秩序を拒絶する者
ニュースが始まって数時間、教師の一人が火竜に襲われたところで実況映像は切り替わり、無意味なテロップと共に、アナウンサーたちは一斉に頭を下げてお詫びの文章を読み上げた。
それを見たほとんどの者がサイトにアクセスし、なぜかダウンすることも無く配信され続けた動画を見て拳を振り上げ声を荒げる。
「冒険者高専頑張れ!!」
名も知れぬ若者が発したその一言は、今日、この時間、リアルタイムで息吹の動画を見ていた者全ての総意である。
ある者は興奮し、ある者は絶望し、またある者は感動し、そして涙を流した。
理不尽に迫る圧倒的脅威に、臆することなく立ち向かう少年少女の雄姿は、人々の心を捉えて離さない。
永らく人が求めた英雄としての偶像が、人々の原始的な高揚を招き、そしてそれはネットワークを介して瞬く間に広がっていく。
そして、その中で最も人々の耳目を集める動画には、決意の炎をその瞳に宿した、一人の少年の顔がアップで映されていた。
「……行け……」
それは、男の声であったし、女の声であった。少年の声であったし、老婆の声でもあった。
そして、その中には妻の携帯で動画を見つめる佐藤太郎の声も混じっている。
少年が、仲間のハンマーによじ登り、ただひたすら真っすぐに敵を睨みつける。
佐藤の妻が、震える夫の手をそっと握りしめた
「頑張れ……」
概念的に隔絶された異次元世界の出来事である。
その声が届くことは無いだろう。その想いが通じることは無いだろう。
しかし、それがなんだというのか。心からの願いを口にして、それを笑う者がいるとでもいうのだろうか。
いるはずが無い。だから佐藤は、何もかもかなぐり捨てて、
絶叫したのだ。
「行っけぇぇぇぇ~~~~~っ!!!」
―――――――――――
同刻
「だ、大丈夫だよなッ! もも先生大丈夫だよなッ!?」
「な、何心配してんだお前? はははっ ウケるわ! もも先生だぞ!? 俺たちのロリ天使様だぞっ!? 大丈夫に決まって―――」
「でもあの出血じゃ、もう駄目かも……」
「てめぇぇッッ!!!」
男子生徒が胸倉を掴んで拳を振り上げる。
「だって! 見ただろ! あんなの…… あんなのどうしようもな――――」
「やめるんだッッ!!」
諍いを起こしていた生徒達が、その大音声にビクリと身を竦ませる。
いつも冷静沈着、品行方正の委員長が飛ばした怒号に、生徒たちの視線が集まった。
「先生は僕たちを信じた! 僕たちは先生を信じた! 僕たちがするべき事は下らない言い合いなんかではないはずだっ!!」
10を超える戦闘の全ての指揮をこなしてきた指揮官の言葉は、生徒たちの心に深く突き刺さる。
しかし、それでも言葉に出来ない不安が、彼らの上には振り注いでいた。
「東雲、わかってんだけどよォ…… でも、あんなの…… あんなの無いだろォよ……ッ!」
前衛組臨時班長、弦月奏の言葉はこの場にいる生徒全員の代弁だ。
戦闘もひと段落した彼女が見上げるモザイクの空には、空を覆いつくさんばかりのスクリーン。そこには、今にも息絶えようとしている先生の姿が在る。
左上腕から、心の鼓動と同調するように、ビュッビュッと血潮が噴き出し、痙攣を始めたその細い足が無為に地面を掻く。
気管支喘息のような呼吸音と共に漏れ出るのは、意味も分からないうわ言と、同僚教師への謝罪の言葉。
冒険者を志す者にとって、死というものはもっとデジタルなものだった。
人としての機能が停止すれば、光の粒子と共にリセットされる。それが冒険者の生死観だ。
なのにスクリーンに映る惨状は何だ。あれは本当に現実なのか。先生は本当に死んでしまうのか。
彼らが言い争ってでもそれを否定しようとするのは、未来の自分とその姿を重ねているからだ。
スクリーン上で闘う彼らが敗れれば、次は自分達だ。次にあの姿をさらすのは自分だ。
年若き少年少女たちに広がっていくのは不穏な気配。光を失っていく数多の瞳。
だが、それでも諦めはしないと、東雲は強靭な意思を以て断言する。
「諦めるなッ! 僕たちはそのためにここに居るッ!!」
自身を鼓舞するかのように発せられた根拠無きその言葉はしかし、スクリーン上、一人の少年の言葉によって、揺ぎ無き指針として根を張った。
――――――俺を信じろ
「一之瀬……」
「一之瀬クン……」
「頼む一之瀬…… 先生をっ」
拳を握りしめて彼らは信じる。その言葉を、その意志を。
日本人形のような華奢の少女が持つ大槌の上で、ただひたすら敵を見据えるその眼差しに、東雲は祈るようにその想いをぶつけた。
「行け一之瀬君…… 行けぇぇぇぇッッ!!!」
――――――――
まるでジェットコースターのようだ。いや、それよりも酷い。
スキル発動直後から、流れる景色の速度が倍加したように感じる。レベルの補正によるステータスの向上が消失したのだ。恐怖を感じない方がどうかしている。
だが、そんな事は言ってられない。俺が見据えるのはただ一点。奴の顔、そしてその額から突き出たツノ。
スローモーションのような一瞬の中で、俺はただ迫りくるヤツのツノだけを見据えて神経を研ぎ澄ました。
「かかってくれぇぇぇぇ~~~ッ!!」
たった一つの命を担保にした一世一代の博打。
火竜の顔を横切る直前、俺が放ったロープに幸運の女神は微笑み、狙いのツノにロープを引っ掛けることに成功する。信じてもいない神様に感謝したっていい。
直後に襲い来る、左腕をブっこ抜かれるような衝撃に歯を食いしばって耐える。賭けにはまだ勝っていない。勝負はこれからだ。
直後、火竜は首を振り回し始めた。
「ミナトォォッ!!」
冗談みたく振り回される。一振りごとに全身が悲鳴を上げた。
体中の血液がつま先に詰め込まれたような感覚、視界の端から黒く染まっていく。これが全面に広がった時、意識を失うという確信があった。
耐えろ、耐えろ、耐え切るんだ。その先にしか未来は無い!
「うおおおおおおぉぉォォ~~~~!!!」
俺は今、レベル1だ。
俺を守るステータスは何一つ無い。ただの一般人。生身の人間。
ただのガキが、空中十数mの地点を、ただのロープ一本でぶら下がり、そして振り回されている。
落ちたら死ぬ。石柱にぶつかれば死ぬ、噛まれても死ぬし、このまま振り回されても死ぬ。
しかし――――
「それはお前も、同じだろ……ッ!!」
『法は法を尊重する者しか尊重しない』
法学にはそんな格言があるという。
それはまさしく今の俺に当てはまる言葉だった。
――――俺がヤツのレベルを無視する代わりに、俺はレベルの恩恵を受けられない。俺が秩序を無視する代わりに、俺は秩序に尊重されない。
システムに保護された狂った世界で、システムという名の神を否定する力。
それが俺の特殊能力だ。
絶対的な弱体化ではない。だから仲間と連携すればいいという話ではない。
だが、それが何だ。何の問題がある。
――――抜ければいい。ヤツの装甲を。レベルの恩恵が無いドラゴンなど――――
「ただのデカいトカゲだッ!」
チャンスは一度。タイミングは一瞬。
左手首を絞められすぎて、手先の色は紫色を通り越し黒ずんでいた。
ゴリュッ と不気味な振動が、骨を伝って体に届く。激痛が走った。脱臼だ。
肩が抜け、在り得ない方向に体が曲がる。肘の腱はとうに断裂し、体内に噴き出す血潮がやけに熱かった。このままでは腕が引き千切れ、俺は悪夢の空中遊泳と洒落込むか、地面に激突し人間せんべいとなってしまうだろう。
だから俺は口から泡を吹きながら耐える。
一瞬の、たった一度のチャンスをものにするために。
―――ギュオオオオオォォォッッ
火竜の咆哮
グルグル回る世界の片隅に一瞬だけ、尻尾の傷口に向かってハンマーを振り下ろす、俺のバディの姿が見えた。
「……ミナトォッ!!」
葵、お前は最高の相棒だ。
天に向かって怒りの雄叫びを上げる火竜。俺には確信があった。
激痛に悪態をつきながら、体を揺らしタイミングを図る。
火竜がゆっくりと咢を下に向ける。瞬間、先生の太くて固いのが奴の口元に巻きついた。
「ブチ込んでやりなさいっ!!」
先生、一生着いていきます。レベルアップ見せてください。
最後の力を振り絞る。この瞬間を逃したら俺たちに勝機は無い。思いっきり足を跳ね上げる。
トンッ と。ヤツの顔の上への着地は、あまりにもあっけなく成功した。
何が起こったのか理解できず、キョトンとした表情を見せた火竜に、俺は豪快に唾を吐く。
そして、心の底から湧き出る衝動を吐き出すように、ガパリと口を開いた。
「よう、トカゲ。やっと俺を見たな?」
未だトカゲは何が起こっているか理解していない。コイツは何をしているんだ? とでも言いたげな表情だ。
ああそうか。上等だ。だったら理解させてやる。
俺は口にするのも憚られるような罵詈雑言を巻き散らしながら
奴の潰れた右目の眼窩に、グチュリと右手を突っ込んだ。
反射的な痙攣に構うことなく、無様を晒して這いつくばるように四肢を固定する。流れ出る体液が、ヤツのものなのか、自分のものなのかもわからない酷い有様だ。
しかし、それでいい。それでいいんだ。なぜなら――――
「やっとお前をブッ殺せる」
やらかしてくれやがって。躾のなってねえトカゲだ。
俺は躊躇うことなく、EP-R06のトリガーを引いた。
――――ドウンッ
1発。
眼球の残りカスが弾け飛ぶ。ベチャリと膜のようなものが俺の頬に張り付いた。
――――ドウンッ
2発。
噴き出した血液が霧になる。トロリと、俺の指先に熱い何かが触れる。
――――ドウンッ
3発
灰色がかった汚らしい液体が、ダラダラと俺の右腕を伝う。
そして……
「ああァァああぁぁァァァァ~~ッッッ!!」
―――――ドンッ ドンッ ドンッ ドンッ ドンッ ドンッ ドンッ ドンッ ドンッ
全弾打ち尽くしたのを理解しても、トリガーを引く指が止まらない。
無理やり右腕を引っこ抜いてライジングを放り投げると、腰のホルスターからナイフを抜いて思い切り振りかぶる。その時。
ガクンッ と火竜が膝を落とし、俺はまた再び宙に放り出された。血だか体液だかわからない液体で全身べちゃべちゃだ。
声が聞こえる。誰かが俺の名を叫んでいる気がする。
ぷらーんぷらーんと、みっともなく揺れる俺は、朦朧とする意識の中、夢と現実の狭間で、閉じかけた瞼をうっすら開く。
そして俺は見たんだ。
モザイク模様の空の下、とてつもなく非現実的な現実の生き物が。
ゆっくりと、煌めく粒子となって空へと還ってゆくのを。
「生臭ぇ…………」
そう呟いて、俺の意識は暗転した。
次回 『レベルアップ』




