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第二十一話 水面の二つの月


「ジュンヒョク!」

ジュンの声が、洞窟の中を裂いた。

どさり。

ジュンヒョクの体が、床に崩れ落ちた。

その瞬間、すべての音が遠ざかった。

ハナの息遣いも。

ナラの悲鳴も。

ジヌが駆け出す足音も。

すべてが水の底に沈んだように、ぼやけていった。

ジュンは立ち尽くしたまま、床に倒れたジュンヒョクを見つめた。

肩から血が広がっていた。

濃く熱い血が服を濡らし、床の土の上へ落ちていく。

一滴。

また一滴。

ジュンの瞳が揺れた。

ついさっきまで、銃口は自分に向けられていた。

それなのに、ジュンヒョクが飛び込んだ。

ためらいもなく。

それが当然だというように。

「ジュンヒョク」

ジュンは膝をついた。

指先が血に濡れた。

「しっかりしろ」

ジュンヒョクの唇が、かすかに動いた。

けれど声は出なかった。

ジュンは歯を食いしばり、自分の上着をつかんだ。

裂けないとわかると、口で噛み切った。

びりっ。

布が荒く裂けた。

ジュンは裂いた布で、ジュンヒョクの肩を強く押さえた。

血が指の間から滲み出した。

「誰がこんなことをしろと言った」

ジュンの声は低く震えていた。

「誰が俺を守れって頼んだんだ、この馬鹿野郎」

ジュンヒョクの瞼が、苦しそうに持ち上がった。

焦点はぼやけていた。

それでも彼は、ジュンを見ていた。

最後に確かめるように。

いや、ずっと前から見つめていた人を、ようやく真正面から見るように。

「チーム長……」

ジュンはさらに強く傷口を押さえた。

「喋るな。息を温存しろ」

ジュンヒョクは、かすかに笑おうとした。

口元がほんの少しだけ上がり、すぐに震えた。

「僕は……」

その声は、ほとんど息だった。

「先輩に……なりたかったんです」

ジュンの顔が固まった。

「何だと?」

「警察官らしく……」

ジュンヒョクの瞳が、ゆっくり揺れた。

「最後は……そうしたかったんです」

「何が最後だ」

ジュンは歯を食いしばった。

「ふざけたことを言うな」

ジュンヒョクの指先が、床を掻いた。

血のついた指が、土の上に短い線を残した。

「すみません」

ジュンの息が止まった。

「何を」

その一言に、ジュンヒョクの瞳がかすかに震えた。

「何を謝ってるんだ」

けれどジュンヒョクは、もう答えられなかった。

視線が霞んだ。

瞼がゆっくりと下りていく。

「ジュンヒョク!」

ジュンは彼の頬をつかんだ。

「カン・ジュンヒョク、目を開けろ」

返事はなかった。

ジュンの手が震えた。

ほんの一瞬。

本当にほんの一瞬、彼の顔からすべての表情が消えた。

そして次の瞬間。

その目が変わった。

熱い怒りが、瞳の奥で燃え上がった。

ジュンはジュンヒョクを慎重に横たえた。

傷を押さえた布がほどけないよう、きつく結び直す。

そして、ゆっくりと立ち上がった。

拳が砕けそうなほど握りしめられた。

彼の視線が、闇の中の男に突き刺さった。

黒い服の男。

隊長と呼ばれていた者。

男は、まだ銃を持っていた。

たった今、人を撃った人間の顔とは思えないほど、そこには何の表情もなかった。

罪悪感も。

興奮も。

恐怖も。

何も。

その空虚さが、かえっておぞましかった。

ジュンが低く言った。

「お前……」

その声は刃のようだった。

「殺してやる」

ジュンが一歩踏み出した。

その瞬間、ハナが彼の前に立ちはだかった。

「ジュン刑事さん」

ジュンはハナを見もしなかった。

「どいてください」

「だめです」

ハナの声も震えていた。

それでも彼女は下がらなかった。

「奴は、まだ銃を持っています」

ジュンの息が荒くなった。

「どけと言いました」

ハナは歯を食いしばった。

「ジュンヒョク刑事さんが、どうして代わりに撃たれたんですか」

その言葉に、ジュンの体が止まった。

ハナの目にも涙が溜まっていた。

「ここでまた誰かが傷ついたら、あの人が代わりに撃たれた意味がなくなるじゃないですか」

ジュンは何も言えなかった。

その間にも、男の銃口がゆっくりと動いた。

ハナ。

ナラ。

ジヌ。

そして床に倒れたジュンヒョクまで。

銃口は順に、彼らをなぞった。

「軽率に動くな」

男の声は低く、冷たかった。

「さらに血を見ることになる」

彼はハナとナラを見た。

「特に、お前たちが守りたがっているその二人の女までな」

ジヌがナラの前に立った。

ナラの手が震えていた。

ハナはジュンの服の裾を握りしめた。

ジュンは歯を食いしばった。

怒りを飲み込んだ。

今、動いてはいけない。

ジュンヒョクが倒れている。

ハナとナラがいる。

ジヌも負傷している。

ここで銃声がもう一度鳴れば、誰かが死ぬかもしれなかった。

男が顎を動かした。

「ついてこい」

誰も動かなかった。

男は銃口を、ジュンヒョクのほうへ下げた。

「二度言わせるな」

ジュンの瞳が、血のように赤く染まった。

それでも彼は動かなかった。

結局、四人はゆっくりと歩き出した。

ハナ。

ナラ。

ジヌ。

ジュン。

彼らは再び、洞窟のさらに深い闇へ入っていった。

後ろの床には、ジュンヒョクが倒れていた。

血が広がっていた。

ハナは振り返りたかった。

けれど、振り返れなかった。

振り返ったら、崩れてしまいそうだった。

そのときだった。

ぽたり。

どこかで水滴の落ちる音がした。

ぽたり。

ぽたり。

ぽたり。

最初は小さかった。

けれど奥へ進むほど、その音は少しずつ鮮明になっていった。

まるで洞窟全体が、その音だけを待っていたかのように。

ぽたり。

ぽたり。

ぽたり。

ランタンの光が揺れた。

濡れた石壁が光を受け、ぬめるように光った。

空気はさらに冷たくなった。

息を吸うたびに、肺の奥が凍りつくようだった。

そしてついに、彼らは洞窟の一番奥へたどり着いた。

裂けた壁の隙間。

そこから水が染み出していた。

一滴ずつ。

ずっと昔からそうだったかのように。

水滴は、床の小さな水たまりへ落ちていた。

黒く、静かな水。

風もないのに、その水面はかすかに揺れていた。

四人の視線が、同時にそこへ止まった。

そして次の瞬間。

ハナの息が止まった。

「あれは……」

ナラの瞳も大きく揺れた。

水の上に、月が浮かんでいた。

空の見えない洞窟の中だった。

月明かりなど届くはずのない、深い地の底だった。

それなのに、水の上には確かに月があった。

ハナは手首を握りしめた。

腕輪が熱くなっていた。

ナラもまた、手首を押さえた。

二人の腕輪が、同時に光った。

ハナは青い光。

ナラは白い光。

二つの光が、闇の中で震え始めた。

そして水面に映った月も、揺れた。

ハナが見たのは、一つの月ではなかった。

二つに割れた月。

別々の場所に浮かぶ、二つの半月だった。

青い半月。

白い半月。

離れていた二つの光は、水面の上で少しずつ近づいていった。

ハナの腕輪が、さらに熱くなった。

ナラの息が上がった。

「姉さん……」

ハナがナラを呼んだ。

ナラは答えられなかった。

彼女の目には、もう別のものが見えていた。

水面の下。

水の中ではない。

記憶の中。

無数の顔が、通り過ぎていった。

名前を失った人々。

記録から消された人々。

誰にも記憶されなかった死。

泣き叫ぶ声。

祈り。

最後に握りたかった手。

そして、ついに届かなかった声。

ナラはよろめいた。

ジヌが素早く彼女を支えた。

「ナラさん」

ナラは彼の腕をつかんだ。

「多すぎます……」

その声は、ほとんど泣き声だった。

「たくさんの人が……ここにいます」

ハナも水を見つめていた。

彼女の目の前にあるのは、未来ではなかった。

過ぎ去った死。

けれど、まだ終わっていない死。

まだ誰にも見つけてもらえない、最後の瞬間たちだった。

息が詰まった。

ハナは後ずさった。

「これは……未来じゃない」

ジュンが彼女を見た。

ハナは青ざめた顔で呟いた。

「もう起きたことです」

そのとき、男が口を開いた。

「やはりな」

低い声だった。

けれど洞窟の中では、あまりにもはっきりと響いた。

「二つがそろえば、門は反応する」

ジュンが男を睨んだ。

「何をした」

男は答えずに笑った。

薄く、嫌な笑み。

人間の笑みに見えたが、人の温もりはなかった。

「お前たちが持っているものは、能力ではない」

その視線が、ハナとナラに突き刺さった。

「鍵だ」

ナラが息を飲んだ。

「鍵……」

「見る者」

男はハナを見た。

「読む者」

男はナラを見た。

「聞く者」

今度はジヌへ視線が向いた。

ジヌの顔が固まった。

「そして、塞ごうとする者」

最後にジュンを見た。

ジュンの拳が、また握られた。

男の口元が、わずかに上がった。

「条件はそろった」

ハナの腕輪が眩しく光った。

ナラの腕輪も、同時に光った。

二つの半月が、水面の上で触れ合った。

その瞬間。

水たまりの内側が、深くなった。

確かに、浅い水だった。

足首も沈まないほどの、小さな水たまりだった。

それなのに、水面の下には、底の知れない闇が開いていた。

その中から、誰かの手が伸びてくるようだった。

ハナは息を止めた。

ナラの目から、涙がこぼれ落ちた。

無数の声が、同時に湧き上がった。

忘れないで。

私を忘れないで。

私たちがいたと、伝えて。

門が開きかけていた。

完全に開いたわけではなかった。

けれど、隙間ができていた。

世界と世界が触れ合う、ごく細い隙間。

ハナとナラは、本能的に互いの手を握った。

光が一瞬、さらに強くなった。

男が低く笑った。

「確認した」

その言葉が落ちた瞬間、ジュンが動いた。

今度はハナにも止められなかった。

ジュンは男へ向かって飛びかかった。

男の銃口が再び上がった。

引き金に指がかかる。

パン。

また一つの銃声が響くはずだった、その瞬間。

かんっ!

乾いた、重い音が洞窟に響いた。

男の体が前へよろめいた。

その背後に、誰かが立っていた。

闇の中から、ゆっくりと姿を現した人物。

古びた灰色の僧衣。

手には木魚のばち。

住職だった。

住職は倒れかけた男を見下ろし、舌打ちした。

「まったく」

彼は足先で銃を遠くへ蹴り飛ばした。

金属が石の床を擦り、闇の中へ滑っていった。

「こんな物騒なものを持って、寺の山に入ってくるとは」

住職は手にした木魚のばちを一度見下ろした。

そして、ひどく淡々と付け加えた。

「仏様も、今回ばかりはわかってくださるだろう」

ハナとナラが同時に叫んだ。

「住職さん!」

ジュンはためらわなかった。

彼は倒れた男の手首をひねって背中へ回し、すぐに手錠をかけた。

がちゃり。

金属音が響いた。

そのときになって、洞窟の外側から慌ただしい足音が押し寄せてきた。

支援部隊だった。

「負傷者確認!」

「救急隊を呼べ!」

「こっちです!」

警察官たちが、倒れた残党を次々と制圧していく。

ジュンヒョクのもとにも人が駆け寄った。

ジュンは振り返った。

「ジュンヒョクを先に!」

その声は命令ではなく、切実な叫びだった。

救急隊員がジュンヒョクの状態を確認した。

「呼吸あります!」

その一言に、ジュンの肩がほんの少しだけ下がった。

けれど、安心はできなかった。

ジュンヒョクの顔は、まだ青白かった。

担架が運び込まれた。

救急隊員たちが、彼を慎重に乗せていく。

ジュンは最後まで、ジュンヒョクから目を離せなかった。

それでも彼の手は、隊長の手錠を離してはいなかった。

そのとき、逮捕された男がゆっくりと顔を上げた。

頭から血が流れていた。

けれど、その目は乱れていなかった。

むしろ、さらに深くなっていた。

彼はハナとナラを見た。

そして、笑った。

「我々は確認した」

ハナの背筋に、冷たいものが走った。

「これは終わりではない」

男の声が低く響いた。

「始まりだ」

ジュンが男の胸ぐらをつかんだ。

「黙れ」

男はジュンを見なかった。

その視線は、最後までハナとナラに突き刺さっていた。

「門は、もう反応した」

そして、ごく小さく囁いた。

「忘れられたものたちは、これからお前たちを探しに来る」

その言葉を最後に、男は警察官たちに連行されていった。

けれど彼の残した言葉は、洞窟の中に残った。

水滴の音のように。

ぽたり。

ぽたり。

ぽたり。

ハナとナラは、同時に水たまりを見た。

水面の二つの半月は、消えかけていた。

それでも、完全には消えていなかった。

閉じた扉の隙間から漏れる光のように、細い一本の線が、水面に残っていた。

住職が、その前に立った。

彼はしばらく、水を見つめていた。

そして低く言った。

「結局、反応したか」

ハナが尋ねた。

「住職さん……これは何なんですか?」

住職はすぐには答えなかった。

壁の隙間から落ちる水滴を見つめていた。

「ここは、ずっと昔から境に近い場所だった」

「境?」

ナラが聞き返した。

住職はうなずいた。

「生と死」

その声は静かだった。

「記憶と忘却」

水滴が落ちた。

ぽたり。

「残ったものと、消えたもの」

ハナは何も言えなかった。

住職はゆっくりと、ハナとナラを見た。

「二人が持っているものは、単なる力ではない」

その目が深くなった。

「負い目でもあり、扉でもある」

ナラの手が震えた。

ジヌが静かに、その隣に立った。

住職は今度はジヌを見た。

「聞く者も来たか」

ジヌの表情が固まった。

「僕は……何を聞いたんですか?」

住職は答えずに、かすかに笑った。

「まだ知らないほうがいい」

それは答えではなかった。

けれど不思議なほど、答えよりも重かった。

住職はジュンを見た。

「そして、塞ごうとする者」

ジュンの眉が、わずかに動いた。

「それはどういう意味ですか」

「見る者と読む者が、門を開けるのだとしたら」

住職は水を見た。

「聞く者は、亀裂を見つける」

その視線が、ジュンに届いた。

「塞ごうとする者は、その門が人を呑み込まないように引き止める者だ」

ジュンは答えなかった。

けれど、その視線はハナへ向いていた。

ハナはその視線に気づいた。

けれど、振り返ることができなかった。

住職は再び、ハナとナラを見た。

「二人が持つものが呪いになるのか、救いになるのかは、まだわからない」

彼はゆっくりと言った。

「だが、一つだけは確かだ」

洞窟の中が静まり返った。

「今日、門は完全には閉じなかった」

ハナの手が、ナラの手をさらに強く握った。

ナラが小さく息を飲んだ。

住職は水たまりへ体を向けた。

「だから、覚えておきなさい」

その声が、洞窟の奥深くへ染み込んでいく。

「忘れられたものは、消えたわけではない」

ぽたり。

「誰かが思い出してくれるまで」

ぽたり。

「ただ、待っているだけだ」

その瞬間、水面に残っていた細い光が揺れた。

ハナは見た。

ごく短い場面。

ハナの目の前を、ごく短い場面がよぎった。

見知らぬ水。

見知らぬ夜。

そしてその上に浮かぶ、二つの半月。

どこなのかはわからなかった。

けれど、確かだった。

門は、別の場所でも開きかけている。

ハナが息を吸った。

「姉さん……」

ナラもまた、何かを感じていた。

今度は感情ではなかった。

誰かが呼ぶ声。

とても遠くから。

とても深い場所から。

けれど確かに、自分たちへ向かって近づいてくる声。

――忘れないで。

ナラの目から、涙が一筋こぼれた。

その声は終わらなかった。

――私たちは、いた。

――私たちは、まだここにいる。

ジヌが顔を上げた。

彼にも聞こえたようだった。

いや、正確には、感じたようだった。

空気が震えていた。

音ではない振動。

この世界に属していない、低い周波数。

彼の顔が青ざめた。

「今の……」

住職は静かにうなずいた。

「始まったのだ」

ジュンは何も言わず、ハナとナラの前に立った。

彼はもう、怒りで動いてはいなかった。

代わりに、何かを覚悟した者のように立っていた。

遠くから、パトカーのサイレンが聞こえてきた。

救急隊の足音。

無線機の雑音。

逮捕される者たちの怒号。

現実の音が、洞窟の中へ流れ込んでくる。

けれど、四人は知っていた。

今、自分たちが見たものは、ただの現実の事件ではなかった。

門だった。

隙間だった。

そして、呼び声だった。

ハナとナラは手を握ったまま、もう一度水を見つめた。

水面の二つの半月は、ほとんど消えかけていた。

しかし最後の瞬間。

二つに分かれていた光が、ごくかすかに重なった。

ハナの唇が震えた。

どこかで聞いた言葉が、理由もなく浮かんだ。

月は二つに割れても。

ナラがその続きを、呟いた。

「水の上では、一つに映る」

その瞬間。

水たまりの深いところから、最後の声が上がった。

ひどく低く。

ひどく古い声。

――忘れないで。

光が消えた。

洞窟の中は、再び暗くなった。

けれど、誰もそれを以前と同じ闇だとは思わなかった。

門は、完全には閉じなかった。

忘れられたものたちが、今、彼らを呼び始めていた。

とても深い場所から。

まだ開かれていない、もう一つの世界が。

静かに、息をし始めた。



――――――

第一部 完結

『ツインムーンズ』を最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

二つの月の物語は、まだ終わりません。

続きは、第二部で。

また、お会いしましょう。


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