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あらあら、まあまあ。  作者: かたつむり3号
第二章 Sの恋
22/37


 朝、今日の俺の髪型について悩むアニーに声をかける。


「ねえ、アニー」

「何ですか、お嬢さま。編み込んで、いや今日は……ぶつぶつぶつ、」

「恋をするって、どんな感じ?」

「いっそ簡単に、いややっぱりお団子に……え、恋!?」


 アニーの声が、驚きのあまりひっくり返った。


「お、お嬢さま? やっぱりどなたかに恋を……?」


 限界まで持ち上げた口角につられて持ち上がった頬が、キラキラ輝く目を押し出さんばかりにぎゅうぎゅうだ。期待で胸がはちきれそうって感じがビシバシ伝わる。


「いえ、そうじゃなくて。よくわからない感覚をどうにか理解するために、まずは可能性の低いものから明確にして消去していこうかと思って」


 たちまちアニーが萎んだ風船みたいに脱力した。


「ちぇ~、ねえお嬢さま、そろそろ恋とかしませんか? 結婚したいお相手とか、早くしないと婚約も決まりませんよ?」

「アニー、お願い」


 念を押すと、渋々頷いて、何やら考え始めた。ぶつぶつと考え考え、思いついた端から言葉にしだすので、聞き逃さないように耳を澄ます。


「その人と目が合うとドキドキして、ずっとその人のことを考えちゃって、他の女の子と一緒にいるところを見るとモヤモヤする」


 目が合うと胸がざわざわすることは、ある。考えている時間なら、ヴァイオレットさまのことが一番だ。ヴァイオレットさまに限らず、攻略キャラ達はみんな色んな女子生徒に囲まれてるけど、何とも思わない。


「一緒にいると時間があっという間に過ぎるのに、離れてる時は永遠みたいに感じる?」


 そんなこと一度もない。


「あとは……」

「アニー、ありがとう。もう十分よ。やっぱり、恋じゃないわ」

「そんなぁ……」

「ごめんね」

「いいえ、恋は落ちるものって言いますものね。はぁ……誰かわたしのお嬢さまを早く突き落として」


 アニー、その表現はやめて? イメージとして断崖絶壁しか浮かんでこない。もっとなかったかな、ハートを射止めるとか、穏やかでハートフルな表現。


「じ、じゃあ、アニー? わたしに恋を運んでくるような、可愛い髪型をお願いね」


 そろそろ遅刻する。


「お任せください、お嬢さま!」


 途端にうきうきと櫛を手に取った。アニーには申し訳ないけど、俺の夫になる男は多分、お父さまが選んだ人になると思う。政略結婚以外の選択肢を夢想するには、俺の自我は強過ぎるだろう。

 ごめんな、アニー。



 教室を移動するべく廊下へ出て、視界の端をかすめた銀糸に気づいた。

 ヴァイオレットさまだ!

 そっちは北棟しかないのに、また迷っていらっしゃるのかな。挨拶ついでに軌道修正して差し上げて、おまけでお昼ご飯をご一緒できないか誘ってみよう。いそいそと銀糸を追いかけ、ばったりテオドール殿下と遭遇した。


「……」

「……」


 しばし見つめ合い、火花を散らす。殿下の目は語る『譲れ』と。なぜわかるか、俺もまったく同じ気持ちを視線に込めているから。


「おはようございます、殿下」

「おはよう、ソフィア嬢」

「申し訳ありませんが、わたし急ぎますので、失礼いたします」

「奇遇だな、わたしも急ぐ」


 同時に、同じ方向へ踏み出し、再び見つめ合う。否。睨み合う。

 ちょっと奥まった通りに踏み込んだから人通りはまばらだが、零じゃない。

 普段は完璧王子の仮面を被っている殿下は、声を荒げるわけにも力づくに俺を引き剥がすわけにもいかず、こめかみに青筋を浮かべて笑顔でいることしかできない。勝負は拮抗する。


「ソフィア嬢、わたしの婚約者だ」

「わたしのお友達でもあります」


 ヴァイオレットさま争奪戦は結構な頻度で勃発しており、勝負は若干、俺の方が勝ち星を多く挙げている。


「古代バメル語の授業で、わからないところがあったんです。わたしの成績のために、どうか今回は譲ってください」

「毎度そう言って、帰り際に次の約束を取り付けてしまう君のせいで、わたしは最近フラれ通しだ。君が譲れ」


 ちっ。小細工がバレた。

 顔には出さず、どう言い包めようか考える。

 不意に、空気を裂くような軽い破裂音が響いた。何事かと振り返ると、ロータスさまだった。どうやら手を叩いて音を出したらしい。拍手ってそんな大きな音、出せるの? あとでコツを教えてもらおう。


「お二人とも、こんなところで何を――」

「いいところに! ロータス任せた!」


 最後まで言わせず、殿下がロータスさまの肩を叩いて駆け出した。


「あ! 殿下ズルい!」


 手を伸ばしても届くはずはなく、殿下は疾風のようにヴァイオレットさまを追って行ってしまった。くっそぉ……やられた。


「あ、ええと、……お邪魔でしたか?」

「あ、決してそんなことは! ……すみません、おはようございます」

「おはようございます、ソフィアさま」


 アホなところを見られてしまった。羞恥が頬を焼く。

 ロータスさまは何が可笑しいのか、くすくす笑っている。


「ヴァイオレットさまなら、きっと図書館にいらっしゃると思いますよ」


 ……は?


「……は?」


 やべ、そのまま口から出ちゃった。


「あっちの隠し通路から出てきたところに遭遇して、図書館への道を説明したんです」


 この学園って隠し通路とかあるんだ、初めて知った。まあ、王侯貴族の子息令嬢が通う学園だもんな。備えあれば憂いなしって言うし。

 ともかく、ナイス! とんだファインプレーだ!

 でも、と不安が浮かぶのはもうしかたない。


「ヴァイオレットさま、お一人ですよね?」

「歩数まで説明したので、多分、大丈夫かと」

「な、なるほど」


 階段まで七歩、とか? 何それちょっと可愛いな。


「行ってみますか? 付き添いますよ」

「え、でも殿下は……」


 当然の疑問だと思ったが、ロータスさまはどこか吹っ切れたように空笑いした。


「殿下には王家直属の護衛がついてますし、大丈夫ですよ。理想的な王子の仮面を脱ぎ去ってから先、ちっとも俺をそばに置いてくれないんで、もう諦めて、呼ばれた時だけ控えることにしました」


 えぇ……。確かにあんまり一緒にいるとこ見ないよな、とは思ってたけど。殿下、えぇマジかよ王太子。あんたの騎士さま、コメントしづらい吹っ切れ方しちゃってるんですけど。


「と、いうわけで俺は暇なので、付き添います」

「え、えっとじゃあ、お願いします」


 殿下の騎士に付き添ってもらって、用事がランチのお誘いって、いいんだろうか。

 歩き出そうとした俺の眼前に、ずい、と腕が差し出された。反射的にムッとする。


「わたし、ヴァイオレットさまじゃありません」


 それ、既に一回やったろ。続けて間違われると、さすがに気分がよくない。


「はい、もちろん」


 へ?


「殿下が騎士をさせてくれないので、この時間はあなたの騎士です、ソフィアさま」


 お手をどうぞ、と。

 限界まで目を瞠る俺の顔を、覗き込むように屈んで笑うロータスさまはまるで、ロマンス小説のヒーローみたいだった。


 とくん、と胸の奥が弾んだ。


 わずかに熱を持った頬に、脳内で警鐘が鳴り響く。

 待て、落ち着け、俺は男だ。たとえ体が女でも、貴族の娘として徹底的に仕込まれている純然たる女であっても。前世の記憶を取り戻した俺は雄性を自覚している。肉体に引っ張られるな、俺。しっかりしろ! ときめいてるんじゃない!


 ――顔、真っ赤よ。


 黙っててくれ、頼むから!


「ソフィアさま? 大丈夫ですか、顔が……まさか熱が!?」


 違います。

 口を開くより早く、失礼、と伸ばされたロータスさまの手が額に触れた。血が沸騰したように熱くて、俺はもう声も出ない。


「う~ん……一応、医務室へ行った方が良いかもしれません。ソフィアさま、っ……!」


 びっくりしたように息を呑んだロータスさまの顔を、俺は見ることができない。視界を歪ませた涙は、増していく熱でも蒸発させられなかった。しとどにあふれて、止められない。


「ソフィアさま、」


 申し訳なさそうなその声が、次に発するのは謝罪だと訴える。

 違う、ロータスさまのせいじゃない。俺が、俺の気持ちに混乱しただけ。びっくりして、焦って、繊細なソフィアの心が耐えられなかっただけ。違う、違うのに。


「ごめ、……さい」


 背を向けて逃げ出すことしかできなかった。

 こんな風に逃げ出したらきっと、ロータスさまは自分を責める。そんなことはわかるのに、どうして自分が逃げるほど追い詰められているのか。その答は、どれだけ考えても出て来ないまま、俺は図書館を目指し、逃げ込んだ。



 ボロボロ泣きながら駆け込んで来た俺を見て、ヴァイオレットさまはぎょっとしたように本を閉じた。けれどすぐさま微笑んで、座るようソファーへ誘ってくれた。

 どうやらロータスさまの説明は効果を発揮したらしい。


「お茶を飲みましょう」


 返事ができない俺を待たず、テーブルの上が片付けられお茶が用意されていく。侯爵令嬢にさせることじゃないな、と思う気持ちはあるけど、体は石のように動かなかった。


「おかわりもあるから、たくさん飲んでね。そんなに泣いたら、喉が渇くでしょう?」


 心遣いが嬉しくて、何も言えない自分が悔しくて。涙を止める方法は、わからない。


「チョコレートもあるの。涙が止まったら、いただきましょう」


 どうして止まらないんだろう。何も悲しいことなんてなかったのに。

 びっくりするほど熱かった体はもう、泣いてる以外に生じる熱なんて残ってないのに。


 ――ねえ、どうしたのよ。


 わからない。


 ――あの騎士といる時のあんた、いっつも変。


 俺もそう思うよ。ロータスさまにも、失礼なことしてばっかりだ。

 あんなに優しい、良い人なのに。俺は傷つけてばっかりだ。だからいつも、会話の始まりは謝罪になる。こんにちは、とかいい天気ですね、とか。普通に挨拶から会話を始められたことなんて、数えるほどもないじゃないか。


 ――……。


 何か言えよ。


 ――……涙、止まったわね。


 言われて気づく。

 ありがとう、ウィーリア。気を逸らしてくれて、おかげで止まった。

 ウィーリアは、返事をしなかった。


「あらあら、チョコレートのおかげかしら」


 涙を拭いて、口端を少しだけ持ち上げる。


「すみません、急に」

「いいえ。ちょうど、どなたかとお話がしたいと思っていたところだったの。来てくれて、嬉しいわ」


 優しい嘘だ。


「まずはお茶を飲みましょう」


 やはり俺の返事を待たず、ヴァイオレットさまはカップにお茶を注いでしまう。ふわり、と香った匂いは、薔薇のものだった。泣いていたことも忘れて、思わず鼻に意識を集中する。


「いい匂い……」

「王妃さまがくださったの」


 体が強張ったのはほとんど反射だ。どうしても身構えてしまう。


「ふふ、不出来な息子のお詫び、ですって。私の方が申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまったわ」

「殿下も、お母さまには勝てないんですね」

「王妃さまは強い方だから。母の愛に勝る愛情はない、と言い切るような方よ」


 母は強し。


「それは、負けていられませんね」


 俺の返しにヴァイオレットさまはわずかに目を瞠って、そして鈴を転がすように笑った。


「そうね、負けていられないわ。テオドールさまに関しては、私の愛が勝ると証明しなくてはね」


 強い、強い声だった。燃えるような、炎を思わせる熱い声。首元の鈴が歌うように音を立てる。


「情熱家なのですね、ヴァイオレットさまは」

「血ね。ベルシュタイン家は虎に例えられる家系。愛情は牙と同じ。噛みついて、相手に消えない痕を刻み付けてしまうの。この方は私のもの。どなたにも差し上げません、って」


 聞いているこちらが照れてしまった。

 前世で俺が経験した恋心なんて子どものお遊びだ。そんな愛は知らない。前世でも、今も、そんな鮮烈な、痛いくらいの愛を受けたことはない。

 よくわからないけど、こう、愛情ってもっと柔らかくてあったかくて、あとはせいぜい蜂蜜みたいにドロッとしたような、そんなものだと思ってた。綺麗なばかりじゃないだろうけど、ほろ苦いビターチョコレートみたいな。


「テオドールさまには、もっと早く噛みついてしまえばよかったと思っているけれど」


 それはきっと、俺のせいで乱された関係のことを言っている。


「けれどね、今のテオドールさまと過ごすためには必要なことだったかもしれない、とも思うのよ」


 ゲームに登場するテオドール殿下は、誰もが理想とする完璧な王子さま。あんな隙だらけな姿なんて見せない。ヒロインが好感度を上げても、イベントで見せる姿は鉄壁なままだ。それはつまり、殿下はシナリオ通りじゃ誰にも素を出せないということ。理想的な王子さまを演じ続ける。それは果たして、ハッピーエンドというのだろうか。


「お友達ができたことも、とっても嬉しいの」


 だから、と続いた声があまりに優しくて、


「私にとって、必要なことだったのよ」


 また涙が瞼を越えた。


「あらあら、泣き虫ね」


 隣に座ったヴァイオレットさまの手が、俺の背を撫でていく。優しくて、温かくて、瞬きのたびにますます涙が出た。

 臆病風に吹かれて暴走した俺は正しくはなかったけれど、間違ってもいなかったと、そう言われた気がした。都合がいいかもしれないけど、そう聞こえたら、救われた気分になってしまう。

 俺はそのまましばらく泣き続け、ヴァイオレットさまは黙って付き合ってくれた。


「落ち着いたかしら?」

「はい、ずびばぜん……」


 ぐすん、と鼻をすする俺を、ヴァイオレットさまは可笑しそうに眺めている。俺の泣きっ面、そんなに面白いかな。


「また、授業サボって……ぐすっ」

「体調不良、ということにしてしまいましょう。先生には、私からも説明するわ。大丈夫よ」


 不良生徒だ。アニーには内緒にしておかないと、また心配させる。


「さて、と。私のお友達を泣かせたいけない方は、どこのどなたかしら」


 軽い、鈴を転がすような声音はしかし、俺のために怒ってくれようとしているとわかって、慌てて言葉を探す。


「違っ、違うんです。わたしが、勝手に泣いただけ……」


 自分の体が、自分のものでないような。

 知らない感情が、知らないタイミングで胸を焼く。


「ロータスさまが、……わたし、びっくりして」


 あんなロータスさま、知らなくて。びっくりして、声の代わりに涙が飛び出した。


「だって、……」


 下がった眉に低い腰。雰囲気はいつも、雨の日に捨てられた子犬みたいだった。すみませんとか、申し訳ありませんとか、会話のほとんどが謝罪で埋まるような人で、カッコいいより、守ってあげたいなんて思わせるような、男の人。


「ふふ、……まるで、初めて恋を知った子どもみたいね」


 息が詰まった。


 ――顔、また真っ赤になってるわよ。気づいてる?


 ウィーリアの声が耳の奥でガンガン響いて脳を揺さぶる。


「わ、わたし……」


 どうして誰も彼も、恋をしている、って言うんだよ。わかんねえだろ、そんなの。恋なんて、気持ちの問題なんだから。何で他人の気持ちに訳知り顔するんだよ。


「恋なんて、……違います」


 拒絶は、針のような声になった。


「そう、私ったら押し付けるような言い方だったわね。ごめんなさい」


 ヴァイオレットさまは気にした風でもなく、さらっと返事をした。刺した俺の方がダメージを負った気分だ。


「ソフィアさん、その顔で授業に出るとみなさん心配するわ。今日は、もう早退してはいかが?」


 そんなにひどい顔だろうか。


 ――目が真っ赤。腫れてるし。すっごく不細工。


 そう、最後の一言は省略してほしかった。


 ――ぶ、さ、い、く。


 いじめっ子め。


「すみません、そうします」

「私、しばらくここにいるから。あなたはお茶を飲んで、チョコレートを食べてから帰るといいわ。殿下が迎えにきてくださるでしょうし、先生へはその時、連絡しておきます」

「ありがとうございます」

「お迎えを呼びましょうか?」


 どうしてか、浮かんだのはロータスさまの顔だった。


「……いいえ、ウィーリアがいますから」


 頑なな声を、すり潰すように返事をする。


「そう、わかった」


 ヴァイオレットさまはやっぱり優しくて、立ち上がってブランケットをかけてくれた。至れり尽くせり。申し訳なくて、またこぼれそうになった涙は、お茶を飲んで誤魔化した。

 あったかくて、美味しいのに。何だか泥でも飲んでいるような、沈むような感覚がした。

 これは、恋じゃない。恋じゃ、ないだろう。

 

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