第22話 勇者の華麗なる登場
「よく眠れた?」
「今日も遊びに来てくれたの?」
俺は答える代わりに軽く笑った。
「ポメル! 見て見て、可愛いでしょ!」
同い年くらいの女の子が木の人形を手に、ポメルに見せびらかしながら駆け寄ってきた。
「あっ、メラ! それ僕のだって言ったじゃん!」
「違うもん! 私のほうが上手に飾れたもん!」
二人は人形を挟んで言い合いを始め、後から来た子供までくすくす笑いながら加わった。
静かだった孤児院が、一瞬で大騒ぎになった。
ふむ。
少し離れたところからその様子を眺めていると、一人で深刻に悩んでいる俺のほうがおかしな奴に思えてくる。
しばらくすると、カミラがレストランで出てきそうな料理を運んできた。
「うちでは毎日こうして作っているんですけど、お口に合うかどうか…」
「食べる前から美味しそうですよ」
匂いだけで合格だ。
隣を見ると、サラはすでに食べ始めていた。
「わあ! 何これ! こんなの初めて見た!」
「何だよ! 誰か誕生日なのか!?」
「馬鹿! 院長先生、誕生日でもこんなの出してくれないよ!」
嘘のつけない子供たちは、誕生日のご馳走より豪華な料理を前に、フォークを握りしめて叫んだ。
「あら…毎日こうして食べているでしょう? みんなどうしたのかしら…はは…」
名前だけは有名人の俺をもてなそうとしてくれているんだろうな。
せっかくの厚意に、わざわざ突っ込む気はない。
俺も一匙すくって口に運んだ。
* * *
温かい朝食を済ませた後、俺は孤児院の隣にある砂場の東屋に腰掛け、子供たちが遊ぶ様子を眺めていた。
「それで、エレン様は今日はどのようなご用件でいらしたんですか?」
隣に座ったカミラがお茶を差し出しながら尋ねてきた。
俺はお茶を受け取り、遊んでいるポメルを呼んだ。
「ポメル。ちょっとこっちに来てくれるか?」
「え?」
ポメルは土を払いながら、とことこと駆け寄ってきた。
「ポメル、昨日お昼寝した後、何をしてたか教えてくれる?」
「昨日?」
ポメルは俺とサラの間に割り込んで座り、話し始めた。
「えっと…昨日はメラと塔を作って、カイルとかくれんぼしたよ。夜にはパンも食べたし…」
指を一本ずつ折っていたポメルが、ふと思い出したように目を輝かせた。
「あ! その前にエステル教会にも行ったよ」
俺は頷きかけて、動きを止めた。
「…教会?」
「うん! 教会で美味しいものをくれるって言うから行ったんだ」
「そうか。誰と行ったんだ?」
ポメルは当然のように答えた。
「一人で」
「…一人で?」
教会のあるエステル通りは、子供が一人で行くにはかなり遠い。
俺はすぐに隣のカミラを振り向いた。
「子供たちだけで外出させることもあるんですか?」
カミラは首を横に振った。
「近所ならともかく、教会まで一人で行かせることは絶対にありません。必ずシスターが付き添います」
「ポメルは一人で行ったと言ってますけど?」
「え…おかしいですね。確かに――」
カミラは小声で呟き、しばらく考え込んだ。
やがて眉間に深い皺を寄せた、その瞬間。
瞳から光が消えた。
そして顔をこちらに向け、俺をまっすぐ見据えて、はっきりと言った。
「いいえ。一人で行きました」
「……」
息が詰まるような圧迫感。
異変に気づいた者を締めつけるような、虚ろな眼差しだった。
『…記憶だけじゃない。事実そのものが上書きされている』
俺は何でもないふりをして視線を逸らした。
誰もが違うと言っている状況で、俺だけが正しいことを口にしたところで、反感を買うだけだ。
「…ああ、そうなんですね」
俺の返事を聞くと、カミラはいつもの穏やかな笑みを取り戻した。
『直接確かめるしかないか』
はあ…教会に入った時、もっと詳しく見ておくんだった。
思わずため息が漏れる。
話が終わったと思ったのか、ポメルが俺の手を引っ張った。
「お兄ちゃん! あっちで遊ぼうよ」
「あ、ああ。分かった、行こう」
* * *
結局、孤児院を出られたのは夕方になってからだった。
俺の性格で子供たちの遊び相手をするのは、想像以上に疲れる。
だからといって、後々の反動が大きい《スキップ》を子供相手に使うのは大人げない。
俺はサラを見た。
【休息状態:18%】
「サラ、先に言っておくけど、嫌だと言っても後で収納するからな」
「うん」
素直に返事をするところを見ると、さすがに疲れているらしい。
「じゃあ、行くか?」
孤児院から教会のあるエステル通りまでは徒歩で三十分ほど。
疲れた体を引きずってギルドの前を通りかかると、まだ日が暮れていないせいか、掲示板の前は相変わらず戦場だった。
「今回のCランクオーガ討伐は俺たちのパーティーのもんだ!」
「先に受付したのはこっちだろうが、何ほざいてんだ! お前らはトラニスカでも討伐してろ!」
「Bランク上位の依頼なんか一つもねえだろ! それにトラニスカだと? 俺たちに死ねって言うのか!?」
俺は足を止め、少し考えた。
突然村の前に現れたドラゴンに続き、今度は悪魔まで。
そのせいか、ギルドは王宮の要請で大きな事件に関する依頼を非公開に切り替え、腕の立つ冒険者や傭兵に個別に回している最中だった。
つまり、あの大騒ぎはせいぜいCランクの依頼を奪い合っているだけなのだ。
『何だか申し訳ないな…』
自称冒険者たちの飯の種を奪ってしまった気分だ。
「あ! エレン様。いついらっしゃるかとお待ちしていたんですよ」
「?」
掲示板の前で冒険者たちの喧嘩を仲裁していた受付の青年が、嬉しそうに俺の名を呼んだ。
瞬間、周囲の冒険者たちの視線が一斉に俺へ集まった。
「何だ、エレン?」
「まさか…あの白い悪魔か?」
「静かにしろ! 快楽の悪魔をぶっ殺したって話だぞ。少なくともAランクってことだろ…」
「Fランクだって聞いたぞ?」
「静かにしろって…!」
囁き声が飛び交う中、受付の青年は申し訳なさそうに苦笑した。
「すみません。つい騒ぎにしてしまいました…」
分かってるならいい。
「分かってるならいい…じゃなくて、何かご用ですか?」
思わず本音が口から出てしまい、慌てて用件を尋ねた。
「エレン様宛てに指名依頼が届いていて、お待ちしていたんです」
「指名依頼ですか?」
青年はどこか慎重な口調で話しかけてくる。
それより、指名依頼?
指名依頼なら二日前に受けたばかりだが…。
別に一件しか受けられないと決まっているわけでもない。俺は小さく頷き、青年について二階の応接室へ入った。
俺とサラは前回と同じように高級ソファに身を預けた。
「それで、指名依頼というのはどんな内容ですか? できれば前に受けた依頼を終わらせてから取りかかりたいんですが」
「実は、その…え? 前の依頼ですか? あ…もしかして貴族の方から個人的に受けた依頼のことでしょうか?」
「…?」
何を言ってるんだ。
俺にプラクシアの司教からの指名依頼を渡したのも、この青年だった。
今さら知らん顔かよ。
俺が黙っていると、青年は話を続けた。
「実は、エレン様個人宛てというより…今回の悪魔事件を解決された方にどうしてもお渡ししてほしいと、プラクシアの司教様のお名前で依頼書が届いたんです」
「また?」
首を傾げる青年を無視し、俺は差し出された依頼書の中身を確かめた。
さらり――
【アスタビア教会の印章】
『敬愛なるリベリンの救世主様へ。
プラクシア、アスタビア教会は、近頃、教団の内外において到底説明のつかない異変が相次いでいることをお知らせいたします。
神聖なる力をもってしても解決できず、深い眠りについた者たちが夜明けを迎えられずにおります。
これらすべてが悪魔の仕業ではないかと、疑わずにはいられません。
つきましては、悪魔を消滅させた、神にも勇者にも比肩する勇猛さと恩寵をお持ちの貴殿に、アスタビア教会司教ルカノス・ベラードより、正式に依頼を申し上げます。
プラクシアへお越しいただき、異変の正体を解き明かしてくださいますよう、切にお願い申し上げます。
神の祝福と恩寵が貴殿とともにあらんことを。
プラクシア司教 ルカノス・ベラード』
「……」
二日前に俺へ依頼を送ってきた司教は、確かにラウレンシオ・ベルモントだった。
なのに今は、ルカノス・ベラード。
孤児院の時と同じように、何かが変わっている。
正確には、上書きされている。
がさり――
俺はローブの内側を探り、前にもらった依頼書を広げた。
すると受付の青年が、少し驚いたように言った。
「あれ、その依頼書は…もしかして、以前にも私から依頼書をお渡ししましたか?」
「いえ、個人的なものです」
適当にごまかして内容を確認した。
そこには、書かれていた。
ベルモントではなく、ベラードと。
記憶、名前、筆跡、印章。すべてが歪められていた。
俺は念のため、受付の青年に尋ねた。
「あの、アスタビア教会の司教の名前って、何でしたっけ?」
「依頼書にあるとおりですよ。ルカノス・ベラード様です。司教に叙任されてから、まだ数年しか経っていないと聞いています」
「じゃあ、ラウレンシオ・ベルモントは?」
「……申し訳ありません。私はプラクシアの国民ではないので知らないだけかもしれませんが、初めて聞くお名前です。必要でしたら、ギルドの通信網で確認しましょうか?」
「…いえ、大丈夫です。ひとまず依頼は受けます」
「はい! ではプラクシア中央ギルドに伝えておきますね」
青年は頭を下げ、部屋を出ていった。
俺は依頼書を見つめたまま、しばらく考え込んだ。
「どこから手をつければいいんだ…」
ポメルから始まった小さな疑問が、手に負えないほど膨れ上がっていた。
今の状況から考えると、リベリンだけじゃない。プラクシアまで。
さらに言えば、教会のあるすべての王国が、この悪魔の影響下にあるということだ。
「サラ、時間がないみたいだ。急ごう」
「うん?」
変化を感じ取れないサラには、俺がただ大げさに騒いでいるようにしか見えないらしい。
俺は立ち上がり、唯一の手がかりであるエステル教会へ向かった。
* * *
いつの間にか夕焼けに染まった、リベリン東部のエステル通り。
まるで時間が巻き戻ったかのように、二日前とまったく同じ光景が広がっていた。
もちろん、少しは違っていたが…。
俺はローブの中の依頼書を指先でもてあそんだ。
「にゃおーん」
「…?」
見下ろすと、俺の足首に顔をすり寄せてくる黒いシャム猫がいた。
この世界で猫に似た生き物を見たのは一度きりだ。見間違えるはずがない。
二日前、教会の扉を開けた時に飛び出してきた猫だ。
「どこの家の猫だ?」
「にゃあー」
両手で抱き上げると、俺を見つめて、にゃあ、にゃあと鳴き続けた。
にゃあ、にゃあ。
「あら! エレン様、エステルにはどうされたんですか?」
抱き上げた猫の向こうから、カミラが小さく笑いながら近づいてきた。
「ああ、こんにちは。個人的な依頼がありまして」
「あら…やっぱりお忙しいんですね」
シスターに嘘をつくのはあまり気が進まないが、詳しく話したところで口が疲れるだけだ。
それに、依頼のためというのも、厳密には嘘じゃない。
シスターは納得したように頷くと、俺が抱えていた猫に手を伸ばし、胸に抱き寄せた。
「もう…いたずらっ子なんだから。何日も姿が見えないから、どこへ行ったのかと思ったら、エステルにいたのね」
「シスターの猫なんですか?」
シスターは笑って首を横に振った。
「いいえ。この子はうちの孤児院で飼っているフェリネです」
フェリネ…。
変わった名前をつけたもんだ。
「ところで、シスターはエステルに何のご用で?」
「うちの孤児院はギルドからの支援金だけでなく、いろいろな団体から援助をいただいているんです。その一つが、こちらのエステル教会なんですよ」
「ああ…なるほど」
その程度なら十分あり得る設定だ。
少し驚いたのは、名前が数回出てきただけのエステル教会が、そんな善行までしていたことだ。
「週に一、二回ほど、体の不自由な信徒の方々のお手伝いをして、奉仕活動をしているんです」
子供たちとあれだけ遊んで、さらに奉仕活動まで来るのか。
院長シスターってのは、誰にでも務まる仕事じゃないらしい。
もっとも、本当の院長はエレナなんだが。
「今夜は教会で小さな催しがあるので、ほかのシスターたちが希望する子供たちを連れて見学に来ることになっているんです。エレン様もお時間があれば、ぜひお立ち寄りください」
「はい。そうします」
俺が頷くと、カミラは軽く会釈して、猫を抱いたまま教会へ入っていった。
俺も後に続こうと教会の階段を上っていると、夕焼けに染まっていた通りに巨大な影が差し始めた。
まるで、突然夜が訪れたかのように。
「…?」
直後、共鳴音が響いた。
ウウウン――
金属が共鳴するような低い音が、リベリン全域に鳴り渡った。
「あら、あれは何?」
「帝国から来たんじゃないか!」
「噂には聞いてたけど、初めて見たわ!」
「戦争でも始まったんじゃないのか?」
周囲の人々が、一人、また一人と空を見上げた。
ん?
俺も自然と顔を上げ、空を見た。
『何だ?』
遥か上空。
リベリンの空を、巨大な物体がゆっくりと横切っていた。
灰色の金属に覆われた、全長二百メートルにも及ぶ巨大な船体。
風一つ起こさず、ただ浮遊石の魔力だけで空を漂う、クラデイが誇る帝国技術の結晶。
あれは――
「浮遊船」
境界の森に囲まれ、貿易船はおろか魔導列車アルカナムすら目にすることのない、このリベリンでは絶対に見られない光景。
帝国の象徴。
そして、本物の主役。
「…来たか」
その主人公は、まるでこれ以上俺の手で物語の流れを作るなと言わんばかりに、巨大な波を巻き起こしながら俺の頭上に現れた。
要するに。
勇者の野郎のお出ましだ。




