもせず、ただ火竜の口元へと収束していく魔導を茫然と眺めている。
「ふざけんなっ! おい待てッ! クソがッ! お前は何なんだッ!?」
「40階層を超え50階層を超え、その時、人は知る。ダンジョンとは一体何なのかを。権限とは何なのかを」
「お前は何を知ってる!? お前は何者なんだッ!?」
「私ですか? 私は――――」
【J】はこちらに背を向けたまま髪を掻き揚げ、そしてそのまま顔を脱ぎ捨てた・ ・ ・ ・ ・。
地面に落ちたのは【J】の、いや、【J】だと思っていた男の顔の形をした何か。
そしてヤツの背にファサリと垂らされたのは、それ自体が光を放っているかのような輝く銀髪。いつの間にかその背中も一回り小さくなっているように見える。
「女……ッ!?」
言うなれば既視感。俺は、どこかで、コイツを。
そうだ、こいつはなぜ……
「お前は、なぜ俺の名前を知っていた……っ!」
【J】を名乗った女が振り返る。
顔は見えなかった。いや、見えているはずなのに見えない。認識阻害だ。
どんな顔をしているかがわからない。どんな表情を浮かべているかもわからない。
しかし、俺には女が泣き笑いを浮かべているような気がした。
「ミナト、やっぱり会わなければ良かった……」
その言葉を残し、【J】の姿がフッと掻き消える。
追いかけたい衝動を堪え、俺は歯噛みした。そんなことをしている場合じゃなかったからだ。
俺は小さく毒づきながら、ソレを見上げた。
直前まで1時間も闘っていた相手だが、ふと、こんなに大きかったっけ と思う。
すると火竜は翼を1度、2度、大きく羽ばたかせて、ゆっくりと宙に浮かんでいく。そして、とうとう魔導収束の勢いが次第に弱くなり始めた。
来るのだ。竜族最強の広域魔導攻撃、破滅の吐息が。
この距離ならば、今から退避しても無駄だ。
俺は思わず苦笑した。不謹慎かもしれないが、他にどんな表情を浮かべたらいいというのか。
「葵、お前は尼子屋を抱えて反対方向に逃げろ。もしかしたら助かるかもしれない。きっとヤツの狙いは俺だ」
「……それはイヤ」
「おい葵! 時間が無ぇんだ! 我儘言ってる場合じゃー―――」
「……私たちはパーティ。パーティは一心同体。そう言ったはず」
「死ぬんだぞッ!!」
頑として言う事を聞こうとしない葵を諦め、アーニャに向かう。
「アーニャ、腕輪を外せ。強制転送しろ。今すぐにだ」
「い、イヤだよっ! やっと出来た仲間かも知れないのにッ! 見捨てるなんて出来―――」
「言う事を聞けアーニャッ!!」
「出来ないよッッ!!!」
敵意すら込めて俺を睨んでくる彼女に、何か言わなければと口を開いた時。
魔導収束が止まった。
数十m上空で、真っすぐ俺たちを見下ろす火竜。
なすすべなく茫然とソレを見上げるだけの俺たち。
「クソッ こんなところで、俺は……」
体中から力が抜け、ガクリと地面に膝を突く。
二人が倒れ込むようにして俺にしがみついてきた。
むせ返りそうなほど濃密な血と汗の匂い。それに混ざる女の子特有の甘い香りに頭がクラクラする。
少し離れたところには尼子屋がいる。石柱の陰には気を失ったクリスティナ先生がいる。
助からない。みんな。体中の毛が逆立つほどのプレッシャーを感じる、あのブレスから逃れられない。
死ぬのか。本当に。こんなところで。何も成し遂げないまま。彼女たちを巻き込んだまま。
嫌だ。死にたくない。俺はまだアーニャのレベルアップすら拝んでいないのに。
火竜が勿体つけるようにゆっくりと仰け反る。そして―――
「嫌だ…… 俺は――――」
閃光。
世界の全てが白く染まる。
網膜を焼くほど眩い高位魔導体は大気を焼き尽くしながら、そして――――
「『絶対領域』」
聞こえたのは鈴が鳴るような声。そして目の前に展開された結界。
直後、轟音に呑み込まれて一切の音が消失。
視界が徐々に戻って来たとき、俺たちに背を向けて立っていたのは3人の人物
その一人が俺たちを振り返り、豪快な笑みを浮かべた。
「おう! 遅くなって悪かったな坊主!」




