弐
おかしい、絶対におかしい。最近の俺は、本当に一体どうしたんだ?
週末が終わり、学園での生活に戻ってからというもの、見るもの会う人、何もかもがやたらと眩しく輝いてる気がする。
――呼んだ?
呼んでない。
まず、ヴァイオレットさま。とにかく可愛い。これはいいよ、俺は雄性を自覚してるんだ。あんな美人とお友達になれたら誰だって鼻の下が伸びるし浮かれる。
絹のような銀の髪はまっすぐサラサラで、良い匂いがする。真っ白の肌はきめ細かく、爪の先まで洗練された優美さを誇る。群青色の眸と視線が交われば天にも昇る気分。もうとにかく、一緒にいるだけで舞い上がる思いだ。
よくお茶に誘ってくださるし、最近は表情も柔らかくなられて、笑みもよく見せてくださるようになった。
放課後はたまに苦手だった古代バメル語を教えていただいているのだが、教師かよってくらいわかりやすい。……ユーリ殿下とのイベントで克服するはずの古代バメル語は、あっさりヴァイオレットさまにイベントごと掻っ攫われた。
次にテオドール殿下。
庭園での一件以来、ウィーリアへの態度が和らいだ気がする。前より気さくに話しかけてくれるようになったし、声から棘もだいぶ抜けた。ヴァイオレットさまと一緒にい過ぎじゃないか、とやっかまれることはあるけど、警戒するほどじゃない。
この人はとにかく顔が良い。腹が立つほどイケメンだ。完璧王子をやめてからは壁も薄くなったのか、親しみやすさを感じさせる雰囲気になったせいか前の三倍はモテてるような気がする。実はちょっと妬いてるヴァイオレットさまのことは内緒だ。可愛いから、もうちょっと独り占めさせてもらう。
接しやすくなったのは問題ない、むしろ大歓迎だ。問題なのは、会話のちょっとした瞬間や視線がぶつかった瞬間に、俺の胸がざわつくこと。どう表現していいのかわかんないけど、ざわざわする。何だこれ。時折、本当に発光してるんじゃないかと思うくらい、キラキラしてるように見えることがある。……眼科に行った方がいいかな?
次にクリストファーさま。
こちらは相変わらず、何を考えているのか読めないし、食えない人のままだ。のらりくらりと揶揄うような会話運びに、こちらをおちょくる言葉選び。ただ、警戒はそこまでされていないと思う。意地は悪いし、やっぱり名前では呼ばせてくれないけど、話していて嫌な感じがすることはなくなった。このまま当たり障りのない、できれば良好な、関係を築いていけたら嬉しい。
ただ、やっぱりクリストファーさまも見てるとざわざわすることがある。金髪が目にかかって睫を震わせた瞬間とか、口端が微笑くらいの位置で固定された瞬間とか。そんな些細な変化に気づく自分が気持ち悪いし、わけがわかんなくて混乱する。
次にユーリ殿下。
王宮から帰る間際、こっそり謝罪された。それからお礼も。
『悪かったな、きつい態度をとった。それから、ヴァイオレットを迎えに行ってくれてありがとう。助かった』
こちらも失礼な態度とマナー違反を詫びて、ウィーリアの株も少し持ち上げておいた。それ以来、校内や授業で顔を合わせれば挨拶を交わすし、多少の世間話くらいはするようになった。内容はほとんど、ヴァイオレットさまのことだけど。
テオドール殿下とよく似ているのに、彼より勝気でやんちゃ坊主な感じのするユーリ殿下は、ゲームにあった俺様キャラとはちょっと違う感じだ。
屈託のない笑顔も、交わったら逸れないまっすぐな視線も、なるほど女にモテるのも納得の男前だ。見てると目がチカチカする。
そしてセシルさま。
王宮へは一緒に行かなかったけど、ヴァイオレットさまが何か耳打ちしてくれたようで、こちらも謝罪し合って仲直りすることになった。予知夢のこともウィーリアのことも知らなかったのだから、俺を敵と認識するのは当然だ。姉さんが大事なのは、その気持ちは、俺にもわかる。
セシルさまと交友が持てたのは、俺にとってかなり大きかった。例の噂、俺に関する悪い噂が一瞬で消えたからだ。交流範囲が広くて誰とでも仲良くなれる、コミュ力の塊みたいなセシルさまは何をどうやったのか、悪い噂を流してたらしい連中をあっという間に取り込んで認識を一変させてしまった。
『義姉さんの友達なら、味方するよ』
ウインクしながら笑ったセシルさまは頼もしくて、男でも惚れると心臓がばくばくうるさく鳴ったものだ。
「はぁ……」
誰も彼も、前世の俺が歯ぎしりしたって敵わないイケメンで、中身まで立派な宝石みたいな人達だ。友達という肩書きはこれ以上ないほど頼もしくて、ありがたくて嬉しい。
なのにどうして、ざわつく胸の違和感ばかりが募る。不安じゃない。恐怖でもない。不快感とも、まるで違う。
例えば、アニーが抱きしめてくれた時。例えば、ヴァイオレットさまが俺の言葉で笑ってくれた時。胸がくすぐったくなるあの感じ。よく似た感覚が、もっと強烈になって胸を掻きむしる。強過ぎて正体不明な、名前も付けられない謎の感覚。
――はっきりしないわね。
だって、わからねえんだもん。しかたねえだろ。
「ソフィアさま」
「ひゃあっ!」
ぽん、と肩を叩かれ文字通り跳び上がった。変な声も出た。恥ずかしい。
「も、申し訳ありません! 脅かすつもりはなかったんです」
確認するまでもない。この声、この申し訳なさそうな声はロータスさまだ。
「わたしの方こそ、申し訳ありません! 考え事をしていたものですから」
振り返って頭を下げる。ロータスさまも、同じように腰を折った。しばらく謝罪合戦になる。
「あの、今日はお一人ですか?」
今日も、と言いたかったが口を噤んだ。ロータスさまは殿下の騎士。テオドール殿下とはセットでいるべきはずなのに、どうしてかこの人はしょっちゅう一人で校内をウロウロしている。
「それが……」
がっくり肩を落としたロータスさまの声は泣き出しそうだ。
「殿下はヴァイオレットさまと生徒会室でお茶をするそうで、邪魔だから散歩でもしてこい、とわたしは追い出されました」
騎士の意味ねえじゃん。護衛なんてやめちまえ。
「わたしの存在意義が……」
しくしくとロータスさまは本当に泣いてしまいそうだ。大の男を泣かすなよ、殿下。何だか守ってあげたい気持ちにさせてくるな、この人。騎士なのに。
「あ、あの、良かったらわたしと一緒に食堂へ行きませんか?」
「食堂?」
「はい、デザートの新作ケーキが気になっていて。放課後ですし、食べに行こうかなって」
昼食はサンドイッチが思ったよりボリュームがあって、細身のソフィアの小さな胃袋ではデザートまで手が伸びなかった。
「よ、よろしいんですか? ご迷惑じゃ……」
迷惑だったら誘わねえよ。
「もちろん、是非」
ぱあっと表情が晴れる。下がり眉じゃ印象は薄いが、この人も整った顔をしている。普段からそういう顔をしていればいいのに。騎士って、こんな雰囲気でも成り立つんだろうか。
「では、どうぞ」
自然な所作で差し出された手を見て、目を丸くする。手を繋いで行くつもりだろうか。動かない俺をどう思ったのか首を傾げたロータスさまは、ややあって慌てて顔の前で両手を振った。
「も、申し訳ありません! ヴァイオレットさまと移動する際はいつもこうしていたので、つい!」
ヴァイオレットさまの方向音痴は、並んで歩いていても距離が開いてしまうレベルのものだという。俺も経験があるからわかる。手でも繋いで連れて行かないとはぐれてしまうのだ。ロータスさまも例外でなく、手を繋いで目的地まで運んでいたのだろう。今日はたまたま俺が相手で、普段の癖が出ただけ。
――何で怒ってんの?
怒ってないが?
――顔、むすっとしてる。
は? え? マジで!?
ぱあんっ、と両手で頬を叩く。手のひらから感じるのは熱だけで、自分の表情まではわからなかった。
「ソフィアさま……?」
「何でもありません。行きましょう、ロータスさま」
誤魔化す方法も思いつかず、ごり押しすることにした。さっさと歩き出す。
――どうしちゃったの?
わかんねえよ。
――変な奴。
俺もそう思う。
最近の俺は、何かが、どこかが、絶対に変だ。
◇
せっかくなら、とロータスさまも何か食べることにしたようで、俺がデザートを確保して戻るのと入れ替わりで注文に行ってしまった。
お先にどうぞ、とのことだったが、なんとなく待つ。お茶が冷める、とか言ってまた謝罪されそうだがそこは、猫舌ってことにしよう。全然、そんなことねえけど。
新作ケーキはソフィアの好物、チョコレートを使ったものだった。花弁に見立てたラング・ド・シャの器の中にチョコレートのクリームを絞って、上には砕いたナッツとドライフルーツが乗ってる。チョコ尽くしってだけでも幸せなのに、見た目が可愛くて幸せ倍増だ。
ソフィアの体をありがたいと思うのは、男の時分じゃ絶対に敬遠していたようなものも素直に愛でられること。男と女が一個になるとお得ばっかりだな。ただちょっと、食べるのもったいないな、とか思っちゃうところは困りものだが。あと体重。姉さんが太る太るって食べながら嘆いてた気持ちが、今ならわかる。美味しいものや可愛いものは、太る。
――食べないの?
ロータスさま待ってんだよ。
――何で?
俺から誘ったんだし、どうせなら一緒に食べたいだろ。
――ふーん。
何だよ、その微妙な反応は。言いたいことあるならはっきり言えや。
――別に。
煮え切らない態度だな。寄りそうになる眉間を伸ばしているうちに、ウィーリアはふいっとどこかへ行ってしまった。何だ、あいつ?
引き留めようと顔を上げたタイミングで、ロータスさまが戻ってきて、断念する。
「お待たせしました。あ、申し訳ありません、まさか待ってくださっているとは……」
う~ん、やっぱり謝罪から始まった。
「いいえ、せっかくですからご一緒したくて」
「あ、ありがとうございます」
「ロータスさまは何を……わぁ」
口があんぐり開いてしまった。
サンドイッチだった。俺が昼食の時に注文して、あっぷあっぷしながらなんとか完食した例のサンドイッチが、二皿、トレーに乗っていた。
いや、まあ俺も前世じゃこれくらいペロッと食べてたんだけど、ソフィアの視点で見るとびっくりするには十分な量だ。
「た、たくさん召し上がるんですね」
「え……軽食のつもりですが……」
わぁお。
「わたし、それお昼に食べましたけど、一皿でもお腹が破れるかと思いました」
「女性には少し多いかもしれませんね」
「男の人ってすごいんですね」
「あはは! 俺が人一倍、大食らいなだけで――あ、」
ぱん、と軽い音を立てて、ロータスさまが口を押さえた。見れば、顔が一刷け朱に染まっている。
「いや、あの……わたしは人より多く食べるので……」
へぇ、ロータスさまって素じゃ『俺』って言うのか。このギャップは、テオドール殿下で経験済みだ。パーフェクト王子から魔王へのジョブチェンジを見た後じゃ、驚くほどじゃない。
「騎士さまは体が資本ですものね」
いただきます、と手を合わせてからケーキにフォークを、フォークを……どこから食べよう。しばらく悩んで、花弁を一枚剥がすようにすくって食べた。
美味し過ぎる!
ラング・ド・シャが苦みの強いチョコレートだから、甘いクリームが合う。あ~幸せ。ケーキに合う紅茶をお願いして淹れてもらったけど、飲む暇がない。チョコレート味わうので忙しい。
「ふ、ふふ……」
思わず、といった風に聞こえた笑い声にハッとする。ロータスさまが、俺をじっと見て肩を震わせていた。
「す、すみません、つい夢中に!」
はっず!
おしゃべり忘れたんじゃ待ってた意味がねえ。
「あはは、美味しそうに食べますね」
「すみません……」
「いえ、可愛らしいです」
わぁお!
ロータスさまもそんなこと言えちゃうような人だったのか。意外だ。もっと奥手な堅物かと思ってた。
つか、何だこれ。顔から火が出そう。すげえ、恥ずかしい。
あれか、姉さんよく叫んでた、ギャップ萌えってやつか。俺も叫びたい。
声も出ない俺の様子も可笑しいのか、ロータスさまはニコニコしながらサンドイッチにかぶりついた。お嬢さまなソフィアじゃあれはできない。ちょっと羨ましい。
ソフィアが持つのも苦労した具沢山なサンドイッチを簡単に掴む、大きな手。骨ばってごつごつしてるけど、指が長いせいかバランスが良く綺麗だ。剣を握る手って、ああいうものなんだろうか。口も大きい。ソフィアは具をこぼさないようにちまちま食べるだけで必死だったけど、ロータスさまなら色んな具をまとめて頬張れる。
見惚れるほど、気持ちの良い食べっぷり。チョコレートを味わうのも忘れて、しばし眺めてしまう。
「どうかしましたか? あ、口についてます!?」
しまった。見過ぎた。どう誤魔化そうと焦った矢先、助け船は思いがけない方向から飛んできた。
「ああ見つけた! ロータス卿!」
髪を振り乱して駆け込んで来たセシルさまが、勢い余ってロータスさまにぶつかった。しかしさすがは騎士というべきか、ロータスさまはビクともせずあっさり受け止めてしまった。
「どうされました?」
すぅっと深く息を吸って、どうしてかセシルさまは内緒話をするように口元に手を添えて、体はぴったりロータスさまにくっつけた。
「義姉さんが大変! 誰かが生徒会室の扉に鍵をかけたらしくて! 助けてロータス卿! 義姉さんを、あんなお花畑野郎の殿下なんかと二人きりにしておけない!」
失礼のトッピングがあまりに過剰だ。そこまでいくと暴言だろう。ギリギリ俺達にしか聞こえない声量で叫ぶところが、本気度の高さをうかがわせる。
「あ、あの殿下なら大丈夫ではないでしょうか?」
「何を言ってるのソフィア嬢! 男はみんな狼なんだよ」
「セシルさま、ベルシュタイン家は虎……」
「ロータス卿まで! 恋する女の子はみんな綿毛みたいにふわっふわなんだよ、頭が!」
姉煩悩が過ぎる。
ヴァイオレットさまのことも頭の中がお花畑って言ってるんだけど、気づいてないらしい。
「いいから! 早く扉をぶっ壊して俺の義姉さんを助けて!」
「わ、わかりました……」
渋々立ち上がったロータスさまを見て、セシルさまは俺の腕も引いた。
「ソフィア嬢も来て。義姉さんが泣いてたら慰めてあげて」
絶対、そんなことないだろう。お邪魔虫が大勢で押し寄せて、真っ赤になってる可能性はあっても、傷ついて泣いてることなんて絶対にない。
「わ、わかりました……」
渋々立ち上がる。
早く早く、と急かす声に引っ張られながら駆けつけた生徒会室では、セシルさまの言う通り扉に鍵がかかっていた。
デビュタントを控えた子息令嬢とてお年頃。邪な逢瀬を万が一にも避けるため、校内のほとんどの扉は中から施錠できない。生徒会室も例外じゃないのだろう。
「さあ、ロータス卿」
俺の体を安全圏まで下がらせつつ、セシルさまが期待の眼差しでロータスさまを見る。鍵を取りに行く、という選択肢はもちろんここに来る道中で提案したけれど、待っていられない、の一言でばっさり切り捨てられている。
「殿下、ヴァイオレットさま、扉から離れて!」
諦めたのだろう、ロータスさまが声を張った。
少しだけ待って、ロータスさまは扉の前に立ち右足を膝の高さまで上げ――ばごんっ! とものすごい音がして、扉が開いた。
すっげ……蹴り開けちゃったよ。
「つっえぇ……」
セシルさまも呆然としている。
頑丈な扉だろうに、一蹴りで開けてしまった。
「あ、義姉さん!」
ハッと我に返ったセシルさまが中へ飛び込む。俺も続いて、目の前に広がる光景に頭痛がした。
そこには、ヴァイオレットさまを庇うように肩を抱くテオドール殿下の姿があった。セシルさまと目が合って、気まずそうに冷や汗をかいている。そしてヴァイオレットさまは、林檎のように真っ赤に、耳まで赤くして立ち尽くしていた。
「、ぁ……」
俺はこの光景を知っていた。姉さんが、修羅場、と笑って見せてくれたイベントのスチルだ。ヴァイオレットさまと、ソフィアの立場は逆だったけど、間違いない。これはイベントの一つだ。
――あーあ、また盗られた。
ウィーリアの意地の悪い声が、耳に残った。




