『ラメン』協定
私はテンザンと並んで歩き、レンのヤタイを目指していた。
やがて数十メートル離れた前方に、ヤタイの灯りが見えてくる。
約束の時間よりずいぶん早いが、カウンターの椅子には、オーリ、ブラド、マリア、そして銀髪の女性が座り、楽しそうに笑っていた。
和やかな様子を見る限り、互いの紹介は終わっているらしい。
「みんな、すでに集まってるね……さあ、テンザン。我々も行こう!」
言いながら隣を見て、私は凍り付く。
なんとテンザンが悪鬼の如き形相で、身体をブルブルと震わせていたのである!
彼は、殺気のこもった声で呟く。
「ついに見つけたぞ……片翼の魔女……っ!」
テンザンは髪を逆立て顔を真っ赤にして、大声で怒鳴った。
「イチノセ・サラぁーーーーーっ!」
その叫びに、椅子に座った銀髪の女性がギョッとして立ち上がる。
そして、こちらを見て叫んだ。
「テ、テンザン!? バカなっ! ……なぜ、ここに!?」
テンザンが、剣の柄を親指でカチャリと押し上げる。
止める間もなく、一陣の風のような勢いで突進した。
ダメだ。追いつけない。呪文の詠唱も間に合わない。
彼は剣を振り抜き、上段に構える。
走る勢いそのままに、振り下ろす!
その時だ……レンが、両者の間にスルリと割り込んだ。
ブラドとマリアが、あっと叫んで椅子から立ち上がる!
テンザンの剣が、稲妻のような速さで銀色に閃いた!
「レ、レぇーンっ!」
思わず目をつぶり……ゆっくりと、開く。
光振りまくヤタイの前に立っていたのは、剣を振り下ろしたテンザンの姿……。
そして無傷のレンと、鋭い刃を椅子で受け止めたオーリであった。
レンは、己の眼前数ミリの位置で停止する凶刃を、ジロリと睨むと腕組み顎上げポーズを取る。
そして、厳しい声で言った。
「おい……俺の店で、喧嘩は絶対に許さねえぞッ!」
それからレンは、テンザンに顔を近づけて怒鳴る。
「テンザンさん! あんた、俺のラーメンを食いに来たんだろ!? なのに、刃物持ちだして人に切りかかって、一体どういうつもりだよ!? 人を傷つけた後で食うラーメンなんて、美味いワケねーだろがっ!」
テンザンは、何も喋らない。
レンはヤタイから椅子をもうひとつ出すと、それを地面に置きながら優しい声で言う。
「ほら、テンザンさん。サラさんも……おとなしく椅子に座ってくれよ。今夜は、あんたたちのために気合入れてスープを仕上げたんだ。二人に食ってもらえないと、俺が寂しい!」
テンザンは剣を鞘に納め、無言で立ち尽くす。
しかしその目は、銀髪の女性を厳しく見据えたままである……。
二十年以上も探し続けた因縁の相手を、やっとみつけたのだ。
彼に、『そのまま帰る』という選択肢はないだろう。
と、銀髪の女性がおずおずと言う。
「……テンザン。私は、ラーメンを食べ終わるまでどこにも行かない。あなたも、それでいいでしょう?」
テンザンは大きく頷くと、椅子をカウンターから少し離れた場所に置き、ドカリと腰を下ろした。
それを見た銀髪の女性が、レンに言う。
「ねえ、レン。私にも椅子をちょうだい」
「ああ……ほらよ」
彼が椅子を渡すと、なんと彼女はテンザンの隣に椅子を置き、そこに腰かけた。
テンザンは追い払うでも、逃げるでもなく、座ったままだ。
どうやら二人は、ラメンを食べ終えるまで一時休戦の合意を結んだようだ……。
束の間の平和であり、いわば『ラメン協定』と言える。
銀髪の女性……椅子を置く時に気づいたが、左手一本の隻腕である。
彼女は口を開く。
「久しぶりね、テンザン。まさか、ファーレンハイトにいるなんて思わなかったわ。そう……二十年前のあの日から、ずっと私を追っていたのね?」
テンザンは、何も喋らない。
彼女だけが、一方的に喋り続ける。
私が近づくと、彼女はにこやかに笑った。
「エルフのあなた! 私は一ノ瀬沙羅、日本人よ。サラって呼んでくれる?」
私は慌てて頭を下げる。
「お初にお目にかかります、私はリンスィールです。『ヒヤシチューカ』の時の空間転移は、あなたの魔術とお聞きました。失われし『古代魔術』を現代に復活させたとなれば、大魔導士とお呼びするのが相応しいでしょうな。まさかそれがテンザンの追っていた人物だとは、夢にも思いませんでしたが……」
銀髪隻腕の女性、サラは笑って言う。
「大魔導士だなんて、恥ずかしいからよして……私とテンザンの事情は、少し複雑なのよ。ラーメンを食べ終えてから、話すことにするわ」
と、オーリがレンの尻を思いっきり平手でパァンと叩く。
「いってえ!?」
思わず声を上げるレンに、オーリが怖い顔で言う。
「レン、こんの大バカ野郎めッ! 後先考えずに飛び出しやがって、死んじまったらどうするつもりだ!?」
その言葉に、私も頷きながらレンに言った。
「まったくだよ、レン! 君の啖呵には恐れ入ったが、あんな危険な真似は二度としないでくれ!」
我々の肩越しには、マリアとブラドが心配そうにレンを見ている。
マリアなどは、目の端に涙が浮かんでいた。
「レ、レンさん……無事でよかったぁ。死んじゃったら、どうしようかと思ったよぉ!」
レンは苦い顔をしながら、私たちに頭を下げる。
「うん。すまねえ、オーリさん、リンスィールさん。ブラドも、マリアもな……つーか、あれは俺にも予想外でさ。思ったより、全然速かったんだ!」
「ん? 速かっただと? どういう意味だね?」
レンはヤタイから、折り畳み式のスリムテーブルを引っ張り出しつつ言う。
「リンスィールさんたち、50メートルくらい離れた場所にいたじゃねえか? テンザンさんが突っ込んで来る前に、怒鳴って動きを止めるつもりだったんだ……なのにダッシュ2秒で、もう目の前だろ? ……いやー。まさか、あんなに素早く走るとはなぁ」
それを聞いて、私は戸惑った。
「ええ……っ? つまり君は『勇気』や『無謀』で飛び込んだのではなく、たんなる計算違いであの状況に陥ってたのか!?」
レンはテーブルを組み上げながら、頷く。
「うん、そういうこと。だって、ウサイン・ボルトより速いなんて、想像つかねえよ!」
私はレンを手伝って、テンザンたちの前にテーブルを置くと呻いた。
「……むむっ。迂闊ではあるが、ならば責めても仕方あるまい……誰にでも、初めての経験はあるからな」
それからオーリに言った。
「オーリ。君もよく、テンザンの剣を受け止めてくれた」
「ふん……俺っちの手柄じゃねえや」
オーリは、手に持つ椅子を地面に置いた。
すると椅子はパカンと乾いた音を立て、真っ二つに割れてしまう。
「おおっ! こ、これは……!?」
「あの野郎。俺が受け止めるより早く、刃先をずらしてたんだよ。もしもそのままぶった切る気でいたなら、こんな椅子なんて盾になりゃしなかった……俺ら両方とも、脳天から斬られてたろうぜ」
オーリは言いながらカウンターの椅子、いつもの席に腰かけた。
テンザンがそちらを見て、ボソリと言う。
「貴殿に防いでもらわなければ、少なからず血が流れた。レン殿に怪我されるのは、拙者も困る」
テーブルのセッティングを終えたレンが、暗い路地を見回しながら言った。
「……カザンは、まだ来てないな」
サラが、少し寂し気な表情で答えた。
「ええ。やらなきゃいけない事があるから遅れるって言ってたわ。待っててもいつ来るかわからないし、先にいただいちゃいましょう」
次回は味噌ラーメンの実食です。
こんな空気で、美味しくラーメンが食べられるのか……?
リンスィール「大丈夫だ、問題ない」




