生贄
【息吹】に閉じ込められてから8時間以上が経過し、外の世界と時間をシンクロさせている息吹内も、もう日が落ち切ってあたりには闇が差している。モザイクの空もそこらへんの仕様は同じらしい。
文明の明かりも無く、本来ならば真っ暗になっているはずのフィールド内は、仄かに明るく、人が立つ先には薄く影すら伸びていた。火竜によって焼かれた森が燃えているのだ。
といっても、安全確保のために距離を取っているせいで、このあたりは動き回るには困る程度に暗いため、チラホラと光源魔法を使用している者がいる。
普通ならばモンスターが集まってくるので控える場面なのだが、非戦闘員を多数抱えたまま暗闇で襲撃されるよりマシだという判断があった。
薄明りに照らされるみんなの顔には総じて疲労の色が濃く滲む。
いつ火竜の矛先がこちらに向くかわからないまま、断続的な襲撃に晒されているのだ。気を張りつめたままの8時間というのは想像以上に長い。
しかし、圧倒的不利には違いないとはいえ、今は膠着状態となっている。
俺たち冒険科の生徒は非戦闘員に気を配り、先生たちがモンスターを駆逐する。半ばルーチンとなってきた程度には状況は安定していたが、それが長く続かないことも何となく気付いている。
仮初の安定、砂上の均衡。
そうして必死に生を繋ぐ俺たちをあざ笑うかのように、それは突然始まったのだ。
『みなさんこんばんわ』
夜空に突如現れた光る巨大なスクリーン。
そこで相変わらず人の好さそうな笑みを浮かべる没個性的な男、俺たちをここに閉じ込めた張本人【J】だ。
『最初に残念なお知らせがあります。みなさんと別行動をしていた中堅冒険者5名。彼らにはリタイアしてもらいました』
全員が息を呑む。
俺たち生徒も驚いているが、先生2人の驚きは見ていて明らかだった。
彼らの力量にそれなりの信頼を寄せていた証拠だ。
しかし【J】は、俺たちの驚きなど気にもせず、微笑みを崩さないまま言葉を続ける。
『レベル20以下でも強い者は強いのですね。やはりレベルだけでは世の中は図れない。レベル制限を15くらいにするべきかなとも思いましたが、まあ、さすがに後出しは卑怯でしょう』
こんな状態で火竜まで召喚しておいて卑怯もクソもないと思うが、口にはしない。口にしたところで何かが変わるわけでもないのだ。
『それより、視聴者の皆さんが退屈していましてね。動画配信のアクセス数も段々落ちて来ているのですよ。それはそうでしょうね、一時間に一回、火竜が適当に森を焼くだけなのですから。なので。『ショー』をすることにしました』
あまりにこの状況に似つかわしくない単語に、俺たちはポカンと口を開けた。
ショーをする? 誰が、どうやってそんなものを……
『今から2時間後、21時から戦闘中継を始めます。もちろんその映像は全世界に配信され、そしてこのスクリーンでもご覧いただけます。』
何を言っているんだと思った。
コイツは頭がおかしいのかと思った。
戦闘するには相手が必要だ。一方はいいだろう。ここは【息吹】だ。オーガもいればゴーレムもいる。ムカつくことに火竜までもが居やがる。
そいつらの誰かが一方に立てばスタンバイOKだ。
ならばもう一方はどうする?
現に俺たちは戦闘をしている。それなのに、顔も知らぬ視聴者は退屈し、だから戦闘ショーを行うという。
そんなバカな話があるか。一体誰が闘うというのだ。
そこらで上がり始める罵声。
馬鹿を言ってんじゃない。ふざけるな。
俺たちは思いっきり眉を潜めて悪態を飛ばし合った。
そう、映像が切り替わった先、結界の様な檻に閉じ込められた
4人のクラスメイトを見るまでは
『もしかしてと思っていますか? ははは。そのもしかしてです』
誰かがポツリと呟く。
「うそ、だろ……」
映像に写っているのは見間違いようがない。リタイアしたとされる5人のインストラクター達が探しに行った、西郷寺カノンとそのパーティーメンバーだ。
彼女たちが生きていた。
肌には泥がこびりつき、髪が見るも無残にボサボサになっているが、全員に意識があり、見る限りでわかる怪我をしているような者もいない。
しかし、その事に安堵のため息をつく者もまたいなかった。
なぜなら、俺たちは悟ってしまったからだ。
次にヤツが発するであろう、無慈悲な台詞を。
『彼女たちに、火竜戦に挑んでもらいます』
ふざけるな……
誰のともつかない呟きが、空に溶けた。
まるで手の届かない空を掴むよう、上げかけた拳がダラリと落ちる。
死刑宣告だ。これは。
無力な俺たちをあざ笑うためだけに用意された、哀れな生贄だ。
『ショーに相応しい場を用意しましょう。場所は、ここです』
【J】が慈しみさえ伺える笑顔で言うと、スクリーンに映った現在のフィールドに赤い光点が灯る。
ヤツがわざわざ俺たちに場所を教える意味。
そのメッセージは明白だ
――――助けたければここに来い
俺は確信した。
ヤツは俺たちの誰が死のうと構った事では無い。
ヤツにとっては、俺たちの助けすら『ショー』とやらを盛り上げるツールでしかないのだ。
ギリッ と音がするほど奥歯を噛みしめる。
無力であることが、これほど憎いと思ったことはなかった。
『ではお楽しみに。最後に金髪縦ロールさんのメッセージを皆さんに伝えましょう。 『絶対に来ないで下さい』とのことです。なんと美しい決意でしょう。泣かせますねえ』
ではごきげんよう。
【J】がそう言い放って映像は途切れたが、戦闘場所を示すマップだけが中空に光っている。
言葉は無い。身じろぎ一つすらも。
沈黙というものがこんなにも耳に痛いなんて思いもしなかった。
クラスメイトたちは、憤りと諦めをその瞳に浮かべ、そして誰とも目を合わせないようひたすら下を向いていた。誰もが使命感と罪悪感のせめぎ合いに胸を押し潰されそうになっている。
「先生……」
誰かが言う。
そして誰も俯けた視線を上げることはしない。
クリスティナ先生が言った。
「何も…… することは、変わりません」
その決断を責める者は誰一人としていない。先生に責任が無い事を誰もが知っているからだ。
しかし、横目で先生を見てしまった俺は知っている。先生本人はそうは思っていない事を。
唇を千切らんほどに噛み締めたもも先生は、浮かんでいたマップの一点を睨みつけ、瞬きすらしないその瞳からポロポロと涙をこぼし、顎から血を滴らせている。
そしてクリス先生は…… 見ている俺の胸が締め付けられる。
「このまま、警戒態勢を続けます……」
その一言をひり出すために、どれほどの葛藤があっただろうか。どれほどの屈辱に身を震わせただろうか。
生徒を安心させるため、無理やりに作ろうとした笑顔で頬が痙攣している。血走らせ、渇き切った瞳には何も映ってはいない。
かける言葉すら見当たらなかった。いや、そんな残酷な事ができるなずがない。
クラスメイト達が一人、二人と地面に座り込む中、俺は俺の仲間を目で探した。
蒼はいつも通りの無表情で、じっと俺を見ていた。傍から見たら何を考えているかわからないが、ずっとパーティを組んできた俺にはわかる。
アーニャは考え込むように自身の右腕に填められた腕輪を見ていた。レベル制限の腕輪である。
本来レベル27の彼女は、その腕輪でレベルを10程度まで抑えることによって、今ここに立つことを許されていた。
【剣帝】アリョーシャ・エメリアノヴァ。
ダンジョン39階層という、気の遠くなるような修羅の道を超え、魑魅魍魎満ちる冥道を征き、人類の最前線で闘う彼女は、もし腕輪を外すことが出来るならば、単体で火竜を撃破出来るはずだ。
なのに、見殺しにするしかない。
もしかしたら友になったかもしれない同世代の少女が、理不尽に蹂躙されるところを、ただ見ていることしかできない。
彼女の瞳は、使命感と恐怖の狭間で陽炎のように揺らいでいた。
そして尼子屋。尼子屋亮平。
普段温厚で虫も殺さないような表情を浮かべている男は、物凄い形相で空を睨みつけていた。
その眼光の凄まじさに俺は息を呑む。
ドリル―――西郷寺カノンは彼のパーティメンバーだ。
もし、今日の試験のパーティ人数に下限が無かったら。
もし、先日俺がドリルパーティを助けていなかったら。
もし、今日アーニャが試験に出ていたら。
スクリーンの向こう側には、彼もいたに違いなかった。
今更、仮定を論じたところで意味はない。しかし、そう思わずにはいられない怒りが、尼子屋の体からはちきれんばかりに溢れている。
俺は正直、尼子屋はパシリに使われているだけだと思っていた。他のパーティに加わる事も出来ず、流されるままイジメを受け入れ、諦めているものだとばかり思っていた。
しかし、と俺は思う。
彼女たちとの間に、何があるかは知らないし、聞くつもりもない。
だが、今、こうして尼子屋の抱える『怒り』だけは紛れもない剥き出しの感情だった。
誰しもが諦め下を向く中、たった一人、狂気すら滲ませた瞳を爛々と光らせる尼子屋の横顔を見据えて、
俺は、強く拳を握りしめた。
――――――
さっきから何度か点呼が行われている。
光源魔法があっても、あたりは薄闇である。息を潜めてこの集団から離れようと思ったらそれほど難しい事ではないように思えるし、実行に移そうとする者がいてもおかしくはない。
万が一、俺たちが馬鹿な気を起こさないよう牽制しているのだ。
非戦闘員の人たちに混じってチラホラとクラスメイトの寝息が聞こえる。周りを見ると、思った以上に船を漕いでいる人が多かった。ナントカ外相も、我儘を言うことなく、大人しく集団に混じってじっと目を瞑っている。
ここに来てもう半日だ。
緊張を続けることは思った以上に消耗を強いられる。
休憩のタイミングに眠ることは、推奨されても非難される謂れはない。
そうした状況で、足音を殺して集団から離れようとする影があった。
それもご丁寧に斥候職特有の技能を駆使しながらである。
誰もその影に気付いた様子はなかった。俺が気付けたのは、最初から俺がソイツをマークしていたからだった。
俺は、気配を殺すことに躍起になって、後ろが疎かになっているソイツに近づいて声をかける
「どこに行くんだ?」
その影――――尼子屋は驚いたように俺を振り返り、どもりながら言った。
「ちょ、ちょちょっと、とと、トイレに……」
はぁ…… とため息をついて肩をすくめると、俺は更に問いかける。
「ションベンか。俺も一緒に行っていいか?」
「い、いや、それは……ッ」
まあまあ、と肩に手をやりながら、集団から少し離れた木立に向かって歩く。
傍から見たら、カツアゲ先輩が獲物を捕まえたようにしか見えないだろうが、大した問題ではない。
俺は、立ちションに丁度いい木を見つけて二人で並ぶと、大して溜まってもいないションベンを捻り出し始める。
チラリと横を見ると、尼子屋はする気配すらない。
わかっていた事だが、立ちションくらい付き合ってくれないと梱包マグナム晒した俺が恥ずかしい。こんなもん誰かに目撃されたら不祥事である。
俺の勢いの弱すぎるションベンが終わると、尼子屋が意を決したように口を開いた。
「ミナト君、ごめん、僕は……」
「行くのか?」
俺は端的に聞く。
尼子屋はジッと俺の顔を見つめると、無言で頷いた。
「お前が行っても、何も出来ない。無駄だ。無駄死にだよ」
俺たちは弱い。ダンジョンでは5階層を突破出来たら喝采ものだろう。それなのに相手は20階層の主だ。勝てるはずが無い。
消えた尼子屋を探しに、また戦力が分散される。尼子屋の無駄な正義感のおかげでみんなが危険に晒される。どう考えても愚かな行為だった。
「僕は…… 約束したんだ…… 僕は、行く」
一人の我儘が全員を殺すかもしれない。
それは許されなかった。冒険者は統率を重んじるべきだ。細く切れそうな糸を手繰って、辛うじて今俺たちは生きている。
尼子屋の決意を秘めた瞳には怯えが浮かんでいた。死ぬことにではない。今ここで俺に取り押さえられ、助けに行く機会を失うことに恐怖している。そんな目だ。
「そうか、お前がそのつもりなら――――」
彼女たちは助からない。
無理なものは無理なのだ。死にに行こうとするコイツを放っておくわけにはいかなかった。
知ってしまった俺は、力ずくでもコイツを止めなければならない。
だから、俺はヤツの胸倉を掴んで言ってやったんだ
「――――俺も、行くぞ」




