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あらあら、まあまあ。  作者: かたつむり3号
第二章 Sの恋
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 胸がざわつく謎の現象は収まる気配を見せず、俺はすっかり参ってしまった。かれこれ三日は経つというのに、正体は不明なまま俺の心拍に異常をきたし続けている。

 朝、俺の髪を結ってくれるアニーを鏡越しに見つめながら、声をかける。


「ねえ、アニー」

「どうされました、お嬢さま」


 何と言ったものか悩む。


「病気じゃないんだけど、最近ちょっと変なの」


 医者を呼ばれないよう、予防線だけは先に張ってしまう。


「急に、胸がざわざわするっていうか……心拍数が上がる?」

「病気ですか!?」


 俺の話、聞いてた?


「そうじゃなくて、……例えば昨日ね、クリストファーさまとお話させていただいたの」


 放課後、ヴァイオレットさまに図書館で古代バメル語の授業をしていただく前。廊下で会って、挨拶をした。


『君がばらまいた迷惑な噂、もうほとんど機能していないよ』

『その節は、本当にありがとうございました。すべてクリスファーさまのおかげです』

『ヴァイオレット嬢のお願いだからね』


 意地の悪い言い方にも慣れてしまって、悪意もないとわかれば気にすることはない。彼は元々、こういう人なのだ。


『クリストファーさまは、本当にヴァイオレットさまにお優しいですね』


 ちょっとした意地悪を返すくらいの図太さすら身に着けた。


『好きな子には優しくするさ』


 まあ、ほとんど通じないが。


「その時、クリストファーさまが笑ったのよ」

「あの方はいつも笑顔じゃないですか」

「そうだけど、その時はちょっと、いつもと違う笑みだったの」


 ヴァイオレットさまの話をしている時、テオドール殿下の話をしている時。クリストファーさまが『好き』に分類している方々の話題になると見せてくれる、柔らかい笑み。意地悪でない、慈しむような愛しむような優しい表情。


「それを見た時に、こう……心臓が痛いくらい大きく跳ねて、ざわざわしたの」


 俺の中に存在しない感情が無理矢理、引きずり出されるような感覚に襲われる。そこに不安や恐怖がない分、混乱は深まって俺はどうしたらいいのかわからない。


「ねえ、アニー。何だと思う?」


 鏡に映るアニーは、心配になるほど表情を溶かしていた。どうした?


「お嬢さまったら、それは恋ですよ、恋」

「はあ!?」


 つい、遠慮のない声が飛び出した。だってそうだろう。恋なんて、有り得ない。


「アニー待って、それはない」

「お嬢さまがまだ恋を知らないだけです。絶対、恋ですよ!」

「違う、本当に。恋は有り得ない」


 だって恋って、有り得ないだろう。

 胸がざわつくのは何もクリストファーさまが相手の時だけじゃない。テオドール殿下もユーリ殿下もセシルさまも、ロータスさまと話している時にだってあるんだ。その全員に俺が恋してるってことになる。それこそ大問題だ。冗談じゃない。


「本当に、恋ってことはないから。断言する」

「そうですか?」

「そうよ」


 不満顔なアニーに重ねて有り得ないと訴える。


「ん~……恋じゃないとすると、やっぱり――」

「病気ではないわ」

「じゃあ、わかりません」


 お手上げだった。


「はぁ……ありがとう、アニー。もう少し考えてみるわ」

「体調が悪いようでしたらすぐ言ってくださいね。はい、今日も世界一可愛いお嬢さまになりましたよ」

「ありがとう」


 俺の心が、俺のものではないような。気持ち悪い。



 お昼休み、昼食はユーリ殿下とご一緒することになった。いつかの俺が当たって砕け散った時と状況はほとんど同じ。どの席も空いていなくて、唯一の空席がユーリ殿下の向かいだった。今回は殿下の方から声をかけてくださって、座れば、と気さくに誘われた。


「お前、そんなんで足りるのか?」


 俺のトレーの上にはハムときゅうりのシンプルなサンドイッチと、蒸し鶏のサラダが乗っているだけだ。


「デザートを二種類食べようと思っているので、お昼は軽くしたんです」

「デザート……」


 呆れ顔の殿下の視線に耐えられず、顔を逸らす。

 しかたないんだ。今日のデザートはショコラタルトとルビーチョコクリームのエクレアだったんだ。どっちも食べたいに決まってる。どちらか片方を選ぶなんて、俺にはできなかった。


「女ってのは、本当に甘いもんが好きだな」


 そう言う殿下のトレーが二枚になる日があることを知っている。一枚には食べきれないほどデザートを乗せて、待っているのは、ヴァイオレットさまだ。

 俺が突撃したあの日も、殿下はヴァイオレットさまを待っていた。そりゃあ、俺みたいな知らない奴が声をかけてきたら不機嫌にもなるよな。つくづくタイミングが悪い。


「見た目がよくないと思うんです。もっとこう、爬虫類とか昆虫とか、可愛くない見た目にしてくれれば……」

「そこまでいくと食うために作ってねえだろ」

「では、甘い物の誘惑を回避する術はありませんね」

「結論出すの一瞬かよ」


 はつらつと笑った殿下を見て、心臓が大きく跳ねた。まただ。また胸がざわつく。


『それは恋ですよ、恋』


 アニーの声が脳裏に反響する。

 やめてくれ。違う、と断言できるのに、何でうるさいくらい心臓が鳴るんだろう。

 俺の体はソフィアのものだ。ソフィアの乙女心が、俺の意思とは違うところで殿下を意識してときめいているんだろうか。だとしたら、ソフィアには悪いがやめてくれ。今更、俺を消してやることはできない。ソフィアだった頃の俺はもう、俺という存在と混ざった。


「あ、ヴァイオレット」


 殿下の声で我に返る。視線を追うとそこには、クリストファーさまと並ぶヴァイオレットさまがいた。


「ちっ。テオドールと一緒だと思ったから譲ってやったのに、ゼルかよ」


 ヴァイオレットさまは何やら迷っている様子で、ゼルさまがカラカラ笑いながら揶揄っている。


 ――『ヴァイオレット嬢は欲張りだねぇ』『ゼルさまったら、意地悪ですわ』


 不意にウィーリアがおかしなことを言い出した。


 ――気になってるみたいだから、会話の内容を教えてあげようっていう、わたしの心遣いなんですけど?


 あ、そうなの。ありがとう。でも次から前置きしてくれる? びっくりするから。あと、盗み聞きするのは悪いし、遠慮しとく。


 ――あら、そ。ヴァイオレットも甘い物が好きよね。デザート決められないみたい。……あんたも決められなかったわよね。


 そうだな。デザートの魅力には誰も……あれ?

 デザートを決められない。クリストファーさま。し、詳細は覚えてないけど、デザートのスチルが用意されてる……?

 今の状況ってもしかして、クリストファーさまとの出会いイベント!?

 何で!? 何で今になって、しかもヴァイオレットさまが出会いイベントやってんの!?


 叫びそうになる自分を抑え込むため、手の甲を思いきりつねって、ついでに左足の指を右足で踏みつける。背中を嫌な汗が伝った。


「おい、早くいかねえとデザート食いっぱぐれるぞ」

「あ、ありがとうございます。行ってきます」

「俺は先に戻るから、ゆっくり食え」


 無理矢理に笑みは貼り付けて、席を立つユーリ殿下を見送る。ヴァイオレットさま達は空いてきた食堂で、俺には気づかずどこかへ座ったらしい。もう気にしている余裕はない。

 ユーリ殿下には悪いけど、食欲は綺麗さっぱり消え失せて、デザートを食べようとは思えなかった。


 どういうことだと思う?


 ――さあね。テオドールの攻略が終わったから、次へ移ったんじゃない?


 まさか。ヴァイオレットさまはヒロインじゃない。キャラを攻略する必要なんてないだろ。


 ――悪役令嬢、ライバルなんでしょ。あんたのイベントを掻っ攫って行く。


 ヴァイオレットさまがシナリオに沿った行動をしている、ということだろうか。


 ――さあね。でもあんたの場合、攻略キャラの好感度がマイナスにならなければ生存なんでしょ?


 そう、だよな……。俺が目指していたのはあくまでもノーマルエンド。誰とも結ばれず、誰の恋路も邪魔せず、平和にエンディングを迎えるルート。強制バッドエンドの回避が最優先だ。

 攻略キャラ四人とそれなりの交流を維持できている現状、俺が不安に駆られるようなことは何もないはずだ、多分。

 ヴァイオレットさまが仮にイベントを進めたとしてもそれは、俺のイベントを邪魔していると断定する材料には足りない。だって俺は誰の好感度も上げてない。少なくとも、イベントが発生するほどは。プラスになっているだけで、恋愛対象になったわけじゃない。そんな状態で発生するイベントが一つもない以上、悪役令嬢が攫って行くものなんて一つもないんだから。


 ――大丈夫、よね?


 なぜか不安そうに、ウィーリアが言う。

 何だよ、俺のこと心配してくれんの?

 わざと茶化すと、拗ねたようにそっぽを向いてしまった。

 大丈夫だよ。俺にはほら、光の大精霊さまがついてるし。いざとなったら原初の光パワーで助けてくれるんだろ?


 ――調子に乗らないでよね。わたし、お助けキャラじゃないのよ。


 知ってるよ。俺の友達だろ?


 ――ムカつく。


 何でだよ。はは、とこぼれそうになった笑みをすんでのところで飲み込んで、席を立つ。


 ――どこ行くの?


 デザートもらいに行く。

 ウィーリアと話して、少し気分が落ち着いた。今なら三つは食べられそう。


 ――太るわよ。


 やめろ!

 

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